素直になれない
そうこう言ってるうちに、驚くべきスピードでせっちゃんは脚本を書き上げてしまっていた。反論の余地もない。昨日無理やり配役が決まってしまってから、あたしと真田は目を合わせていない。だって気まずすぎない?!てゆーかキスするの前提でなんて……強引にも程がある。でも今のせっちゃんの機嫌を損なってしまうことを、うっかりだとしてもしてしまったら……その人はどうなってしまうんだろうか?
「精市が言い出したら聞く耳持たずなのはが一番知っているだろう」
柳は慰めともつかない言葉をあたしにかけた。しかしそれも虚しく、この状況をどうにかできるものではない。まだファーストキスでさえ済ませていないあたしたちに、どうして公衆の面前でのキスシーンを求めるわけ?それに、正直せっちゃんはあたしたちを面白がっているだけにしかみえない。っていうか絶対そうだ。
「キスするフリじゃダメかな……」
「精市が許さないだろうな」
間髪いれずに柳がさらっとツッコんだ。こいつ、他人事だと思って……!あたしがありったけの恨みを込めてぎろりと柳を睨むと、本人は涼しい顔で知らんふりをした。……憎たらしい。大体おかげでぎくしゃくしてた真田との関係がより一層悪化してるじゃないの!!
「大体この脚本はなによ……。役名があたしたちの本名と同じままじゃん」
「精市が言うにはその方が臨場感が出るからだと」
せっちゃんは悪い魔女と兼役の王様の精市、手下のジャッコー、蓮二お父様に比呂士お母様、妖精ブン太と妖精雅治に妖精赤也……そして王子弦一郎。なにこのやっつけ感?!ついでに下の名前も呼べるようになって、しかもトドメはお熱いちゅー☆みたいなノリは!どんなプロセス!!最早強制イベントじゃん!!
「蓮二お父様か……」
「何さ。いいよね王様は、王座についてりゃいいんだもん」
「そんなことはないぞ。お前の身を案じ城から離し、お前を心許ない妖精たちに16年も預けるんだ。心配でこの身が切り裂かれるような思いだろう」
「それはお芝居の中での話でしょ」
呆れたように柳に一瞥をくれると、柳はそれが愉快とでもいうように微笑んだ。あ、しまった。休み時間終わるまであと数分もない。あたしは今A組からF組まではるばると来ていたのだった。柳は最近よくあたしのストレス発散の為に愚痴に付き合わされることが増えたと思う(誰のせいだと思ってんのよ)。
「それじゃ、あたしは教室に戻るね」
「ああ。午後には精市が台本の草稿を渡すそうだ。この2週間は放課後、部活の大半を演劇の練習に宛てるらしい」
「はりきりすぎなんじゃ……」
「去年に引き続き、総合監督賞を狙っている、と言っていた。さぁ、早く戻らないと授業へ遅れるぞ」
あたしはふかーく溜息をついて、廊下へと駆け出した。真田にこんなところ見られたら怒鳴られるけど、授業に遅刻するよりマシだ。それにしても気まずい。こんな気まずさのまま、あたし達は練習に入るのだろうか……。あ~あ、ほんと、先が思いやられる。あたしは教室の前に着き、肩を落とした。小さい溜息をもう一度つくと、チャイムが鳴ったと同時にクラスへと滑り込んだ。
ぼんやりしていたらあっという間に放課後となってしまった。今日真田と話したのは……授業中あたしが派手に筆箱をぶちまけてしまい、真田が拾うのを手伝ってくれた時だけだ。「全くお前は……そそっかしいぞ、気をつけろ」と、あの言葉だけでさえ心臓が躍るように飛び上がったのに、これから面と向き合って演劇を、それもラブロマンスの打ち合わせをしなければならない。でももしかしてキスと名前呼びを意識してるのはあたしだけかもしんないし。いやでも、真田も平気な顔を装っている感じだった。なんだかよそよそしい気もするし。でもせっちゃんに本気でキスのこと頼めば、フリでも許してくれるかもしれないし……!いや、勿論キスが嫌とかじゃないよ。ただ、学校のみんなが見てる前でキスするだなんて普通に恥ずかしくない?!あたしがそうこう悩んでいる間に、いつの間にか背後にいた真田が声をかけてき、ビクッと肩を震わせてしまった。
「、部室へ行くぞ」
「わっ!う、うん」
