背負う者たち
今日は合宿です。今回はレギュラーと二軍のみの小規模な合宿です。柳の叔父さんのペンションにて、そして時期は去年と違い二週間早くに開催です。部長不在、という異例の事態なので真田が部長代理を務めています。しかし件の彼は腕を組んで、いつにも増して険しい顔をしています。他のメンバーはというと、ブン太と赤也はうまい具合に真田の死角の席にいてゲームしてるわ、仁王達も後ろで大富豪してるわで各々移動時間を楽しんでいる模様です。
……と揺れる車内で雑に日記に書き込んでいるあたし。ちなみに毎年あたしはせっちゃんの隣の席に座ってたんだけど、今日は柳の隣。真田の座席はというと通路を挟んで隣の席。部のマネージメントに話せて都合がいいからだ。だからあたしと柳は合宿については勿論、新入部員の今後の指導なんかについても話し合っていた。そう、新入部員といえばーー。
「また今年もマネージャー集まらなかった……」
「そうだな。残念ながら、今年も仮入部期間で皆辞めてしまったしな……。もう少し人手増えてくれると助かるんだが」
「だよね~。部員の人数に対してマネージャーの数が比例してないんだよね……」
「いつもお前ばかりに頼りってすまないと思っている」
「そんなことないよ。柳は柳であたしの仕事手伝ってくれてるし」
「昨年も仮入部で弦一郎の叱責に耐えられるものがいなかったからな」
通路の向こう側から低く渋みのある声があたしたちの会話に割り込んできた。
「これきしのことで耐えられん者など我がテニス部にはいらん」
「でもみんな真田のせいで怖気づいてるんだよー?もうすっかり一年の間じゃ、真田先輩は怖いって言われてるらしーよ?」
「フン。不純な動機で入ろうとする者も多いからだ。マネージャーの仮入部には三十人以上もの希望者がいたにも関わらず一人も残ってないではないか」
「そうだけどさー、最初にビシバシしすぎて落としてたら入ってくれそうな人も入らないの当たり前じゃん」
「は自分の仕事を手伝ってくれる人材が弦一郎によって減らされているのが不満なんだろう」
「そうそう。後継者がいないっていうのもかなり心配だし……。真田、もっかい募集かけようよ」
「、お前も分かっているだろうがこの時期に募集をかける余裕はない。お前には悪いが、当分一人で頑張ってもらいたい」
「……鬼!もーいい、真田のばーか!」
「なっ!馬鹿とはなんだ!!」
あたしは真田のあまりの頭の堅さに我慢ならなくなって思いっきり真田を罵倒してしまった。マズイ!と心中思ってはいるんだけどむかっ腹立って仕方ないので、あたしはそれきりそっぽ向いて真田の方へは目もくれてやらなかった。隣で柳がフォローしてくれたおかげか真田はそれ以上あたしに口は出さなかったけれど、きっともっと言いたいことがあるのだろう。……でも、あたしもちょっと言い過ぎたかも。いつもならここでせっちゃんがあたしに口添えをしてくれて真田を懐柔してくれて……。そっか、せっちゃんがいないんだ。改めて、この部はせっちゃんのおかげで均衡を保っているのだと自覚する。柳がそのあとあたしに慰めの言葉をかけてくれたけど、しかめっ面で頷くしかなかった。真田とは目的地に着きバスを降りてからも言葉を交えていない。合宿はまだまだ序盤なのに先が思いやられる。
合宿2日目、昨日の地獄のような長距離走を経てレギュラー陣に疲れも見える。平気な顔をしているのは体力が人の倍以上あるジャッカルだ。地区大会前の選抜合宿だからいいもの、新入部員はこの洗礼を受けてやめていったりすることも多かったのだっけ。そんなことを思い返しながら、二軍チームの練習試合のスコアを書き込んでいると、柳がひと汗かいた後でこちらに向かってきた。
「どうだ、調子は」
「うーん、まずまず。赤也に気圧されてる子のが多いかな」
「部員ではない、のことだ」
「あたし?まぁ、それなりに」
「まだ弦一郎と仲直りしていないだろう」
「う……でもあの後、ちゃんと話したりはしてるよ?」
「それは上辺だけでだろう。結局、マネージャーのお前には弦一郎と避ける選択などないのだからな。しかし弦一郎の機嫌が悪いと、部にも支障がきたすということをいい加減お前は理解した方がいい」
「え、真田機嫌悪いの?」
「悪いなんてもんじゃない、さきほど玉川が泣かされ……」
「馬鹿者!あれだけ記録の扱いは慎重にしろと言ったはずだ!!」
あたしと柳は向こう側のコートから聞こえてきた真田の怒声に振り返り、二人して何事かと急いで駆け付けた。案の定怒られているのは赤也……だけじゃなく、なんと一年生まで!あたしは現状が一体どうなっているか問いただすために、三人が取り込み中なのも関わらず怒号を上げている真田の前に両手を振って立ちふさがった。
「ちょっとちょっと、どうしたの?」
「あ、あの、赤也先輩に球を出してもらってたら、ファイルが吹っ飛んじゃって……!」
「あんな無謀な打ち方をするからだ!」
「ちょっと、真田黙っててくれない?」
あたしは完全に怯えきっている一年生を宥めながらそう真田に冷やかに言うと、真田は言葉を飲み込んだ。赤也が頬をひくつかせている時点で赤也に非があることなのだろうなとすぐに把握できた。一年生の言っていたベンチを見ると、記録用紙が無様にも散乱していてその傍に転がっているテニスボールから事態を推測するのは容易いことだった。
