幸せな一日の過ごし方
どんな日であれ、あたしの目覚ましが鳴るのは朝の5時半。家を出るのは6時半前。朝練が始まるのは7時だから、15分前には必ず部室にいるようにしている。なんたってあたしはマネージャー!だからどんなに眠くたって……。ううん……ねむい。ベッドでむにゃむにゃと言葉にならない声で起きられずにいても、あたしを起こすためにアラームは非情に鳴り続けるのであった。
「やっば、ちょっとママ今何時?!」
「6時10分よ、朝からバタバタうるさい子ね」
「ぎゃーっ!こんなことしてたら7時前に着かないかもー!!」
急ぎすぎて歯ブラシを口にくわえたまま外に出ようとしたら、ママにまた指摘されて、うがいをしてフルスピードで玄関を飛び出した。我が家はマンションなので下の階に行くのも時間がかかるのである。エレベーターが混み合うラッシュ時間、扉が開くまで忘れ物がないかバッグの中を何度も確認する。鉄のロープがするりするりと降下する間、パパの海外出張のお土産にもらった手鏡で身だしなみをチェックする。うん、今日はラフにいい感じなポニーテールにできたかも。っていうかそのおかげで今こんなに急いでいるわけで。自動ドアが開けばローファーの踵を鳴らして、駅まで10分もかからない道を猛ダッシュ!目指すは28分発の電車!
「い、一本遅いのだけど乗れた……」
あたしは電車に飛び込んだせいで、息を切らしてた。一秒タッチで済む定期券が有難くてしょうがない。この調子なら6時50分には学校に着きそう……!あたし、頑張った。ずるずるに肩から落ちかけそうになっている鞄の肩掛けを直していると不意に馴染みのある声にかけられた。
「電車に飛び込むなど危ないではないか!」
「さ、真田……!ハァ、……おはよう」
漫画で言うどっきーん!という表示はあながち間違いでないのかもしれない。まさに今のあたしがそうだったから。髪を整えながら、しっかり鞄を持ち直した。そういえば、真田とはひとつしか最寄駅が変わんないんだっけ。朝っぱらからびっくりさせないでほしい……!
「ああ、おはよう。それにしてもがこの時間帯の電車とは、珍しいな」
「う、うん。いつもはもう一本早いのに乗ってるから」
「なぜ今日は遅いんだ?」
「そ……それはですね、あの、寝坊をしてしまってですね……」
「む、寝坊だと。たるんどる!」
「ちょ、真田声大きい!」
朝の電車は非常に閑としている。そんな中、真田の低くて通りの良い声が響いて周りの視線が一気にこちらに注がれた。真田はさっと顔を赤くして、「すまん」とつぶやいたあと再びこそこそと話しかけてきた。顔を赤くするほど恥ずかしくするなんて、真田にしては珍しいな。
「今日は歴史の小テストがあるが……覚えているか?」
「げ、今日だったっけ……」
「(蓮二がが忘れている確率80パーセントと言っていたが)どうしてお前はそう忘れっぽいんだ。スケジュール帳をつけているのだからチェックしろとあれだけ言ったろう」
「今日二時間目のやつ?うっそ、あたし暗記しとくプリントに答えも書いてない!昨日やる前に寝ちゃったんだ~!!」
「仕方ない、俺のを見せてやろう」
「ほ、ほんと?」
「……本当だ」
「やったー!真田あんたいいやつー!」
あたしはすっかり気分を良くして、ニコニコしていると少しは反省しろと怒られてしまった。だって、朝から真田といられて嬉しいんだもん。そのまま部室まで真田と向かい、目的地に着くと、今日の一番乗りは柳に会った。
「おはよう、柳」
「おはよう弦一郎、。朝から二人で仲良く登校か?」
「ちが……、電車でぐーぜん会ったの!」
「フッ、そうか。今の時間帯だとおおかたは寝坊したということか」
「そ、そうなんですけどね……」
「さしずめ髪を結っていて電車に乗るのが遅れたんだろう。ポニーテール、よく似合っているな」
「う、うん、ありがと……」
