思春期デイズ
「それで?どこまでいったんだい?キスくらい済ませた?」
と食堂でなんの悪気もなく、おおっぴらに訊いてくるせっちゃんに「そんな、せっちゃん気が早すぎるよ~」って笑顔でいなせるくらい、今週のあたしは機嫌が良かったはずだった。はずだったのだけれども。
未だ我が立海大附属中男子テニス部には新しいマネージャーがいないので、スコア表も歴代対戦校の記録なんかも未だにあたしが管理している。厳密にいえば、あたしと柳だけど。そしてスコア表を元副部長に渡す機会があり、そこでなんと、ありがちな展開で手が触れてしまった。あたしはドキッとして真田の顔を見上げたけど、真田はスコア表を受け取るとさっと手を引っ込めて、そっぽを向いてだんまりを決め込んでしまった。それからというものの、喋っている間は普通なのになにかの拍子で距離が近くなったりすると、真田は機嫌の悪いパソコンのように会話を強制終了してしまう。あたし、何か悪いことしたかな。この前一緒に帰った時に手を繋いだのがけしからんと思っているとか……?そんなバカな!キスはまだ早いにしても、手を繋ぐくらい幼稚園児でもするっていうのに。ていうかこの前ナチュラルに手繋いでなかった、あたし達?!
残暑となり休みが明けても普段どおり、部活へ行っている。まあ、夏の大会にも区切りがつき後進育成のため三年生の練習量も少々は減り以前よりはずっと自分の時間があるようにはなったと思う。せっちゃんとあたしは以前のように食堂や屋上でご飯を一緒にしたりしていた。そして回想をしたあたし、今に至る。あたしのこの胸の内を明かし、もじもじと牛乳パックを潰しながら溜め息をついているといつもはからかいも交えてくるせっちゃんは珍しく真に受けたようで眉を顰めていた。
「を避けているだって?」
「いや、そこまで明らかに避けてるわけじゃないんだけど……なんかこう、別にそこまで何かってわけでもないんだけど、近づいた時の身のこなし方が……いつもと違うっていうか?なんか過剰に反応されてるっていうか……?」
あたしはもちろん真田のことについて相談しようと話しを続けたのだけれど、なんだか途端に気恥かしく感じてしまった。ハッキリしないあたしの態度からせっちゃんはあたしの言いたいことを見抜いたようで、やれやれ、と言って大げさに溜息をつく。さすがのせっちゃんはあたしが言わんとしていたことがわかったようだ。
「本当に、あの堅い頭で思い込みが始まると碌なことありゃしないな」
「ん?思い込み?」
「もよく分かるだろう、きっと結婚するまで手を繋ぐ以上のことはお預けになりそうなとこ」
「け、結婚するまで……。それはちょっと……イヤかも」
「というか、結婚することに何の疑いのない二人もまたすごいと思うけど……。それはさておき、真田にもそういう欲求はあるはずだ。それを煽るには……、こういうことは柳がいた方が早い気がするなぁ。よし、そうだ」
「ん?」
せっちゃんが何か閃いたようにぶつぶつと呟くと、すぐ戻るから、といってあたしを残して屋上を去っていってしまった。あたしは言われたとおりにお弁当を黙々と食べながら待ってると、お昼を邪魔されたのか、透明のプラスチックの蓋から食べかけのおかずが透けて見えるお弁当と箸を持ってきてせっちゃんと共に食堂へとやってきた。っていうかせっちゃん、この短い時間でF組まで行って帰ってきたの?
