33   未来予想図

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、ただいま駅で真田弦一郎を待っております。早く着きすぎた。早く着きすぎたということはあたし、もしかしなくてもめちゃくちゃ緊張してる。服も薄いグレー地のローズプリントのキャミワンピ、長めのニットカーディガンを羽織ってスキニージーンズに脱ぎやすいパンプスとキメ過ぎず、オシャレに手を抜いていない格好、だとは思う。服もそうだけど、弦一郎の家にあがるなんてそんな!!!とかもう焦っても今更なんだけど、それだけ緊張してる。


、待たせたか?」
「弦一郎!ううん、今来たとこ。弦一郎も早いね!」
「む、そうか?だがお前こそまだ20分前だというのに・・・」
「まあ、すぐ会えたから良かった!」
「では行くか」


実際私服で弦一郎に会うのはかなり久しぶりだった。ほとんど制服デートだったから。弦一郎は黒字の幅のあるストライプの入ったポロシャツにインナーは緑、濃い色のジーンズ。すっごく似合ってて、トラッドだし、シンプルで大人っぽい。それにいつも腕につけてるパワーリストの代わりに革のベルトの文字盤が黒で質実剛健なデザインの腕時計をしてる。正直、すごく、かっこいい。あたしはちょっといつもと違う弦一郎にドキドキしながら弦一郎の背中を追う。弦一郎はあたしの歩幅に合わせて歩いてくれるけど、なぜかこっちを見ようとせず、口数もいつもより少ない。不思議に思ってちょっと前を歩いて弦一郎を覗くと弦一郎はハッとしたようにあたしを見た。


「弦一郎?」
「ど、どうした
「なんでもない!」
「・・・そうか」


あたしの奇行に慣れている弦一郎はそれ以上何もその行動については言及しなかった。弦一郎が黙る時って、ちょっと緊張してたり考え込んでたりする時なんだけど、もしかして弦一郎も緊張・・・してるのかな?うーん・・・。とかなんとか思っている間にふと気がつけばなんだか大きい日本家屋が。弦一郎が立ち止まり門を開く。入り口には砂利が敷き詰めてあって、自然のままの形の渡り石が引き戸の玄関へと続く。閑とした玄関までの道に鹿威しの音が鳴る。あたしの父方の祖母の家もそうだけど、山に囲まれた祖母の家とは違って向かいの道路から遮断された世界がここにはある気がした。ここが、弦一郎の育った場所。


「何かあったか?」
「ううん」
「では早く来い」
「うん」


あたしはそのまま渡り石を伝って玄関へとたどり着く。ドキドキしながら弦一郎が引き戸に手をかけるの待つ。


「ただいま帰りました。」
「はーい」


奥から弦一郎のお母さんの声が聞こえてきてパタパタと足音が鳴る。一度小さくお辞儀して玄関を通る。普段弦一郎からほのかに香る白檀の香りが鼻をくすぐった。


「いらっしゃい、ちゃん」
「今日はお邪魔させていただきます」
「お久しぶりね、ちゃん。今日はよく来たわね、さあ、あがって」
「はい、どうもありがとうございます」


弦一郎のお母さんとはもう3年前からの付き合い。授業参観の都度に挨拶しているし、それに大会にもたまに見に来ているし。あたしは自分がおしゃべりなのもあってかようテニス部員のお母様がたともよくおしゃべりしたりするから仲がよかったりする。それでもこうやって彼氏のお母さん、っていう関係になってから会うのは今日が初めてだ。弦一郎のお母さんは柔和な笑みを浮かべて、居間へと通してくれる。いつ見ても、弦一郎のお母さんは凛とした美人で、でも優しそうで、キレイな黒髪をお団子状にひとまとめにしていて大和撫子って感じで本当に素敵だなあといつも思う。


「普段女の子の話なんてしないのに、昔からちゃんのことだけはよく話していたから、付き合うことになったって話を聞いた時はそれほど驚きはしなかったのよ。それにちゃんは私もよく知っているし、本当に嬉しかったのよ」


弦一郎のお母さんはお茶を淹れながら本当に嬉しそうに話してくれた。お構いなく、と断ってもニコニコと愛想よく笑いながらお菓子も食べてね、と気遣ってくれた。隣で正座してむっつりと座っている弦一郎をちらりと見やるとぴくりと眉間の皺を器用に動かした。


「弦一郎くんは家でもこんな感じなんですか?」
「そうね、いつもこんな感じにしかめっ面よ」
「・・・ぷ」
「母さん!!」


あたしとお母さんが笑い出すと弦一郎は困ったように双方を見比べる。先程まで張り詰めていた緊張感はどこへいったものやら。通された居間からは庭が見えて、今日のような快晴の日にはいい風が吹いて気持ちいい。平屋は風通しがいいから好きだ。


