46   熱く静かに

130910



完璧寝ぼけていた。今日は朝練がないというのに、きっちり朝練に余裕で間に合う時間に起きてしまい朝練がないことに気づいたのは部室に入ってからだった。しかも、滅多に出来ない早起きに成功したため余裕綽々で出かけたというのに。がらんとした部室には誰もいない。はて、どうしたものかと思ったけれど何を張り切ったのか今日提出の宿題も全て昨日の早い時間に仕上げ、小テストも勉強の必要のない英語のみ。いつも鞄に忍ばせている本は一昨日図書室に返してしまい今日新しい本を借りに図書室へ行くつもりだったのだ。部室も一昨日皆で掃除したばかりで珍しく四隅に埃がかぶっていない。ここまで何もかも済ませてしまわれている状況も稀有だ。あたしはため息を小さくひとつついて、床に座り込んだ。あんまり外で眠れない人間だけど、ちょっとボーっとしてようかな。朝だから、この部室にも涼しいいい風が入ってきて気持ちいい。誰もいない部室。目の前にある弦一郎のロッカーを三角座りをしながら見上げる。弦一郎、最近何してるんだろう。弦一郎がさっさと帰ってしまうから本当に挨拶しかしていない。最近県大会も近いし、部員のメニューも中学に比べ大会前はもっとストイックだ。


そしてまたひとつちいさくため息。蓮二ともあまり話せていないし。ここのところはせっちゃんと一緒にいるばかり。せっちゃんといられるのは嬉しいんだけど一応、弦一郎は彼氏で。その彼氏とこんなに話してないって、なんていうか。別れの危機?親友のももにも心配されるし、赤也には励まされるし。大体弦一郎ってばなんでいっつも肝心なこと言わないで一人で抱え込んじゃうんだろう。ああ、この考えは何度もしてるからやめようと思っているのに。自分の落ち度もあるし、彼だけを責めたくない。時が来れば話す時が来るはずだって自分に言い聞かせているのに。メールだって何度か送っている。最後に返ってきたのは「県大会が終わった後話がしたい」という最終通告のようなメール。持ち前のポジティブさでなんとか自分をだましだまし、きっと吉報よ!と言い聞かせている自分。せっちゃんに相談すれば「少し待ってやって。あいつもあいつなりに色々考えてるみたいだから」とか言うし、でもあの口ぶりだと悪いことのような気もしないような、というまたポジティブ思考に戻る。だましだましの危ない橋を渡るあたし。


思考をぐるぐると巡らしながらもぼうっと弦一郎のロッカーを眺めていると不意にドアがガタガタといい、あたしは情けなくもビビって飛び上がってしまった。どうやら鍵がかかってないのを知らずに合鍵でドアを開けようとしたようだ。もういっかいガチャリ、と音がなり扉が開く。誰かと思うとそれはここしばらくの間見ていない意外な顔だった。


「ふるえ、さん」
「あ・・・いたんだ」


いたんだ、とはまた大層な態度ですこと。あたしは苛立つ気持ちを抑えながらおはよう、と挨拶の声をかけた。久しぶりに部に顔を出して謝りもなしでこれかい。


「久しぶり、もう体調はいいの?」
「ああ、うん。もう大丈夫だけど」


一体ここまで何しに来たのだろうか。今更部に復帰とか?正直弦一郎との喧嘩の原因の古江さんの顔を見るのは心機一転を計ったあたしにとっては少し苦い出来事だった。でもなんか様子がおかしい。手に持っているものを隠している。


「どうしたの?手に、何か持ってるけど」
「ん、ああ。これ・・・。退部届。今日朝練ないの?」
「そうだよ。じゃあ退部届は午後に直接部長に出して・・・」
「・・・。は引きとめないんだ」
「えっ?」
「いや、別に?これさ、から部長に渡しといてくんない?」
「・・・は?」


さっきから古江さんの言う事全てにあたしの脳は理解不能と判断を下していた。引きとめる?こんな態度の部員を?それになんであたしがあんたの退部届渡さなくちゃなんないの?


