もしもし、愛しの君たち
ーー前略ごめんください。
さっそくですが、合宿場にていかがお過ごしですか。こちらは相変わらずです。そういえば、数学の内申点がギリギリ大丈夫だったようで私も無事内部進学出来るみたいです。実は、部活での評価に加えスピーチコンテストで入賞していた分があったので進学に関してはそこまでは心配いらなかったみたい、と後で先生に教えてもらいました。それはそうと早く言ってくれればよかったのに、先生も意地悪です。でも、ようやく何の心配もせずに来年もまた弦一郎と同じ学校で三年間過ごせると思うと本当に嬉しいです。今は皆がいなくて少し寂しいけれど、こうして手紙を出せるのはなんだか新鮮でドキドキしちゃいますね。そちらには最新設備が整っているのでしょう。是非、どんな合宿場なのか教えてください。青学のルーキー君や手塚君が呼ばれた合宿だもの、充実した練習や試合が出来ていることでしょうね。皆と一緒にコートに立つことは出来ないけれど、私の心はいつも皆と共に在ります。また近いうちに手紙を書きますね。
かしこ。
追伸、最近プリクラを撮ったので同封します。もし合宿で面白い写真が撮れたら弦一郎も見せて下さい。それに初めてちゃんとした手紙を日本式で書いたの、どうかな?お返事楽しみにしてるね。
俺が手にしたのは可憐な白い鳥と桃色の花が描かれた便箋だった。なんともらしい爽やかで温かい手紙だ。書道で磨いたであろう、伸びやかで綺麗な字の一つ一つに彼女の豊かな感情が込められている様に感じる。縦書きの便箋に一生懸命彼女が書き込む様子を思い浮かべれば、自然と口が綻ぶ。合宿の自由時間に何を返事として書こうかと悩んでいると、何かと目敏い千石がここぞとばかり話しかけてきた。
「あれ、真田くん彼女さんからお手紙~?いやー、お熱いねェ。羨ましいなぁ」
「なぜそれを……」
「えっ、図星だった?冗談だったんだけど。いや~それにしても意外だなぁ。そういう事に興味がないタイプかと思ってたよ。あぁ、もしかして宅のマネージャーちゃん?……って急にそんな怖い顔にならなくても」
ぺらぺらと喋るやかましい千石の言う通り、図星を突かれた俺はそれ以上何も言わずに丁寧に便箋を封筒に入れしまった。その際、がよこしたぷりくらという小さな写真がこぼれ花びらのようにそれがひらひらと舞い落ちるのを、動体視力の良い千石が逃すはずがなかった。奴は目の色を変え、素早い動きでそれを捕まえた。……なんて面倒な奴に知られてしまったんだ。
「へぇ!これはこれは。結構かわいい子なのは遠くから見て分かってたけど、どっちかっていうとキレイ系なんだね。いや~本当にうらやまし……」
俺が睨みつけているのに気づいたのか、瞬時に顔を青ざめさせた千石は黙りこんだ。そして平謝りしながら、神妙に小さなぷりくらとやらを差し出したが俺が額に青筋でも浮かべていたのだろう。そのまま一目散に寮の部屋から逃げ出してしまった。あまり他の男に見られたくはなかったが、仕方あるまい。合宿生活の性質上、プライバシーを保つのは難しいからな。
「あ、真田。の手紙見た?」
「何故幸村が知っている」
「だって電話でが言っていたからさ。着いたかどうか教えてって俺に言ってたんだよ」
電話……?そうか、いつの間に幸村とは電話をしていたのか。確かに仲の良い二人だ、離れて連絡を取らないということもそうあるまい。そうなると、俺の携帯電話に着信がないのが気になった。じっと、折りたたみのそれを眺めると幸村は呆れたように首を振った。
「なりの配慮だと思うよ。用件のみしか話さない真田は電話より手紙の方がいいだろうって」
「なるほど、そうか。それは助かるな」
「そういう気遣いをさせない甲斐性のある男だったら良かったんだけどな」