「保管してたファイルを持ち出して、そこら辺にテキトーに置いてたの?」
「さーすがセンパイ、当たりっス」
「赤也!!」
「は、はい、すんませんッ!!」
赤也がいつもの調子で真田に謝ると、真田は怒りが収まらないのか眉間により一層深く皺を寄せている。本当に、いつもより機嫌悪いかも。
「でも記録用紙、日付書いてあるから大丈夫でしょ?昨日のデータと混ざらないはずなんだけど」
「そ、それが、風に飛ばされたのかいくつかは見当たらなくて……」
これには思わずあたしも言葉が出てこなくなってしまった。参ったな。唯一頼りに出来る柳は、昨日マラソンのデータ集計にかかりきりであたしの方にコートを任せてたから……昨日の練習試合のデータは昨日のファイルにしかない。まだ正式なデータをパソコン入力もしていないし……これは本当にマズイことになってしまった。
「じゃあ、残ってる分を時系列順に並べといて。なくなった対戦データは昨日の対戦表を基に書き起こしとくから」
「は、はい……本当に、申し訳ありませんでしたっ!!」
一年生は涙目であたしに縋るような声で謝ったが、真田が口をきゅっときつく結んでいるにあたってこの場を逃れられそうにはない。もうこれ以上言うこともないのに、あたし達が立っているコートには張りつめた空気が流れている。
「甘いぞ」
「……なにが?」
「対戦表の順どおりに行われていない試合だってある。それをどう整理するつもりだ」
「メモが残ってるはずだから、それを頼りに書きます。あとは部員に聞きます」
「大事な時期にこのような失態があっては困るのだ!それを皆に身を持って知ってもらわんと……」
「真田、なにをそんなに焦ってるの?」
あたしは率直に述べると、真田は次の言葉を躊躇するように目を見開いた。コートには一年生の鼻をすする音と遠くでボールを打ち合う音で静寂に包み込まれた。ふと、病院にいるせっちゃんが脳裏をよぎって胸がきゅっと締まった。あたしの口から堰を切ったように言葉が出てきた。
「そんなに余裕がないの?部員の小さな失敗をいちいち頭ごなしに叱るほど?」
「それはだな……」
「一年生のしたことだよ?まだ仕事が多すぎて覚えられてないことだってあるじゃない。それに真田、昨日からだけど少しペースが乱れてる。柳も言ってたと思うけど、長距離走の時だっていつもは60パーセントに力を抑えて走ってるはずなのに昨日はペースが速すぎて75パーセント。クールダウンのエクササイズも少し足りてない。皇帝と呼ばれる人間が、こんなことでいいの?」
「」
「あ、……っ、ごめ、」
あたしは八つ当たりとして辛辣な台詞を並べてしまい急いで口をつぐんだが、なぜだか瞳の奥が熱くなってきて涙がこみ上げてきてしまった。柳が口を出そうとした瞬間、あたしはコートを駆け抜けていて風を切っていた。こんなことが言いたかったわけじゃないのに。なんであんなこと言ってしまったんだろう?焦ってたのは真田じゃなくて、自分じゃない。
『皇帝と呼ばれる人間がこんなことでいいの?』だなんて、よくもこんな口が利けたものだ。一年生のミスだってあたしがちゃんと指導してなかったから起きたものの……。真田は全国大会へ向けて当然の指導をしたまでなのに、あたしは真田を責めた。新入部員がおじけていたからって、それをいいことに自分の思いやりのない言葉たちを正当化しようとして……最低だ、あたし。なんかもう、わけわかんないよ。息を切らして、宿舎の裏にある雑木林の幹の太い樹に腰をかける。そしてふと気付く。あたし、皆を放ったらかして逃げ出してしまった。とても酷いことをしてしまった。勢いよく吹く南風に身を任せて膝を抱え自己嫌悪に陥っていると、向こう側から人の気配がした。今は誰とも話したくないのに……。
「少しは落ち着いたかの」
銀色の髪が風に揺れる。彼の瞳はいつだってあたしをからかうように見つめるだけで、本心では何を考えているかわからない。
「仁王……」
「真田が落ち込んどったぜよ、お前さんを泣かしたと」
「別に真田のせいじゃないし。……これ、悔し涙なんだから」
「ほーそうか。なら真田に会っても気まずくはないんじゃな」
「え?」
すると背後から大きな影が出てきたと思えば、それは案の定真田だった。汗をたくさんかいたところを見ると、走ってあたしのことを探してきたみたい。なんか、もう完全に逃げ場がない。
「……」
「ごめん!!真田!!」
あたしは間髪入れずに謝り頭を下げた。とりあえず、これで真田の顔を見ないで済むからと頭を下げたことが本当にずるい、あたし。
「一年生のミスも……あたしの指導力不足だし、さっきは言い過ぎたと思う。真田だってせっちゃんの留守を預かってるのに……無神経で、本当にごめんなさい」
「そのことは……俺も気にしてはいない。それにお前の言うとおりだ。俺は、焦っていた」
真田が心底申し訳なさそうな声であたしに言ったけど、その言葉もあたしの心に突き刺さるだけだ。あたしが悪いのに、どうして真田が謝らなくちゃならないの?
