恋愛の作法
学年末のテストから今にかけてせっちゃんは病床に臥せたまま、結局ニ年生最後の日をあたしたちはせっちゃん抜きで迎えることとなった。春休み、せっちゃんのために大きな花束とローランサンの画集を抱えてお見舞いに訪れた際せっちゃんはくたびれた顔をしてあたしを迎えた。
「結局卒業式も終業式も出られなかったなぁ」
「でも、先輩達にはまだ会えるから。他の学校だったらそうもいかないけど、先輩達ほぼ内部進学だし」
「始業式に間に合えばいいけど」
始業式が始まるにはもう一週間もなく、せっちゃんは間に合うことのない始業式に思いを馳せている。今まで顔色のよかったせっちゃんも、立春を過ぎたころから少し肌が白くなった。今までテニスで培われたその猛々しい筋肉もリハビリにしか行き場がない。こんなせっちゃんを見るとまた少しせっちゃんの生気が薄れていっている気がしてならないと感じてしまう。
「またと同じクラスになれるかな」
「だといいんだけど。今度は担任、高橋先生だといいなぁ。S.H.R.早く終わるでしょ」
「俺は中本先生以外なら誰でもいいな」
「そうだね、あたしも結構ガミガミ叱るタイプ嫌だし。バスケ部の人大変だろーね、マネの子もいっつも文句言ってるよ」
「それじゃあ中本先生がの担任になったら俺は真田と中本先生の愚痴を聞かなきゃならなくなるのかぁ」
「も~他人事じゃないんだよ?」
そんな他愛ない話をしながら時間は刻々と過ぎてゆく。最近めっきりテニスの話題を出すことが少なくなった。真田や赤也などのレギュラーについての話題ならすることはあるけれど、最近のあたしからの部内の報告といえば毎日書いている部誌の提出と、せっちゃんが倒れてからつけはじめているあたしの日記を手渡すのみだ。
「」
「ん?」
せっちゃんの親戚から頂いたであろう、フルーツの盛り合わせの残りの林檎を手に取り包丁で皮を剥いている矢先にせっちゃんから急に声かけられて振り向いた。カーテンで遮られた春の陽は病室に影を作り、せっちゃんの心の陰と光を表してしているようだった。透けた光を浴びるその姿のせっちゃんに不覚にもどきりとさせられたのか、
「苦労をかける」
所以もない涙がこぼれおちそうだ。
春爛漫。陽の光を浴び、校舎周りの花々は私達に咲いかけています。我らが部長の幸村君は未だ病床に臥せていますが、あそこの病室から見える桜は格別だそうなので今度お見舞いに訪れた際にゆっくり見るといいでしょうとさんが仰っていましたね。すっかり過ごしやすい気候となり、皆さんの調子もそれに合わせてよくなってきている模様です。真田君も一層部への指導に力を入れており、部員たちの士気が日に日に高まっているのが目に見えます。今年立海大テニス部に入部する部員達がまた幾人いることでしょうか。そういえば今日一番の大イベントはクラス替え。やはり、教室の環境が変わるというのは普段の生活にも関わってくることなので、私も気になる事柄ではあります。始業式の日だけは朝練もなく、こうしていつもより遅く登校しているというわけです。登校した際に海志館の表のボードにクラス替えの表が貼り出されていおり、今日はいつもより皆さんの足取りも軽いことでしょう。学校へ行く道中仁王君に会い、今しがた私の隣にいる彼はさほどクラス替えについて興味がないようです。
「どうせ高校でも同じ顔見るんじゃき、そんな気にすることなかよ」
「ですが、やはり意中の方がいらっしゃる方はそうでもないんじゃないでしょうか」
「そうじゃな。と真田が同じクラスになるほど面白いもんはないぜよ、からかい甲斐が増すのう」
そういえばさんは真田君が好きなんでしたね。そして真田君もさんのことを憎からず思っている……と。普段からあの二人のことを見ていますが、見ているこちらの方がじれったくなるような関係で彼らの関係に進展は一向にありません。真田君は真田君で彼の思いを表現したいようですが、今のこの部の状況を考えてしまうとその一歩を踏みとどまってしまうのでしょう。我々も今は恋愛にうつつを抜かしている場合ではないですしね。さんはさんで彼女なりにマネージャーの立場をわきまえています。流石は我が部のマネージャーと感心はしますが、やはり見守る立場からすればじれったく感じる部分も無きにしもあらずといったところです。
「あの二人が同じクラスにさえなれば少しは進展があるかもしれませんね」
「じゃろ?部活中だと真田もも部活に集中モードでそんな雰囲気にもならん。同じクラスにでもなればあいつも少しは気が緩んで手ェ出す気になるじゃろ」
「手を出すって、仁王君……」
「冗談じゃ」
仁王君は腕を頭の後ろで組んで鞄をぷらぷらと下げて歩きながら軽くそんなことを言いますが……。確かに彼の言っていることは一理あります。二人共我々が思う以上に、肩肘張って自分達を追い詰めているといったところが見られます。見慣れた住宅街を歩いて行き、門をくぐりぬけるとそこにはすでにさんの姿がありました。友人と一緒にクラス替えの表を見たのでしょうが、何故か唖然とした顔で私達を迎えてくれました。
「におー、やぎゅ、おはよ……」
「おはようございます。どうかされました、さん。そのようなお顔で……」
