やんちゃボーイズ・アンド・ア・ガール
本日未明、は今俺たちが寝静まっているはずの部屋へ、朝早いのにジャージ姿で寝癖ひとつなくヘアーワックスと携帯ヘアーアイロンを持ち込んでいる。……枕が変わって眠れなかったのだろうな。そんながいる部屋に滞在するは俺、真田、幸村そして柳生。しかし今現在すやすやと無防備に寝息を立てているのは、真田と柳生だけだ。
「ほら、真田の寝顔だよ」
「そ、そんなの分かってるよ!」
「静かにせんと真田達が起きるじゃろ」
「あ、そうだった……」
は顔を真っ赤にして幸村に反論したが、その大声じゃ真田達を起こしかねない。がなぜここにいるか。説明すると幸村の髪の毛をいじりにきたらしいのだ。に寄れば彼のウェーブがかった髪を一度さらさらツヤツヤストレートにしてみたいとのこと。しかし今のはそんな目的も忘れて真田の寝顔に見入っている。そんなにウチのマネージャーは真田に惚れこんでおったか……。
「……仁王」
「なんじゃ」
「ここに男物のヘアーワックスもあるのだよ」
「……」
そうやって俺に向けた眼差しは何よりも輝いていた。真田の寝顔に惚れ惚れしていると思ったら、は何を思いついたのか手をうずうずさせている。が何をしようとしているのか察した。そしてその面白そうな案にすぐ乗ることにした。こいつの血はたまの悪戯をするときに騒ぐのだ。
「なんだよ、二人とも……俺が分からないようにアイコンタクトするなんて関係にいつからなったんだい?」
「そんなこと言ってないでさ、せっちゃん。これから面白いことするんだからさ。あっ、なんならせっちゃんも手伝ってよ!」
「?」
幸村が威圧感たっぷりの笑顔を俺に向けつつ、の要望に応じる。はそんなことを気にする様子もなく幸村に真田の足元にいるよう指図し、俺とは真田の枕元にいる。はフフフと気味の悪い笑みを浮かべながらヘアーアイロンとハードワックスを両手に構え、それを見守る幸村の表情は髪に隠れてよく見えなかったがが異様な空気を放っており俺は恐れ慄いてしまった。
「一回、真田の髪の毛いじってみたかったんだよねー。前髪を重めに巻いて固めてみたらどんなんなるかなぁ?」
「せやのう、面白いことになるっちゅーのは確かじゃなぁ」
「それより真田、もうそろそろ起きないの?4時にはいつも起きてるって聞いたけど」
「昨日は遅くまでブン太たちがいて騒いだりしてたからね、寝付けたのはきっと10時過ぎだから普段より少し遅く起きると思うよ」
なるほど、と幸村の説明に相槌を打ちながらは器用に手を動かしていく。これだけ髪を触られているのに、起きない真田も真田なんだが。幸村は先程一瞬見せた身の毛がよだつようなオーラなどなかったように振る舞っている。いや、しかしあれは錯覚ではなかった。俺は楽しそうに真田のヘアアレンジをしているの手伝いをしながらはヘアーアイロンで少し上向きに巻いた真田の髪を今度はワックスを撫で付けている。幸村の役目は、真田が急に起きた時取り押さえる役目らしい。それが恋する女のやることなのかは疑問なところだが……。
「それにしても柳生も起きないもんだねぇ」
「柳生も昨日遅くまで本を読んでたみたいだからね。丸井君たちが騒いでるおかげで眠れませんって文句言ってたし」
「ふーん」
は柳生の眼鏡を外した寝顔を少し覗いただけで、それ以降は真田しか眼中になかったようだ。まぁはよく柳生が眼鏡をかける前を横から盗み見して、素顔を何度も見ているからな。しかし柳生の素顔が貴重じゃない女子もコイツぐらいだろう。
「よしっ!出来たっ、結構似合ってない?やばい、あたし超天才かも~」
「どれどれ……。フッ、ククク。うん、いいんじゃないかな?」
「まるで別人じゃのう。……くくっ」
