取るに足らない出来事


俺の中でのヒトが取る言動の確率の計算はおおよそ正しい。しかしこのという男子テニス部マネージャーは確率とは別の、俺が未だ理解し得ない恋心という名の下にある感情の区域で悩みに悩みを重ね低確率の穴をかいくぐり、突拍子もないことを言う一人の人間であった。


「ねえ~……蓮二~」
「なんだ、相談事か」
「そうなのよ、あたしもうずーっと悩んでたんだよ?!でも本当に分かんなくって……」


他クラスなのに堂々と入り込み俺の座席の前に座り、足を組んで身体を捻り俺自身へと顔を向けた。昼休みにわざわざ来るということは余程きちんと時間を取って相談したい内容なのだろう。しかし、はその内容を封切りするのが怖いのか前置きが長く歯切れも悪い。そのポーズがいつもの癖であるのは分かっているので、何だ、とそれとなく促す。すると手を組んで、潤んだ瞳で切実そうに嘆いた。


「蓮二は……奥ゆかしいってどういうことだと思う~?」
「ああ、そのことか」
「ああ、そのことか……じゃなくって!一大事なんだよ!この前の月刊プロテニス読んだでしょ?!弦一郎の好きなタイプが奥ゆかしいなんて全然知らなかった……、あたし全然弦一郎の好きなタイプじゃなくない?!なれてなくない?!」
「まあそう喚くな。好みのタイプと好きになった相手が違うのはよくある事例でもある」
「……それって全然慰めてなくない?むしろ否定してない?!」
「別に好みのタイプではないと断言したわけではないが」


えーっ、じゃああたしに奥ゆかしさなんてあるのかなぁ?と単純に口を開けて照れながらも唖然とするを見て思わず、面白おかしくなり笑い声が漏れた。何笑ってんのよ~!とお小言がついてくるのは百も承知で。


「一般的に、奥ゆかしいとは慎み深く淑やかであるという意で使われている。……お前を淑やかと言うには、手先は不器用だし声は大きいし物臭で言動が明け透けに見える所があるな」
「ウッ……そんな風に言わなくても……。そんなのは分かってるもん……」
「一般的に使われている意での話と言ったろう。しかし国語辞書で引くと、奥ゆかしいのゆかしいは動詞の行くの行くしで、行きたいと言う意味である。奥ゆかしいは、奥まで見たり触れに行ったりしたいというのが語源なんだ」
「でも明け透けって言ったじゃん!あたしには裏表ないってことでしょ?奥ゆかしさがないってことじゃん……」
「裏表はない。そしてその二つは同じ意味ではない。それにあき自身の性格を明け透けと思っているのならばそれは違う」
「えーっと……、よく分かんないけどじゃあ分かりやすい性格じゃないってこと?」
「いや、分かりやすいには分かりやすいと俺は思う。物事に白黒をつけたがりではあるしな。だかしかし単純かと問えば、必ずしもそうではない。時には天邪鬼でもある」
「どっち?!」
「そういうことだ、お前が受け止めたい方を選べばいい」
「結局どっちなのよー!!!!」


真剣な悩みに対して俺の答えに翻弄されるを見て、思わず顔がにやけてしまう。ここで本当の解を言ってしまえば本人は納得しないだろうし、突っぱねるに違いないからだ。彼女は納得がいかないことにはとことん意固地なのである。頑なになり自分のことにやけに厳しい目を向けるに'奥ゆかしい'とは細やかな気配りが出来る者もだと伝えようが、昔の出来事を反芻して例を挙げようが時間の無駄だ。は「もう蓮二なんて知らん!」とわざと口汚く言い放ち、ご立腹なフリをして教室から出て行ってしまった。に納得の行く素直ささえあれば話すのだがな、と俺はデータブックを開き今あった出来事を書き連ね筆を走らせながら過去の出来事に思いを馳せた。





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「弦一郎がそーいうお菓子食べてるの珍しいね、気に入ったの?」
「む……、気に入ったわけではない。実は、このうさいぬのマークを集めれば缶詰が手に入るというのだ」
「……って理由でお菓子食べて集めてるの?」
「そうだ」


弦一郎がそう言ってから、の『金のうさいぬ・銀のうさいぬコンプリート作戦』(本人談)が始まったのだった。あくまでも秘密裏に弦一郎を喜ばせたい、ということで何をしているかすぐにバレてしまう俺以外には他言無用ということでは着々とマークを集めていった。特段そのお菓子が好きというわけでもないようだったので、買い込んだもののマークだけを集め友人にお菓子を配るなど要領を得ていたようだ。それでもビールを飲み切るサラリーマンのように勢いある息を吐き、部室で弦一郎がいない時にお菓子を食べきるは男前、という言葉と健気という言葉が同時に似つかわしいと思えた。


しかしある時、ある出来事から金のうさいぬ・銀のうさいぬマークを弦一郎が集めていると部で広まってしまったのであった。そのきっかけとなったのは、やはりお菓子に目敏い丸井からである。「何でそのお菓子食べてんだー?俺にもくれよ」との一言がきっかけだった。