「そうだ、ちゃん夕飯ご一緒にどう?今日は牛肉の金平牛蒡に山菜の和え物なの」
「いえいえそんな、お夕飯までご一緒になんて・・・」
「一緒にどう?なんて言ったけれどもうちゃんのお母さんには連絡は取ってあるの。いいわよね?」
「あ、そうなんですか・・・ではお言葉に甘えて」
「そうだわ弦一郎、お祖父様にちゃんを紹介してきなさいよ。こんなにかわいくていい子だもの、お祖父様もきっと気に入るわ」
「そうですね・・・、離れへ案内しよう」
「うん」











* * *










弦一郎のお母さんに挨拶して、弦一郎が案内するままに離れへと向かう。お祖父様は普段母屋にいるけど、裏の離れで寝ているそう。一度玄関に戻って庭に出る。広々とした日本庭園に、よく手入れされた盆栽や松。自分が神奈川にいることを忘れそうな長閑さ。


「今日はご家族はお祖父様とお母さんだけ?」
「夕飯には父さんと兄さんが帰ってくる。義姉さんは今日は出かけているが、甥っ子の左助君は今いる」
「えっ、弦一郎って甥っ子もいたんだっけ?!」
「ああ、言ってなかったか?」
「うん・・・そっかもう甥っ子がいるんだー・・・カツオみたい」
「カツオ・・・?ああ、サザエさんか」
「いくついくつ?」
「六つだな」
「小学一年生かーいいなああたしも弟とか欲しかったなあ」
「む、そうか?あれには手を焼かされているが・・・」


そう話しているうちに離れへとついた。派手な赤い着物を着て離れの縁側に座って小さな男の子の相手をしているご老人。白い立派な髭をあごひげをたくわえて、眼光は弦一郎と同じように鋭い。こちらに気づくと、すごく厳しそうな雰囲気から一変して孫思いのお祖父さんの笑顔が見えた。


「おお、弦一郎か。それにこちらのお嬢さんは・・・」
です、初めまして」
「ではこの子が弦一郎の彼女のちゃんなんじゃな!弦一郎も可愛い子を捕まえおって・・・」
「からかうのはおやめ下さい、お祖父様!」
「カッカッカッ本当のことを言っただけよ」


お祖父様は愉快そうに笑うと、相手にしていたおかっぱの男の子が興味深けにあたしを覗いてきた。ちょっと、昔の蓮二に髪型が似てるかも。


「おじさんのかのじょー?」
「・・・そうだが。しかし左助くん、誰がおじさんだ?」
「ゲンイチロー!」
「こら、待たんか!!」


弦一郎はそう憤ると逃げ回る左助くんを弦一郎らしくもなく追い掛け回した。あたしはそれを面白そうに笑ってみているとお祖父様もいつもの光景なのか笑いながら少し呆れたように二人を目で追いかけている。


「いいですね、かわいいひ孫さんがいて」
「そうじゃな、この年でもう曾孫ができるとは思わなんだ・・・しかし、弦一郎が彼女を連れてきてくれるとは本当に驚きじゃ」
「挨拶が遅れてすみません、本当は夏の頃からお付き合いさせて頂いてて・・・」
「いやいや、よく来てくれた。わしも本当に嬉しいよ。弦一郎から話をよく聞いてたから初めて会うとは思えんのう」
「この度はご招き、どうもありがとうございます。わたしもこうやってご挨拶することができて本当に良かったです」
「そんな固くならなくてもええんじゃよ。これからちゃんとながーい付き合いになると思うしの、弦一郎?」
「お祖父様ーっ!!!」
「ほれほれ、弦一郎いつまでもイタチごっこなどしとらんで左助を紹介せんか」


弦一郎は少し息を荒げながらも左助くんを捕まえてこっちへと向かってくる。ちょっと生意気そうな目をした、男の子。


「これが甥の左助くんだ。挨拶しなさい」
「初めまして」
「初めまして左助くん。っていいます、よろしくね」
「・・・?」
「こら、お姉さんと呼ばんか!」
「・・・ちゃん」
「左助くん!!」
「アハハ、弦一郎なんでもいいよ」


左助くんは弦一郎の傍を離れるとまるで弦一郎が怖いのか、あたしの後ろにさっと隠れた。


「おじさん、うるさいよ」
「なんだと?!」
「うむ。弦一郎うるさいぞ」
「なっお祖父様まで!」
「弦一郎もうおじさん呼ばわりされてるの?」
「そうなんじゃよ、弦一郎もこの年でもうおじさんになってしまったもんでの・・・」
「お祖父様!」