真田の隣で図星を突かれてものすごく居心地が悪かったけれど、ポニーテールを褒められて気恥ずかしくなったので部室の外に出てすぐに着替えをすませた。いつもならば真田達が来る前に一人で部室で着替えるんだけれど今日は部室棟の外で着替えても仕方ない。誰もいないし。それに柳たちがいるのに一緒に着替えられるわけなんかないしね。そういえば部室から出る直前に柳が真田に向かって勝ち誇ったような顔をしていたけどあれはいったいなんだったんだろう。まぁ、二人は随分気が合うようだから、目と目で会話しててもおかしくないか。
「、今着替え終えたが」
「ああ、あたしもう着替えちゃったよ」
「なに?外で着替えたというのか?」
「うん、だって待ってて後で着替えるの時間の無駄だし。それじゃああたしせっちゃんの花に水やりを……」
と痛い視線をくぐりぬけてあたしは如雨露を持って水道まで向おうとしたけど、眉間にふかーい皺を刻んだ真田があたしの肩をがしっと力強くつかんだ。
「年頃の女子が外で着替えるとは何事だ!大体近頃の女子ときたらそういう恥じらいというものがなさすぎる!お前が思っているより周りは……」
とかうんぬん。あー始まったよ、真田お得意のお説教!あたしはハァ、と溜息をつきつつ柳に助けを求めようとしたけど、柳もこのままでは部活の開始時間自体が遅れると察したのかさっさと先に行ってしまっていた。も~、薄情もの!もう一度深く溜息をつけば、
「聞いておるのか、!!」
と怒鳴られる始末。こうしてあたしの一日は始まる。
結局真田の説教はあの後すぐ部室に戻ってきた柳によって止められた。説教がなかなか終わらないと思ったらしくそれを見かねた柳がせっちゃんの代わりに止めにきたってわけ。まぁ、真田に怒られるのは全然嫌じゃないんだけども!っていうかその人が現在隣の席にいるんですけども。
「む、、先生の話を聞いていたか?」
「えっと……プリントのこと?聞いてませんでした」
「全くお前はいつもいつも……。このプリントを記入して帰りの会までには提出しろとのことだ」
「はーい、親切にどうも」
すると真田はそのたくましい眉毛をピクリとさせた。こんな風に怒られてばかりだけど、あたしは幸せ。なんたって想い人がこの通り、隣の席なんだから。時間は流れて四時間目の休み時間、あたしは友人に引きずられて次の授業がある理科実験室へと向かったのだけれど、そこで今日あたしは親友とお昼ご飯を一緒に食べられないとの宣告をされた。
「ごめんね、学評の集まりがあって、どーしてもお昼休み一緒に食べられないの」
「うー……。分かったよ、しょうがないもんね」
「ほんとーにごめんね!」
そう言って始まる四時間目の授業は非常に憂鬱で先生の言うこともよく分からなかった。今日誰とご飯食べようか。せっちゃんが入院してからというものの、親友のももとしかご飯を食べていない。他の友達はみんなグループ作って食べてるだろうし……。仲が良い友達が他にいないわけじゃないんだけど、グループにいきなり入れてっていうのは気を遣うよね。だから、こういうときは大人しく一人で食べるのに限る。別に一人が嫌ってわけじゃないけど、むしろ一人でいることも大好きなんだけど。皆が昼休みしゃいでる中一人ご飯食べてるのって浮くよね……。とかなんとか考えてるうちに遠くからキーンコーンとベルが鳴って授業は終わりを告げてしまった。食べ終わったら柳のとこにでも遊びに行こうかな……。って生徒会も集まるのかな、学年評議会だし……。
「」
「ん?」
そんなことを考えてるうちに呼びとめられたのか、かけられた声に振り返れば真田がいた。落ち込んでる様子がバレバレだったのか、少し顔色を窺うような表情をしている。やっぱり真田ってばそういうところ優しいよね。皆にこのことを言うと、全力で否定されるけど。
「丸井達がレギュラーとお前で屋上で食べないか、と。柳は生徒会の用事でいないが……たまにはみんなで食べるのもよかろう」
「え?ブン太達が?」
「ああ、なぜか急に言い出してな。行くか?」
「う、うん、行く。ちょっと待ってね、お弁当と水筒持ってくるから」
