ボクたちオトコのコ
運動する際に欠かせないテーピングや冷却スプレーなどの補充のため、俺は薬局へと出向いた。近頃の薬局は薬だけではなく、食品などの日用品や化粧品までありとあらゆる物が陳列している。スーパーなどに行かなくとも全てここで事足りそうな程だ。愛用しているメーカーの製品をカゴに入れ、レジへと清算しに行こうとした道中にふと整髪料のコーナーへと目が留まる。そういえばが合宿の時俺の髪に使用したのは、ヘアーワックスと言っていたな。俺は周囲に知り合いがいないというのを確認すると、整髪料のコーナーへと入っていた。ふむ、ヘアーワックスといってもたくさん種類があるのだな。女性用と男性用とでも分かれているのか。俺はが使用したらしき見覚えのある形のワックスを手に取り、あの時の出来事を思い返す。
そういえば以前、が俺に熱心に恋愛について説いていたが、の真っ直ぐな眼差しがなぜだか忘れられなかった。彼女にあのような迫力でに押し切られたのは初めてのことだ。あそこまで熱意を持って思いを語ることが出来るほどだ、確かに恋は人を変えるのかもしれん。の印象と言えば、普段はおちゃらけていることが多い。部での仕事ぶりは真面目に尽きるが、よく冗談なんかを言って場を和ませている。一年の時に同じクラスになり、その当初から非常に友好的に人に接していた。いつも堂々と意見ははっきり言えど、今回のようにあそこまで何かを熱く語られたのは初めてのことだ。そして、あんなにを熱心にさせる者は誰なのかが少々気になるところだ。あまりそういう男女間の浮ついた噂に興味がないように思っていたが。恋に落ちたと言うべきであろうか……そのような状態にがなったのを初めて見た。幸村と仲が良いのは昔から知っていたが、相変わらずな二人を見るにどうやら想い人は幸村でもないらしい。……初恋なのだろうか?それにしても一体の心境に変化をもたらした奴は誰なのだろうか。果たして、そいつはうちの部にいるのだろうか。
あの時から何故か、時折この疑問が自分の思考を占める時がある。は男女隔てなく付き合っており、皆と仲が良い印象を受けるがその中で彼女の特別になる奴は一体どんな者なのだろうかと。……くだらん。のいう相手を想う事自体はくだらなくとも、俺がの想い人のことなど考えなくともよかろう。それに何故それを俺が考える必要があるのだ。自分の胸が高鳴っていることを誤魔化すように言い聞かせた。気付くとレジで精算する際、カゴの中にヘアーワックスが含まれていた。そしてそれは既に、赤外線でバーコードを読み取られてしまい虚しくも元あった棚に戻すことは叶わなかった。
休みが明け、今日は月曜だ。残っている最後の授業を終えれば昼休みとなるものの、すでに腹の虫は鳴り始めている。だがしかしここで気が早いそこらへんの男子のように早弁などたるんだ真似を俺はしない。定時に食うのが基本であろう。横目で早弁をしている不埒なクラスメイトを見やると、次の授業の準備をしている時に俺の名を呼ぶクラスメイトの声が聞こえた。
「真田くーん、が呼んでるよー」
「……分かった」
が俺を呼ぶのに思い当たるのは、先日の部費の予算をまとめたデータの提出についてのことだが……。
「何だ、」
「あ!真田、あー、あの、あのね」
俺を呼び出したのはいいが、語尾を濁してもじもじ答えるに俺は眉を顰めた。いつも物事をハキハキと言いのけるに、そのーとか、あのーと言いづらそうにしている今の様子は珍しい。
「用があるのならはっきり言わんか!」
「あ、あのね、英語のさ、単語帳を貸してほしいんです、けどー……」
「何?!また忘れ物か?!たるんどるぞ!」
俺が怒鳴るとは反射的に肩をビクッと震わせ、しかし不満そうに口を尖らせた後に深く溜息をついた。む、忘れ物をしたのにも関わらず反省の色が見られないようだ!
「溜息をつくとは何事だ!」
「忘れたのはあたしのせいじゃないんだってば。赤也に貸した後から、単語帳返ってこないの」
「……赤也に?」
「そう。赤也、英語苦手でしょ?だから最近赤也が小テスト前の休み時間とかにウチのクラスに来てて、あたしが面倒見てたんだけど。その時に単語帳持ってかれちゃって……」
確かに英単語帳は通年で使うものだ。それにしてもが赤也に英語を教えていたというのに少し驚いた。確かには英語が得意で、英語の成績は学校でもトップクラスだと知っている。面倒見が良いのは分かっていたが、そこまでしていたとはな……。
「む、そうだったのか……。それは怒鳴ってすまなかったな」
「ううん」
俺は急いで机に単語帳を取りに行き、廊下にいるに渡した。しかし、彼女は俺に怒られるのを避けていつもは蓮二か他の連中に借りにいっているだろうになぜ俺のところに来たのだろうか。
「柳はね、今体育でいないの。だから真田に借りにきたってわけ」
「そうか」
「うん。それじゃ、これ返すの、部活の時でいい?今日はもう英語の授業ない?」
「ああ」
「そっか。わざわざありがとね」
「構わん。それにしてもお前が赤也に英語を教えているとは感心だな」
「一応帰国子女ですから。それに赤也の方から教えて下さいよーって縋ってきたんだからね!テストのたんびに真田に怒られるのが、相当応えてるみたいよ?」
先ほどのうんざりした顔とは打って変わっては柔らかく微笑んだ。花が咲いたような笑みに一瞬ドキッとしたが、俺はすぐに平静を保とうと咳払いをする。
「あいつがいつもちゃんと勉強しないのが悪いのだろう」
「勉強したって苦手なものだってあるよ。まぁ、赤也の場合は苦手な上にやらないんだろうね。苦手なことをやりたくない気持ちも分かるけど」
は赤也のことを思い浮かべてか、クスクスと笑うと教室に飾られている時計に目をやりクラスに戻ると俺に告げた。それもそうだ、もうすぐ次の授業が始まる頃だ。なぜかその時だけとてつもなく時間が早く過ぎていく錯覚に囚われた気がする。この前からというもの、俺は一体どうしたというのだ!
は規定よりも少し短めのスカートを翻し、肩より長い黒髪を揺らして廊下を歩いていき、その様を思わずじっと見つめていれば、幸村がを見つけたようで二人は談笑しながら一緒に教室へと戻って行くのが確認できた。それを俺は見届けてから彼女を長らく見つめていたことに気づき、何故か居心地の悪い思いをした。そして、あのの頬を赤く染めるような奴は一体誰なのかというあの疑問が、脳裏に蘇ってきた。嗚呼、せっかく忘れかけていたというのに。授業が始まってからもその雑念に再び悩まされたが、部活が始まってからは忘れることが出来た。しかし、その悩ましい疑問は帰りにに単語帳を返してもらう時に思い出してしまったのだが。
(200508 修正済み)
(081112)