「いや、こういうのは自分で渡した方があたしはいいと思うんですけど・・・」
「渡しづらいから頼んでるんじゃん」


この一言があたしの堪忍袋の緒をブチッと切らせた。

「・・・それが人に物を頼む態度?」


すると古江さんは眉根を寄せてあたしがまるでおかしいことを言ったかのように、凝視してきた。


「何逆ギレしてんの?」
「逆ギレじゃないですし。あなたの今までの態度とその口調、大目に見てたけど今回ばかりはもう許さない」


許さない、との一言でギクリと古江さんが顔を引き攣らせた。けれどすぐに平静を装ってあからさまにあたしが悪者かというように言い返してきた。


「大体あたしがいないと困るんじゃないの?それで何も言わないの?」
「言っておきますけど、仕事を覚えていないだけじゃなくって長い間サボっているような部員は逆に要りません。特別な理由がお有りでしたらここで話してもらえれば結構ですけどそんな理由もなさそうですし?」
「ハッ、何その言い方?バカにしてんの?特別な理由?理由はあるよ。大体ここの連中ってアンタみたいなくっそ真面目なヤツらばーっかで、超つまんないし。やっと仁王みたいに面白い人見つけたと思って仲良くしようとしたら怒られるし。それにアンタの彼氏サイッアク。同じ部活にいるってだけであっちやこっちにまで口出してきてほんっと超迷惑。ちゃんと自分の彼氏なんだから管理してよ。大体全国大会ってだけにマネージャーごときがこんなに熱くなっちゃって、バカじゃない?」


あたしはもう堪忍袋の緒が切れたどころでは済まないどころに怒りが煮えたぎっていた。腸が煮えくり返り、わなわなと肩を震わせその憎たらしい口が最後の言葉を言い終える時あたしは無意識に手を振りかざした。


バシーン!!


大きな音が部室内に響く。けれど次の瞬間あたしの手は彼女の頬を叩いてはいなかった。馴染み深い温もりが、あたしの腕を優しく掴んでいた。


「いったあ〜・・・・・・!」
に謝れ」
「は・・・?何すんの超痛いんだけど?つか、女の子叩いたクセに謝りもしないの?」
「・・・謝れ。さもないと俺はもう一度お前を叩くぞ」
「・・・・・っ!あーもう分かった!ごめん、。とりあえずもうあたしは辞めるから。真田にも伝えればいいでしょ?もう帰らせて!!」


あたしは口をぽかんと開けたままヒステリックにまくし立てて部室の合鍵と入部届と長机に叩きつけ部室を出て行く古江さんを呆然と見送ることしかできなかった。我に返ると弦一郎の手がまだあたしの腕を握っていて反射的に自分の腕を引っ込めてしまった。あ、弦一郎ちょっとショック受けた顔した。


「ううん、ごめん弦一郎・・・」


何を謝っているかは分からないけど口に出たのは謝罪の言葉だった。けれど弦一郎はため息をついて、帽子を目深にかぶり直した。


「謝るのはこっちの方だ、
「え・・・?」


あたしは何がなんだか分からなく、目を泳がせていると弦一郎が真っ直ぐとあたしの瞳を見ていた。これまで見てきたどの弦一郎よりも、真摯な眼差し。


、お前の考えていることを俺は汲みとる事が出来なかった・・・。古江が・・・まさかあんな輩だとは露にも思っていなかった・・・。この前の事、本当にすまない」
「この前のこと・・・?」
「お前が誰にでも優しいと知っていながら・・・古江ともっと仲良くするようと言っただろう?お前が我慢しているのを・・・俺は理解できていなかった」
「うん・・・もう、大丈夫。弦一郎、怒ってくれたし・・・」


そう、怒ってくれた。弦一郎は、ちゃんと分かってくれた。それがすごく嬉しい。こんなに嬉しいだなんて。けれど一瞬蓮二の顔が頭をよぎった。


「弦一郎、あたし弦一郎に言わなきゃいけないことあるの・・・」
「なんだ?・・・・・・蓮二のことか」
「えっ、知ってたの弦一郎・・・?」


あたしがそう言うと弦一郎は表情を曇らせる。蓮二が、もしかして弦一郎にこの前のことを言った、とか?