やれやれと大袈裟にため息をつく幸村に俺は何も言い返せずにいた。そういう男だから仕方あるまい。それにはそういう俺だからこそ好きになったと言うではないか。外野からはあまり文句を言われたくもない。しかし、幸村の言うことに間違いはないので俺は黙りこくったまま熱い茶を啜った。熱い茶が喉の妙なところに引っかかったのか、思わず咽てしまったところを通りかかった蓮二が話しかけてきた。
「弦一郎、からの手紙は届いたか?」
どうしてだ。何故蓮二までもが知っている。俺が不可解に思っていると、その問いを顔色から読んだ蓮二はそのまま話を続けた。
「昨日からメッセージが届いてな。手紙が着いてなかったら心配だから聞いておいてくれと」
だからといって、蓮二にまで言う必要はないのではないか。あいつの心配性にも困ったものだ。蓮二とも親しい友ではあるとは重々承知しているが……。
「それに先ほどホールにて千石がについて騒いでいたぞ。全く、厄介な相手に知られたものだな」
「なんだと?!」
「他人の彼女に手を出すような無粋な輩ではないだろう、そこまで問題はないと思うが……」
「アッ、副部長!センパイから手紙届いたんスか?い~な~」
千石が手紙のことを言いふらしたせいか、さっそく赤也が俺にの手紙について尋ねてきた。俺は静かに休憩時間を過ごしたいだけというのに、私的な話題で騒がれるとは煩わしいことこの上ない。
「そうだが……」
「さっきホールで千石さんの話聞いてたみーんなビックリしてたんスよ!副部長に彼女がいるだなんて確かにフツーは驚きますよね。しかもうちのセンパイ美人だって千石さんが言ってたから、なんか俺も~嬉しくなっちゃって、センパイの自慢してきたんスよ~!」
事を大事にしてほしくないと思うには既に遅すぎたか。ここには少々口が軽い連中が多いようだ。赤也が意気揚々とについて話してしまったらしい。勿論は他と比べても遜色ないマネージャーである。ただ、あまりにもこういった色恋ごとに免疫のない俺にとって、校内はおろか校外の連中に知られてしまうには持て余してしまう話題だった。
「いや~センパイの連絡先教えてって言われて大変だったんスよ~」
「連絡先……?」
「あ、いや、俺はちゃんと断ったんスよね。ほら、真田副部長がコワ……いや、副部長の彼女だから幸村部長に聞いてくれ~ってちゃんと言いましたよ」
「……許可を出すのは俺なんだね」
幸村は悠然と微笑んだ。控えめに笑っているが、その笑みには余裕が見えた。その姿に赤也はホッと胸を撫で下ろす。だいたい、なぜの連絡先どうこうの話になるのだ。そしてどうして赤也は幸村に聞けと千石に言うのだ。話が変な方向に向かっているのと、付き合って間もないとはいえ俺と彼女の関係がいまだ幸村と彼女のとの前ではまだまだ未熟なものだと思い知らされ先ほどの喜びはどこぞと萎み、今や複雑な心境になってしまった。
「じゃあ皆でがくれたプリクラでも見ようよ。なかなか面白いよ」
「なぜお前が……!?」
「え、俺もから手紙貰ったからなんだけど……。あ、真田は貰わなかった?」
「いや、俺も貰ったが……」
貰ったが、同封されていたのは一枚だけであった。幸村は彩り鮮やかなそれらを机の上に広げ、どれもとても楽しそうに眺めている。……何故幸村は何枚も持っているのだろうか、と疑問に思わずにはいられなかった。
「ももっと選んで送ればいいのにね~。写真を撮られ慣れてないって感じがいいんだけど。変顔だけはやけにクオリティー高いんだよね」
幸村は不在の幼馴染の持ち前の愛嬌に思いを馳せていた。幸村にやったものだから、と思い俺は遠慮してあまり見ないように視線を逸していたが急に赤也が声を張り上げた。
「このプリのセンパイ、いつにも増してちょ~可愛くないスか?めっちゃ盛れてる!」
「本当だ。は目のパーツが大きいからプリクラだと大きすぎたり、元の顔が小さいから顎が小さくなりすぎてバランス悪くなるけど……これは良く撮れてるね」
