You bet!
掲示板に貼り付けたポスターとにらめっこする女子中学生、ここにいます。
立海男子テニス部は深刻な問題を抱えていた。そう、マネージャーの後継者問題である。今あたしが見つめているのは、新しくマネージャーを募るために作ったお手製ポスターだ。比較的こういったポップアートみたいなものを作るのは得意なので、そういう部分で手間取ったわけではない。そう、それはいつもさして問題にはならないのだ。事を大きくしているのは、男子テニス部の練習が過酷だったり前副部長の篩の目があまりにも細かすぎて、仮入部に来た人たちが途中で尻尾巻いていってしまうことだった。スポ根どころでなく、むしろ滝行にでも行くのかというレベルで気合を入れていかないと我が部では生き残れない。あたしの場合、ガミガミ厳しい弦一郎に対してせっちゃんが隠れ蓑になってくれていたというのもあったのと、あたし自身自分の意見をハッキリ言うという点で彼らと相性が良かったのかなんとか続けられることができた。最初は日本の部活の厳しさに若干抵抗もあったけど、割と平常時は個人主義っぽい部でもあるし個性的な面々が揃っているところはあたしにとっては大いに助かる面であった。しかし、個性が強すぎるというのも難である。
普段は物腰柔らかでガーデニングが好きで王子様のようなせっちゃんというイメージを抱いて仮入部した者はコート上の彼の容赦ない厳しさとオブラートに包まない物言いにショックを受けたりついていけないことも多々あるし、蓮二に恋していた子が思わぬところで分析されて乙女のガラスのハートが粉々になったりする。加えて強面で声の大きい弦一郎。入部辞退者から多く寄せられた意見では、彼は普段から威嚇してるように見えているらしい。しかも鉄拳制裁は仮入部辞退の決定打になることが多いようだ。つまり、あの三強が立ちはだかる壁を乗り越えるまでが第一関門のようなものだ。
じゃあ第二関門は何かというと、この部に在籍しているとめちゃくちゃ人から見られる機会が増える。そう、目立つのは必然的なことなってしまうのだ。黄色い歓声が上がっていることはしょっちゅうだし、レギュラーは人気者ばかり。だから男子テニス部の女マネでいると敵を作りやすいんだよね。でもそれがなーんでか分からないけど、あたしはなんだかんだファンの子達とうまくやっているし(月イチで会報とか作って流してるし)むしろあたしのこと自身も怖いと思う人も多いみたい。あたしも声が大きいからかな?失礼しちゃうよね。だから注目されるのに慣れてない子達からすると、コート側に立って見られることに耐えられなくなったりするみたいで。あたしも注目されるのは好きじゃないけど目立つのは好きだし(皆には矛盾もいいところだとツッコまれるけど)大体あたしが試合するわけじゃないしなーと思ってなんだかんだ過ごしている。フツーの神経ではやってけないってよく言われるけど、マジで変人扱いされるからやめてほしいところなんだけどなぁ。
それはさておき、マネージャー募集のチャンスが来た。U-17合宿で旧レギュラーメンツが出払っているこの時。この時期に募集をかけるのは、雰囲気がつかみづらく新しいマネになる子には酷かもしれないけど、当面の間の後継者問題は解消される。いくらあたしが高校男子テニス部でマネージャーを続けようとも、中等部のマネージャーの面倒まではきっと見られない。だからきっと、レベルが高いとはいえ二軍しかいない練習風景でなら馴染みやすいかもしれない、そういう魂胆だ。計算高いとかやること汚いとか言われてしまえば、そうかもしれないしあたしもそう思う。それでも!3年間ソロでマネージャーをしていた者からしたらこの好機を逃してしまう方が一大事なのだ。
堪え性がないあたしは、掲示板の前でうろうろと歩き回ってしまった。誰かちょうど興味を持って声なんてかけてくれないかなーと思っていたからだけど、そんな簡単に物事が運ばれるはずがなかった。30分程度物陰に隠れたりして様子を見ていたけれど、掲示板の前で足を止めあたしがポスカで作った可愛くて親しみやすそうなポスターに目を留める子は現れない。後で教えてもらったけど、友人には完全に不審者に見えてたらしいけど放っておいたとのこと。友人たちよ、そこは止めてほしかった。
