35   大人の階段で

010518



最近弦一郎がなんだか少し、おかしいような気がする。なんだかこう・・・黙りこくる回数が多くなったというか。やっぱりこれだけ長く一緒にいるとなると、少しの違いでも気になってしまう。だからと言って、あたし達の間に何かがあるわけでもなく、ただ日々は淡々と過ぎていくだけ。そして、仮入部期間を終えて、あたしは無事テニス部へ入部いたしました。


「では結局テニス部に入ることにしたのか」
「うん!そりゃそうだよ、あたしにはこれしかないもん」
「しかし剣道部の方はいいのか?」
「うん。五日間だけでも違う部活の体験してすごく新鮮だったし!楽しかったし。でも、あたしはやっぱりテニス部でマネージャーやるのが性に合ってると思うし、せっちゃんとも全国優勝するって約束したし、ね」
「そうか・・・」


登校中混雑した車内で、そんな話をすると、弦一郎はその結果に満足したのかとても優しく微笑んでくれた。あたしはなんだか嬉しくなって、弦一郎の控えめにだけど腕を掴んだ。人前だぞ、と言いながらも結局学校の最寄駅までそのままでいるのを許してくれた。ちょっと様子が変だけど、なんだかいつもよりももっと優しい弦一郎も好きかも。なんだか、こう・・・丸くなったっていうか穏やかというか。でもその代わり、最近ふと思いつめたような表情をする。何か、思い悩んでいることでもあるのだろうか。あたしに、何かできないだろうか。


「弦一郎・・・何かあった?」
「む?」
「うーん、いや、なんかね?ちょっといつもと違うなーって思って・・・」
「そうか?何か特別なことがあったわけではないが・・・そう見えたのか?」
「うん。じゃあ悩みとかが原因?」
「・・・悩みか」
「あるの?」
「大したことではない。それに今のところは心配ない。大丈夫だ」
「そっか。それならいいけど。それでも何か辛くなったら言ってね」
「心配かけてすまないな」
「いえいえ」
「たるんどるな・・・」


弦一郎は帽子を目深にかぶり直す。なんだか、ちょっと言いづらいことなのかな。でも、今は大丈夫って言ってたし、大丈夫かな?でも弦一郎がそんなことを示唆するだけでもちょっと珍しいかも・・・。まあ、弦一郎が言ってくれる時まで待てばいっか。そんな風にあたしは弦一郎に気をかけながらもぼうっとしながらジャージに着替えていた。そういえば、部活にもうひとりマネージャーが増えたおかげで、今立海大附属高校のマネージャーは中学の時もマネージャーを務めてた先輩一人を加えれば三人になった。これで少し、仕事も楽になるかも。あまり代わり映えのない部活の日々がまた始まる。あたしの高校での春は、まだ始まったばかりだ。










* * *










それはある日の事だった。あたしは写真部の友達に頼んでおいてもらった弦一郎のベストショットの写真を、こっそり新しい生徒手帳にしまおうとしているところだったのだ。



「へ?あっあああ、げ、弦一郎!」
「今何を隠した」
「え、いや、何でもないよ?」
「・・・怪しいな」
「もーっなんでもいいでしょ!」


弦一郎は目を光らせてあたしが背後に隠した手帳に疑いを向けている。確かに、なんでもなくないけど。


「ほう・・・俺には見せられないものなのか?」
「う、うん」
「ならば力尽くで見るしかあるまい」
「えっ?あっ!」


弦一郎に似つかわしくない言動にあっけにとられているといつの間にかさっと手が伸びてきて後ろの生徒手帳を奪われてしまった。あたしが慌てふためいていると、弦一郎は先程どこのページを開いていたか知っているかのように弦一郎の写真が挟み込んだページを開く。な、なにこの手際の良さ。


「あんた・・・仁王ね?」
「さーすがじゃのう、
「あたしを弦一郎で騙せると思ってんの?」
「まあ、そう思ってもなかったがのう・・・しっかし、まあおまんも真田に首ったけじゃのう」
「うっ、うるさい!返してよ!」
「やなこった」
「こらっ仁王!」


あたしはジャンプして仁王の手にある生徒手帳に飛びつくけど、173センチもある仁王にあたしは届かない。というか、こいつ背伸びただろ。仁王は意地悪く微笑むとそのまま生徒手帳を手にしてひらりとあたしからの追跡を逃れようとする。そうはさせないんだから!!