「菓子はいいが……箱についてるマークはやらんぞ」
「お、なになに?真田うさいぬのマーク集めてんのか?あ、缶詰もらえるヤツか!なるほどな~、真田にしては珍しいもん食ってると思ってたんだよ」
「そうか?」
「それなら俺に早く言えよー、そのお菓子の新商品とかもよく食ってるしよ、俺も他のヤツも手伝えば早くマークも集まると思うぜ」


弦一郎は皆がうんうん、と頷く中滅多に無いはにかみを見せた。しかしそれをはにかみと受け取ったのは俺と仁王、幸村にに過ぎず、妙な笑みを浮かべる彼には恐れ慄いてたが。しかし確実に彼が喜んでいるのは見て取れたので、そこから部を巻き込んでの『金のうさいぬ・銀のうさいぬコレクション計画』(丸井談)は実行されたのだった。あの赤也でさえ、真田に少しでも叱られることを避けようということでお菓子を買ってきてマークを集めてきたのだった。
しかしその中では一人で全部のマークを集めて弦一郎にプレゼントをする気だったのに、と影で肩を落としていた。彼女は、自分はそんなことに興味ありませんよと冷たく突き放した態度でいたが実は未だに細々とマークを集めていたのだった。


そして来る日ーー。それは風紀委員の見回りで弦一郎がちょうどいない時の部室での会話だった。丸井とジャッカルが今までに集まったマークを集計している時であった。


「マーク、結構集まったんじゃねーか?」
「いやまだ15枚は足りねえな……部員一人二つマークを当てるのがノルマか」
「二つ当てるのってケッコーきついな。二つに一つくらいしか入ってないだろ」
「その心配には及ばないわよ」


はツンとすました態度で、自分の手元にある袋から15枚のうさいぬのマークをじゃらっと取り出してきた。自分ひとりだけでこんなに集めたのか、最早今や机に大量のうさいぬのマークが折り重なっていた。


「え、これセンパイが一人で集めたんスか?」
「まあ~、そうかもしれないね。でもこのこと、絶対弦一郎に言わないでちょうだいよ」
「なんで?彼女がここまで頑張ったなんて知ったら嬉しいだろぃ」
「最初は一人で集める予定だったの!もう、皆に知れちゃってその計画はおじゃんだし……そんなのかっこ悪いもん」
さんの流儀ですね。仕方ありません、この事は真田くんに黙っておきましょう。皆さんもさんの意を汲んであげてください」
「……ありがと、柳生」


柳生が助け舟を出したものの、は不服そうな、拗ねたようなどっちつかずとも言えぬ表情で未だに悔しがっていた。完璧主義のきらいがある彼女だ、自分の手で全てを集めたかったのだろう。でも俺はその時再びしみじみと感じたのだ、の見えない魅力というのはこういう縁の下の力持ちであるということを。
弦一郎は本能でそれを感じ取っているのかもしれないのではっきりと言語化に至るまでではないだろう。それをひしひしと感じられたのは精市が倒れた時、彼女は弦一郎の強引な常勝無敗の方針に時には辛くも隠れて泣きながら黙って後ろから着いてきていた。それが彼女の奥ゆかしさ、奥深くその先まで知りたいと思わせる彼女の心惹かれる箇所なのだろうとーー。





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記憶を綴ったノートを静かに閉じる。未だに弦一郎はあのうさいぬの缶詰を得られた功績の大部分がにあることを知らない。しかしそうなのだ、彼女はその奥ゆかしい性分に自分で気づいていない。奥ゆかしさという言葉に惑わされて、自身の本質が見えていない。いや、大抵の人間は自分の内面など俯瞰的に見るのは難しいのかもしれない。

しかし、弦一郎がを選んだ、それが事実なのだ。

にそういった慎ましい控えめなところが見え隠れするからこそ、弦一郎もその先が知りたくなる。そういうことなのだと俺は思う。の無駄なあがきを考えると再び笑い声が漏れた。本人は至って真剣なのである。きっと未だに頭を悩ませているのだろう。大いに悩め、そして励め。一見すると鬼のような激励を送り彼女を混乱させるような物言いをした己だが、が自身を省みることが出来ずに居ることには始まらないと、思うに至るのであった。








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「何で弦一郎の好きなタイプは奥ゆかしい人なのにあたしと付き合ってるワケ?」
「な、な……!いきなり何を言う?!」
「だってあたし、弦一郎の好きなタイプじゃないって思っちゃったんだもん」


帰宅時に彼氏を問い詰めながらしょぼくれるあたしに調子を崩した弦一郎は咳払いをし、ちょっとした間を持って立て直したようだった。すると何故かそっと手を差し出され、無骨な手があたしの手のひらを包んだ。じんわりと温もりと愛情が伝わってくる手だ。


「俺がお前を選んだのだ、それでいいだろう」
「だからそういうことじゃないんだってばー!!あたし奥ゆかしいとこないよね?ね?」


まだまだ答えに納得がいかないあたしから繰り広げられるこの押し問答で弦一郎の頭を悩ませることはしばらくまだ続くのであった。



(210922)