「ちがうの、焦ってたのは、あたしで……昨日のバスの中でも、無茶言ったのはあたしなのに……。なんかもう、色々上手くできてなくてマネージャー失格だよね……」
「馬鹿者!!」
あたしは再び聞いた真田の怒声に肩をびくりと震わせた。面をゆっくりと上げると、何故か既に仁王の姿はそこにはなく、勢いのある声の調子とは反して困ったような顔をしている真田がいた。涙が乾いてパリパリになってる頬を軽くさする。
「お前がそんなことでどうすればいいんだ。お前も……俺もしっかりしていなくてはこの部は成り立たん。俺たちが焦っていれば部員に示しもつかん」
「……うん」
「レギュラーは勿論、お前が欠けていては話にならんのだ。今回ばかりは俺も余裕がなかったことを反省している。留守を預かろうとする者の気がはやっていては、チームが真に団結することはできん。それをお前は俺に気づかせてくれた」
「違う!」
あたしは真田の言うことを真っ先に否定した。だって、あたしそんな大層なこと言ってないもん。だってあたしは、あたしは、このどうにもならない苛立ちのせいから真田に八つ当たりしただけで、本当にあたしはどうしようもない奴で。
「あたしはただ自分が焦ってるのを真田のせいにしたの。あたしは八つ当たりしただけだった……マネージャーとしてそんなことするべきじゃないのに」
「……ならば、俺も相子だ。お前に八つ当たりをしてしまった」
「……え、そうなの?」
「そうだ。俺たちは……何としてでも全国制覇を成さなければならん。幸村がいなくともだ。それがこんなことでつまづくとは、俺も精進がまだまだ足らんな……」
「せっちゃんが……いなくても……」
そうだ、あたしは忘れていた。せっちゃんがいれば、せっちゃんがいれば、と何度願ったことだろう。でもあたしは、誓ったはずだ。せっちゃんがいなくとも、あたしたちは頂点を目指さなければいけないのだ。この立海大附属テニス部を、全国の頂点へと導かなければいけない。それを支えるのはあたしの役目。せっちゃんと交わした約束のためにもーー。
「うん……わかった。本当にごめんなさい」
「……俺も怒鳴って悪かった」
「プリッ。喧嘩両成敗ちゅーことでええじゃろ?お前さんたち何度同じこと言えば気がすむぜよ」
すると再びどこから現れたのか仁王が軽妙な口調で話の腰を折った。
「仁王!」
「ほら、みんなも心配しとうと。はよ戻らんとそれこそ活動に支障きたすぜよ」
「う、はーい……」
「それはそうと、さっきの真田は大変だったのう。『を泣かせた!』って周りの部員に責められて、いてもたってもいられなくお前さんを真っ先に追いかけて行ったんじゃき」
「に、仁王!!」
「なんじゃ、真田、本当のことじゃけーの?」
「うっ……!」
仁王はへらへらと笑いながら、したり顔でお茶目に笑うと、そのままふわふわとあたしたちを導くようにコートへ促した。なんだか今までの自分の考え方が間違ってたみたい。結局、せっちゃんに頼り過ぎていたんだ。せっちゃんに帰ってきてほしくて、頑張っていたけれど……。前を向いて、目標に向かっていかなければいけないんだ。せっちゃんの抜けた穴は大きいけれど、それをあたし達が埋めなければならない。そんな簡単なことに今まで気付かなかったなんて。
あたしは遠慮がちに真田を見上げると自然と目が合った。真田が、真剣にあたし達のことを考えてくれてる……そういうところが好きなんだなぁ、とふと実感したらなんとなく恥ずかしくなってきてしまった。コートであたし達を待っている柳の下へ早歩きで向かう。その時、実は真田があたしを見つめてながら優しく微笑んだのを知れたのは、あたしが肩越しに振り返る勇気が持てたからだった。
(200606 修正済み)
(090206)