その時の陰鬱な気持ちが一気に吹き飛んで、うきうきとした足取りでお弁当と水筒を取りに行った。真田ももちろん向かうというので、柳生にも声をかけようと思ったところ彼はすでに先に行ってしまったというとのこと。屋上の庭園はせっちゃんが好きで、あたしもよく付き合って一緒にそこで休み時間を過ごしていたりしたのだけれど。ここ最近はせっちゃんが入院してしまったのでめっきり行く頻度が減っていた。屋上への扉を開けると、空気が解放されたように風が流れ込んできて、清々しい空の色が広がる。雲は細く白く、空のキャンバスを彩るように浮かんでいた。うーん、なんて絶好のピクニック日和。
「おー、真田遅かったの」
「みんなもう来てたの?はやかったね」
「おお、柳に呼び出されてすぐに来たからな」
「え?柳に?」
頬に米粒をつけてうん、と頷くブン太に待ち切れなかったのかすでに購買で買ったであろう、大きいコッペパンにかぶりついた赤也が口にパンを含んだまま「へんぱい!」と叫んだ。ジャッコーと柳生はちゃんとあたしたちを待っていたようでまだ弁当を広げてもいない。
「なんで柳が呼び出したんだろ?生徒会の仕事でここに来れないのに」
「さぁな。まーなんでもいーだろ。腹減ったから早く食おーぜぃ!」
「お前はもう食べてるだろ……」
さきほどのちょっぴり後ろ向きだった気持ちは嘘のようになくなり、あたしはみんなの輪の中に飛び込んで行った。真田はなんと大きなおにぎり4個も食べてるし、赤也もパン2個じゃ足りないってジャッコーを連れて購買まで走って行ったり。仁王は食べる量は少ないくせにあたしの弁当のおかずを横取りし(しかも今日のメインの春巻き!)、柳生がご丁寧にもご飯を全部噛み終えて最後までちゃんと飲み込んでから注意したり。とにかくとても賑やかで騒がしくて、いつもとは違う昼休みを過ごせた。いつもは食堂を利用しているみんなも、わざわざ購買に行ってきて今日のご飯を買ってきてくれたんだと思うとこの部活で頑張っていて良かったなとしみじみ感じた。柳も会議が終わったのか終礼が鳴る少し前に時間を忘れて話に花咲かせているあたし達を呼びに来る。次の授業のためみんな各々の教室へと向かった。さぁ、あと2時間授業を終えたら部活が始まるぞ。
そんなこんなで時は放課後。真田は職員室に用があるとかで、あたしは廊下で偶然出くわした柳とともに部室へとただいま向かっている最中。
「それにしてもなんで昼にみんなを屋上に呼んだわけ?」
「昼に学年評議会があっただろう。村田が委員なのでお前が昼に一人かと思ってな」
「友達一人しかいないわけじゃないんですけど」
「知っている。しかし他のクラスの友人にお前は気を遣うだろう」
「……別に一人でも大丈夫だし」
「伊達に立海テニス部の参謀をやっているわけではないからな。気を許せる者達といた方が良いと思ったのだが」
「……ありがとね、柳」
「これは俺が勝手にやったことだから礼を言われなくてもいいんだが、素直にどういたしまして、と返しておこう」
「ふふ、嬉しいからね。ありがとう、だよ」
「そう、が喜んでくれるのが一番いい」
あたしはそんな柳の言葉に素直に微笑むと、心なしか柳も笑ってるように見える。
「そうだ、、生徒会の仕事が残っているから帰りは今日は先に弦一郎と帰っているといい」
「うん、わかった。って、ええ?!二人で?!」
「何か不満があるのか?」
「不満っていうか、その、分かるでしょ……って、わわ!!」
先ほどの両者間の穏やかな空気は束の間、急な柳のお言葉にあたしはうろたえて前方不注意、思いっきりこけてしまった。それをなんとか柳がうまくキャッチしてくれたおかげであたしは顔面を地面に打ち付けることなく済んだけど。ていうかそれもそうだけど真田と二人きりで……?!
「……今日で一体何度目だ?」
「今日で4回目です……。柳が受け止めてくれなかったら計3回つまずいて1回は転んだことになってました……」
「動揺しすぎだ。まさか転ぶとは思っていなかったぞ」
「だって……よく考えてみなよ、柳!あたし……あたし、よく考えたら……!」
「よく考えたら?」
するとにやりと不適に笑んだ柳の様子を見て余計にかあっと頬が上気するのを感じた。あたし、そういえば……!!
