参謀の思惟


昼休みの時間に俺は大抵、図書室にいることが多い。今月の新書もチェックしておきたいので今日もまた一度足を運んだ。何冊かよさげな本を物色していると、つんつん、と誰かが腕をつついてきた。振り返る前に誰なのか予測しよう。我らが立海大附属男子テニス部マネージャー、である確率100パーセントだ。


「やーなぎ」
「やはりお前だったか」
「まぁね。そういえば最近あんまりここで会ってなかったね」


はそう言うと、ハマっているらしい『魔法使いと悪魔の火』の原書を手に取り空いている席へと着いた。俺もと向かい合わせに席へ着く。俺たちは度々図書室で会っては、こうやって他愛のない話を交えて過ごしている。


「原書で読むとはさすがだな」
「まぁ分かんない単語あってもスキップしながら読めばいいしね。どうしても気になる単語だったら辞書使えばいいし。それより柳が読んでる本の方が難しそうなんだけど?」
「そうか?お前が熟読すれば理解できると思うがな」
「あいにくそんな集中力は持ちえていませんのでね」


ぱらぱらと流し読み程度には本をめくる。本人はそう言うが、語学のセンスはなかなかなものだと思うのだが。これは彼女の場合謙遜でなく、本音なのだ。ただ、彼女にとって机の上でじっと勉強するのは苦痛と感じられてしまうのが惜しいところだ。


「ねぇ柳には予測できないものって、ある?」
「いつも唐突だな、お前の質問は」
「じゃあ、あたしの今みたいな質問は予測できない?」
「正直なところ微妙だ。予測できなくはないが、当たる確率が高いわけでもない。お前の思考の癖として、その時々にあった出来事に関連付けて物事を考えるところがある。だが、その関連付けの部分で突飛な部分も多い。そこをデータで紐解いても、近い答えにはなるが同じような答えとして出すのはなかなか難しい。誤差の範囲が他の者と比べると広く想定せねばいけない」
「つまり、思考回路がおかしいと」
「そうは言ってないが、お前が皮肉って考えればそうとも言えるな」


そうかぁ~と俺の分析方法を言ったところで特に気分を害したこともなく受け取って答えるは通常の者との反応とはちょっと違う。同級生にこんな風に切り返すと少し居心地の悪そうな顔をされる場合が多いがの場合、相手が真剣に話していることを自分なりに解釈するために感心し、その言葉達を咀嚼する。それに傷つく様子も全くなく、もしそうだとしても相手に気遣って傷ついたことは悟られないよう自然に振る舞っている。勿論俺は彼女が傷つかないギリギリのラインの言葉を選び説明をしているが。


「例えば」
「例えば?」
「お前はよく歌を歌っているだろう」
「えっ、そうなの?」
「無意識か?」
「いや~……うん、確かに歌ってること多いかも?うーん、意識してる時としてない時があるかも」
「そんなところだろう。お前はよく歌を歌ってはいるが、俺はその選曲を正確に予測はできない」
「マジで?」
「マジだ。体育の時の種目がバレーボールだからと、『アタックNO.1』のテーマを選ぶにはあまりにも安易なので分かりやすいが……。なぜ急に『ベルサイユの薔薇』のテーマを歌い出すのかとかだな」
「だって両方絵がキラキラしてるじゃん?」
「その程度だと予測は無論、可能だ。しかし『仰げば尊し』の次にはなぜ『泳げたい焼きくん』を歌い出す?」
「……気分?」
「だろうな。データを集め法則性が出来てもお前はそれをいとも簡単に裏切ることがある」
「おお、立海大附属テニス部の参謀と謳われる柳蓮二でさえ予想ができないものが!」


はわざと仰々しく嬉しそうに声を上げると、ここが図書室だと気付いてか少し身を縮めた。司書の人もを先ほどから何度かちらちらと見ている。まぁこの程度なら表立って叱られるということはないだろうが。


「だがもう一つ予測できないものがあった」
「え?何それ」
「お前が弦一郎に恋をする、ということだ」
「ぎゃー!!」


が思い切り声を上げたのでさすがに司書の人から静かにしろ、とお咎めの言葉がきた。一年の時に同じクラスだった時以来からバラエティに富んだ反応ばかり見せるのデータは狂わされてばかりだ。


「ばっか、柳!そういうことを大声で言わない!」
の方が声が大きいぞ」
「……ほんとに予測できなかったの?」
「そうだな、お前が弦一郎に恋する確率は……。データ収集不足だな」
「ふ~ん……」