俺はそんなにもよく撮れてるものならば、一目見たい…‥と願ってしまい気が緩んでしまったが最後、薄目でその写真をしっかりと視認してしまった。しかし、それは俺が貰ったものと全く同じ物だった。そして目を見開いた俺を見て目敏い参謀が口を開いた。
「弦一郎はこのプリクラを貰ったのではないか?」
「あ、ああ……」
両手の指を摘むような動作を見せながらにっこりと笑う彼女が収まる小さな写真。赤也によるとそれはハートマークらしい。の特徴的な猫のような大きな瞳がきらめいていた。
「な~んだ、もやっぱり恋する女の子だね。真田には一番よく撮れたプリクラあげたんだ」
「結構乙女なことするんスね、センパイも」
俺の頬はたちまち緩み、心の奥から込み上げてくる喜びをこらえきれなくなりそうだった。そんな俺を幸村がひと目見て「気味が悪いな」と言い放ったので俺は席を立った。彼女には仲の良い友人が多い、それは俺も知っている。だがその中でも俺のことを特別に思っていてくれるという事実に思わず笑みがこぼれてしまう。彼女を好きだという気持ちと会いたいと素直に思う気持ちは心に春風を吹かせるようだった。俺は携帯電話を手に取り、通話スペースへ早速足を運ぶことにした。
最近のあたしは携帯電話の画面を見ていることが増えた。辛い試験も終わり(大して勉強してないかもだけど)、せっちゃんにメッセージを送ったり、電話したりしている。部員達にもたまに励ましのメッセージを送っていた。自他共認めるマメなあたしは弦一郎にも毎朝、おはよう頑張ってねと可愛い絵文字つきで送るけど、大抵「ありがとう」などの一言のみの言葉となんだか個性的なチョイスの絵文字だけが返事として来る。分かっていたんだけどなー。こうやって離れて暮らすとなると、もうちょっとなんか欲しい。向こうは合宿所にいるんだし女子と絡む心配もないんだから、ハラハラドキドキするとかはないんだけども。
だって付き合ってまだ2ヶ月ちょっとしか経ってない彼氏の近況知りたくならない?!あたしはなる。そこで考えた。弦一郎は電話だと用件のみで手早く済ませちゃうし、もっと多く内容が伝えられるもの……、それは手紙だ!思い立ったが吉日、あたしはその日すぐに可愛い文房具のある大型雑貨屋さんへ寄り縦書きの便箋と封筒を買ってきた。春っぽい色味のものを選んでしまったけれど、白い鳥がなんだか幸せを運んでくれるような気がしたのでそれにした。ちなみに、普段づかいに良いかもと思い同じ絵柄の横書き便箋も買ったのだ。我ながら思いついて実行するまでが早い。でも手紙は書いて送るまでしないといけない。あたしは不慣れな縦書きの便箋とにらめっこする。なんだか、知らない書き方の様式とかありそう。あたしはいても立ってもいられず、部活もないのに学校へ戻り図書館へ来た。そして『手紙の書き方』という本を手にしてルンルンと鼻唄を歌いながら軽くスキップなんかもして家に帰ったのだった。
「せっちゃん、聞いて聞いて!今日ね、あたし可愛い便箋買っちゃったんだ~!」
「真田に書くの?」
「だってこれが一番良くない?電話もそんなに得意そうな感じしないし……」
「確かに、手紙の方が真田向けではあると思うけどね」
「けど?」
電話口で少し不機嫌そうだなと気づいたあたしは、普段はさほどツッコミもしないせっちゃんの棘のある言葉に引っかかってしまった。しかし、次に発せられたせっちゃんの言葉によってあたしのセンサーが間違ってなかったことを確信する。
「俺にも手紙書いて」
「え、なぜ……。別にいいけど」
電話先でも分かる、せっちゃんの表情。きっとにこやかで眩しい笑顔なのだろう。これが幼馴染の以心伝心ってやつ……?!じゃなくて。他から見れば、せっちゃんは合宿の息抜きに微笑ましい会話を繰り広げている颯爽としたテニス少年なのかもしれない。
「俺も久しぶりにの手紙欲しいなって思ってさ」
「いいけどさ、大して書くことなくない?」
