王様だーれだ?


五月の終わりごろ、合宿の季節となった。幸い2泊3日の合宿には五月雨も止み、スケジュールが滞ることもない。そのおかげで部員たちはりきっている様だ。今年も他の学年にマネージャーがいないので、昨年同様あたしは女子一人で合宿に臨むこととなった。やることは普段の練習とさほど変わりはないので問題はない。なにが一番大変かって、最終日の長距離走だ。部員ごとのタイムを細かに書き込み、ドリンクを通過ポイントで配る。この恐ろしく長い道のりが、立海大附属中学校テニス部の第一関門とも言える。この合宿を乗り越えてこそ、真のテニス部員と言えるらしい。確かにこの合宿で心折れ、退部する者も少なくはない。あたしはみんなが走る道に砂利や邪魔なものがないか例年チェックしているのけれども、コースには坂が多かったりと多難な道のりで長距離走が得意なあたしでも一周しただけで大分体力を消耗してしまう。流石にこの仕事量をあたし一人だけでこなすのは無理なので、走るグループを分けて後輩にも仕事を手伝ってもらうんだけどね。そんなことはさておき、このバスでの騒ぎようったらまるで動物園の檻のよう。地獄の合宿の幕開けなんてことは、根性が据わってるみんなの頭にはないようだ。


「もー、ブン太お菓子ボロボロこぼさないでよねー!レンタルバスなんだから~」
「なんだよ、も欲しいのか?」
「いらない」
「やせ我慢は良くないぜぃ?なんか渋滞につかまっちまってるみたいだし、さっきからちっとも動かねぇしなあ」
「先輩たちゲームしましょ、ゲーム!」
「どんなゲームだい、赤也」


二号目のバスに乗っているメンバーはえらい賑やかだ。仁王と柳生はトランプしてるし、ジャッカルと赤也はゲーム機をピコピコ鳴らして遊んでるし、お菓子を食べ散らかすブン太にそれをよそに柳は本なんか読みふけっているし。真田は静かにせんか!と先ほど後輩を叱り飛ばしたのだけど、一時は凍りついた空気もすぐにまた戻ってしまい彼は酷く苛立った様子。そんな時、ゲームに飽きた赤也の提案はせっちゃんの興味をそそったらしく二人共随分乗り気だ。……それにしても柳は揺れるバスの中で活字を読んでて、よく気持ち悪くならないなぁ。


「王様ゲームっスよ、幸村先輩!ラッキーなことにこのバスにはセンパイがいるし楽しいんじゃないスか?」
「そうだね、女の子がいる王様ゲームなんて夜だと出来ないしね」
「お、それはいいのう」
センパイは強制参加ッスね!」
「あたしをダシするのね……」
「私は遠慮させて頂き……」
「ヒロシも勿論やるよな?ジャッカルも!」
「俺もかよ!」
「真田も柳も勿論やるじゃろ?」
「たまにはそういうのもいいだろう」
「む、なんだその王様ゲームというのは……?」


赤也が真田先輩、王様ゲームも知らないんスか!と驚いていると真田が気に障ったようにムッとした顔をしたので、せっちゃんが王様ゲームの概要を意気揚々と説明していた。ルール説明にそうか、と納得したようで参加することを承諾した真田。なんかちょっと、真田がこんなゲームに参加することって意外かも。


「じゃあ俺が今作ったくじを順番に引いてって下さーい!」
「ここはレディファーストでさんが一番に引くべきでしょう」
「だそうだよ、
「うん、ありがと。じゃあ、これかな」
「俺はこれ」
「俺はこれを引かせてもらう」
「そうだな……これか」
「私はこれですね」
「プリッ」
「俺はこれだな」
「よーし。ここは俺の天才的な勘で王様、ゲットだ!」
「じゃあ俺は残りの最後ッスね」


思い思い番号の書かれた紙を引く。残念なことにあたしの紙には1と書かれていた。あー王様、引きたかったなぁ。そう思いながらも、きょろきょろ辺りを見回して皆の顔を窺う。むむむ、誰が持ってるか分からない。するとブン太がこのゲームお馴染みの言葉を発した。


