泥む想いたち


幸村が書いた歯の浮くような言葉ばかり連なれた脚本のせいでいささか参ってしまったのか、最近妙に姫……ではなくとの……そのだな、キ、キスシーンという言葉が頭からこびりついて離れん。そういうことに関してはどういうタイミングですればいいか見当もつかん上に、俺たちにはまだそういう行いは早い。と蓮二に打ち明けたところ、「ファーストキスの全国平均年齢は17.7。一番早い隣の東京都では16.3歳が平均だ」と一蹴されてしまった。しかし、俺にはがそういう行いを望んでいるかどうかは分からない。先日、問題の場面について少し話し合った時『フリ』をすればいいではないかと提案したところ、は不安そうな表情を見せたからだ。もこの件に関してはまだ俺たちには早いと思っているのだろう。その時の、目を泳がして居心地の悪そうにしていた彼女のなんとも言えぬ表情に悄然として俯いてしまった。俺のこの思いは、幸村が以前言っていた「好意を持っている相手に対して触れたい、と思うことは至極当然。自然なことだよ」ということなのだろうか。


には触れたいと、俺は……思う。あの柔らかな体をこの手で抱き締めている時は、全身の血が湧き上がるような程の熱を感じ、いつまでもこのままでと、その温かさに包まれ触れていたいと願ってしまう。しかし、普段レギュラーの面々と仲が良いが、あのように俺だけに甘えてくることを知ると、曰く言い難い感情が腹の底からこみ上げ体に迸ることは否めなかった。独占欲が強い、と言われても仕方がない。しかしこの自分勝手な思いであいつを縛ってはいけないとも自覚しているし、けしからんことを言っていることは重々承知である上、この汚らわしい欲求は彼女に晒すべきではないとも思う。何よりが望まないことを強行する無体な男に成り下がる気はさらさらない。せっかく育んだこの大切な関係を壊したくないと思っている。しかし大切に思いすぎるが故、今、立ち往生させられている自分に気付いた。演劇の練習中もいやに彼女のことを意識し目で追いかけてしまう。未だ下の名前で呼び合えない俺らの仲だ。劇中とはいえあの透き通るような声で俺の名前を呼ばれると、息が詰まりそうになる程の衝撃が脳天から背に走る。恋とはこんなにも人の心を惑わせるものであったのか、と改めてひしひしと感じていた。


「キスシーンのこと、俺は譲らないから」
「しかし、幸村……」
「まぁ、姫を起こすときのキスシーンは別に『フリ』でもかまわないけど。あの位置だと観客席からよく見えないしね。でも大団円を結ぶのは王子と姫の感動的なキスだ。これは感動的なロマンスに絶対に欠かしてはならない」


言葉に含みを持たせてくる幸村の発言を前に俺は何も言えなくなってしまった。確かに、こういう物語に口づけをするシーンはつきものらしい。呪いを解くのは王子の愛と接吻……、とならば脚本を変えようにも変えられない。しかし当人同士が嫌だと言っているのにもかかわらず、幸村は強情だ。一応はも幸村に意見したらしいが取り合ってもらえなかったようだ。俺としては口づけの行為自体は……その、嫌とは全く思わんのだが。公衆の面前で、しかも演技でそのようなことをするのは如何としがたい。それにはどうだ。俺との口づけに対して躊躇いを見せているではないか。これは何としても幸村にあのシーンを撤回するよう頼むしか他はない。しかし俺が何度言おうとも幸村は馬耳東風、蓮二も精市が言うのでは仕方がない、と言い放ち最早事を見守る以外にしようがないとでもいう態度だ。他の部員で幸村に反論しようという者はおらんし、けしからんことに皆面白がっている。俺たち二人の意見は歯牙にも欠けないようだ。


「真田、衣装合わせを演劇部の部室で行うらしいぜよ。伝言じゃき」
「ああ、わかった」


授業の休み時間の間に悶々と考え込んでいると、隣のクラスの仁王が顔を出し文化祭の連絡事項を告げた。そのまま踵を返してクラスの方へ帰ると思ったが、仁王は俺が悩んでいる事を見破っていたのか、何やらいやらしく解せない笑みを浮かべ俺の前の席へ行儀悪く後ろ向きに腰かけた。


