38   嵐の前に

130307



梅雨の季節に関東は入った。屋外のコートしかない我が立海大附属高校テニス部は、幾度となく降る雨のせいで屋内での筋トレやランニングを中心としたメニューばかりこなさなければならなくなった。もうテニス部のマネージャーを務めるのも4年目になるが、梅雨になると外で打ち合いをしたい部員達の無意識の苛立ちが肌で感じられる。中学の時なんて、赤也がそれで筋トレ中に八つ当たりをしだしたりだったのを思い出す。とにかく梅雨とはテニス部の皆にとってはあまりありがたくない時期であった。


「あーこう雨がずっと続くと気も滅入るだろぃ」
「まあこの後にカラッとした夏が来るのを待つしかねーな」


ブン太はいつもながらガムを噛みながら、足を長机にかける。今は行儀が悪いのを咎める先輩も同級生も今は皆出払っていた。ジャッカルはそれを別に気にかけることもなく、器用にペン回しをする。今日の予定は一年生でミーティングを行うはずなのだったが、丁度各々の委員会の定例会があるとかで、委員会に入ってないブン太、ジャッカル、あたしだけがこのジメジメとした陰湿な部室に集まっていた。定例会と降り止まない雨のおかげで、今日は部活がなくなったのだが一年は他の学年よりも早く帰されるということで一年のミーティングを開くこととなっていた。


「あ、でも明日は久々に晴れるってニュースでやってたから明日はまともな打ち合いできるかもね」
「お、マジか!久しぶりにお天道さまを拝めるってわけだな」
「皆もーピリピリしてるから助かるよ、生理前の女かってかんじ」


あたしが何気なく言った言葉にブン太は「言えてるぜ」って頷きながらゲラゲラ笑ってたけどジャッカルは歯切れ悪く「お、おう・・・」と呟いていた。ちょっとばかしジャッカルには刺激がありすぎる返答だったかな?ま、いっか。結局皆が揃って集まるのは一時間後で、集まった部員に明日晴れるということを伝えるとピリピリとした空気が少し和らいだ気がした。「明日の予報が当たる確率、82.5%だな」そう言う蓮二もどこか嬉しそうな顔をしている。明日はいい日になるかな、と喜ばしくあたしが思っている中、一つ気がかりだったのは古江さんの姿がその日いつまでも見当たらない事だけであった。











* * *








久々の晴れ間の空に部員たちのやる気も漲っていた次の日の朝練、昨日に引き続き古江さんの姿は見えなかった。どうしたんだろう?結局、昨日のミーティングの最中に弦一郎に尋ねた結果、具合が悪く早退したらしいとのことだけだった。部活を休むことは部長・副部長にも伝わってなかったらしく、先輩にもマネージャーであるあたしに古江さんのことを訊かれた。でも一切連絡もないし、昨晩こちら側からメールしたのに返事がない。仁王も弦一郎も、早退した詳しい理由は知らない。今まで古江さんは遅刻はするにせよ、朝練も出てきてたのにどうしてのだろう?もう一人いるはずの先輩マネージャーは今丁度親族のお葬式があるということで今日から三日間いない。タイミング悪いなあと思いつつ、とりあえずあたしは朝の仕事の配分を調整し、スコア表の整理と溜まりに溜まった洗濯は午後に回すとした。


朝練が終わった後にやっと部活中に古江さんから来たメールに気がついた。内容は女の子の日が辛いから朝練は休むことにした、という簡潔なメールであった。そこは一言謝罪の言葉を添えてもいいのではないかと少し苛立ちを覚えたが、生理中の痛みは自分も重い方だからさぞ辛いだろうとすぐに同情への気持ちに切り替わった。「それは辛いだろうから、ゆっくり休んでね。お大事に」と返事する。午後も一人で仕事か、と思うと昨年一人であくせくと働いていたことを何気なく思い出す。ま、今日は晴れたしお洗濯のいい匂いが楽しみだなーとそれ以上深く考えることはやめといた。


お昼は久しぶりに友達のももを誘って屋上でご飯を食べないかと4時間目の歴史の時間にぼうっと考えていた。こんな陽だまりの中、眠くならない方がどうにかしてる。そのどうにかしてる人はあたしの隣のクラスにいるようだけど。クラス中が眠気に包まれる中、しっかりと背筋を伸ばし、授業を真摯に聞いている恋人の姿を思い浮かべた。すると不思議と口元が緩んでくる。ああ、またこんなところを蓮二に見られたりでもしたらからかわれてしまう。そんな風に思ってるのを見越してか蓮二が目の前に音もなく現れた。