「あれじゃろ、お前さん真田と一緒のクラスだったんじゃろ」
するとさんは耳まで真っ赤に顔を染め上げ、手をもじもじさせています。どうやら図星のようでした。そのまま友達に挨拶をしてくると言い残し、驚くほどの早さで私達の下へ戻ってきたのですが、鮮やかなピンク色に頬が染まったままです。
「クラス、真田と柳生と一緒です」
「おお、よかったなー!これであのかったい頭を和らげるチャンスが増えたの」
「もー、そーいうこと言わない!」
「私もさんと同じクラスなんですね」
「そうなの。柳生も一年よろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします。仁王君、私達も自分の目で確認しましょう」
「おお」
仁王君がいろいろとさんをからかうような言葉をかけてさんを怒らせていましたが、彼女も満更でもなさそうです。それもそうです、意中の真田君と同じクラスになれたんですから。それにしても私も彼らと同じクラスとは、なぜだかいいようのない不安が脳裏をよぎります……。
「お、俺はB組か」
「おっ、仁王近いね~」
「そうじゃな。にもすぐに会いに行けるの」
またまた仁王君はそうやって茶化すものですからさんがじろりと仁王君を睨んでいます。全くこの二人は一年生の時からこんなやり取りを続けてて飽きないんでしょうか。仲が良いといえばそうなのでしょうが。他の女子生徒ならばここで仁王君の言葉を本気にとってしまう方も多いのですが、本命がいる上に付き合いの長いさんには調子のいい冗談にしか聞こえません。私達は掲示板の前の人だかりから離れると、かなり目立つように腕を組み仁王立ちしている真田君が私達を待ち構えていました。隣に柳君もいます。それに気づいたさんは驚いたのか後ずさりをし、仁王君の横にぴったりくっついて真田君を見上げています。さんがそんな様子ですから真田君の不機嫌さを表す眉間の皺がより一層深くなってしまいました。
「おはよう、掲示板はもう見たか?」
「おはよう。う、うん、見たよ」
「お前と同じクラスなのは一年生以来だな。またよろしく頼む」
「うん。こちらこそよろしくね。柳生も同じクラスだよ。ね?」
唐突に話題を振られたので私はハッとして、よろしくお願いしますとすかさず真田君に伝えると真田君は「うむ」と満足そうに頷いていました。さんも真田君に会えてとても嬉しそうに頬を緩めていますし、どうやら真田君も照れているようです。帽子を深くかぶりなおしたのがその証拠でしょう。柳君はF組と随分離れたクラスで、幸村君の次に柳君と仲が良いさんは残念そうにしていました。もうすぐ始業ベルが鳴るので私達はそこでクラスごとに別れ、真田君とさん、私の三人で新しいA組へと向かいました。担任の先生は大雑把と有名な歴史の高橋先生で、長々と話をしないところが人気と噂のようです。3分もたたない内に先生の話が終わってしまうと、部活別でグループを作り自己紹介をすることとなりました。さんはどうやら真っ直ぐ真田君の方に行くのは気恥ずかしいようで、まず私の下へ来ました。
「今更自己紹介しなくたっていいのにね。もう知ってる人結構多いし」
「ですがやはり知らない人もいますよ。私がさんのご友人の村田さんを存じ上げなかったように。さん、真田君を呼んできてもらえますか?」
「う、うん」
さんは少し目を泳がせてから真田君を呼びに行きました。こちらへ向かってくる二人はとても幸せそうな顔をしています。こんなに遠目で見てもお互い想い合っていることが分かるのに、どうして本人達だけ気づかないでしょうか。恋とは不思議なものです。そして恋をするレディというのは一段と可愛らしく見えるものですね。普段は主導的にてきぱきと仕事をこなすさんが真田君の前だとほんの少し、しおらしくなるところが特に……。
「副部長から、柳生で、あたしの順で発表ね」
「では部の代表として今年の抱負を掲げればいいだろうか?」
「じゃあ真田は部の代表で今年の抱負と、自分の抱負でふたつ。あと、今からあたしが軽く原稿書くから真田はそれと違うこと言わないでね」
「なぜだ?」
「だって真田余計なこと言いそうだし、聞いてない人間とか見ると睨んだりして怒っちゃうでしょ。部活ではそれでいいけど、新しいクラスの人達から一人でも多く大会までテニス部を応援しに来てくれる人を作らないと!」
「しかし、人が一生懸命話しているというのにだな」
「部活とクラスは別ったら別!!」
少し語弊があったかもしれません。以前よりはさんもおしとやかになったかと思ったのですが……。普段はここまで意識して二人の会話を聞いていない私ですが、こうして聞くと以前からなにも変わっていないようです。部活でよく見る光景に、思わず溜息が出てしまいます。
「柳生?聞いてる?」
「あ、はい。少し物思いに耽っていただけです」
「全く、しゃきっとせんか!これからまた一年が始まるのだぞ!」
「あー、始まった始まった。ほらほら、柳生もなに言うか決めちゃってよね」
すると話を遮られた真田君がまた不服そうにさんに口出しし、痴話喧嘩となったそれに巻き込まれる私はこの二人に公衆の面前での恋愛での作法を教えようと心に決めたのでした。
(200530 修正済み)
(090106)