君を好きでよかった
去年と同じ通りに、あたしはせっちゃんと一緒に立海テニス部レギュラーとの待ち合わせ場所へと向う。道中、せっちゃんはびっくりするほど真田の話題は出さなかった。あたしは暑さのせいで静かなプレッシャーを感じ汗ばんでいた。同時に、騒ぎ立てないせっちゃんの様子がおかしいのではないかとも訝しんだ。
「何だよ、そんなにじろじろ見て。せっかくの晴れ着なんだから、もう少しおしとやかにしていたらどうだい?」
「なっ、そ、そんなの関係ないじゃん!」
「牡丹柄の浴衣もよく似合ってるんだし、今日くらいは落ち着きなよ……。こう見ると、も少し成長したかな、と思ったのに」
せっちゃんは話題の転換がうまい。というかあたしの取り扱い方がうまい。あたしは恥ずかしさのあまり明後日の方向を見ながら編み込んだ髪を直し、ぷいっとそっぽを向いて不機嫌そうに見せた。せっちゃんの口車には乗らないんだから!あたしはそう言うと、せっちゃんは何がおかしいのかからからと笑い声をあげた。
「別に俺、なにもを口車に乗せようとは思ってないよ?あ、柳だ」
何事もなくあたしの心の内を読んだせっちゃんは、何かに気づいたのか、おーいと言いながら手を振る。すると柳が自身の居場所を示すように軽く手をあげていた。そこにはやはり真田もいて。あたしはそこに到着しても、まともに真田のことを見れずにいた。真田も去年とは違う浴衣だ。濃紺の、大人っぽい浴衣に金襴生地の帯にだけ柄が入ってる。赤也とブン太と仁王、ジャッカルは去年と同じ浴衣を着ている。柳と真田と柳生は何着も持ってそうだな、となんだか不思議と心の中で納得してしまった。
「センパイ、ちょーかわいいっス!」
「あ、ありがとう赤也」
声がうわずる。去年と気持ちは、同じはずなのに。いや、確実にひとつだけ違う。もし、あの日のことが本当に起きていたのだとしたら、否、最早仮定ではなく本当のことなのだけれど。でもどうしても実感が湧かない。真田があたしのこと好きだってことーー。湿っぽい日本特有の夏に、じんわりと汗が掌ににじむ。でもこの汗は暑さのせいだけじゃない。じ、尋常じゃないくらい緊張してしまってる、あたし。……、しっかりしろ!!どうしようもない煩悩を振り切るためにほっぺをぺちぺち叩くと、せっちゃんにどうしたの、と顔を覗き込まれ心配されてしまった。あたし達が祭りの会場へと歩いて行く途中、せっちゃんが花火が始まる時間までの自由時間について提案した。
「去年と同じで、花火が始まるまでは自由行動っていうことでどうだろう。大勢で移動するとはぐれる可能性があるからね」
「それがいいだろう。花火が始まるのは8時過ぎだから、集合は7時45分。場所は広場の時計塔の下が分かりやすいな」
「了解っス!」
「赤也、着いたらまず射的行こうぜ、今年の景品は太っ腹に新作ゲーム集らしい!」
「マジっスか、丸井先輩!」
赤也は目を輝かせて、ブン太とともに一目散に露店へ駆けて行ってしまった。仁王は何故かかたぬきから目が離せなくなってるし、柳生とジャッカルも気づいたらいなくなってるし。あたし、柳、せっちゃんと真田がその場に取り残されてしまった。な、なんか去年みたいに置いてかれるんじゃないだろうか……。不安を感じつつ誘惑のままに露店へと目移りしてしまい、ワンテンポ遅れて後ろを振り返ると、そこにいたはずの柳とせっちゃんの姿はもうなかった。…………え?!
「せ、せっちゃん?!柳?!」
「あの二人ならもう行ってしまったが」
「いつの間に?!」
「気づいたときにはあの二人の姿は既になかったぞ」
ひえええええ!!そ、そしたらあたし、また、真田と二人きりってこと?!だって、だって最近ずっとちゃんと話してなかったんだよ?!その、なんだ、こみいったことは……。まさかこんな、二人きりっていう直球なシチュエーションとは……。これはヤバい。ものすごく気まずい。何を話したらいいかわからない。だってここはテニスコートじゃないし、事務的な会話はいらないし、むしろそんな必要もない。形としては部活も引退している。あたしは一気に体温が上がるのを感じた。おそらく、あたしの頬はりんご飴に負けず劣らず赤くなっているのであろう。後ろを振り返れば、真田が所在なげに突っ立っている。
「いっしょに……回るか」
真田は珍しく視線を落としてそう言った。あたしは小さくこくり、と頷くしか他に道はなかった。
が来るまでさんざん他の部員にとの仲を進展させるようやんやと囃し立てられた。言われなくとも俺だって分かっている。しかし、肝心のは珍しく大人しくしており、自らしゃべろうとしない。会話が得意とはいえない俺も言葉に詰まる。言いたいことや尋ねたいことは数え切れないほどある。しかし、俺にはにそれらを訊く度胸がない。全くもって、情けない。恋とは、相手に自分をよく見せるように考えを働かせてしまうことが多分にあることがこれまでのことでよく分かった。その上、俺達はお互い好いてるのを確認した関係だとしても、口では何の約束もしていない。未だに俺達は友人という関係のままだ。そしてこの前の俺の態度からして、幸村からが不安に思っていると、俺の気持ちを確かに思えていないことを告げられたのだ。俺はが好きだ。断じて軽い想いを寄せているわけではない。だがしかし、どうやってこの前の出来事について自然に話題を持っていけるかがわからん。一体俺はどうしたらいいんだ……!