「何考えてるぜよ?のことか?」
「……なぜそうだと言える」
「おまんの考えてることは顔に出るぜよ。ほら、赤うなった」
「……くっ」


くだらん嘘は言わない性分なので仁王のからかうような言葉にも逆らえず、図星を突かれ苦痛な思いを強いられただけであった。話題に上がっているがクラスに不在、ということだけが救いだった。


「そんなに思いつめんでもよか。真田、おまんはちぃと物事を思いつめる癖がある」
「……ではどうしろというのだ。軟派で軽薄な考え方をする気はさらさらないぞ!」
「こらこら、そう熱くなりなさんな。そーいうことを言うとるんじゃなか。のう、柳生?」


丁度柳生が仁王に用があったのか話しかけにきたところに、仁王は彼に同意を求めた。俺と仁王との会話がしっかり聞こえていたのか、柳生は俺の顔と仁王のを見比べ頷く。


「そうですねぇ、真田君。あなたは少々物事を堅く捉えすぎる傾向がおありのようです。せめてさんとの関係だけでも柔軟な思考に切り替えてみてはいかがですか?」
「しかし柔軟に考えろと言っても……」
「どうすればいいかわからない、か?」


仁王が俺が今まさに考えていたことを告げたので余計に居心地悪さを感じた。柳生はそれに思わず、そうですねぇ、とため息をつきながら言った。


「幸村君が同意なさらないことにはどうにもなりませんが、せめてキスすること自体を受け入れてみてはいかがでしょうか」
「だがが……」
「本当におまんにはがキスシーンを嫌がってるように見えんのか?」
「しかしだな……。公衆の面前でそのようないかがわしいことは……」
「はて、それがおまんの論点なんか?そう思い込んでるのはおまんだけかもしれんの~」


確かに、お互い合意の上で行うのであれば事態はまだいい。嫌々無理やらされるよりかは遥かにマシだ。だがしかしそれをが了承するとは限らない。それにこの前この件についてに話した時も乗り気ではなさそうだった。やはり、口づけのシーンを取り下げてもらうよう再度幸村に申し出るべきだ。いくら幸村といえど、から直接嫌だと言われれば強行することはないだろう。話すには勇気がいる事ではあるが、二人で懇願するにあたりにはこの旨を告げておかねばならないな。俺がそう呟くと仁王と柳生は何故か呆れたような顔をし、お互いに首を振るだけで物も言わずに各々の所定の場所へと戻って行ってしまった。一体俺は何かおかしいことでも言ったのだろうか。










* * *












放課後俺と蓮二は共に演劇部の部室へと向かった。そこにはすでに演劇部部長と幸村が待機していて、何やら話し込んでいる様子であった。しかし俺達が入っていくと演劇部の部長は逃げるように部屋を出ていき、他の部の部室ということもあり奇妙な沈黙を味わった。遅れて仁王と柳生に、そして最後に丸井が入ってきた。さっそく丸井が他の部の部室に俺達以外の誰もいないことに気づき、疑問の声を上げた。


「なーんで俺たちだけなんだ?さっき、なんかすんげー焦った演劇部の部長とすれ違ったけどよ」
「ああ、彼らは第二体育館で演劇をやるからと場所を譲ってくれたんだよ。まあ、今年はあっちのお客さんを俺たちが奪ってしまうことになると思うけど」


幸村は屈託のない笑みを浮かべてはいるが、はそんな幼馴染の調子に苦笑を浮かべ調子を合せていた。蓮二も苦い顔をして「気の毒に……」と呟いていた。衣装はとりあえず一通り揃っているらしい。カーテンの仕切りだけで出来た衣装室にて順番に着替えようという案を幸村が出したが、赤也と丸井が面倒くさいと言い出し無作法にもその場で着替えだした。


「お前らがいるっていうのに……」
「あー、いいよ見慣れてるし」
「見慣れてるだと?」
「だってこっちが部室のドアノックして、入るよ~って知らせてるのに赤也がパンツ一丁でうろついてるなんてこともフツーに……アッ」
「赤也あああああ!!!」


がとんでもないことを言っていると思ったが、赤也が下着一枚で部室をうろついてるだと……?!