「よく考えてみれば朝からずーっと、真田と一緒だった……!」
「そうだな。登校から先ほどの帰りの会まで、そして下校も二人きり。よかったじゃないか」
「よ、よくないって!!」
「よくないのか?」
「や、よ、よくないわけじゃないけど。むしろ良い……ってゆーか柳、あんたそれを知ってて!!」
「別に俺は何も言ってないぞ?」
「むー……」
「どうとでも受け取るがいい、俺には身に覚えがないことだからな」
柳はフ、と口の端に笑みを浮かべながらあたしの攻撃を受け流し、部室に入るよう促した。あたしはせめてのものの抗議のつもりでダラダラと着替えていると、キィ、と扉が開く音がした。
「?!」
「あ、ごめ、まだ着替え中で……」
真田がどうやら着替え中だと知らずに入ってきて、あたしはシャツのボタン第2ボタンを外したところだった。だからまだ良かったのだけど、真田は早とちりして顔を真っ赤に染め上げて、
「す、すまなかった……!」
と言い放ちドアをバタン!とすごい勢いで閉めてしまった。ドアが壊れるんじゃないだろうか。備品発注はあたしの仕事でもあるので、もう少し丁重に扱ってほしい。それに、あたしは別に何も見られていないし、なんだかなとも思ったのだけれど。なんで柳が入るのを止めなかったのかと疑問に思いつつさっさと着替えを済ませて部室の外へと出るとそこには柳の姿はすでになく、うなだれる真田の姿だけだった。そ、そんなに落ち込まんでも。
「ごめん、遅くなって。着替えていいよ?」
「あ、ああ、すまない……」
「大丈夫?まだ全然着替えてなかったから大丈夫だと思ったけど……変なもの見せちゃった?」
「け、決して変なものではない!!いや……その、ノックを忘れたのは俺の不手際だ、すまない」
鼓膜が破れそうになるくらい、真田は大きな声で叫んだ。なんだなんだ、なんか真田の様子が変なんだけど。
「う、うん?あたしは大丈夫だけど。そういえば、柳は?」
「俺が来た頃にはいなかったが……」
「そっか、どこ行っちゃったんだろ?まあいいか。真田も早く着替えちゃいなよ」
「ああ……」
真田はそのままらしくもなく、のろのろと部室へと入って行った。あたしはそれにお構いなしに洗濯物を片づけに物干し竿へと急いだ。今日は天気が良かったから、タオルが太陽の匂いがするだろうな。とかのんきに考えながら。
日もとっぷりと暮れ、三日月がくっきりと空に浮かぶ頃ようやく部活は終わった。春といえど外はやはり冷えるので、みんな早々と部室を去っていった。
「ほーら、カギ閉めちゃうんだから早く出た出た!」
「ちょ、先輩あと3分待ってくださいよう~」
「ダメ、あと1分!赤也はやく!」
「3分くらい待っててくれたっていいじゃないっスか、ケチっスね!」
「文句ばっか言ってないで。消灯時間まであと少しなの!」
「はぁ~い」
「それじゃぁ、、気をつけて帰るんだぞ」
「うん、柳は残留届出してたから仕事するんでしょ?」
「ああ。それでは弦一郎、を頼んだぞ」
「ああ」
なんだか柳がお父さんで、真田が彼氏みたいなシチュじゃない?!とかそんなこと考えちゃうあたしはとんだ浮かれぽんち。でも……なんだかそんな雰囲気じゃない?これで手とか繋げて帰ることが出来たら嬉しいんだけどな。いつかそうなるといいな。いつか……叶うかな?
「帰るか」
「うん!」
とりあえずこうやって笑い合って一緒にいるだけで、今はこれだけでしあわせ。登校の朝から下校の夜まで、今日はなんだかずっと真田と一緒だったけど、たくさんドキドキして楽しかったし、そして何よりもうれしかった。思い返せば半日近くほぼ一緒にいたとか、恋人みたいなんじゃない?でもやっぱりせっちゃんが早く元気になって、またみんなで一緒に帰れたら一番いいなと思うけれど。真田と二人がいっぱいの、こんな日があってもいいよね、せっちゃん?
暗闇の道を照らす街頭に伸びる見慣れた影は、二つ。
(200705 修正済み)
(090321)