再び笑いが起こって、この気さくさにすごく居心地の良さを感じる。すごく、厳かで鋭いイメージのあったお祖父様も、真田家も、すごく温かい。大きな弦一郎の家も、これだけ温かい家族がいたら楽しいだろうな、とあたしは核家族でマンション住まいの自分の家を比べて思う。すっかりあたしもこの家に馴染んでしまった。


「弦一郎くんはお祖父様似なんですね、そっくり」
「そうじゃの。でも弦一郎のこの頑固さは倅に似たのかのう・・・一生結婚できないと心配だったわい」
「お祖父様!」
「そんな目くじらを立てなくともよかろう、弦一郎。こうやって未来の嫁さんが来てくれてる時に・・・」
「よ、嫁さん?!」
ちゃんは嫌かの?」
「い、い、いえ・・・そんな・・・」
「お祖父様、を困らせないで下さい!」
「カッカッカッ!しかし、お前の性格じゃときっとそうなると思うんだがなあ。何しろお前の父親もそうじゃった・・・」


いきなりの弦一郎のお祖父様の発言にあたしはすごく顔を赤くして弦一郎の顔を伺うと弦一郎も顔を赤らめてそっぽを向いていた。結婚・・・かあ。そりゃ、一度は夢見たことある。でも実際こうやって言われてみると、すごく恥ずかしいし、それにまだ、よく分からない。そりゃ弦一郎と結婚できたら・・・って思うよ。もう15だもん。そんなことを悶々と考えていると正座してるところに後ろからぐっと重みがかかって何事かと振り返る。


「ねーねーちゃんはゲンイチローのどこがいいの?」
「左助くん!」
「こら、左助。それじゃあちゃんが答えづらいじゃろ。こっちへ来なさい」
「はーい」


左助くんはニコニコしながらあたしの前に来て座る。本当にかわいいなあ、小さい子は。あたしも、いつかはこんな子供ができるのかな。


「それでどこが好きなの?」
「えーっ」
「教えてよー」


左助くんはねえねえと駄々をこねるのに弦一郎は見かねて「左助くんっ」って怒鳴ったけどお祖父様はあたしの答えを聞きたいらしくて、それをまあまあ、と制する。うう、答えなくちゃいけないのね・・・。こんな純粋な目をしたかわいい子にはあたしも逆らえない。


「えっとねー優しいとこかな?」
「えー!!ウソだー!!」
「嘘とはなんだ!!」
「こらこら弦一郎」
「嘘じゃないよ、左助くん」
「えー・・・じゃあ他には?」
「えっ・・・えーとね・・・うーん・・・」


あたしは困った顔で弦一郎を見ると弦一郎は照れたように目線を逸らす。そんなとこが大好き、とはすごく言い辛いんだけど。


「弦一郎は左助くんとよく一緒に遊んでくれる?」
「えー?うーん、うん・・・でも僕が一緒に遊んであげてるんだよ!」
「あはは、そうなの?じゃあ、そういうとこが好きかな」
「何それ、そんなんじゃわかんないよ!」
「つまりねー、なんだろ・・・全部好きってことだよ」


あたしは小さく弦一郎の耳に届かないくらいの声で言う。でも左助くんが大きな声で、


「えー!おじさんのこと全部好きなのー?」


なんて言い出すもんだからあたしは大あわせてして左助くんの口を手でふさいだ。


「ちょ、左助くん!!」
「カッカッカッ!弦一郎、いい子を連れてきたのう」
「左助くん、それに、お、お祖父様ッ」
「こりゃあ手塚に自慢せにゃ」
「手塚・・・?」


あたしは真っ赤になりながらも、お祖父様の一言でそっちに思考が持ってかれる。すると弦一郎が、わたしの反応に納得したように説明してくれた。


「青学の手塚の祖父とお祖父様は警察学校で同期だったらしい」
「じゃああの手塚かー!じゃあ昔からの縁だったんだねえ」
「俺と手塚が会ったのは小学六年生の時だがな」
「ほう、ちゃんも手塚の孫のことを知っとるのか」
はテニス部のマネージャーだと言ったではないですか、お祖父様」
「おお、そうじゃったそうじゃった!いや、この年になると物忘れが激しくなっていかんいかん」