「王様だーれだ!」
「俺のようだ」
「げげ、柳かよ」
「何か文句でもあるのか、丸井」
「な、ないぜ!それじゃー、王様は早く指令を決めろぃ」


柳は少し考え込み、皆が持つ番号を見透かすように視線だけであたし達を見回す。柳の指令ってなんかものすごく嫌な予感がするんだけど。


「1番と4番はこのゲームが終了するまで、手を繋いでおいてもらおうか」
「1番と4番誰だー!」


よりによってあたし!しかも男子同士だったら文句の出る指令なのに!なんてことをしてくれたの、柳。それも真田の前で!!あたしは柳を睨みつけながら、渋々皆に告げた。


「あ、あたし、1番……」
「奇遇だな、。俺が4番だよ」


あたしの隣の席に座っているせっちゃんはニコニコしながらあたしの手を掴んだ。ヒュー!とかいうはやしたてるブン太にあたしはブン太をジロリと睨み返すと、彼はすぐに口笛を吹いて誤魔化した。まあ、手を繋ぐ相手がせっちゃんだからまだいいものの……真田の前でこんな!でも真田はあたし達が手を繋いでていても、何の興味を示すわけでもなく眉を顰めているだけだ。っていうか、このゲームの趣旨に関心してないみたい。……ってちょっと待って。手を繋ぐって、相手の手を軽く持つ感じで繋ぐんじゃないの?


「あのさ、せっちゃん、手……」
「なに?俺たちゲームが終わるまで繋がなきゃいけないんだよ」
「いやさ、その……繋ぎ方がさ?」
は俺と手を繋ぐのが嫌なのかい?」


せっちゃんが、少ししょげたようにこちらを見るので、あたしはううん、と言わざるを得なかった。そうだ、せっちゃんの手の繋ぎ方は指と指を絡める、いわゆる『恋人繋ぎ』なのだ。なにもせっちゃん、わざわざ真田の前でそんな繋ぎ方しなくたって、いいじゃんか!あたしは柳の方を恨めしそうに見るとすまない、と口ぱくで謝られたので柳を怒る気にもなれなかった。それよりも本当に、ゲームが終わるまであたしとせっちゃんはこのままなのか……。はあ、と思わず溜息が出る。バスには一刻も早くこの渋滞から抜け出してほしい気分。


赤也はテンションが上がってきたのか、楽しそうにあたし達の番号札を回収すると、再び皆に紙を引くよう促した。柳生の紳士的行動で、またもやあたしは最初に引くことになったけれど、やっぱり王様じゃなかった。今度あたしの手元にある番号は5番。神様仏様女神様この際閻魔大王様!どうかどうか、あたしが引いた5番が当たりませんように!!


「王様だーれだ!」
「ふふ、俺が王様みたいだね」
「「「(幸村……!)」」」


誰しもが心の中でそう叫んだだろう。せっちゃんは柔和に微笑んではいるけど、嬉しそうに何番に何させようかな~と悩んでいる姿は何をしでかすか分からず怖い。だって涼しい顔をしている柳とこのゲームのことがよく分かってない真田と飄々とした仁王以外震え上がってるのが、目に見えてるもん……。


「それじゃぁ2番は、この後自分が指名されるか、王様になるまで5番を後ろから抱きしめててもらおうかな」
「げー!それ男同士じゃ気持ち悪すぎじゃないッスか」
「どうやら男同士じゃないみたいだよ?」


せっちゃんはあたしが絶句しているのを見て、ね?と同意を求めてきた。ちょっとちょっとちょっと、せっちゃんあたしを嵌めたの?ってゆーか番号、もしかして見られたの?!いつ?!どこで?!