は顔を赤らめて大袈裟な素振りをすると、それを誤魔化すように自身が持っている本に興味を向けるように振る舞った。はどちらかというとこういった類の話はとても苦手らしい。しかし精市が言うように、が誰かに恋するのであれば俺か精市の方が弦一郎より遥かに確率が高かったのだ。ただの自惚れか、それともデータ分析のミスかそれは俺にも分からない。


「せっちゃんに、柳を好きになったのかと思ったって言われた」
「精市が本当にそれを言ったのか?」
「うん」


思わず彼女の言葉を反芻してしまった。俺は白を切ったが、まさかから話題を振られるとは思わなかった。彼女は頷いた後、うーんと唸り出す。するとしばらくの後、意を決したように俺に向き直った。


「でも確かに、あたしほんのちょっと柳のこと好きだったかも」
「……そうなのか?」
「それが恋なのかとかはわかんない。でも今はせっちゃんと同じ感じかも。お兄ちゃんみたいだもん、柳は」


あーあ、でも好きなんてよく分かんないやーと言って椅子の背もたれによりかかり腕を気持ちよさそうに伸ばすは、俺に気持ちを打ち明けたとは言い難いほど飄々としている。それは多分恋愛でいうところの好きじゃないからかもしれない。こんな風にあっけらかんと言える恋愛感情など事実としてなかったにも等しい。しかし、の発言に俺はやや驚いた。よく分からないが、きっと精市と俺はの中で異性の中でも恋愛の対象にされなくとも特別の扱いにされているのではないかとの今の発言で思えた。恋愛対象として好きだったと言われたらそれはそれで気持ちの処理に困るが俺はのことは異性としても意識している仲の良い友人ではあるし、きっと俺の中と同じ位置づけにの中には俺がいるように感じた。そしてはそれを確実に言葉にしてくるので俺は一方通行の思いを抱く自惚れではないと信じきれるのだが。


「あっ……ヤバ、今日放送当番じゃん!」


途端はその大きな瞳を見開いて立ち上がると彼女にとってタイミング悪くガラリと図書室のドアが開いた。そこには鬼のような形相でを捕らえに来たらしい弦一郎が仁王立ちしている。そういえばは放送委員だったな。しかし図書室にての弦一郎の登場の仕方はやかましく、さすがにどうかと思うが……。


「ここにいたのか、!!今日はお前が放送当番だろう!!何をしている?!」
「え、今月の風紀委員の呼びかけ当番、真田だったの?!」
「そうだ。だが今はそんなことはどうでもいいだろう!、早く放送室へ行くぞ!!放送開始時間まであと5分もないぞ!」
「は、はい!じゃあ柳、またね!」
「ああ」


は戦々恐々としながら真田の後に着いていき、ぱたぱたと忙しなく靴音を鳴らして行ってしまった。しかし真田が来た時のの表情と言ったら面白いものだった。急に真田が現れたことに驚きと共に喜びが顔に滲み出ていて、ああこれが恋する女性の顔なのだと俺は思った。顔を紅潮させていたが、すぐに平静を保とうと必死になっていたの顔を思い出すと自然と口元が綻ぶ。


ふと目の前の席を見ると急いでいたせいかが借りずじまいになってしまった本がぽつんと取り残されている。はいつもこの原書のシリーズを楽しそうに繰り返し読んでいたので、俺はの代わりにそれらを借りておくことにした。図書室には放送が入らないので俺は己の借りたい本ときちんと名義で彼女の本を借りる手続きを済ませてすぐに廊下へと出た。するとすぐにのよく通る、澄んだ麗らかな声が聞こえる。少し息を切らしているようだったが、すぐに息を整えて言葉に詰まることもなくスムーズに原稿を読み上げている。確かは一年生の頃から朗読やスピーチといった類の物が得意だったな。その後に若干声が大きすぎて音割れしている弦一郎の声が替わって聞こえてきた。奴の声もまた、聞き取りやすいが少々熱を上げすぎてマイクが悲鳴を上げている。マイクや放送機器を介して離れた場所から同胞の声を聞くとはなんとも言えない不思議な気分だ。


俺は本を持って放送室へと向かう道にて音楽が流れ出したのが聞こえてくると、裏で弦一郎にさんざん叱られているを容易く思い描くことが出来た。彼女はいつもそれに対して大層強気な顔をしているが最近は満更でもなさそうに、しかしそれでも負けじと反論する姿勢はそのままだ。この場合が悪いので平謝りしているだろうが。しかしそんな彼女を頭ごなしに叱る弦一郎から俺がのフォローに回れば、ひとたびは俺の背後に回って隠れるであろう。そして俺が持ってきた本を見ては破顔させるのだ。そして弦一郎がを甘やかす俺を見ていい顔をしないという確率もまた、100パーセントだ。


(200511 修正済み)
(081118)