左助くんがよく分からない話題についていけなくて、つまらなそうにしていたので頭を撫でてあげるとべったりとくっついてきた。どうやら甘えんぼさんらしい。


「こら、左助くん!」
「カッカッカッ、弦一郎、男の嫉妬は見苦しいぞ」
「そうだよ、ゲンイチロー、見苦しいよ」
「な!!」


あたしは左助くんをおんぶしてあげると左助くんはあたしの背中ではしゃいだ。弦一郎はなぜかあまりいい顔しなかったけど。そこでお祖父様はあたし達に気を遣ってくれたのか、手塚のお祖父さんに連絡をすると言い、弦一郎にあたしを家を案内するように勧めてくれた。そこで、あたしはようやく弦一郎の部屋に通されることとなった。弦一郎の部屋に一番興味あったからいざとなるとやっぱり、すごーく緊張する。縁側から母屋に入り、弦一郎はあたしを自室に通してくれた。そこは先程いた居間とあまり変わらず、書院造りの畳の部屋。重厚な木で出来た机に、風林火山の掛け軸に置物。本当に弦一郎らしいな、と思って思わず笑がこぼれた。


「弦一郎の部屋、らしいね」
「そうか?今座布団を出す」
「ありがと」


あたしは出してもらった座布団に腰をかけると、周りを見渡す。無駄なものが置いてなくて、本当に、弦一郎の武士道に適った部屋らしい。ふと、先程話題が出た手塚のことを思い出す。


「手塚、ドイツに行っちゃうんだっけ」
「ああ。来週には発つと聞いた」
「そっか、寂しくなっちゃうね・・・」
「フン。まあアイツがおらん大会は少し味気がないがな」
「来週のいつ?お見送り行きたいね」
「そんな義理を交わす程でもあるまい」
「えー弦一郎薄情。手塚のこと好きなくせに」
「な、何を言うか!!」
「手塚の話する時、弦一郎楽しそうだよ」
「たわけ!」


弦一郎は拗ねたようにそっぽを向く。あたしはそんな弦一郎をくすりと笑いながら見る。もう、素直じゃないんだから。すると弦一郎は少し頬を赤らめてあたしを見据える。深く息を吸い込んで、咳払いをしたからあたしは何事かと思わず姿勢を正した。



「今日は・・・」
「今日は?」
「そのだな・・・いつもと、見違えた」
「え?」
「だから・・・いつもと、格好が違うだろう」
「あ、ああ・・・うん」
「いつもより、大人びて見える・・・」


あたしはその真摯な弦一郎の瞳に恥ずかしくなって視線を外してしまう。弦一郎が、あまりにもあたしを真っ直ぐ見つめるから・・・。弦一郎がくれる視線は、いつもあたしを熱に浮かせる。心臓が跳ねるのを隠すように、あたしは頬に手を当てた。


「そ、そうかな」
「ああ」
「てっ、手塚のお見送り一緒に行こうよ。ほら、いつ行くか訊いてさ」
「・・・・・・」


あたしが話を逸らそうとすると弦一郎はすくっと立ち上がり、あたしの前に座った。慣れない環境に、弦一郎がいて、いつもより鼓動が早まる。麩から光が漏れて、和風な弦一郎がいっそうこの部屋に溶け込んで見えた。


「手塚の話は今はいいだろう」
「弦一郎・・・」
「全部好きだと、言ってくれたではないか」
「それは・・・!」
「お前の口からちゃんと聞きたい」


弦一郎はそっとあたしを抱き寄せる。家族の方がいるとわかってても、家が広いから、廊下の先までしんと静まり返っていて、この甘い痺れに世界があたしと弦一郎しかいないような錯覚を起こしている。あたしは今日初めて触れる弦一郎に新鮮さを覚えながら腕を背中に回した。


「・・・全部、好き・・・だよ」
「・・・・・・


弦一郎はあたしの頭を抱えてぎゅう、と力強く抱きしめる。あたしも素直に弦一郎の胸に体をあずけた。この胸から聞こえる鼓動が、すごく心地いい。生きてる温もりを、弦一郎はいつもあたしに教えてくれるから。しばらく抱き合っていると、弦一郎はあたしを体から少し離して、額に口づけてくれた。久しぶりの、キスは、優しく、静かに。


「ありがとう」
「げんいちろう・・・」


あたしは目を見てお礼を言う弦一郎に静かに微笑む。そして目を瞑って唇を待つ。そして、触れる、弦一郎とあたしの唇。キスの間、瞼の裏に弦一郎との未来を思い描いた。太陽の日差しを浴びて、いつもと変わらない風景に、今より大人になったあたしと弦一郎が寄り添って笑い合っている姿。いつか、叶うといいな。そんなあたしと弦一郎の、未来予想図。







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