、俺は番号を見るズルなんてしてないしを嵌めようともしてないからね?」
「(思考が読まれてる!!)」


あたしは絶望して俯くと、仁王がまぁそう落ち込みなさんなと慰めてくれた。そりゃぁさ、あたしだってみんなのことは嫌いじゃないよ。でもほら、一介の乙女が、好きな人の前でこんな……こんな仕打ちって……!!


「それにしても5番は誰なんスか?」
「……俺だ」


眉間に皺がいつもより一層深く刻まれている真田が名乗り上げていた。あたしは瞬きを数回、ゆっくりと繰り返す。顔から湯気が噴出しそうだった。ちょっとちょっと、そんなのってなくない?!


「せっちゃん?!」
「席を移動しないといけないね。は小さいから、真田の席に一緒に座ればいいし俺たちが移動することはないか」
「そうじゃなくって!あたしの話聞いてる?」
「なに、は真田が嫌なの?」
「そういうことじゃなくて……ほら、真田が嫌そうでしょ?それにさっきの指令にも反しちゃうし……」


あたしはだよね?と真田に必死で同意を求めようとする。多分、あたしの顔はりんごよりも赤いことだろう。柳と仁王なんてにやにやしまくっている。なっっっっっっんて憎たらしい連中だこと!!


「このような破廉恥なゲーム俺は降りるぞ」
「真田はそんなにのことが嫌なのかい?友情のハグというだけなのに……」
「そ、そうではないが……」
「幸村君も強要しすぎではありませんか?それではお二人がやりづらいでしょう」


いつも強気な真田が、未知のゲームということもありせっちゃんのせいで言いくるめられて大人しくなってる。というか、あたしのことが嫌で真田がうんと頷いてしまってたらどうしてたの、せっちゃん?!あたしがパニックになっているところ、柳生が助け舟を出した。グッジョブ、柳生!お前は真のジェントルマンだ!


「しょうがないなぁ、じゃぁせめて2ターンにまけといてあげるよ。ほら、真田は嫌なわけじゃないんだろう?これは王様の命令だよ」


NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!!!!!!!


あたしは思いっきりそう脳内で叫んでいた。帰国子女の性かな悲しきかな……ってそんなんじゃなくて!せっちゃんがあたしと手を離すのが名残惜しいなぁ、とか戯言を言ってるけどそんな場合じゃない!!真田があたしを抱きしめる?!そんなのあっていいわけない!いや、むしろあっていいことであってほしいけど、でもでもでも、順序が!順序ってものがあるでしょ?!ハグが欧米の文化とか関係ないからね?!


「ほら、。バスが渋滞抜けないうちに早く!」
「え?ああ、うん……」


あたしはワケが分からないままに、通路を挟んでせっちゃんと隣の真田の席に移り、真田の足の間に肩をすくめてちょこんと納まった。ちょっとちょっと、この緊張、尋常じゃないんですけど?!抱きしめるんだよ、とせっちゃんに笑顔で強要されて、納得がいってない真田は戸惑いつつ言われるがままにそっとあたしのお腹辺りに優しく腕を回した。し、心臓が、バクバク動きすぎて、今にもエンストを起こしそうなんですけど……!好きの気持ちが全身を駆け巡って落ち着かないし呼吸がつらい。今にもしにそうです……!!


「ぶぷっ、センパイの顔、ちょーヤベえ」
「マジで、緊張しすぎだろぃ」
「でも真田も満更じゃなさそうだね」
「た、たわけ!そのような邪なこと、思っておらんわ!」
「それはを女性として見ていないということになるぞ、弦一郎?」
「そ、そういうわけではないが……」
「真田も顔真っ赤だもんね」


そんな風に繰り広げられる会話もあたしの中ではどうでもよくって右耳から左耳へ流れて行った。どうした?と耳の近くから聞こえてくる真田の声が、余計にあたしの心を揺さぶる。膝の上で丸めた手が汗ばむ。ああ、お願いだから早く、こんな心臓に悪いゲーム終わってくれ!