液晶画面を睨みつけて、照明の具合を確認した。よし、この角度からならよく見えるかも。あたしは久々に胸を踊らせ、ハーフアップにした髪を撫で付けた。ラベンダーカラーのケーブルニットもいい感じだし。うん、変なところはないし大丈夫そう。約束する時間まであと数分、時計とディスプレイを見比べて妙にソワソワしてしまう。するとまもなく、パッとせっちゃんの名前が画面に表示された。恐る恐る、通話ボタンを押す。
「もしもし」
「、元気にしてた?」
「うん!久しぶりだねせっちゃんの顔見るの」
「俺だけじゃないだろう?ほら」
せっちゃんは何の予告もなしに、小さいであろう画面を一斉に覗き込む我々立海メンバーを映した。あたしは手を振りながら皆に応えていると、最後にドアップで弦一郎の目が拡大されて思わず身構えてしまった。いや、そりゃ好きな人に画面越しで会えるのは嬉しいけども……!いきなりのことに心臓は跳ね上がったし、その鋭い眼光を久々に目の当たりにしてしまって、思わず意識がくらくらしてしまいそう。あれ、でも珍しく弦一郎は眼帯なんてしている。ものもらいにでもなっちゃったのかな。
「真田、そんなに近づきすぎるとからは目しか見えないだろう。それだけのことを近くで見たいんだろうけど」
「む……」
「ひ、久しぶり」
手紙のやり取りは既に2回はしていた。電話もあのあと一度だけ。実際にはまだ離れて1ヶ月程度しか経っていないので、今生の別れって思うほど大げさな寂しさはなかった。それでも、動いてる姿を見てしまうと感極まってあたしが涙ぐんでしまった。鼻を鳴らしたあたしに、ビデオ係にされたらしいジャッコーが「大丈夫か?!」と声だけで参加してきた。引きになった画面では、一月前と変わらずみんなは元気そうにしていた。
「ねえ何で弦一郎眼帯してるの?大丈夫?」
「心配するな、瞼の上を切っただけだ」
「そう……。でも痕にならないように軟膏とか塗ってね?」
「せっかく皆でビデオ通話できてるんだから、二人の世界を作るのは今度にしてくれないかな」
せっちゃんの小憎たらしい言葉にあたしはハッとすると、自分でも分かるくらいに思わず赤面してしまった。だってこんな風にみんなと話すのは初めてだから……大勢が集まった中で焦点を当てようと思うと、どうしても弦一郎に目が行っちゃうんだもん。でも画面の向こう側のみんなは本当に相も変わらず、あたし達の仲を茶化すようにやいのやいの言っている。弦一郎だけが、少し照れくさそうに頬を掻いていた。
「それが合宿のジャージなの?白と黒で分かれてて、なんかカッコいいね」
「そうそう、負け組の色が黒なんだよ。勝ち組は白」
「負け組?勝ち組?なにそれ」
「……今度説明しよう」
蓮二が目をせっちゃんに光らせると、せっちゃんは満足そうに頷いた。何故か弦一郎は先ほどに比べてむっつりしている。いや、それが彼の標準モードなのは分かっているけれど。面倒くさい話は今日はやめて、近況報告だけに集中しようとあたしは頭を切り替えた。
「そっちはどうだい?」
「それが、なんと!マネとして暫定入部希望者2名きました~!」
「マジすか?可愛い子です?!」
「うん、可愛い可愛い!」
赤也の食いつきっぷりと、人員に困窮しており必死な思いで後継者にありつけそうなあたしとの会話はきっとすれ違っていた。見た目の可愛さについて赤也は言っていたんだろうけど、あたしはもうどんな子でもマネージャー業やってくれるなら可愛い。でもそこはあえて言わずに、次世代のエースに調子を合わせてあたしはニコニコしていた。
「そうか、よくやったな」
「しかも!一年生と二年生一人ずつだよー。詳細は共有ファイルにまとめたのを入れておいたから手が空いた時にでも見てね」
「ああ、分かったよ」
蓮二のマネをして、出来る限りの情報は集めておいた。あたしはそれが言いたくて、とのことで今回ビデオ通話させてもらうことにしたのだ。弦一郎にも褒められちゃったし、赤也も喜んでるしこれであたしも中学のマネージャー業からは手を引くことが出来る。あたしは報告も入れられたことだし、ということでほっと息をつくとせっちゃんが突拍子もない言葉で会話の流れをいつものようにぶった切った。