真田と柳生を起こさないよう声を押し殺して笑おうと試みたが、それは真田の変わり果てた髪型を見た俺たちにとっては到底無理な話で、俺たちは急いで部屋から出て後で堰を切ったように大笑いしてしまった。その後しばらく幸村は笑い転げていた。は真面目に真田にその髪型が似合ってると思っていたのか、それをよそに真面目な面持ちで写真撮ればよかった~と口惜しそうにつぶやき、じゃあ俺は髪が潰れないよう帽子を隠しておくねとか相変わらず仲良さそうに好き勝手言い合い、お互いの部屋に戻っていった。
時間帯的にもうすぐ真田も柳生も起きそうな時間なので、幸村の髪をストレートにするのはまた明日にすると言っていた。それにしてもあの真田は傑作だった。まるで間違ったオシャレをする男子中学生で、顔との均衡が全くと言ってもいいほど保たれておらずなんともいえぬ笑いを誘う。ぷぷ、これは皆が起きた時大変なことになるのう。
が去ってしばらくしてから、ようやく真田が目覚めた。柳生もそれに続くように起き、眼鏡を素早く装着して俺らに朝の挨拶をしすぐさま身だしなみを整えるため洗面所へと向かった。流石、ジェントルマンと言われるだけはある。真田は時針が指す時間を眠そうな目をこすりながら、「む、寝坊するなど鍛錬が足りんわ」と不満げな声を上げていたがすぐに立ち上がっててきぱきと布団を片付けだした。起床時刻からそこまで遅れてないのに、流石と言おうか。
「幸村、仁王早いな。おはよう」
「おはよーさん。たまに早く起きるのもよかね」
「ああ。早く目が覚めたものでね」
「洗面所は今柳生が使っているようだな」
「そうだね、しばらく洗面所にいるだろうから先に着替えるといいよ」
「そのようだな」
と、真田は自分のヘアスタイルの大きな変化に気付くこともなくジャージの袖へ腕を通していた。幸村は真田が見ていない間にニヤニヤとしているので俺もそれにつられて頬が多少引き攣ってしまう。柳生がいつもの姿でようやく洗面所から出てくると、真田の姿を見て少し後ずさって怯んだ。
「さ、真田君、その……その髪型はどうされたんですか?!」
「なんだ柳生、何かおかしいのか?」
「おかしいということはありませんが……」
「寝癖がついてるのかもしれんな」
真田は軽く自分の髪を触り、違和感を感じて鏡を確認しにすぐに洗面所へと向かった。すると次の瞬間思ったとおりの真田の悲痛な叫びが耳を貫く。鼓膜が破れると思うた。すぐに幸村がしてやったり、と笑みを浮かべ洗面所へと向かう。真田もそんなにいい反応をするからいいカモにされるんじゃき。
「な、な!!!どうして俺の髪がヘルメットみたいになっているのだ?!これでは前が見づらいではないか!!」
「ああ、真田いじっちゃダメだよ」
「幸村?!」
「別にそれは寝癖じゃないよ。ワックスで整えてあるんだ」
「ワックス?それは床や車にかけるものではないのか?!」
「ヘアーワックスだよ、真田……。整髪料なんだ。とにかく、今日君は風呂の時間までその髪をいじってはいけないよ」
「何故だ!」
「(なにゆえって……)俺が真田の帽子を預かっているんだ。返して欲しかったら、今日は一日中そのままその髪型でいることだね」
フフ、と幸村は満足気に口角を上げ、真田は俺が何かしたのか?!と慌てふためいていた。確かに真田は幸村に何かをしたのう。俺がそう呟くと、真田は眉間に深く皺を寄せ訳が分からないといった顔をしている。普段だったら威厳のあるその顔も、愉快な髪型のせいで笑けてくる。おお、おお。真田は大変なことをしでかしたもんじゃ。
「仁王、お前は何か知っているのか?」
「まぁ検討は何となくつくかの。そうだとしたら、お前さんは一番やってはいけないことをしたもんじゃき」