「におーっ!!待ちなさーいっっ!!」
「おうおう、そんな怒りなさんな」


怒らせてるのはそっちじゃない!!大体弦一郎の変装を見破れなかったあたしもあたしだけど・・・仁王は全力疾走、っていうわけでもないのにひらりひらりとそれは蝶のように調子よく逃げて行く。あたしは振り回されてぜいぜいと息を切らしているっていうのに!


「ちょ、仁王       !」


人通りの少ない西階段に差し掛かったところ、仁王は非常用のシェルターが降りてきた時のためのドアの影に隠れた。と思ったら、階段下に弦一郎の変装をした仁王がいたのであたしは急ブレーキをかけて踵を返したところ、


「ぎゃっ!!」
?!」


あたしは落下していた。仁王が弦一郎の深くて低い声であたしを呼んだ時には時すでに遅し。階段につまづいてあたしは体が前のめりになり思い切り弦一郎を下敷きに踊り場へ尻餅をついてしまった。


「いったあああああ!おしり・・・あっ仁王、大丈夫?!ケガはない?!」
「ああ・・・俺は大丈夫だ。お前は大丈夫なのか?」
「え?うん、まあ、お尻痛いけど・・・っていつまであんた弦一郎の変装してるのよ」
「仁王とは何の事だ?」
「えっ・・・じゃあ、もしかして、本物の弦一郎?」
「本物とは・・・っっ、っっ!!」
「だ、大丈夫?どっかケガ・・・」
・・・手を・・・どかさんか!」
「あっ・・・ん?」


苦痛そうに顔を歪める弦一郎を心配していたあまりに、あたしはどこに手をついていたか全く気にもとめてなかった。何事かと自分の手元を見ると、そこには何だか硬い感触。弦一郎の       !!!!!


「ぎゃっ、ご、ごめ・・・!」


あたしはなんと、弦一郎の股間に思い切り手をついてしまっていたのだ!そこに体重をかけていた手をすぐさま外すと、あたしは恥ずかしさのあまり顔を背け、痛む腰を支えながら勢い良く立ち上がった。弦一郎の上に落ちたせいか、腰以外に痛みはない・・・けど。でも、でも、このシチュエーションをどうしたら処理出来るのか分からない。先程追っていた仁王のことも忘れ、手持ち無沙汰になるばかりなのでその場から逃げようとしたら思わず腕を掴まれる。ドキン、と鳴る鼓動。そして、反転する世界。次の瞬間、あたしは弦一郎に後ろから抱きすくめられていた。


「げ、弦一郎・・・!」
・・・!」


いつもと様子の違う弦一郎が、あたしの首筋に顔を埋める。こんな、こんな風な弦一郎は、今までに一度もない。ちょ、ちょっとちょっとこれはあたしどうなっちゃうの?!すると首筋に柔らかい感触を感じる。ちゅ、と響いた音にあたしはうなじに口づけが落とされたのを感じた。


「あっ・・・げんいちろ・・・」


弦一郎のその大胆な行為にあたしは反抗するように身を捩るけど、体にうまく力が入らない。体に、痺れが走る。ゾクゾクと背筋が震える。この感覚は・・・なんだろう?


・・・」


体をぐるりと反転させられる。弦一郎の胸が目の前に来る。体を預けようと思うと、瞼に唇が降ってきた。反射的に目を閉じて、彼の唇を受け入れる。そのまま弦一郎はあたしの唇に吸い付き、思うがままにしていく。


「ん・・・」


そのまま深い角度で、口づけは続く。思考回路は遮断。日の当たらない踊り場の空気は冷たく、そして人が通らず辺りはシンとしている。弦一郎の、愛撫に飲み込まれて行く。角度を変えて続くキスは、あたしの全てを奪っていくようにも思えた。もう、弦一郎しか見えない。そのまま弦一郎の腕があたしを引き寄せる。腰に、腕が添えられ、そして鼻先が触れる程度に唇を離す。少しの沈黙の後に、再び唇は求め合うように重なる。あたしは弦一郎の胸のシャツを汗ばんだ手で握った。