「、ちょっと立って回って見せてよ」
「え?」
「ほら、画面から離れて、くるって一回転してよ」
「ええ?いいけど……ちょっと待ってね」
あたしは戸惑いつつ言われるがまま液晶画面をスタンドで支え、引きの画になるようにしてその場でくるっと回って見せた。せっちゃんの意図がよくわからないけれども、大体せっちゃんにやれと言われたらやってしまうのが彼を甘やかしてしまうあたしの悪いところだ。
「うん、その黒のコーデュロイのスカートとセーターとても似合ってるよ。髪留めもシフォンのリボンで可愛いんじゃない?」
「おっ、確かに今日のはいつもより女子らしいんじゃね?」
「真田に見せたかったんだろう?」
ブン太がスマートな褒め言葉を挟みつつ、今日のあたしのオシャレ具合をせっちゃんは淡々と冷静にコメントしていた。久しぶりに彼氏にも会えるからって、画面越しでもオシャレを頑張ってしまうあたしのことなんてバレバレなのだと思い知らさせると顔から火が吹き出そうだ。あちらの映像がいきなり大きく揺れ、前触れもなく真田の顔ががまたドアップに映された。恥ずかしい思いに加え、彼氏の切れ長で強い目の光とその迫力に思わずとっさに左手で口を覆ってしまった。あの、普通にバストアップの映像を見たいんですけれども……。
「そ、そうだな。……いつもより丈の長いスカートで良いのではないか?」
「まあ、こちらは相変わらずだ」
熱はこもってるけれど、気の利いたことが言えない弦一郎にせっちゃんは冷たい眼差しを向けている。うん、こんなやり取りも相変わらずだね。それでも弦一郎の精一杯の評価にあたしは溶けるような笑顔を浮かべてしまった。それにしてもみんな元気そうでほんと、何よりだよ。
「そういえば、柳生とジャッカル以外の6人はオーストラリアで開催される世界大会に出ることになったんだけど」
「えっ?!何それ大ニュースなんだけど?!なんでそれをもっと早くに教えてくれないの?あたしの服とかどうでもよくない?」
「詳細は合宿から帰った柳生とジャッカルから聞いてくれ。時間が来たから、また」
あたしは彼氏に対する乙女心から一転して思わず捲し立てて詳細を聞き出そうと思ったのに、なんて通話の切り方をするんだあの幸村精市様々は。世界大会なんて頭が追いつかないよー!!そりゃ、みんなが全国屈指のテニスプレーヤーだということは分かっているけれど、なんでいきなり世界?
無情にもすごい爆弾発言を投下したすぐ後に通話を切った幼馴染に『どういうことなの?』と抗議のメッセージを入れておいた。あたしが我が部の先行きを不安視している間に、彼らは突然世界へ行っちゃうんだ。合宿場で物理的距離がかなり離れていてもそこまで寂しさはなかったものの、ここまで何もかも変わってきてしまうと流石のあたしでも途端になんだかぽつんと一人置き去りにされた気持ちになってしまったのだった。
いつもと変わらずしゃんと胸を張った柳生と、少し疲れたような素振りを見せるジャッコー。世界大会への選抜選手には選ばれなかったものの、立海の自慢の選手二人が帰ってきた。せっかく帰ってきたのだから、ということで二人をランチに誘って海風館のカフェテリアにてしばらくぶりの会合を楽しむことにした。
「ふたりともお疲れ様。もうみんなはオーストラリアに発ったんだね?」
「ええ、そうです。さんも後任のマネージャー募集とご指導ご苦労様でした」
「俺もオーストラリア行きたかったぜ」
「そうだね~。世界大会の枠が急に設けられるなんて思ってもみなかったなー。それだけ今年の中学テニス界は期待されてるんだね」
あたしはそう、しみじみ思った。柳生は静かに頷き、ジャッコーは悔しい気持ちも相まってなのかやりきれそうな苦笑いをする。しかし、あたしはそれに触れることなくのほほんと過ごしているように紅茶を啜った。
「そういやメッセージ、ちょくちょく送ってくれてありがとな。励まされたぜ」
「私からもお礼を申し上げます。他の皆さんにも喜ばれていましたよ。元気が出たと」
「それしか出来なかったからね。合宿一緒に行きたかったけど……。大会も、数日だけでも応援に行けないのかな?」
