VS風紀委員


体育館に集う生徒たちからは、大方不満が含まれた思い思いの声が上げられる。そう、今日は服装・持ち物検査の日である。一月に一度必ず服装と持ち物検査が行われる我が立海大附属中学校にて、俺は風紀委員長として厳しく目を光らせる。そして、規則を守らない常習犯といった輩はどこの世にもいよう。現に赤也からゲーム機を没収するなんてのは日常茶飯事だ。しかしそれが、俺の想い人となると想像だにもしない厄介極まりない事になるのだったーー。


「え~、なーんであたしが捕まるかなぁ?」
「……手を胸に当てて考えてみろ」
「別にあたし、そんなに目立つ格好なんてしてないじゃん」
「スカート丈、指定靴下以外のものの着用、指定マフラー以外の着用、バッグには化粧品も見つかったという事実。お前はどう考えている?」
「スカート丈は膝上5cm遵守、化粧品はデオドラントスプレー、サンスクリーンに保湿用の色付きリップクリームとハンドクリーム。学校指定の靴下はダサいし、マフラーもやっぱりダサい。でも別に身につけてる代替品が派手なわけでもないじゃん?ただの紺ソックスだし……、マフラーだってわざわざ学校の奴の色味に近いのを選んだんだから」


は蛍光灯を反射するよく磨かれた爪を眺めながら目線を足元に落として、くるりと回ってみせる。はためくスカートに、「こっちのほうがオシャレでしょ?」と小首を傾げながら眩しい笑顔を向ける彼女を素直に愛らしいと感じてしまう己に無言の喝を入れた。お茶目にピースサインを頭の上に掲げるポーズを決めてえへへと笑って見せる無邪気な彼女に心奪われてはならない。そうだ己が交際している彼女だからこそ、ここで甘く評価をつけてはならない。俺は胸を張り背筋を正した。そんなことでは風紀委員長の名が廃る。


「あたしはなーんの問題もないと思いまーす。ジャンパースカートだってちゃんと着てるのに、他の細々した物も絶対指定のものじゃないといけないの?生徒の一体感とか、そういった具体性のない精神が重視されるからとか?大体、服装検査でもしないと弦一郎だってこの違いに気づきもしないのになんか問題ある?」
「制服を我流で着用することに問題があるのだ」
「なんで?別に学業に差し障りないもん。あたしのスカート丈が5cm変わろうが変わらまいが、テストの点数は1点ぽっちも関係なくない?」
「減らず口を叩くな」


我が彼女ながら、小憎たらしく筋道の通った理屈の口撃で畳み掛けてくる。この一本気で芯の強い部分には誇らしく思うことも多々あるが、こういった時のは非常に厄介だ。俺から注意されたくせにふてぶてしく、口を尖らせてるのも可愛らしい。俺を真似しているのか、は腕を組んで仁王立ちして俺に立ちはだかる。といっても彼女の身長では随分と可愛らしい姿に収まってしまうのだが。彼女が規則だ規則だ、と縛られるのが嫌いなのは分かっている。部内でも効率重視といって形骸化していたルールは撤廃するよう訴えたりするようなマネージャーだ。ただ身内だからといって、それを今見過ごすわけにはいかない。


「将来、お前がもし社会の規範に則り生活していきたいのならば習慣化は大切だ。今から普段の行いを正していく方がお前のためでもあるんだぞ」
「…………」


やっと俺の思いが通じたのか、は眉を吊り上げながら押し黙った。俺とて何もお前に意地悪をしたいわけではない。しかし次の瞬間、は恨めしそうな目をして、機敏な動きで急に隣のBクラスの方へ首を捻り顔を向けた。帰国してからしばらくして人に指を差すことは失礼だと学んだ彼女は丁寧に、百貨店の店員さながら五本指を揃えB組にいる我がチームメイト達を指して訴えた。


「じゃあ、あの二人はどうなの?!あの二人だって我々立海大附属男子テニス部にレギュラーとして認められてるじゃん、それはいいんでしょ?!」
「それとこれとでは話が違う」
「違くありません~、男テニは立海の代表です~。学校の顔です~」


普段よりもずっと幼稚な喋り方で、歯をむき出しにして怒りを煽るような口調のに若干の苛立ちを覚えてしまう。がムキになってる姿に今度は俺が何も言えなくなってしまった。確かに校則違反常習犯だらけのレギュラー陣であることは認めよう。俺たちの押し問答を見かねてか、風紀委員の顧問の先生がこちらを気にする素振りを見せていた。しかしそれよりも前にもう一人の風紀委員、柳生が俺たちの下へ駆け寄った。


