36   リビドーはすぐそこまで

100521



全く・・・けしからん、たるんどる、破廉恥な!!!!俺はなんてことをしてしまったんだ・・・まさか、にあのようないかがわしいことを・・・・!!!!なにゆえこの手は・・・全くたるんでいるにも程がある・・・!俺は自分に憤慨しながらも邪念を払おうと、風呂につかりながら瞑想する。いつもならば自分の心を無に帰すことができるのに、なにゆえ今日はできない。の唇の感触が・・・そして、腿の感触がじわじわとよみがえる。


あの時、の行動、事故とはいえ、俺は無意識にを抱きすくめていた。の香りに酔いしれ、そして知らず知らずのうちに手が出てしまった・・・。の甘い声、柔らかな唇、そして今まで感じたことのないむずがゆい思いを心に感じた・・・理性が働かない。あのまま、が声を上げなければ・・・いかん!!なんたる失態だ!俺達にはまだ早い!俺は風呂から上がり蛇口をひねって桶に冷水をため、勢い良く尭水する。一気に凍るような冷たさが全身に駆け巡る。辺りが白くなり、心は無に帰る。深呼吸し、気持ちを落ち着けたが、なぜだか鼓動が止まらない。一体全体どうしたんだ、俺は。あの先俺は一体何をしでかそうとしていたというのだ!!俺は檜で出来た椅子に座りうな垂れる。自分の手のひらを見つめ、そして思いに耽る。


あの時からのいやらしい声、そしてイメージが頭からついて離れない。の裸体が、眼に浮かぶように・・・振り払えぬ。そしてそれが脳裏によぎるたびに自分の体も反応してしまう。・・・を、大事にしたいと思う。そして、俺はにかけがえのない、言葉では言い表せない気持ちを感じている。俺の先走る思いを押し付けるなど言語道断。を、幸せにしてやりたい。あの時のの顔・・・今頃俺にあきれ果てているだろうか。しかし、それはそれで致し方ない。驚いただろうな。俺は体を拭いて、風呂を出る。鏡に映る自分を見つめ、深く深くため息を吐いた。









* * *









弦一郎は昨日のことを負い目に感じているのか挨拶はしても、あまりあたしに積極的には話しかけない。なんだか、避けられてる気分・・・。そりゃ、そりゃびっくりしたよ?でも、さ、一歩進む度にこんなにギクシャクしたくないし。それに、正直嬉しかった。夜は、ちょっと眠れなかったけどまさか弦一郎が・・・そんな、触れてくるなんて。それは弦一郎が、あたしに触れたい、ってことだよね?それとも違うのかな。あたしがこんな風に今日一日中百面相しながら悩んでいるとせっちゃんが感づいたのか「真田と何かあったの?ない、って否定してもあった、って顔してるけどね」といつもの誘導尋問で吐かされると嬉しそうに頷かれた。


「そうか、真田もとうとうそういう気になったんだね」
「そういう気って・・・どういう気よ」
「ヤる気」
「ちょ、せっちゃん!!!!!!」
「あはははははは!顔が真っ赤だよ、
「だってせっちゃんが変なこと言うから!!!」
「ははっ、ごめんごめん、だってが面白いからさ」


ニコニコと優しく微笑みながらそんなことをサラッと言いのけてしまうせっちゃんは本当に質が悪い。あたしはスコア表をクリップボードに挟みながらせっちゃんを睨んだ。


「そういえば今日月刊プロテニスの方たちが来てたよ。どうやら高校に上がった俺達をインタビューしたいらしい」
「井上さん達が?じゃあ、挨拶してこなきゃ。お茶も出さないと・・・」
「あ、ほらあそこに」


部室から井上さんと芝さんに向かって弦一郎と蓮二が向かっていくのが見えた。三強を含め、元三年のレギュラー達はみんな高校のレギュラーを勝ち取った。ほぼ、一年の天下ってこと。あたし達の代はそれだけ強いってことかな。そりゃ、月刊プロテニスの方々も来るよね。高校に入って変わったことと言えば練習時間が長引いたってことくらいかな。でも弦一郎はそれで今まで通り四時起きっていうのはキツそうに見える。帰るの、十時以降とかだし。それよりも、あたしは井上さん達が何をインタビューしにきたのか気になったから、せっちゃんと一緒にコートへ向かう。


?何隠れてるの」
「えっ、だって気まずいじゃん・・・」
「まあそこでいいならいいけど」


あたしはうまくせっちゃんの後ろに隠れて井上さん達のとこにいる二人のとこへ行く。蓮二はイチ早くあたしに気がついたけど知らないフリをしてくれた。それに弦一郎はあたしに気がついてないみたい。せっちゃんはジャージを肩にひっさげて、腕を組んでいる。あたしはそうっと耳を澄ました。