「うむ・・・お前が蓮二を選ぶのならばそれは仕方のない事だと俺は受け止められる。俺は大丈夫だ。だから俺に気にする事無く・・・」
「は?」


あたしは耳を疑った。何を言ってるんだ、こいつは。弦一郎の愚言に先程の喜びはどこかへ吹っ飛んでしまっていた。


「ちょっとちょっとちょっと・・・何がどうなってあたしが蓮二を選ぶの?あたしはただ、この前蓮二に告白されたって伝えたかったんだけど・・・」
「だから、もしお前が蓮二と交際するというなら俺は潔く身を引く。俺が・・・お前に出来る事は少ないかもしれん」
「だからそれがおかしいって言ってんの。真田弦一郎、あなたはあたしに蓮二に付き合って欲しいと思ってるの?」


あたしの言葉が怒気を含んでいる事を察した弦一郎は困惑の表情を浮かべた。そんな顔してるんじゃないわよ。バッカじゃない?


「ここの所ずーっと話せないと思ってたらそんなくだらない事考えてたの?あたしが蓮二と付き合うって?本当にそう思ったの?」
「・・・もしもと思っていた。違うのか・・・?」
「もう勝手な早とちりはやめてよ!!大体何でいつも考えてる事言ってくれないの?何でそういつも・・・何でそういつも自分の中で抑えこんじゃうの?弦一郎が感情を抑えられるのはすごい事かもしれないけど、大事な事まで抑えこまないで!!」


涙腺のゆるいあたしはいつ知れず涙を流していた。ずっと言いたかった言葉たちが涙と共に堰を切ったように溢れてくる。


「弦一郎はあたしと付き合うのがイヤになったの?だからそんな事言うの?!」
「違う。そうではない・・・」
「じゃあ何で?どうして?いつもそんな聞き分けのいい理解ある子じゃいられないの!!思ってる事ちゃんと言ってよ!思ってる事は言わないと伝わらないんだよ?自分の中で完結してたらなかったことと同じなんだからね!!」


あたしは泣きわめいてそう言うと、弦一郎は普段は絶対見せないような、とても申し訳なさそうな弱々しい顔をしていた。眉を下げて、とても困ったような。なんだか子犬みたいだと不謹慎だけどちょっと思ってしまう。


・・・本当にすまない」
「・・・ぐすっ・・・謝られても、こまる」
「俺が思っている事を、お前に全て伝えてしまったら・・・お前に嫌われると思ったのだ」
「・・・そんなことない」
「ああ・・・お前を信じるべきだった。蓮二の事も・・・心配で仕方なかった」


それから弦一郎がゆっくりぽつりぽつりと自分の想いを呟き始める。わたしはそれをただ黙って頷きながら聞く。


「お前が・・・傍にいる事が当たり前だと思っていた。だが・・・違った。蓮二がお前に思いを寄せている事は前から知っていた。それに・・・俺ではお前を支えてやる事が出来ないのかと、最近思い始めていた。蓮二は・・・気の回る奴だ。お前と仲も良い。だから・・・蓮二にお前を・・・を好きだと宣言された時は・・・不安だった。情けない話だ・・・蓮二にずっと・・・俺は嫉妬していた」
がいなくなったら・・・俺はどうすればいいのかと、ずっと考えていた。お前を失うのは・・・俺には耐えられない。でもそんな独り善がりな考えをお前にぶつけたくなかった・・・。中途半端な気持ちでお前に触れる自分を・・・許せなかった。しばらく具合が悪いお前さえも支えられなかった・・・俺は・・・お前といる自信が、なかった」
「醜い独占欲だ。お前に軽蔑されても仕方がない。それくらい俺は小さな男だ・・・だが・・・」


あたしは一言一言重く響く弦一郎の言葉をひとつ残らず受け止めた。普段あまり自分の気持ちを話さない弦一郎がこんなにも話してくれた。こんなにも、弦一郎を悩ませていた。こんなにも、想ってくれていた。