「それは難しいでしょう。自費で行くにしても学校もありますし」
「だよね~ぇ……。テレビでじゃなくて現地でみたかったな。あ、ねえねえじゃあ、現地でいる気分を味わうために今から英語で話さない?」
結局これは得策じゃないんだな、とジャッコーのハの字に下がった眉であたしは察する。柳生はあくまでも丁寧に、承服しかねるといった風に顔をしかめた。うーん、なんだか温度差があってうまくいかない。二人の世界大会へ行きたかった悔しさは絶対あたしが合宿に行きたかった悔しさと重なることはないもん。それは分かってる。さりげなく気の利いた言葉が言えずうまく噛み合わない会話で気まずいを思いをし、あたしは再び紅茶を啜ろうとした。しかし掲げられたティーカップの中身は既に空だった。
「しかし、この期間に英語力を磨くのは悪くはありませんね。決勝まで日本が進むとなれば行けることも無きにしもあらずかと。時間も出来たことですし、久々に『アクロイド殺し』でも読み返しますか……」
あたしの下手くそで遠回しな励まし方を汲んでくれ、柳生がいい感じに話題転換をしてくれた。自分で作ってしまったとはいえ、変な空気で喉がカラカラになっていたのでとてもありがたい。それにさえも気づいた柳生は颯爽と立ち上がり水を紙コップに入れて運んできてくれた。あたしは感謝の気持ちを表して、柳生の趣味に関する話から仕切り直すことにした。
「柳生の好きな言葉ってポワロからだよね?シチュエーションはよく分からないけど、いい言葉だよね」
「おや、興味をお持ち頂けましたか。あれは晩年の彼の台詞ですので、読むのならば他作品からお勧め致しますよ」
「"And Then There Were None"は触りだけ読んだんだけど……、マザー・グースの導入が少し気になって」
「ああ、あの冒頭の。なかなかに残酷な詩ですね」
「マザー・グースは結構好きだから色々読んだし歌ったりしたこともあるけど、ほんと驚いちゃうくらい残酷なものも多いよね。ジャッコーはそっち方面そんなに興味ないんだっけ?」
「マザー・グースはあんまりだな。映画で言うなら、俺はヒッチコックが好きだぜ。そうだな、時間が出来たことだし久しぶりに映画でも見返すか」
「あたし"The Birds"のワンシーン見たら怖すぎて泣いちゃった。もうほんとトラウマ。だからヒッチコックはちょっとしか見てないな~、ジャッコーはああいうパニック映画が好きなの?」
「パニック映画だけがいいとは思ってねえよ。サスペンスのゾクゾク感は好きだが」
「人情が溢れる作品よりかはスリルを楽しんでおられるのですね」
「まあ、そうだな。は怖い感じのジャンルは苦手なのか?」
久しぶりにテニスとは全く関係なく国際色豊かな二人の会話からこちらへ振られて、頭の中で好きな洋画や洋書を浮かべていた。そのせいか、脳が混乱してしまい口をついて出てきたのが次の言葉たちだった。
「Um..., no.じゃなくて。あんまり怖いのはダメ。Horrorとか苦手かな~。Mysteryは大好きなんだけど。だから、Poirotなら"Murder on the Orient Express"とかは読んだよ。こう、ガッと驚かされるのは苦手。家でも悲鳴あげちゃう。この声でscreamしたらヤバいと思うでしょ?」
「おや。どうやら、先ほどの提案のようにさんはスイッチが英語に切り替わってしまったようですね」
柳生はククッとくぐもった声で笑い声を漏らした。ジャッコーもあたしがルー大柴みたいになってるのを見て、少し笑いを堪えるよう唇をキツく結んだ。英語で話す提案を却下したのに、中途半端に柳生がポワロの話しだすのが悪いんだもん。でもこの会話のおかげで、どうしようもなく寂しくなってしまった自身の気持ちが少し癒えた気がした。
"Thanks guys."
「Guyは頂けませんね。私のことはgentlemanでお願いしたいところです」
あたしの感謝の言葉に、絶対譲れない柳生なりのいつものこだわりからつけられた難癖にあたしはぷっと吹き出すと、二人共優しく微笑んで小さく頷いた。ああ、この二人がチームメイトで本当に良かった。
(201231)