「じゃぁ次の番号引こうか」

せっちゃんがそう仕切ると、みんなあたしの反応を面白そうに眺めながら番号を引いていく。運良く真田はあたしの顔が見えてなくて、あたしも真田の顔が見えない。だからってあたしは見世物じゃないってーの!!で、でも真田の胸の中は思ったとおり広くてあったかくて、お腹を緩く包んでいる腕もなんか優しくって……って邪なことを考えてるのはあたしの方じゃない!!


「ほら、早く引きなよ。あ、それと真田の分も引いてあげなよ」


せっちゃんは相変わらず笑みを絶やさず言うと、あたしはその憎々々々々しい笑みを遮るように番号札を引いた。あたしはおさまることのない、この飛び上がる心臓の音をなんとか抑えようと努め、真田にどっちのくじがいいか尋ねる。真田が喋るたびに吐息が耳に当たる。もう、もう、どうにでもしてくれ。


幸い、王様のくじはジャッカルが引いて指令が下ったのは柳と仁王だった。指令の通り柳が仁王の腕にしっぺをする。うう、ジャッカルの指令はなんて優しいものなの!面白みはないけど。そしてようやく次のターンが来た。これが終われば、あたしは真田の腕から脱出できる!段々真田の胸に納まることも慣れてきて心臓の鼓動も正常に戻ってきたかもしれない。ううん、そんなのウソ。まだ全然慣れない。ティンパニー奏者ががドコドコあたしの心臓を叩いているくらいには、心拍数が大変なことになっている。確かに真田の胸は心地好くて温かくて名残惜しいけど、やっぱりこのままでいたらあたしは発火しそうだ!


「王様だーれだ!」
「は、はい!!あたしあたし!」


王様のくじ引いた、あたし!なんて、なんてラッキーなこと!あたしは嬉々として選ぶ番号と指令を考えた。なにか面白いことないかな。そうだ、あれにしよう!


「3番は明日の朝、あたしに付き合うこと!7番は今日の晩の夜の点呼と健康チェックにあたしに付き合うこと」
「えー!!センパイ、マジっスか~!?」
「じゃぁ俺は、朝におまえさんに付き合えばええんじゃな」
「なんだ、赤也と仁王だったの。ちょうどよかった!」


つまんねぇなーと赤也はごちるも、あたしは夜の健康チェックの手間が省けたことに大いに満足する。これで2ターン終了!あたしはするりと真田の腕から抜けると、すぐにせっちゃんの隣の席へと戻った。真田はなぜか、少し口を固く結んで視線を外していたけれど、その後は何も変わらず。段々とみんなは王様ゲームに飽きてきて、バスも無事なが~い渋滞を抜けたので一人一人自分のしたいがままのことをするようになった。到着までまだ時間があるので、居眠りし始める者も多く先ほどまであんなに騒がしかったバスも次第に静けさに包まれていった。


、起きてるかい?」
「うん?なに、せっちゃん」


あたしは窓の向こうの流れる風景を眺めていた。せっちゃん越しに見える真田はどうやら柳と何か話しこんでいるらしい。寝ているみんなへ配慮して声を抑えているせいか、あちらの会話は聞こえない。


の位置からは見えなかったろうけど、さっきの真田に負けないくらい顔真っ赤にしてたよ?ゆでダコみたいにね。口元が緩まないように必死だったようだし」
「え」
「まぁ、女子として見られてないことはないんじゃない?よかったね」


あたしの耳元に口を寄せて、小さい声でせっちゃんはそう言うと、にこりと微笑んでくれた。意地悪じゃない、大好きなせっちゃんの笑顔だ。あたしは再び頬が上気するのを感じながらも、せっちゃんに静かにありがとう、と耳元で囁き返す。俺のおかげだね~と、せっちゃんはまたもや素直じゃない言葉でからかったけど、あたしは素直にそうだねとひねくれた親友に返事した。確かに顔から火が出るほど恥ずかしかったけど、嬉しかったのは事実だから。ありがとう、せっちゃん。自分で思ったよりも弾んだ声で、再びせっちゃんに囁いた。


(200501 修正済み)
(081102)