「俺は、が好きだ。俺は・・・お前を、愛している」


その言葉で充分だった。涙が止まる術を知ることもなく、溢れる。意識せずともあたしの腕は弦一郎を抱きしめていた。こんなにも真剣にあたしを想ってくれる。たった一人のひと。そして、あたしが愛せるたった一人のひと。


「あたしも・・・不安だったよ、弦一郎」
「・・・・・・」
「すごく、不安だった。弦一郎が古江さんを庇った時すごく、ヤキモチ妬いたもん。あたしだって、弦一郎のことひとりじめしたい。・・・させてよ」
「む・・・」


弦一郎が照れているのは顔を見なくても分かった。この抱きしめている胸の温かみが、あたしにとってどんなことよりも幸せなことなんだ。


「ありがとう、弦一郎・・・全部話してくれて・・・。軽蔑なんてしないよ。あたしも弦一郎とおんなじ気持ち。大好き、弦一郎・・・だいすき・・・」


腕を緩めて顔を上げる。すると弦一郎がとても穏やかに、少し泣きそうな顔で微笑んでいた。こんな弦一郎の顔見たことない。とっても愛しくて、本当にあたしはこの人を大事にしたいって思えたんだ。


「愛してる、よ。あたしも・・・」
「ありがとう・・・


優しい、とても優しい口づけだった。弦一郎が、慈しむようにキスをしてくれる。久しぶりに与えられた、愛しい人からの愛情。こんなにもキスが温かいものだっただなんて。短いキスが、段々と深い口づけへと変わっていく。角度を変えてキスを重ねていくうちに、弦一郎の舌があたしのを絡めてきた。もう、夢中だった。今まで考えていた事がどうでもよくなるくらい、頭が弦一郎でいっぱいだった。ぎこちない動きで必死に弦一郎のキスを受け止めた。誰もいない早朝の部室で、淫靡にぴちゃぴちゃと音を立てて。あたしの唇を吸ったり、舌で舐めたり、絡めたり。無我夢中で口づけを繰り返す。どんどん上がっていく熱に、ここがどこかも気づかない。自然な手つきで弦一郎はあたしの腰を撫でたり、胸のあたりを控えめに触っていてあたしは快感に背中をゾクゾクさせていた。


「っ・・・はぁっ、げんいちろ・・・」
「ん・・・・・・」


ふと、キスから顔を離した瞬間。今自分たちが何しているのかをあたしは気づいてしまった。顔がどんどん熱くなるのが分かる。もう一度弦一郎が軽くキスをした後にあたしから間を置いた。恐る恐る口を開く。


「げんいちろ・・・ここ・・・部室・・・」
「む・・・はっ!そ、そ、そうだった!!いや、そうではない、たださえこんな朝っぱらから不埒なことをするなどそんな破廉恥な」


我に返った弦一郎は沸騰しそうなほど顔を真っ赤にさせて慌てだした。先程あんなに熱くキスをしていたのはなんだったのかしら。あたしは弦一郎のあわあわする様子におかしくなってしまいたまらず笑い出してしまった。もう、なんなんだろほんと。さっきまで泣いたり、怒ったりしたのに。途端にキスして、お互い恥ずかしくなって。ほんとにおかしい。


「ふふっあははははは!!」
「な、何がおかしいのだ!!」
「ぜんぶ、ぜーんぶだよ、弦一郎」


あたしは「学校という神聖な場所で二度もこんな事をしてしまうなど・・・」とぶつぶつうるさくごちる弦一郎を無理やり引っ張って、その減らず口に小さく口づけを落とした。


「な、な、な!!!」
「大好きだよ、弦一郎!ね?」


さっきまでもっとすごいことしてたクセに弦一郎は顔を赤く染めたまま口をパクパクさせていたけど観念したのかバツが悪そうに頷いた。もう、ほんと可愛いんだから。もうすぐで朝の会も始まる時間だ。そして、今日もあたしは弦一郎が大好きだ。そう、今日も明日もまた明後日も。調子が狂っている弦一郎の腕を引っ張って、部室の扉を意気揚々とあたしは開いたのだった。




<< TOP >>