「一番?何か幸村の気に障ることか」
「……さぁ」
「……では、それは俺自身が気がつかなければ意味がないものなのか」
「そういうことになるかの」
まぁその髪で一日頑張りんしゃい、と手を振って言うと真田は自分が幸村に何をしたのかと悶々と悩んでいた。そう、お前は一番やってはいけないことをしでかした、真田。の心を奪うということをのう。
その日、真田とすれ違う部員という部員が、その髪型について驚きやひやかしなど、様々なコメントを残していった。その度真田はぐっ、と何かをこらえるように眉を顰め鋭い眼光で睨み返すのだった。幸村に何かしたのかを思い出せず、かといってこの仕打ちに下手に文句を言えないのだろう。しかし、親しい同級生と一番手のかかる後輩に絡まれた時には流石に皆の耳に空けようというほどの大声で言い返していた。
「ブッ!!……真田先輩、マジどーしたんスかその髪型!」
「とうとう色気づいたのかよ、真田!!」
「ばっ、ばかもん!!どうしたこうしたも、朝起きたらこのような状態になっていたのだ!!」
赤也と丸井がゲラゲラと笑い転げたので、怒った真田はもう一度叱り飛ばしたが二人の笑いは止まない。そりゃそうだ、だってこんなに真田が面白いことなんてなかなかない。しかしその後のジャッカルの核心をついた言葉で、事態は急転させられる。
「そ、そりゃ他の誰かに髪いじられたってことじゃぁ……」
「俺が幸村を怒らすようなことをしたらしく、幸村にこのままの髪型でいろと言われた」
「それでは精市がやったということになるが、精市がヘアーワックスを好んで使うとは聞いたことがないな」
鋭く柳が横入りする。柳は真田の髪型に驚いたものの、似合っているではないかと先ほど言ったばかりだ。うちの参謀は抜け目ないくせに感性がたまにズレている。
「む、それでは幸村がやったということではないではないのか……」
「そうなるな。お前と同じ部屋だった奴は他に仁王と、柳生だな?しかし柳生がそのような悪戯をするとは考えられないな」
「そうだな……」
消去法で矛先が自然と俺に向く。しかし俺は真田にすぐ分かるような悪戯などせん。そんなおっかのうて面倒くさいことするわけないってえの。それは参謀がよーく分かっとることじゃけぇの。
「同じく、仁王がやるのも考えられない。弦一郎をわざわざ怒らせることするくらいなら他の奴にちょっかいを出すだろう」
「では誰が一体このようなふざけたことを……」
「丸井とジャッカルは有り得ないな、俺が目が覚めた時にはまだ寝ていたからな。ついでに赤也は朝食の時間に寝坊してきている」
となると……、と笑いをひたすら堪えているへと柳の目が向けられた。やばいぞと思った瞬間、さながら名探偵のような鋭い指摘で参謀はその答えを導き出した。
「お前と特に親しい者は他にこの部にはいないな、弦一郎?となると、今朝幸村の部屋へ行くと約束していたが犯人ではないか?」
は笑いを堪えながらもこちらの会話に聞き耳を立てていたらしく、会話の着地地点に不安を感じそっと宿舎に戻ろうとしたがそうともいかず真田が仁王立ちで立ちはだかり、すぐに捕まった。ああ、哀れな。
「待たんか、!」
「ひっ!」
「どこへ行こうというのだ」
「ちょ、ちょっと宿舎に用があったの思い出してね……?」
「フン、では聞く。正直に答えろ。俺の髪をこんな形にしてくれたのはお前か?!」
はぎゅっと唇を噛み締めていたがそれも虚しくみるみる内に口角は上へ上へと上がっていき、ぷはっと息を吐き出した。そしてまたすぐに口をきつく結んだ。しかし、どうしても頬の筋肉が上に引っ張られるのを隠せない。そうだ、ウチのマネージャーは思ってることを顔に出さずにはいられない!