「真田君、どうされたんです?そろそろC組の検査に移らないといけない頃ですが」
「仕方あるまい、が服装指導を受け入れんのでな」
「ああ、そういうことですか……」


さん貴方でしたか、と柳生は安堵したように胸を撫で下ろし、眼鏡を指で押し上げにこやかな姿勢で説得を始めた。


「いえ、一般生徒と揉めているのかと思いましてね。さんのことですから、相変わらず些細な校則違反をされているだけなのでしょう」
「ええ、そうよ。些細で取るに足らない、見過ごしたってなーんの問題にもならない可愛い可愛い校則違反よ」


は柳生のフォローに少し気分を良くしたのか、気取った物言いで長い髪を手で払った。柳生は苦笑しながら、俺の胸中も察しつつ巧みに彼女を懐柔しようと試みる。


「校則通りの服装でもさんは充分魅力的にお見えですよ」
「それはどうもありがとう。でもあたしはこれがいいの」
「そ、そうですか……」


きっぱり言いのけ自己主張を譲らない彼女に柳生は肩を落とした。いくら紳士的で褒め上手の柳生だろうと彼女を突破するのは困難なようだ。こういう時のは押そうが引こうが梃子でも動かない。普段は俺に散々頑固やら石頭など文句をつけるものの、実際の頑固さでは部内随一かもしれない。俺は両腕を腰に当て、らしくもなく自身の上履きの先を見つめ何か良い策はないかと思い悩む。これ以上打つ手が思い浮かばん。ただただ、体育館の床に映る自分の不甲斐ない顔が情けない。だがふと気づけば、視界に入る上履きの数が増えていた。顔を上げるとそこは軽妙に左手を掲げ、そして下界に降りてきた帝のような優雅な笑みを称える幸村がいた。


「真田、別にはたいそれた校則違反をしてるわけではないんだ、そこまで目くじら立てなくてもいいんじゃないか?」
「しかし、それでは他の者と公平にならんではないか」
「見過ごせる物なのに、自分の彼女だからといって躍起になるのは公平じゃないと俺は思うけどね」


幸村はいつもと変わらず、彼の幼馴染の肩を持つ。ただし、幸村の言っていることに間違いがあるわけではない。程度の校則違反は軽く注意をされ、あまりにも学業に反した娯楽物を持っている場合のみ該当した物が没収される程度だ。が持ち込んでいるものにはそういった類の物はない。冷静に考えれば、規則は破っているが見た目にそこまで問題があるほどの違反をしているわけでもない。幸村の影でおとなしく、しかし不機嫌そうに口を結んでいる彼女に俺は言葉を詰まらせてしまった。しかしその険しい顔から一転し、は不安そうに瞳を揺らめかせた。先ほどの威勢はどこにいったのやらと思わせる程、今度は彼女が自信無げにおずおずと口を開く番だった。


「げ、弦一郎がちゃんとした制服の着方してる人の方が好きなら……そうするけど」
「な……?!」


これには目も当てられんと幸村は眉根を深く寄せ、得も言われぬ表情をしていた。ここで俺が簡単にそうだ、と言ってしまえばもしかしてはその通りに従うのかもしれない。はつい先ほどとは打って変わって肩をすくめ、猫のような大きい瞳に憂色を漂わせている。彼女は息をすることも瞬きすることさえも忘れたのか、神妙な面持ちで俺の次の言葉を待っているようだった。こんな彼女には見覚えがある。合宿の時につまらぬ言い合いをし俺に伺いを立てるような、そんな顔だった。


「そんなことはない、が……」


つい本音が、口をついて出てしまった。しかし風紀委員長としての義務を果たす前に、彼女自身の個性を否定したくはなかった。四角四面に規則に従っているは、全く想像もつかない。再びくだらぬ言い合いをした先刻、自己表現をそうして貫いていくを尊敬しているという矛盾と、そういう彼女が好きなのだという事実を心底痛感していたからだ。彼女が何をそんなに不安がっていたのかは分からないが、は照れたように微笑みどうやらいつもの調子を戻したようだった。


「本当、バカ正直っていうのにも困ったもんだな」


幸村は肩越しに小さな幼馴染を覗き、案じるような優しい声色で詮方無いと口元を綻ばせた。するといつものように、はめいいっぱい天真爛漫な笑顔を見せた。この無敵な笑顔が彼女にある限り、俺に勝機はないに等しいのかもしれない。



(20210110)