心臓が飛び出るかと思うほどびっくりしてしまった!けれど、真田の様子はやっぱり変わらないようにも見えなくはない。やっぱり意識してるのってあたしだけなのかな……。真田はあたしと……キス、することなんて別になんとも思ってないのかな。それはそれでなんだかショックというかなんというか……。あたしにはファーストキスには思い入れっていうのがあるわけで。
「幸村に尋ねてみたんだが」
「な、なにを?」
「いくら劇中の演出だろうと公衆の面前で口づけをするのはよくないだろうと。だが、承諾はもらえなかった」
「そ、そっか……。残念だね」
「……しかし当日はフリでも構わんだろう」
ほら、やっぱり。真田はあたしとまだキスしたくないんだ。残念だね、とか言っちゃったけどそれの方がもっと残念だ。あたし何で自分を自分で追い込んでるんだろう……。真田はむっつりと顔を顰めて、帽子のつばを下げそのまま早口に今後の練習形体についての意見を言っていたけど、あたしの耳には何一つ入ってこなかった。すっかり先ほどのやり取りで生気を奪われてしまったようだ。真田もあたしが聞いていないのに気付かなかったのか、珍しく独り言のように話しを続けている。部室へと入ると後輩達がせっちゃんを取り囲んで何やら指示を受けているところで、あたし達が部室へと入るとせっちゃんは後輩たちに退室するよう促した。部室にはすでに柳生以外揃っている。
「柳生は用があって後から来るようだ」
「まぁメインの二人が来たんだし、先に始めようか。柳生には後で説明すればいいし」
「さっき何後輩たちに話してたの?」
「舞台のセットとかの割り当て。キャストだけじゃ、成り立たないだろ?」
「それは、まぁ、うん……」
あたしは先ほどの真田との会話を脳裏にぼんやりと浮かべながら上の空で返事した。せっちゃんはそれを気に留めることもなく分厚い冊子の束を抱えると、あたし達ひとりひとりにそれを回し始めた。どうやらこれが台本の草稿らしい。
「今日は台詞回しだけ確認するよ。これの通り読み進めて行くんだ。そういえばナレーターを決めてなかったな。放送委員にでも頼むかな」
「ええーじゃああたしがナレーターやるよ、放送委員だし!」
「ダメだよ、。君はお姫さまなんだから」
せっちゃんはそれがさも当然かというように言いのける。あたしは少しの希望を持って発案してみたけどやっぱりダメだった。柳があたしを哀れんだような目で見ているのがとてつもなくウザい。柳生が台詞回しには間に合い、途中で参加してきた。ナレーターは二年生の玉川が務めることとなった。
『あなたが……、あなたが王子だったのね!』
『俺もお前が姫だとは露とも知らずにいた……。しかし、お前の身分がどうであれこの気持ちは揺るがぬ』
『王子……』
『姫、俺と……結婚してはもらえぬだろうか?』
「『はい。げんちるぉお、王子……』」
「ストップストップ!!なんでそこでかむんだよ……」
「大体なんでこんなにここのシーン長いの!てゆーか、なんでこの後にまた(できればキス)とか入ってんのさ?!」
「いいじゃないか。舞踏会のキスで幕を閉じようと思ったんだよ。一番後味がいいだろ?」
当人のあたしはよくない!!と叫んでしまいたかったが、真田の前でそんなことを言うのも失礼かと思いその場は仕方なしに口を噤みだんまりを決め込んだ。っていうか読んでいる最中に思ったけどなんで台詞がみんなの口調、そのままなのか。
「まぁ一応これで終わり。みんなも気付いたと思うけど、普通の台詞だと面白くないから君たちの個性を取り入れて台詞を書いてみたよ。なかなかいいだろう?」
せっちゃんが同意を求めるときは、大抵みんなは頷くしかない。あたしだけ「よくない」と呟いたがそれ以外の部員はこくこくと頷いており、せっちゃんはあたしの呟きが都合良く聞こえなかったフリをしている。
「さーすが幸村部長!これかーなーり面白いっスよ」
赤也だけは心底そうだと思っているらしい。たぶん、あたし達のキスシーンが見れるということでお気に召しているのだろう。赤也の出番も結構あるしね……。はぁ、とあたしはこれ見よがしに溜息をついてみたけどせっちゃんは見向きもしない。
「さぁ、もう一度読み通そう」
いっそせっちゃんという閻魔大王を怒らせて地獄へ落ちた方が楽かななんて、あたしは本気で思ってしまった。
(200829 修正済み)
(090526)