、どうしたチャイムはもう鳴ったぞ」
「あ、ああ蓮二か・・・」
「村田なら彼氏と食堂へ向かったぞ」
「えーっ、ももと久しぶりにゆっくり屋上でご飯食べようと思ったのに!」
がそう思うだろうと思って来たが・・・遅かったな。代わりに俺たちと屋上でお昼とはどうだ?」
「俺たち?」
「幸村が中学の頃のようにまた皆で久々に食事がしたいと。赤也はいないがな」
「あ、それもいいね!じゃあちょっと待って飲み物下で買ってくるからー」
「俺もついていくことにしよう」


そう言ってあたしと蓮二は二人で自販機がある下の階へと向かう。普段お昼は教室でももと食べたり、食堂で弦一郎と食べたり。そこにたまに一年テニス部と一緒したりすることはあるけど皆で集まってわいわい、は久々のことだった。高校に入ってから皆新生活でてんやわんやで、まともに放課後集まって出かける時間もなかったから。蓮二と飲み物を書い終えるとそのまま屋上に上がる。高校の校舎での屋上は実に2回目。中等部の校舎のように花壇があってベンチが置いてある。扉を開けた瞬間低い段差に気づかずにあたしはつまずきかけたが柳が咄嗟に腕をぐいと引っ張ってくれて間一髪。柳があたしを抱きとめた。そこにはあたしのドジっぷりに呆れた顔したせっちゃん、ブン太、弦一郎に仁王・・・それとなんと、古江さんが仁王の隣に座っていた。


「あれ?!古江さん、今日は休みじゃなかったの?」
「ああ。遅刻して来たんだー、大分体調良くなったからさ」
「なーんだ、良かった」


古江さんのその飄々とした態度に心配かけてごめんね、くらい言えよとちょっとムッとしてしまう。でも古江さんの顔を見ると確かに、その高揚した顔から良くなったということがわかる。というか、なんだかウキウキしている。ふと、隣に座りサンドイッチを摘む仁王を見ると極力古江さんの方は見ずに古江さんの言葉に返答していた。あ、そっか。仁王と一緒にご飯食べられるから古江さんは・・・。そういえば、前はここに赤也がいて古江さんがいなかったんだよなあ、と違和感を覚える。まあ新しいメンバーだし、一年のメンバー皆でご飯食べるってことは古江さんを誘うのも当然なんだよね。なんとなく、女子マネが一人だった時の事を思い出してあまり愉快じゃない気持ちを感じたけど、そんなのただのワガママ!かわいくないぞ、


「何難しい顔して突っ立ってるんだい、?ほらほら、せっかく気持ちいい天気なんだからさ」


せっちゃんはあたしの不機嫌そうな顔を見越して陽気に言うと、ぽんぽんと手でわたしの座る席に促してくれた。・・・・・・そこはまあせっちゃんと弦一郎の間なんだけれど。まあこのせっちゃんの気遣いというかからかいというか・・・もう一年も近くになると慣れたものだ。


「わ、今日炊き込みご飯のおにぎりだ!ラッキー」
「美味しそうだね、さすがおばさんだ」
「お、いいなあ俺にもくれよ」
「ダーメ、ブン太はそのでっかい弁当箱におにぎり二つとパン三つもあるじゃん!」


ちぇーと、ブン太は乗り出していた身を引っ込めておとなしく自分の唐揚げを頬張る。そういえばさっきから一人ずっと喋ってないヤツがいる事にあたしは気づいた。というか隣から明らかに異様な威圧感がある。卵焼きを箸でつついてるフリしてそろりと隣を目で窺うと、何やらその厳しい顔の眉間に皺を深く刻んだ恋人が弁当を手にむっつりとしていた。あきらかに、チョー・フキゲン!!


「ど、どしたの弦一郎?な・・・何かあっ・・・た?」


あたしは恐る恐ると彼の機嫌を窺った。


「いや・・・何でもない」


なんでもなくないだろーが!!とあたしは言いたい所だったがそこはぐっと言葉を呑み込む。弦一郎の箸は止まりその厳しい顔つきで何故か蓮二を見つめていた。ん・・・?喧嘩でもしたのかな?


「弦一郎、箸が止まっているぞ」
「・・・・・・あ、ああ」
「古江が遅刻して叱ったきに、機嫌がわるいんじゃろ」


仁王は本人を目の前にしているというのに、古江さんの事を言及したのであたしはフォローしようと思って口を開きかけたが当の古江さんは全然気にも留めてないように「えー?めんどくさっ」と呟いていた。オイオイオイ。すると弦一郎はキツい目線で古江さんに一瞥をくれたがフン、と鼻を鳴らした。