といえば、だまりこくって人ごみを縫って歩く俺の数歩後ろをひょこひょこついてきている。去年とは違う、大人っぽさが増した濃い赤紫色の浴衣は彼女に似合っていると素直に思った。髪もくくられており、普段は見ないような形に収まっている。去年よりも大人びた女性に近づいているように見えるのは、少し憂いのある表情をしているかもしれない。こうして思っていることをそのまま口にすればいいのだろうか……。いつまでお互い、このまま黙りこくったままでいるのだろうか。俺は先の見えない今日の祭りの場に焦りを感じた。
「あっ、じゃん!」
「あれ、もも」
声をかけられて振り返ったを見失わないよう俺はのすぐ近くまで、戻った。どうやら同じクラスの村田が通りすがり、声をかけたようだ。そういえば村田はと仲が良かったな……。人ごみの中なので会話はよく聞こえないが、と何やら俺を指さしてにやにやと笑みを浮かべる村田に必死では真っ赤になって「違うの!」と連呼している。それにしても人を指さすとは無礼な。
「村田、言いたいことがあるなら直接言ったらどうだ」
「さ、真田くん聞こえてたの……」
「俺を指さして話していれば嫌でも自分のことを話しているくらいわかる。それで、何の話をしていたのだ」
「う、ううん、それじゃ。私は友達待たせてるから!じゃあねー、~!」
「え、ちょ、もも!」
するとが慌ただしく村田を引きとめたが、村田はするりと逃げるように人ごみの中へと消えていってしまった。は顔を未だ赤くしたままでいる。
「なんの話をしていたんだ」
「……ちょっとね」
「…………」
俺はその時教えろ、と言うはずだったが言えなかった。返す言葉がなく、その後も別段と会話を交えることもなく、はりんご飴を買って飴にかぶりついた。飴に気を取られている間だけは、嬉しそうにしておりいつものらしさが戻ってきた。その愛らしさに無意識にまじまじとその姿を眺めてしまっていた。するとが俺の視線に気づいたのか、はっとして顔を背けてしまう。そんな反応が見たいのではないのだ、俺がしたいのはそんなことではないのだ。生唾を飲み込み、なんとか声を絞り出そうと、俺は口を動かした。
「村田と一緒に回りたかったのか?」
違う、俺が言いたいことはそんなことではない!しかし既に口はそう動いて声も発していた。するとはすかさずその言葉に振り返って、困惑したような……いや、怒ったような顔をした。は口を尖らせて、食べ終えたりんご飴の棒をゴミ箱に捨てた。その手は震えていた。
「やっと何か言ったと思ったら……何なの?!」
「……?」
「何でそういうこと言うの?!何でわかんないの?!やっぱりアレは夢だったんだね、あたしの思い込みだったんだ!!」
「ちょっと待て。いったいなんのことだ?」
「……病院でのこと、覚えてないの?!」
「覚えているに決まっておろう」
「じゃあ、あたしがずっとなんにも言わないでいたの、なんとも思わなかったの?!」
急にが泣き出してしまったので、思わず瞬きをものすごい速さで繰り返して思考を整理した。しかしは構うことなく、堰を切ったように溜まっていた不満の数々を口にした。
「それにももと回りたかったって?!何よ!そりゃ、仲良いんだから当たり前でしょ!でも真田とも回りたいに決まってるじゃん、あたしはあんたのことが好きだって言ったでしょ!!」
「」
「どうせ真田はせっちゃんとか柳と回りたかったんでしょ?!」
「違う」
「じゃあなに!?どうせ真田はせっちゃん達に仕組まれたから仕方なくーー」
「、俺の話を聞け」
すると興奮していたは眼尻に涙を滲ませながらふう、と溜息をついて落ち着いた。しかしは不貞腐れていうのか、俺と目を合わせない。自分の脈がいつも以上に速くなって心臓の音を大きく鳴らしていることに気付く。なんて俺は情けない男なんだ。こんなにもこいつに心配をかけて……。から、再び『好き』との言葉を聞いて、俺は気づけばその肩に手を伸ばしていた。そう、あの時ずっと抱きたいと思っていたの肩をだ。今はもう、手を伸ばして抱きとめることができるーーーー。
「夢ではない、思い込みではない。俺はお前が好きだ……を好きなんだ」
「さな……」
「昨日、お前に話しかけられずに、幸村と蓮二と何を話しているのか気になって仕方がなかった。俺のことは気にかけているのだろうか、と……」
は俺に抱きつかれるがままに顔を胸に押しつけた。ああ、この柔らかさだ……そして匂い。昨年の全国大会が、脳裏に蘇るようだ。