「あ……たしです、ごめんなさああい!!」
「!!」
「ごめ、ごめん。真田、ちょっとした出来心だったの」
「出来心も何もあるか!俺にこんな仕打ちをして一体どういうつもりだ?!」
「どうもこうも、最近よく見るバンドマンの髪型をやってみたらどうかなーって……ってウソです、ごめんなさい!」
は必死にぶんぶん首を振ってはいるが、あまり申し訳なさそうには見えない。これに思いっきり腹を抱えている赤也と丸井をいまだかつてないほどの睨みを真田は利かせるとすぐにその睨みをに向けた。
「出来心で人に悪戯してはいけないと、いつも言っておろう!」
「ハイ……」
「お前にとっては出来心だったとしても、やられた本人は不快な思いをするだけだ!」
「真田は不快だったの……?」
「不快に決まってるだろう、俺は笑い者にされているのだぞ!」
そっか……、とは呟き、俯くと目をうるませてぐすぐずと鼻を啜りだした。今度は本心から申し訳なく思っているらしく、ごめんなさい……、と小さな声で謝罪している。急にが泣き出したので真田は目を丸くし慌てだした。するとどこからか幸村が颯爽と現れの肩に優しく手を添える。
「真田、ちょっとばかりがお茶目な悪戯ををしたからってキツく当たり過ぎじゃないか?決してお前を笑い者にしようと思ってしたことじゃないのは俺も見てたから分かっているし。それに、だって女の子だよ?」
「だがしかし……」
「そんな風に頭ごなしに、こんなことで高圧的に叱るのはよくないよ。ほら、も泣かないで」
は頷くと真田は余計に気まずそうな顔をしている。幸村の圧倒的なフォロー力に圧されている。先輩たちも外野から、マネージャーを泣かすなよーと野次を飛ばしてくるせいか、なぜか真田が悪いようにも見えてくる。どうすれば収集つくのか分からないこの光景に、柳が介入してきた。
「弦一郎、そう叱ってくれるな。のやり方に配慮は欠けていたとはいえ、このヘアスタイルは一般的な中高生にとって流行りの髪型だ。好奇心旺盛なのことだ、今どきの髪型がお前に似合うかどうか知りたかったんだろう」
柳は本気なのかどうかもわからないが、真田を見据えながら淡々とそう言うと先程まで怒っていた本人はなんだったのやら、真田は慌てふためき頬を上気させた。
「俺も似合うとると思っとうと」
「イケてるんじゃないスか?」
「俺も結構いいと思うぜ!」
俺の助け舟に乗じて赤也も丸井もノッてきて、挙句の果てにはジャッカルそして先輩たちでさえ結構いいよなと頷きあっている。真田はワケが分からない、という顔をして辺りを見回している。そんな真田に、最後の止めの一言をが発した。
「あたしもよく似合ってると思うよ?」
まんまとしてやられた。真田は完璧にやられてしまった。あまりのことに思考が追いついていないのか目を見開き彼女を見つめたが、すぐに視線を気まずそうに逸らした。俺が見た限り頬が燃え上がったように赤く染まっていた。
「そうか……?」
「うん。斜めの重ためバング、ほんとに似合ってるよ真田」
「……フン、言い過ぎたことは謝る。だがこういった悪戯は控えるようにしろ」
「うん。あたしこそ嫌な思いさせてごめんね」
は泣き止み肩をすくめてしおらしく言う。斜めの重ためバングの意味が分かっていない真田は明らかにに翻弄されていた。真田は被ってもいない帽子のひさしを掴もうとしたが、それもできず手持ち無沙汰でいた。温かい沈黙が流れると容赦なく幸村が「じゃぁ練習に戻ろうか」と声かけ、幸村の一言で気持ちを引き締めた部員たちが走りこみに行った。俺たちもそれに続いていったが、振り返って見る真田は満更でもなさそうだ。本当に単純な奴じゃのう。
そして走り込みの後俺は聞いてしまった。幸村にドリンクを渡すにこっそりと幸村は「も大した役者だよね。俺も一瞬騙されたよ」と言うとはにっこり笑って「まぁ、本当に似合ってると思うしいいじゃない」と返していた。そう、先ほどののは嘘泣き。詐欺師と呼ばれる俺でさえ少し目を疑った。しかし最終的には話を盗み聞きした俺と嘘泣きを見抜いた幸村だけが、彼女の嘘泣きだと知っているらしい。
ウチの神の子も恐ろしいったらありゃしないが、おお、それ以上にウチのマネージャーの恐ろしいことったら!
(200506 修正済み)
(081107)