「まぁまぁまぁ。古江さんも具合悪かったんでしょ?しょうがないことじゃない」
「古江のその態度は頂けないが、次から気をつけるとのことだ。別に機嫌は悪くなどない」


あら、古江さんが原因じゃないの。じゃあなんで機嫌が悪いの?すると弦一郎はもくもくとまた弁当を食べる箸を進める。なんだかなあ。でも弦一郎が頑として言わない時って本当に何も言わないからなー。するとジャッカルと柳生が遅れて到着してきた。二人はもうご飯は済ませてしまったようだけど、ジャッカルは購買で買ったプリンを片手に皆の集いに参加した。とりあえず古江さんはあまり三強の会話に興味なさそうにしていて、ブン太や仁王の会話に加わっていた。この子好きな人と嫌いな人を態度で出すなあと思っていたけどこんなに露骨とは思わなかったな・・・。あたしはまだ嫌われてるわけじゃないみたいだからいいけど。そして残りの昼休みはあたしはこの気難しい恋人と、新しいマネージャーの二人に頭を抱えながら過ごすのであった。











* * *








古江さんが登校してきたので、とりあえずタオルの洗濯だけ彼女に頼みあたしはスケジュール調整に取り掛かった。たださえオフが少ないこの部。適切な時期に、いかにオフをねじ込むのかいつも悩まされる。しかも今日は頼れる先輩もいない。それにもうすぐ地区予選も始まる。あたしもこううかうかしてられないな!皆のコートでの掛け声が聞こえる中、あたしはいそいそと作業に取り組んでいた、のもつかの間。休憩時間に入ると、部室にタオルを取りに来たりする人も結構いるんだけど、一番初めに柳生が入ってきて「さん、少々お時間よろしいでしょうか」と言われた。


「うん、どうしたの柳生?何か問題でもあった?」
「それが・・・どうやら私古江さんを怒らせてしまったようで・・・」
「え?古江さんを?」
「はい・・・何が原因かは分からないのですが、先程重そうな洗濯カゴを抱えている彼女を見て手伝おうかと声をかけたのです」
「うん、それで?」
「『いい!自分でできるから、これくらい!』と言って怒って走って行ってしまいました・・・」
「えー?せっかく手伝うつってるのになんだろー?あの子・・・」
「本日お昼にお会いした際に、挨拶しても返事はありませんでしたし・・・。さんに相談したく来たのです。何しろ彼女は新しいマネージャーですので、上手く関係を築いて行きたいものですから・・・」


柳生は大層困っているようだった。確かに今日の古江さんは普段よりもおかしい。前からマイペースなところはあったし、人の選り好みはする方だったけど今日は露骨すぎたし・・・。どうしたんだろう?具合がまだ悪いのかな・・・。あ、具合か。そうか、古江さんは昨日今日生理だって言ってた。もしかして、それでめちゃくちゃ機嫌が悪かったのかも。あたしは自分の予想にうんうん、と頷いてあの古江さんの困った態度に納得がついて少しホッとした。


「大丈夫だよ、柳生。柳生は何も悪いことしてないよ」
「そうでしょうか?」
「うん、心当たりある。」
「心当たり?」
「多分だけど・・・うん」
「あ」


柳生はあたしが何を言いたいのか勘付いたのか、眼鏡をかけ直して、眉を顰めた。


「大丈夫、あたしから古江さんに言っておくね。柳生は悪くないんだし・・・」
「ええ、でしたらさんにここはお願いしましょう。私の口からは言いづらい事ですし。お忙しい時にお手を煩わせてすみません」
「なーに言ってるの。じゃ、後で言っとくからさ柳生はもう休憩終わるしコートに戻りなよ。今日せっかく晴れたんだしさ」
「本当に有難うございます、さん。貴方は優しいですね」
「褒めてもなんもでないかんねー」


あたしはにっこり笑うと柳生も安心したのか微笑んでいた。そして柳生はタオルで汗を拭いてから部室を出て行った。さあさ、洗濯の調子も見たいし古江さんのところに行きますか。あたしはペンを机に置いて、外に出る。こんな清々しい天気久々なんだから部室で作業するっていうのもね。でも、スケジュール調整を古江さんに任せることはまだ出来ないし、マネージャーとしては先輩なんだからあたしがしっかりするしかない。


洗濯場で古江さんを探しているとまだタオルは干し終わってない模様。洗濯機にまだ大量に残っている。まああれだけの量だし、まだ終わるわけないよねと思って物干し場に回ってみた。すると、そこには誰もいない。あれー?おかしいな・・・。トイレにでも行ったかな?洗い終わったタオルが入った洗濯カゴだけ取り残されている。そ、それとも具合悪くてどこかで倒れてるんじゃあ・・・!そんなあたしの杞憂もすぐに打破されることとなった。何故なら仁王が神妙な顔つきをして物干し場の茂みから出てきたからだ。