「わわわ、副部長ちげーんス!」
「何が違うというのだ!大体俺が目を離している隙にそんな破廉恥な真似をしてるとはどういうことだ!!」
「ちょ、センパイ!!」
「ご、ごめん赤也……」
「お前は明日からグラウンド20周に今日から一ヶ月ロッカーの掃除当番だ!」
「えー!!!」
「真田、毎日グラウンド20周もさせていたら練習時間がなくなるよ」


到底容認できぬ腑抜けた神経に俺は赤也を睨みつけたが赤也自身はすっかり怯み上がっており、震えながら幸村の言葉に必死に頷いている。赤也は恨めしそうな目でに一瞥くれたが、俺は再び赤也を苛むように目を光らせるとそれ以降彼は口を噤んだ。結局が仕切りの向こう側で着替えることとなり、俺たちはが着替えている間に同時に着替えるということで万事解決した。俺の衣装は膝丈ほどまである紅いマント、ぴったりとしたとっくりにこれはまたぴったりとしたズボン、そして革の長靴といった王子とはいえ簡素な服装である。それもそうだ、この王子は眠れる姫のために竜を退治しに行くというではないか。


「ふむ、悪くはないな」


柳が俺の姿をまじまじと見て、頷いた。柳はテニス部のジャージと同じ山吹色と黒の大きな衣を纏い、中には浴衣のようなものを着ている。浴衣と違うところは掛けえりがないというところか。王冠をかぶっていなければ王とはよく分らぬ装いだ。柳生は王妃役といえどさすがにドレスを着るのはと難色を示したので、真紅のケープを肩からかけその下に柳との対になるような紫の衣を纏い、それを腰布でゆったりと結んでいる。妖精役の丸井、赤也、仁王には順に赤・緑・青色の普段奴らが寝巻きにしている『すえっと』という衣服に酷似したものに、ビーズの煌びやかな刺繍が設えてあり、それに加え小さな三角帽子に短いマントが用意された。幸村は裾が床まである漆黒の薄い衣を幾重にもして纏い、そしてまた黒々とした大きな帽子を被っている。ジャッカルはまるで忍びのような格好をしていた。


「フフ、皆似合うじゃないか。」
「なんだよこの服、あきらか忍者じゃねえか」
「カラスっぽいだろ?悪い魔女の従者はカラスだったからね」
「…………」


それきりジャッカルは服装について何も言わなくなった。ジャッカル以外は各々の衣装に満足しているようだったが、俺の姿を見るとなぜだが皆顔を変に歪めて「似合っている」と口をそろえた。


?まだ着替え終わらないのかい?」
「えッ、あーうん。一応着替え終わったけど、さ……」
「開けるよ?」
「えっ、ちょ、まっ……!」


が制するも虚しく、幸村はシャッと勢いよくカーテンを開いた。


「あ……!」
「かわいいじゃないか!」
「このウエストのぴったり感が嫌なの!」


は裏返った声に涙ながら幸村に反論するも、誰もそれを聞き留めていない。の衣装は肩口が空いた、鮮やかな青いつややかな生地で出来た見事なドレスだ。いささか肩を露出しすぎているようにも感じるが、それはの為に設えたように似合っている。が恥ずかしそうに覆うように腕で身体を隠そうとしていたが、俺は感嘆の息を漏らした。


「ほんとに似合ってるね。すごくキレイだよ」
「恥ずかしいからカーテン締めてほしいんですけど……」
「別には太ってるわけじゃないんだからウエストは気にしなくていいよ。むしろ肉付きがちょうど良いからウエストを絞った服を着るとスタイル良く見えるし」
「それって……セクハラ?褒め言葉?」
「褒め言葉だよ?俺がいつも茶化してると思われると困るなぁ」
「ああ。、恥ずかしがる事はない。よく似合っている」


一同が蓮二の言葉に深く頷いたので、も少しは気を良くしたのか、本当?と言いながら幸村に手渡された小さな王冠を頭に乗せた。の美しさは王冠に負けることのなく、堂々とした品格のある真の王女のようであった。想像の範疇を超える眩い彼女の姿に、かける言葉が見つからず、俺は彼女の姿に見入っているだけであった。