「早ッ!っていうかなにも柳を連れてこなくたって」
「校内放送を使わせてもらったんだ」
せっちゃんはサラッとそんなことを言う。そんなことにわざわざ校内放送使ったのかよ!!というツッコミはさておき、しぶしぶ来たという態度が丸見えな柳は目が合えば微かに微笑んだ。っていうか柳のとの場合、目が合うとは適切な表現なのだろうか……。あたしはそんなくだらないことを考えながらも、おかずを彩る卵焼きをつまんだ。お母さんが作った今日の卵焼きは、すこし甘めだ。
「事情は聞いたが……。そうだな、今度の学園祭を利用すればいいだろう」
「学園祭?ああ、演劇?」
「そうだ、その手があったな。よし、今日の放課後にでも配役を決めよう。柳は放課後にミーティングがあると赤也に伝えてくれ」
「わかった」
「え?え?演劇でなにするの?」
「いいかい、、これが唯一の打開策だ。学園祭が終わる頃にはあのカタブツもこの課題を避けずにはいられないさ」
「え、ちょ、意味わかんないよ、二人ともちゃんと説明してよ!」
「フフ、放課後までのおたのしみだよ」
「だそうだ。そろそろ弦一郎が来る頃だ、俺は戻らせてもらう」
「ええ?」
柳はいったい何しに来たの?っていうか何のために連れて来られたの。そしてどうして真田もここに来るの?校内放送で真田も呼ばれたの?問いかける前に彼はそそくさと屋上を去っていき、その数分後に柳の言う通り、見事に真田が屋上へと上がってきた。ってゆーかなんで真田がここに来ることを柳は知ってるの?真田はなんだか焦った様子で、階段を急いで上ってきたようで少し汗をかいたような様子だった。
「真田、そんなに慌てた様子でどうしたんだい?」
「今しがた柳がここに来なかったか」
「来たけど、柳ならもう行っちゃったよ?多分、赤也のとこ」
「そうか……では」
真田はそれだけを確認すると、踵を返して颯爽と階段を駆け降りていってしまった。真田は柳に用があったのかな?と思い、あたしは何の疑いもなくせっちゃんの方へ振り向けば、せっちゃんがふふふ、と不穏な笑い声を上げていた。いったい何が面白いというのだ。あたしは口を尖らせて唸りせっちゃんを見つめる。しかしあたしの圧のある視線を気に留めることもなく、こんなことを軽い調子で言いのけた。
「大丈夫、が心配することは何もないよ」
いや、既にこの時点でいろいろと心配なんだけどな。あたしはその一言を噤んで、ミニトマトのヘタをぷつんともぎとり瑞々しい赤い実だけを口に運んだ。
とりあえず真田は同じクラスなので距離を置いて遠くから観察するわけにもいかない。以前席替えをして隣の席ではなくなったもののなんと真田は斜め右後ろという非常に近い席なので、5時間目の数学、あたしは平常心を保って会話は普通にした。
「さっき柳見つかった?用があったんでしょ?」
「いや、用があったわけではない」
「じゃあ、なんでわざわざ屋上来たの?校内放送聞いたんでしょ?」
「まぁ、そうだが……」
真田は歯切れの悪い返事ばかり返すので、どうにも怪しいとあたしは疑っている。何かを隠したがっているようだ。少しばかり挙動不審にも見える。後ろばっかり向いていると先生に怒られるので、授業に集中しているフリをすることにした。数式を前にして、あたしは真田は一体なんのために屋上に来たんだろう?と悩む。そんなことで頭を悩ませていたせいか、先生にあてられた時、4x2-4xy+y2の因数分解の答えさえもまともに答えられず、先生に「~、これはな~」と先生に呆れられたような声で説明された。ちら、と真田を窺えばあたしを見てむっつりしている。いつもは基本クラスと応用クラスに分かれているのに、今日に限って応用の先生がおらず合同授業。真田がいないことをいいことに数学の授業ではいつもこんな調子なんだけど、今回ばかりはこの失態にも「先生勘弁してください」と顔に書かずにはいられなかった。
部室へと向かう間、真田にさんざん数学のことで叱られ、(前々から赤点ぎりぎりの点を取っていたこともあって)今度数学を教えてもらうことになりました。やったー!と安直に喜んだら真田に怒られた。だってたださえ二人でいる時間が少ないのに。あたしが不満そうにしているのを柳生も気付いてかフォローしてくれた。
「真田くんと成績を上げるための勉強ができるならいいじゃありませんか。いつもはさんご自身だけで勉強されてるんでしょう?」
「……今月から塾行ってるんだけどね」
「なに、それは初耳だな」
「塾に行ってらしたんですか……」
「二人してなにその目?!部活もほぼ大会終わってあたしに残る課題は後進育成のみだし、別にいいでしょ!大学生の先生でとーっても分かりやすいんだから!」
「大学生の先生……」
あたしが冷たくあしらうと、真田は何が引っかかったのかそう呟きながら唇をぎゅっと結び、しかめっ面をしていた。そりゃ、真田と勉強できるのは嬉しい気持ちもあるけど……厳しくされるのも目に見えている。苦手科目に対しての自分があまりにもポンコツすぎて、そんな姿はあんまり真田に見せたくない。あたし達4人が部室に入ると、赤也を含むレギュラー全員が部室にいた。二年生は、違う演目があるらしく赤也はダブルブッキングだ。
「ああ、たち遅かったじゃないか」
「うん、S.H.R.が長引いちゃって」
「それじゃ、早速議題に入るけど、今回の演目についてだけど、俺は眠れる森の美女を提案しようと思って」
「眠れる森の美女?」
あたしは荷物をおろしながらせっちゃんの提案に反応すると、柳と柳生と仁王以外がええ、と意外だという様子を見せた。
「えー部長、俺赤ずきんちゃんがいいっスよー」
「赤ずきんちゃんだったらキャストがあまるじゃないか」
「眠れる森の美女って、男役少なくないか?」
「別に演じるのが女役だっていいじゃないか」
「幸村君、俺王子がいい!」
「丸井、残念ながらそれは却下だ」
にこにこと笑みを絶やさずせっちゃんがそういうものだからみんな演目をそれ以外に変更することに諦めた。それにしてもなんで急に眠りの森の美女なんかをせっちゃんはやりたがっているんだろう?