「んんっ」



あたしの名前を呼ぶと、弦一郎の息があたしの唇にかかる。生暖かい、弦一郎を巡った二酸化炭素。弦一郎は、欲望を込めた瞳であたしを見つめる。その全てが、もう愛しい。あたしは弦一郎を想うあまりか、もうその先何が起こるとか全然考えていなかった。気づかないうちに、弦一郎の手はスカートの下へと潜り込む。第一ボタンが開いた胸元まで弦一郎の唇が降下していく。もう、何も考えられない。ああ、理性が、理性はどこへ行ったのだろうか。


「はあっ・・・」
・・・・・・」


そのまま手が内股をなぞり、あたしは再びゾクゾクと体に震えがくるのを感じた。弦一郎が鎖骨をぺろりと舐めた時、あたしはハッとこの状況を察して弦一郎の手が大変なとこに差し掛かっていることに気づいた。


「げんいちろ、そこはっ!!」


あたしがそう叫んだ瞬間弦一郎も正気を取り戻したように目を見開いて、太ももの付け根までさしかかってる手を反射的に引っ込めた。けれど、あたしは我に返ったその瞬間、


「ひゃっ!」


あたしは声を上げてその場に崩れ落ちた。がつーんとお尻を打つ。あたしは先程受けた衝撃に加えてこの痛みに顔を歪めた。


「いったー!!!」
「だ、大丈夫か?!」
「う、うん・・・」


先程のように欲望の赴くまま事を進める弦一郎とは、違い優しい、テニスでできるはずのない位置にある豆のできた手であたしに手を貸す。優しくて、大きい弦一郎の手。


「た、立てない・・・」
「・・・・・・腰を抜かしたか」
「そうみたい・・・」
「無理もない。・・・本当にすまない」
「・・・・・・おぶって」


あたしは弦一郎の謝罪にかける言葉もなく目を逸らして頼んだ。すごく、恥ずかしい。だって、だって弦一郎の手があんなとこに・・・!


「大丈夫か?顔が真っ赤だぞ」
「だって弦一郎が!!」
「む・・・すまない。では、おぶるぞ」
「うん」


それにあの硬い感触。あれは・・・いわゆる・・・。弦一郎も、男の子なんだ。うん、そうだ。知ってるけど、でもお子様のおままごとみたいなキスだけで、あたしはそれ以上を考えてなかった。いや、考えてた。むしろ、弦一郎とそういう関係になりたいって憧れてた。でも、まさかこんな形で、その一歩を踏み出してしまうなんて・・・予想外だったんだもん。


「腰は・・・まだ痛むか」
「ちょっと」
「そうか・・・保健室へ行くか」
「えっだって授業」
「それどころではないだろう」
「うーん・・・」


弦一郎の背中の温もりを直に感じる。あたしのこの心臓の鼓動も、全て聞こえてるのかな。弦一郎の髪が鼻をくすぐる。西階段は、人通りが少ない。それだけが、先程の出来事の救いだった。


「あら、どうしたの真田くん・・・あらさん」
「そこの階段で転んで腰を打ったようです」
「それは大変、早く見なきゃ。真田くん、さんをそこの寝台に下ろしてあげて」
「はい」


あたしは湿布を腰に張ってもらうと、そのままベッドへ連れて行かされた。弦一郎はあたしの様子が気になるようで、あたしの処置が終わるまで残ろうとしたけど保健の先生に追い出されてしまった。ズキズキと痛む腰は湿布のおかげで冷却されていくけど、この気持ちが冷めることはない。弦一郎、あたし達、これからどうするの?弦一郎は・・・どうしたいの。それが訊けなかった。ただ、あの甘い痺れに、身を任せたいのと、そして恐ろしいのと、そして弦一郎への想いが、渦巻く。気まずいまま、別れちゃった。


あたしは具合悪いのを装ってそのまま保健室のベッドに居座った。実際、腰も痛くて起き上がる気力もなかった。強い風が吹く、木々が揺れる。まだまだ、荒れた春は続くようだ。







<< TOP >>