「今日だって何を話せばいいかわからなかったのだーー。お前に蔑まれても仕方あるまい」
は俺の胸の中で首を振った。布が肌に擦れる。の動きひとつひとつが、俺の心拍数をあげていく。
「俺たちの勝利のために献身的に支えてくれるお前に甘えていたことは否定しない。すまない……俺の精進が足りなかったことを認めよう。おかげで全国も……」
そう言えば、は俺から離れ、再び首を振った。がようやく顔を上げ、そして今日初めて俺の目を真っ直ぐ見た。頬は上気しているのか、赤く染まったままだ。
「ううん……いいの。真田が、そういう人だって知ってるから……」
「お前には本当に感謝している」
すると一段との頬が赤く染まっていった。先ほどまで涙を滲ませていた潤んだ瞳で俺を見上げる。か、かわいい……。俺はそののあまりのかわいらしさに、俺は声がうまく出なかった。
「そ、そのだな……がよければ、だが」
「うん」
「俺と……交際してほしい」
「……はい」
は頷くと、ぎゅっと顔を胸に押しつけた。俺はそれをつぶさぬよう、慈しむよう抱きしめる。俺の腕の中での浅い呼吸が聞こえる。周りの音は聞こえず、お互いの心音だけがやけに大きく響く。どうやら、お互い心臓の動悸が治まらぬようだ。
「真田……」
「な、なんだ」
唇の動きさえもが、布に擦れて肌に伝わる。俺は急に言葉を発したに不覚にも取り乱しそうになった。
「すき……」
「ああ……」
俺たちはそれから言葉もなくしばらくそのまま抱き合っていたが、人影が見えたのでぎこちなく身体を離した。話しをするのに当たって、茂みの傍で話していたが……。しかし、物音のする方を見ると茂みの影から、なんと幸村だけでなく今日の祭りの参加者全員が出てきたのだ!
「やっとか。野次馬も楽じゃないんだよね~」
幸村が肩が凝ったように首を鳴らしつまらなそうに声をあげた。は驚きのあまりか、言葉が出ないのかその大きな瞳を丸くし口をパクパクさせている。日が落ちてきた薄い暗闇でも分かるほど、赤面している。
「それにしても長くかかったっスね、フクブチョー、マジ奥手すぎっス」
「幸村くんもこれで安心したろぃ、のお守りがなくなってよ」
「俺も安心したぜ!」
「それにしてもが真田のものなるとはの……。寂しいもんじゃ」
「さん、真田くん、おめでとうございます」
「ここまで来るのに1年と2日か……。ふむ、データ通りだ」
思い思いの言葉を部員たちは勝手に述べては唖然としたままだ。俺は驚きと無神経な連中の好き勝手な言動に声を上げようとした瞬間、
「あんたらーっっっ!!!!!」
がドスのきいた声で先に怒鳴った。が全力疾走で巾着を振りながら皆を追いまわすので、部員は各場所へと散って行った。はと息も絶え絶えになりとぼとぼと戻ってくれば、マネージャー業に戻ったかのように切り替わり、きびきびと自分の腕時計を見て今の時刻を確認した。
「はあ……、あいつら、抜け目ないんだから……。もうすぐ、花火の時刻だってのに」
「それでは待ち合わせ場所に向かうか」
「うん。たぶん、みんなそこにいると思う」
するとは息を整えて、先ほどのことが何もなかったように「さぁ、行こー!」とはりきりだしたものだから、俺は意表をつかれた。しかしそれが彼女照れ隠しなのだともう理解できている俺は、お構いなくずんずんと先へ進んでいくの腕をとっさに掴んだ。はそれにかなり驚いたようで、俺を見上げて立ち止まってしまった。にやけないようにか、口を結んで頬を膨らましている。こんな顔をしているも、可愛いものだな。
「行くか」
「う、うん」
その手はしっかりと繋がれたまま、俺たちは集合場所へと向かう。また部員には冷やかされることもあるのだろう。しかし最早それは俺にとってどうでもいいことであった。いや、きっとにもだろう。先ほどまで、気まずく感じた時が嘘のようだ。言葉が交わることができた後の星空は、いつもと違うように輝いているように思える。なんて俺はくだらない浪漫を思い抱いているんだ、馬鹿馬鹿しい。しかしそう思う傍らで、それも悪くないと思えた。確か一年前、恋は人を変えるとはそう言っていたな。あの事を否定した時が遠い日のことのように思えたーー。
「花火、キレイだね?」
そうだ、もうあの時とは違う。が、今は隣で俺だけに笑いかけてくれている。花火に劣らず俺の目に映る彼女は、綺麗だった。
(200811 修正済み)
(0904027)