「本当はに合わせて白雪姫をやろうかと思ったんだけどね、午前と午後の部でニ年と三年で分けようと思っていて、そうすると全体の人数が足りないんだ。他の部員でもいいんだけど、ここはやっぱり知名度が高い俺たち旧レギュラーだけでトリをやろうかと思って。客が入るだろ?」
「ちょ、ちょ、ちょ」
なに、あたしに合わせてって。っていうか客入れのことまで話が進んでるせっちゃんについていけてない。
「なんであたしに合わせて?あたしは去年と同じで裏方でしょ?」
「だってがヒロインじゃなかったら誰がやるんだよ。丸井か?それか真田とか?」
すると真田が「ありえん!」と真っ赤になって叫んでる中周りがぶっと噴き出した。あたしもつられてくくっと笑ってしまったのだけれど、真田がぷるぷると笑いを必死で堪えている赤也とジャッカルをじろりと睨んだので咳払いをしつつ一生懸命平静を装った。
「っていうかあたしは水戸黄門みたいな時代劇を提案しようと思ってて……」
「よく見るお昼の時代劇ドラマと同じじゃあ、つまらないじゃないか。こういうのは大々的なラブロマンスがいいんだ」
「あたしヒロインなんかできないし……」
「大丈夫。ちゃんと俺が監督するから。配役は俺なりにもう決めてあるんだけど」
と言い、せっちゃんはテキパキとホワイトボードに配役を勝手に書き始めた。何が大丈夫なのかよく分からないんですけど。なんであたしがヒロインっていうのは決定事項なわけ?!あたしの反論を予想してか、せっちゃんは素早くホワイトボードに配役を書き終えた。配役はこの通りだ。
眠り姫 :
隣国の王子 : 真田弦一郎
悪い魔女兼隣国の王 : 幸村精市
魔女の従者 : ジャッカル桑原
王妃 : 柳生比呂士
王 : 柳蓮二
妖精A : 丸井ブン太
妖精B : 仁王雅治
妖精C : 切原赤也
「……従者?」
「俺、妖精『C』?!」
「ほう……俺は妖精か、プリッ」
「なぜ私が王妃なのでしょうか……?」
「妖精Aって、何すんだ?」
「ふむ、悪くないな」
「王子だと……?」
みんなが一斉に文句やらなんやら言い出したのでせっちゃんが満面の笑みでくるりと振り返った。
「何か文句があるのかい?」
「「「ありません」」」
あたしと真田以外の全員がすぐさま返事した。っていうか真田が王子って……。王子姿、つまり白タイツに紺色の王子ルックだけど、それを着るの?!似合わない、本当に似合わない。似合わなすぎて逆に笑えない。それはおかしいだろ、せっちゃん。とあたしは思った矢先に大変なことを思い出した。演目は、眠れる森の美女だよね?なんだか、とてつもなーく悪い予感がするのはあたしだけ?
「せっちゃん……、もしかして……」
「大体眠れる森の美女とはどういう話なのだ?」
あたしが質問しようとしたら真田が割って入ってきた。って、ええ!?真田、眠れる森の美女の話、知らないの???……でも真田なら知らなくても、無理もないかも。デ×ズニー映画とか見てなさそうだもん。さっきあたしが言った水戸黄門とか見てそうだもん。
「なんだ、やっぱり知らないのか。眠れる森の美女はーー」
そしてせっちゃんのあらすじ説明が終わった瞬間、あたしはその悪い予感が的中したのだと確信する。
「王子のキスで呪いが解ける……?」
「うん、そうなんだ。それで王子と姫は結婚してハッピーエンド。めでたしめでたし」
真田が硬直した。あたしもだ。せっちゃんはそれが予想の範疇だというように満足そうな笑みを崩すことなく、とどめの一言をあたし達二人に告げた。
「もちろん劇中でキスシーン、あるからね?」
それは、まだ蒸し暑さが残るテニス部の部室が凍りついた一言だった。
(210702 修正済み)
(090510)