「お久しぶりです、井上さん、芝さん」
「やあやあ、幸村くん。相変わらずのようだね」
「三強再び君臨ってところね!」
「まあ、当然のことでしょう」
「流石だね。全国区の立海大附属高校で再びレギュラーを入学早々勝ちとるとは!そうそう、幸村くん真田くんに今ちょうどインタビュー中でね・・・」
「そうなのよ〜幸村くん、私達、真田くんの彼女について訊きたくって!」
「コラ、芝!」
「えーいいじゃないですか、先輩!先輩も興味あるでしょ?」
「そりゃ、まあ・・・興味ないことはないが・・・」
「しかしそれはテニスに関係ないことではありませんか」
「こんな調子で答えてくれないのよ〜」


芝さんは興味津々に、けれど相変わらずの弦一郎の固い頭に、困ったようにはにかんだ。蓮二は涼し気な顔でせっちゃんを見やる。すると、せっちゃんはクスリと不敵な笑みを浮かべて、弦一郎に視線を送った。


「いいじゃないか、真田。減るもんじゃあるまいし」
「しかし幸村・・・」
「少しくらい答えてあげなよ。参考にもなるだろうし」
「そっ!参考参考!お願い、真田くん、少しでいいから!」
「・・・分かりました」


弦一郎は渋々了承すると、せっちゃんは満足そうに頷いた。すると芝さんは目をキラキラ輝かせて井上さんの方に振り向く。こういう話、芝さん大好きそうだもんね・・・。



「やった〜!先輩っこれはスクープですよ、スクープ!」
「あ、ああ、芝・・・とりあえず、昨年の夏の全国大会後からお付き合いしてるとは前々から聞いていたんだよ」
「誰がそのようなことを・・・?」
「あら、跡部くんからこの前聞いたわよ」
「跡部はそこら中に情報網を張り巡らしているからな、当然のことだろう弦一郎」
「フン、あいつにつっこんだことを知られる筋合いなどないわ」
「まあまあ、真田くん」
「そうだ、質問よ質問。彼女はどんな子?可愛い子?」
「芝、それじゃあ真田くんが答えにくいだろう」
「正直言うと井上さんも芝さんも知ってる子ですよ」
「幸村!」
「いいじゃないか別に」
「えっ誰々?」
「それは最後のお楽しみに取っておきましょうか」
「もーう幸村くんったら焦らすのが好きね!」
「ははっ、では質問を続けて下さい」
「えーっとじゃあ真田くんが答えにくいならお二人に訊くけど、その子はどんな子?」
「そうですね・・・真っ直ぐで思いやりのある優しい子ですよ。少々変人ですけどね」
「そうだな・・・弦一郎に付き合えるくらい寛容かと。だが少し真っ直ぐすぎて周りが見えないところが難点かもしれませんね」
「あら、お二人とも厳しいのね・・・」
「可愛い、ですよ」
「そうなの?」


蓮二はあたしを一瞬ちらりと見て微笑んだ。他の人には分からないくらいに。どうせお世辞なんだろうけど。


「可愛いというより美人という言葉があってないかい?そうだろう真田」
「む・・・そ、そうだな」
「じゃあじゃあ、真田くんにとってその子は一体どんな存在?」
「ほら、真田」
「どんな・・・そうですね、知らない間に俺を支えてくれた、俺のかけがえのない理解者です。いつでも俺を笑顔で励ましてくれました。とても大事に思っています。」
「・・・・・」


井上さんと芝さんは弦一郎が真摯に言葉を紡ぐのを唖然として聞いていたようで。あたしもすごく恥ずかしくなってきた。でも、・・・・・すごく嬉しい。なんか、涙も出てきちゃった。・・・だって、弦一郎がそういうこと、口にする機会なんてそうそうないもん。胸がきゅうっと締め付けて熱くなる。


「その子は本当に真田くんにとって大切な人なんだね」
「はい」
「うあー先輩!なんだかすごい事聞いちゃいましたね・・・!」
「そうだな、芝・・・なんだか、すごく大人になったな真田くん」
「俺もびっくりですよ。やればできるじゃないか、真田。ねえ、?」
「えっ」
・・・?」


あたしはそろりとせっちゃんの背後から顔を出すと芝さんは嬉しそうに瞬きした。


「あら、ちゃんじゃない!」
「こんにちは、芝さん、井上さん。お久しぶりです」
「ああ、久しぶりだねさん」


あたしは一部始終話を聞いたという後ろめたさを抱えていたので弦一郎とはうまく視線を合わせられない。弦一郎は顔を真っ赤にしてあたしを凝視していた。お、怒ってる?