「真田、が綺麗すぎて言葉も出ないのかい?」
「む……」
「皇帝は照れてるナリ」
「無理もない。本当にお美しいですから」
「マジに、お姫様っぽいっスよ!」
「髪の毛ふわふわだからそーいうの似合うよな、お前」
「うん、なかなかいいんじゃねえか」
「いやいや、褒めたってなんも出ないって」


ははにかみながら、満更でもないのか幾重の布が重なったドレスの裾をはためかせたいた。皆着替え終えたのでこのまま全体を通して練習をするということで第一体育館へと10分後に集合となった。その前に幸村はエキストラの部員を呼びかけに、ジャッカルと丸井と赤也は演劇部から借りた小道具を運ぶ役目を担った。柳生と仁王はどことなく姿を消してしまい、俺とはなんと、二人きりになってしまった。今まで褒め言葉もうまくかけることもできずにいたので、俺はまごついてしまっていたがすんなりから声をかけてくれた。


「どう?セリフ、覚えられた?」
「ああ……。王子はそんなに話す場面が多くないのでな」
「そうだね、どっちかっていうとアクションシーンの方が見どころだもんね。あたしも台詞があるのは森と小屋のシーンくらいだし。後は眠ってるだけ!」


は朗らかに笑いながら言った。俺もそれにつられて自然と笑顔になる。俺はこの時だ、と思い先ほどまで言えず詰まった言葉をつかえる喉から音にした。


「よく……似合っているな」
「あ……。うん、ありがとう」
「綺麗だ」


するとはみるみるうちに首から上を赤く染め上げ、顔を手のひらで覆いながら視線を逸らし恥ずかしそうに「あんまり見ないで」と弱々しく声をあげた。誰もいない演劇部の部室で、そんな可愛らしい仕草をするの腰を思わず俺は抱き寄せてしまった。突然のことだったからか、は羞恥のあまり身を捩り、俺はそれさえも愛おしく感じ彼女の柔らかい髪を慈しむよう撫でた。俺はその時の香りに包まれ得も言われぬ多幸感に浸っていたが話さなければならないことを思い出し、の肩を掴んで目を覗き込んだ。はそのまま俺を熱っぽく見つめるので、それが余計に俺の欲情を掻き立てた。しかし、話題についてどうやって切りだしていいかわからず、揺れる瞳で数秒間見つめ合ったが末に再びから口を開いた。


「真田……あのね、キスシーンのことなんだけどね……」
「ああ、俺も今その事を考えていた」
「あたしは……」
「お前が嫌ならば俺と共に幸村へ申し出よう。お前の頼みとならば幸村は耳を貸すに違いないからな」
「え……」


俺の言葉では安堵する表情を浮かべると思いきや、むしろ傷ついたように眉を顰めた。気づけば愛しい温もりは腕からすり抜け、は後ずさり、胸に手を当てたまま俺から距離をとった。


「真田は……嫌なんだ」
「しかし公衆の面前でなど……」
「うん……分かった。じゃあ……せっちゃんに後で言いに行く、ね」
「……?」
「はい、この話おわりーっ!ほら、早く体育館行かないとせっちゃんに怒られちゃうよ!」


そう言いは強引に俺の背中を押す。これ以上何も言えず先ほどまでの甘い雰囲気はどこぞ、むしろ妙な空気が流れてしまい体育館へ向かう最中もは口数が少なかった。俺はまずい事でも言ってしまったんだろうか。が望んでいたのは、幸村にキスシーンの『フリ』の許可をもらうことではなかったのか?唸るほど考えてみても、先程の反応をしたの感情を理解し難かった。その後、練習中ではも平静を装ってはいたが森での王子と姫が出会うシーンとなると、いつもよりも表情や動きがぎこちなくなり幸村に何度も注意されていた。彼女が動揺した原因がわからない今、俺には励ましようもない。自身の不甲斐なさから、この時以上に己を訝った時はなかった。


(200915 修正済み)
(090715)