「それはの腕の見せどころだよ」
また何の気無しに無茶振りを……。しかしせっちゃんの辞書に悪気という言葉はない。まあ、遠くにいるあたしに出来ることはそれくらいしかないということだし、と渋々約束をした。約束を取り付けたら、話題がなくなるということで無慈悲にもそのまま電話を切られてしまった。そういうことじゃないんだけどな……?というわけで、あたしは相変わらずの暴君幼馴染の言われるがままにせっちゃんへの手紙も書いたのだった。
ーーそして今。携帯電話のディスプレイ画面を眺める習慣が功を奏したのか、画面には大きく『真田弦一郎』の名が。弦一郎から……電話?!何があったのだろう、何か立海の部員に不幸が?!あたしは彼氏の名前を見て固まっていた後、爪でカツンと画面が鳴ってしまうほど勢いよく通話ボタンを押した。思わず肩をすくめ深呼吸をしてしまう。
「もしもし、俺だ」
「え、ああ、はい?!もしもし」
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫。……何が?」
「お前は大丈夫か」
完全なる挙動不審な態度に弦一郎に真剣に心配されてしまった。いやでも、電話が得意じゃない彼氏が初めて遠方から電話かけてきたらビックリしない?!
「全然大丈夫。ちょう元気!弦一郎はどう?手紙届いた?」
「ああ、有難う。俺の方も大丈夫だ。手紙の返事は後ほどしかとさせてもらう」
「あれ、お返事の代わりにお電話してくれたんじゃないの?」
「いや、それもそうだが。直接お前の声が聞きたくてな……」
えっ、ナニソレ。特段弦一郎の声が照れているように感じるわけでもない。急にクールにそんなこと言うなんてどうしちゃったの?!あたしは今の言葉をそのまま録音デバイスに保存しておけば良かったと数秒後に後悔してしまうくらいにはときめいていた。頬が熱い。思いもよらぬ想い人の甘い言葉に、声ならぬ声を上げてしまった。
「え、なにそれ~?!」
「どうした?!」
「え、あ、ううん、すごく嬉しかったから。電話くれると思ってなくて……」
「……そうか。それはすまない。留守電になっていることも多いだろうが、気にすることなく電話をかけてくれ」
「えっ、いいの?」
「ああ。では、おやすみ」
「ち、ちょっと待って!」
やっぱり用件のみで電話を切ろうとしてしまう弦一郎をわたしは思わず引き止めた。
「あ、あの……、電話嬉しかったから。ありがとね」
「……そうか。俺からもかけるようにする」
「うん、でもまたお手紙も書くね。おやすみなさい」
「ああ、待っている。おやすみ」
心なしか就寝の挨拶の声に穏やかさがある気がした。それに返事もいつもよりずっと優しいかも。やっぱり離れているから、っていうのはあるのかな。それにそれに、彼から電話するようにするなんて言われる日が来るなんて今日まで思いもしなかった!あまりにも感激してしまったあたしは目がギンギンに冴えてしまい、せっかくだと思ってこの喜びを噛みしめながら机に向かい、せっちゃんにお礼の気持ちをしたためた。当のせっちゃんから手紙の返事は来てないけど。まあ、前に欲しいと言っていたんだし、この季にたくさん書いといて手紙が欲しいと言わせてしまうさみしんぼのせっちゃんの欲を満たしてもらおう。
後日せっちゃんからは洒落た風景画のポストカードに、弦一郎からはシンプルな白い封筒がそれぞれ届いた。何か写真も送ってくれたのかな?と期待して封筒を開封すると、だだっ広い敷地に停めてある電動立ち乗り二輪車という何とも感想を述べづらい景色の写真が同封されていた。人物画とかじゃないのかぁと思いつつ、弦一郎はきっとこれがオシャレだと思ったんだろうな~と自分を納得させる。きっと何の写真を送ろうか悩みあぐねただろう彼の愛しい姿を頭の中で思い描き、あたしはその写真をアルバムに大事にしまったのだった。
(201212)