「ん・・・?ということはもしかして・・・」
「はい、が弦一郎の彼女ですよ」
「れ、蓮二!!」
「やっぱりちゃんだったのね!」
「なんだ見当ついていたのか、芝」
「ええ、だって真田くんと仲良い女の子ってちゃんしか想像できなくて」
「あ、あはは・・・」
ちゃんが彼女さんなら真田くんも安心してテニスに集中できるわね」
「え、えへ・・・?」
「もー照れちゃってかわいい!で、ちゃんもっとお話が      
「すみませんが芝さん、と話があるので席を外させてもらえますか」
「あっ、ええ、いいわよ。じゃあちゃんまた後でお話を(後は幸村くんと柳くんに訊けば全部教えてくれそうだものね)」
「はい。後で部室に寄ってくださいね、お茶を出しますので!」
「いいわよ〜じゃあ、ごゆっくり」
「じゃあ後で、真田くん」
「「失礼します」」


あたしはスタスタと部室へと歩いていく弦一郎にぴょこぴょこついていく。・・・やっぱり怒ってるかも。これは謝らないと。部員は全員コートに出ているので誰もいない部室に弦一郎はがちゃんと扉を閉める。不謹慎にも昨日のことが脳裏によぎって少し気恥ずかしくなってきた。弦一郎が真顔で見下ろしてくるので余計に、頬が火照る。



「は、はいっ」
「昨日は・・・すまなかった」
「え?あ、う、うん・・・」
「あんなつもりはなかったが、俺の精進が足りんばかりにお前に嫌な思いを・・・」
「嫌じゃない!!」


あたしは咄嗟にそう叫んでしまっていた。弦一郎は驚いたように目を見開くと、昨日の出来事を思い出したのか帽子を深くかぶり直す。あたしも恥ずかしくなって段々目が泳いできた。


「いや、じゃなかった・・・よ」
「そ、そうか・・・」
「うん、だってそれに・・・・・・」
「それに?」


あたしは少し気を落ち着けるために息を吸い込む。そしてゆっくりと瞬きをした。目の前にいる、この弦一郎があたしをそんなに大事に思ってくれていたなんて、とても嬉しくて。泣きそうなほど、嬉しくて。


「さっき、嬉しかった。そんなに・・・大事にしてくれてたなんて」
「当たり前だ。俺は・・・お前からたくさんのものをもらった。そしてお前を大切にしたい」
「うん・・・」


あたしは涙がじわじわと湧いてきて少し俯く。弦一郎は心配したようにあたしの顔をのぞき込んだ。


「ど、どうした?何か言ったか?!」
「うん・・・言った」
「すまない・・・何か気に障るようなことを」
「違う。ばか。これ、嬉し泣きだから。本当に嬉しい。昨日のことで、またギクシャクしちゃってたから・・・」
「それは本当に、悪かった・・・」
「ううん、そうじゃないの。全部、嬉しいから。そんなこと言わないで、弦一郎」
「む、そ、そうか」
「うん!」


あたしはぐすぐすと鼻を鳴らしながら笑った。それに弦一郎も安堵したのか少し、あたしに近づいて涙を指で拭ってくれる。この指が、この手のひらが、あたしは大好きだから。弦一郎がこんなにもあたしを大切にしてくれる。いつも、自分は何もしてやれないだなんてあなたはいうけど、あなたほど一挙一動であたしを揺るがす人はいないよ。それをどうしたら伝えたらいいか、あたしはいつも困る。幸せすぎて、困るんだよ。


「部活、戻らなきゃ」
「ああ」
「どうせまたインタビューだろうけど」
「仕方があるまい、これも俺達の仕事だ」
「うん」


にこにこしながらあたし達はその場を離れない。手と繋いでるわけでもないけど、不思議とあたしの手のひらは弦一郎の温もりを感じている。不思議な感じ。するといきなり勢いよくバンッと扉が開いた。


いる?!」
「あ、うん」
「あれっ真田とふたり?」
「う、うん・・・まあ」
「あーごめん。とりあえず幸村がを呼んでたよ。あっついでに真田もか」
「そうか」
「ありがとう、古江さん」
「うん、じゃあね」


古江さんはジロジロとあたし達二人を見比べて去っていく。古江さん、は新しいテニス部のマネージャー。細身で一見普通の子なんだけど、なんだか少し変わってる。でもその話はまた今度。あたしと弦一郎は、みんなが待つコートへと再び向かっていった。新しい嵐が、すぐそこでぐんぐんと大きくなっていることに気づかないで。もうすぐ初夏が来る。






<< TOP >>