幼かったきみも
俺とは昔ご近所さんだった。加えて幼い頃から遊んでいた所謂幼馴染ってやつだ。は帰国子女というのも相まってなのか、こちらが驚くほど物事をきっぱりと言いのける子だった。彼女からぶちぶちと部や学校の愚痴を聞くことはよくあるが、基本的に人を傷つけることが嫌いな優しい子だ。だから人の陰口を苦手とする俺にとっては会話するのに楽しい相手だった。テニスの経験がないくせにテニス部のマネージャーをやると言い出した時は色々とかなり心配したものだけど、は俺に一からテニスのルール等を教わりながら参考書まで買ってハイライトを引いたりしてまで読み込んでくるほどマネージャー業に専念している。数学のように、彼女が関心を寄せることのない物事には微塵も勉強する姿勢を見せない反面、好きになったものに関してはどこまでも極めようとするその精神には俺も感服だ(数学も勉強した方がいいとは思うけれど)。
「、今柳がどんなスピンをかけたのか分かるかい?」
「……トップスピン……かも?だよね?ね?」
「フフ、どうかな……」
「ええ?!せっちゃんが聞いたのに教えてくんないの?!」
「そうだね、練習試合が終わった頃に柳に聞いてごらん。立海のマネージャーともあろう人間がその二つの違いも分からないなんて嘆かわしいね」
「お、おに……!鬼の精市!」
「何か言ったかい?」
まぁそんな調子の一年間、結局がしばらくの間トップスピンとスライスの名前を取り違えて覚えていた。結局数ヶ月経った頃に彼女自身が間違いに気がついて、それを指摘しなかった俺にカンカンになって怒っていたよね。何かを間違えるたび、は少し落ち込んでいたけども持ち前の明るさで折れずに前進していった。俺たちに追いつけるほどに。何度も試合や選手の練習風景の動画を再生してノートにメモを取る彼女をテニス初心者だからといって嘲るものは誰一人この部にはいなかった。今ではそんなミスも見なくなったけれど、元来おっちょこちょいなところがある彼女は今日も賑やかに仕事を片付けている。今だって洗濯した大量のタオルを積んでコートの隅を歩いていて、ボールの入ったバスケットや選手の飲み物に躓いて転んでいる。目の前が見えなくなるほどタオルを積んで一気に持ってくるなんて、ただの面倒くさがりやとも言えるけどね。
「わあああ!!」
「お、おい!」
「いって~……タ、タオル~!」
はタオルの山が崩れても落ちないようにどうにか死守するにはした。けれど大抵の場合こういう時は必ず何かオチが待っている。こんな時はいつも真田がをここぞとばかりに叱りつけていたっけな。
「たわけ、どうして一度でこの量のタオルを運ぶのだ!!」
「しょうがないじゃん、量が多すぎて捌ききれないの!」
「だったら量を分けて運べばよいだろう、お前の膝を見たらどうだ!生傷だらけではないか!」
「今回はケガしてないもん!タオルも無事だもん!」
と最終的に業を煮やした真田の下からは一目散に逃げて、いつも俺のところに来る。真田を言いくるめられるのは俺しかいないと思ってるから。の悪戯っ子が叱られてしょげてるような顔を見るの、最高に面白いんだよなぁ。
「あのさぁ、せっちゃん。もっとマシな説明できないの?」
「だってこれがありのままのだろう?」
「……あのねぇ、人の失敗談ばっかり語ってて誰が楽しいの?」
「俺」
「…………」
でもまさかあのが、毎日のようになにか粗相をしでかして怒鳴られているが。鉄面皮・カタブツ・どこに行っても教師か父親にしか見られない老け顔、と三拍子揃えているあの真田に恋するとは!
「ねぇ、それってあたしにも真田にも失礼だよねぇ。ねぇせっちゃん分かっててわざとやってるよねえ?」
「俺は事実を正確に伝えてるだけじゃないか」
「精市、暇潰しはそれぐらいにしてやったらどうだ」
「柳!」
ミーティングのある今日、俺としかまだ集まっていない状態だった部室に柳が現れ俺に釘を刺した。真田に怒られた時は俺に逃げてくるけど、俺に追い詰められた時にははいつも柳か柳生に助けを求める。そうなると、面白くないんだよなぁ。
「なんだ、柳。今日は生徒会の仕事で遅れてくるはずなんじゃないのか?」
「あいにく、昼休みに済ませられたのでな。それにしてもお前は本当ににちょっかいを出すのが好きだな」
「まぁ、趣味だからね」
「うわ!この人自ら性悪発言したよ!」
「にとっては今更のことだろう」
「だって聞いてくれよ。最近のといえば、真田に怒られようがニヤニヤしてるんだ。見てられないよ」
「なによ見てらんないって、どういうことよー」
「、わざわざオブラートに包んで言ってあげたのにわざわざ自分が傷つく方向に話題を持っていくこともないだろう?」
「もー、ヤダー!やなぎー!!」
「精市ももうそれくらいにしてやったらどうだ」
がぐるりと柳の背後に回ると柳がぽんぽんと彼女の頭を軽く叩く。まったく、面白くないなぁ。そんなことをしている間に二年生が堰を切ったようにどっと部室に流れ込んできた。
「もう来とったんか」
「お早いですね」
「む、感心だな」
「なんだ幸村、まーたいじめてんのかよ?」
「まだ先輩たちは来てないようだな」
その瞬間にはぱっと柳の後ろから離れて、また俺の後ろにさっと逃げた。どうやら真田に柳と仲が良いと誤解されたくないらしい。この前俺が、柳を好きなのかと尋ねたからかな。それにしても、ここ最近はつまらないことばかりだ。……そうだ、今の俺はを困らす素晴らしいネタを持っているじゃないか。これを使わない手はない!