「あ、におーあんた古江さん知らない?!」
「でかい声を出しなさんな・・・それにその名前は今一番聞きとうない名前ダニ」
「え?古江さんは?」
「それがのう・・・俺がいつもの木陰で寝っ転がっとると奴さんが追ってくるんじゃ・・・」
「え〜???」
「もうアレには本当に参った・・・最近いつもあんな調子でのう」
「仕事サボってたのかよ・・・アンタもだけど」
「俺のことよりあいつをどうにかしてくれんか、。おちおちサボれもせん」
「だからサボるなよ」


仁王のサボり癖にはすでに長い付き合い、慣れたものの、古江さんのサボりにはあたしは本当に呆れてしまった。確かに最近仁王を追い回してる様だったし、今日のお昼もぴったりくっついて離れなかったけど・・・。生理だから気分の上がり下がりがあるのはしょうがない。あたしもある。具合が悪いという理由なら仕事を休んでも構わないし、不意に泣きたくなるような気分の時に仕事を押し付けるのはかわいそうだと思ったけど・・・。男を追っかける為に仕事はサボるなよ。あたしは内に秘めるような憤りを感じながら仁王に訊ねた。


「まあそれも言っておくわ・・・アンタを追いかけて仕事しないようじゃマネージャーの首もはねられるだろうし」
「そうじゃろ。幸村も柳もアレの扱いには相当困っとるようじゃ。何だかのう・・・」
「んーそうだね、あの子悪い子じゃないんだけど何かちょっと人と違うっていうか・・・」
「ここの話じゃけ、古江はクラスで浮いとうよ。まだ6月に入ったばかりじゃき、あれかもしれんが・・・」
「友達はいないの?」
「話をするぐらいのはおるようじゃが・・・アレが原因かもしれんのう」
「あれ?アレって何?」
「あ、いた!!」


その声に振り返ると古江さんがそこにいた。けれど一緒にいるあたしを見て、さっと顔色を変える。仁王はその瞬間にすたこらさっさとこの場から逃げ出していった。


「ねえ、古江さん。仁王を追いかけるのはいいんだけど仕事の途中でそれをされるととっても困るの」
「あー・・・うん」
「人手も足りないしね・・・。古江さんが具合悪い中手伝ってくれるの有難いんだけど、仕事を放置されると皆が困っちゃうのね」
「・・・・・うん、気をつける」
「それと柳生が古江さんを怒らせたかって心配してたよ?さっきキツく古江さんが柳生の手伝い断ったから・・・生理で八つ当たりしちゃうのしょうがないけど、ちゃんと後で謝っておいた方がいいよ」


すると古江さんは「わかってるよ・・・」とブツブツと返事した。カチーンとその態度には来たけど、ここは平静に平静に。相手はホルモンバランスがおかしくて辛い思いをしてる相手。落ち着け自分。その時なぜか急に柳とせっちゃんがふと現れた。


「ああ、いたよ。探してたんだ」
「柳生の話を聞き、ここにいると思った」
「二人してどうしたの?」
「古江もいたのか」


あたしはイライラするのを隠そうとニコニコしながら返事する。けれど幼馴染のせっちゃんには絶対もうバレてるだろう。せっちゃんはその穏やかな表情を崩して急に険しい顔つきになった。蓮二も一目見て分かったのか冷たい目線を古江さんに投げかけた。


に話があってね・・・でも古江にも丁度話したいと思っていたんだ」
「なにを?」
「古江、最近お前の行動は目に余る。仁王を追いかけるのは休み時間だけにしないか」
「昨日今日はしょうがない。具合が悪い時は誰にだってあるよ、でもその分連絡はしっかりしてほしい。皆心配するし、も困るだろ?」
「それに遅刻の回数も少々多すぎる。一人だけの問題ならばまだいいが、部活ではそうではない。もう少し責任をもって仕事に臨んでほしい」
「厳しいことを言うようだけど、全国制覇を目指している俺達はそんな浮ついた気持ちで仕事を中途半端にされても困るんだ。君は仕事ができないわけではないんだからもっと        
あたしはこれでも頑張ってるの!!!!!!!!


急な古江さんの金切り声に、その瞬間その場にいた全員が唖然として古江さんを見つめていた。せっちゃんも、柳も言葉に詰まってしまったようだった。古江さんは肩をわなわな震わせて、その場から走り去っていった。ぽかんと、あたしは間抜けにも口を開いたままで言葉が見つからなかった。


「どうしたんだ古江は・・・?」


せっちゃんがようやく言葉を振り絞って呟く。確かに、ああやって怒鳴りつけるのは生理のせいかもしれない。友達がいなくて辛い思いをしているのかもしれない。でも今の態度からは怒りと呆れと、彼女に対する不信感しか生まれなかった。


「データにはあのような動向はなかったが・・・古江古江さん、要注意人物だな」



あたしは確かに、と頷きながら何となく古江さんがクラスで浮いている理由が分かった気がした。久々に顔を見せた太陽は笑わなかった。この場にいる誰もが、これから起こる嵐の予感を感じ取っていた。






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