「いじめてたんじゃないよ。フフ、を煩わせる、恋の悩み相談を受けていたところなんだ」
「ちょ、せっちゃん?!」
あわてふためくは顔をりんごよりも赤く染めて、真田の様子を窺っていた。忙しいやつ。すると仁王がいやらしく不敵な笑みを浮かべた。
「なんじゃ、、水臭いのう。俺らに教えてくれんとは」
「フン、恋などくだらんな。日頃の精進が足らんからそのような些末な事柄で惑わされるのだ」
あちゃー。見事なまでに朴念仁も模範解答とも言える真田の痛恨の一撃、今のには辛いよ。俺は涙目になってるを想像して振り返ると、間抜けにも彼女はぽかんと口を開けていた。数瞬の間彼女は見事にフリーズしていたのだけれど、すぐさまはぷるぷると震え出し拳を握りしめ真田を睨み、極めつけには説教を始めた。
「……ちょっと、それはないんじゃない?」
「なんだ?」
「恋に落ちる時はどうしたって落ちるもんなんだよ。どんだけ心身共に鍛錬したって恋っていうのは不可抗力なの、抗えないものなの!」
「む……そ、そうなのか?」
「そうだよ?過去にいた偉人さんたちだって大恋愛したりしてるのに、スンバらし~功績を世に残してるじゃん。もしその人達が恋してなかったら文学作品だって世に残せなかったかもしれないでしょ?それに今、真田がここにいるのは真田のお母さんとお父さんのおかげなんだよ?もしお二人が結婚していらっしゃらなかったら真田はこの世に生まれなかったんだよ?イッツ・サークル・オブ・ライフ!!」
両手をどこぞの教祖のように掲げ、もの凄い形相で捲くし立てる今のに水を差せるものはいない。途中から何を言っているかよくわからなかったけれど。俺でさえ舌を巻くほど説得力のあるの瞳は熱意に燃えており、真田なんての訳の分からない勢いに圧倒されてしまっている。あの真田が勢いで負ける日が来ようとは。
「だから恋をすることがくだらないなんてことはないの。確かに自分が専念しなきゃいけない事々の妨げになる時もあるかもしれないけど、それは自分の心の持ちようだから。これだって立派な鍛錬になるとあたしは思うし、色んなことのモチベになるんだよ、恋って!今よりもーっと色んなこと頑張れるきっかけになるってあたしは信じてる!だって恋って、ほんとにすっごいパワーなんだよ?!」
「……むう」
「分かった、真田!?」
が最後にまた目を吊り上げると、真田はびくっと反応して戸惑いつつも返事をした。
「分かった……すまないな、くだらんなどと言って」
「フン、分かればよろしい」
はにっこり笑い満足したようにうんうん、と頷くと部誌部誌~と言いながら何事もなかったかのように自分の鞄の中を探っている。他の部員はそんなの様子に唖然とし、柳と俺と仁王だけが真田に含み笑いを向けていた。可愛い笑顔を最後に見せた彼女に真田は狐につままれたような不思議な顔をし、いつもの調子に戻ったをただただ見つめていた。
「せっちゃん、部誌を教室に忘れてきたみたい~。ちょっと教室まで取ってくるね」
「分かった。大丈夫かい?」
「うん、すぐ戻るから」
するとまたもや忘れ物をしたに一喝でもしようとしたのか、真田が口を開けかけたがすんなりといつも通りの威勢のいい言葉が出てこなかった。それに構うことなくはさっさと部室を出てってしまい、が完全に去ったのを見計らって、部員からどっと歓声が湧いた。
「ぎゃははは!説教されてやんの、真田!」
「うるさいぞ、丸井!」
「それにしても今のは凄かったな、精市」
「……そうだね、恋は人を変えるものなんだよ真田。分かったかい?」
真田は口を曲げむっと眉を顰めたが、すぐに帽子のひさしを掴んでぐっと引き下げ表情を隠した。真田が照れた時や決まりが悪い時の仕草だ。今のの説教は、相当な大打撃だったらしい。
「そうなのかもしれんな……」
面白いものを見れたのはいいけど、真田のこの態度は結局のところ面白くはない。ああ、実につまらない日々が始まってしまったものだ。
(200430 修正済み)
(081030)