30   少年は少女にキスをする

090730



余裕がないのはあたしだけなのかな?正直、真田の腕に再び抱かれた時はもうキスシーンあったっていいや、って思えたのに。あたしは真田にいっぱいいっぱいなんだけど、真田は違うのかな・・・・・・。


話は変わって劇に関しては上出来だと思う。真田と顔を合わせても、あの事は再び話題にしなかったし。クラスでの出し物は執事・メイド喫茶。時間帯によってメイドと執事が入れ替わるっていうちょっとした斬新なアイディアの喫茶店。つまりあたしと真田の休憩時間はほとんど重ならない。男子硬式テニス部は模擬店も兼ねてるため、『眠れる森の美女』は一日一公演きり。それにせっちゃんのビラの宣伝文句ときたら、『世界一お堅い王子、ロマンスを駆け巡る!眠り姫の呪いはその唇で解けるのか?!』だなんて呆れを通り越して、・・・・・・もう笑うしかない。確かにシナリオは結構改変してあって、コメディ要素もうかがえる。せっちゃんの申し出で、ファンタジーの世界だというのにフツーにお互いの名を呼び合って劇するところとかもこれが地味であってもなかなか面白い。笑いあり、涙あり、感動ありが一番客を惹き付ける要素だと、せっちゃんはいう。お前はいつ舞台監督になったのかっていうツッコミはお断りらしい。


そんなこんなで文化祭当日。劇以外ではあんまり会話を交えてない真田とは今日、リハーサルまでほとんど顔を合わせない。というわけで今は丁度お昼を広げているところです。友人の噂で真田の執事姿も結構ウケてるらしいとのことを聞いてあたしは今少しご機嫌ななめです。


「アハハ、じゃぁも真田の執事姿を見に行けばいいじゃないか?今いるんだろ?」
「そーだけどさー・・・明日も見れるし」
「俺が一緒についていってあげるよ」
「いやいやせっちゃん本番まであと1時間半なんだよ?早くお昼食べちゃわないと」
「精市、面白がるのはいいがの言うとおりだ。弦一郎の執事姿を見るには明日行けばいい事だ」
「ちぇっ。でものメイド姿は今日見に行くからね。明日は俺、クラスの当番で見に行けないんだ」
「えっ、ちょ、来なくていいよ!」
「ふむ、俺も興味がある。精市と後でA組を訪ねるとしよう」
「柳まで!」
「蓮二お父様、だろう?」


柳が笑みを含んで言うと、あたしはお弁当のおかずのウィンナーを箸でつついていたのをようやく口に運んだ。最近、あたしが柳、と呼ぶたんびに柳は意地悪くこの文句を言う。ちょっと自意識過剰ぎみかと思うけど、柳は名前で呼んでほしいのかな?そういえば、あたしは未だに真田を名前で呼べてない。意識してるわけじゃないんだけど、いや、してるんだけど・・・劇中で何度も「弦一郎」と呼んでいるのでたまーにそのまま下の名前で呼びそうになる時もある。でも、やっぱりなんだろ、こうそういうのは勝手に呼んで流れのままに流しちゃってもいいかもしれないけれど、真田の場合なんとなーく合意の上で呼ばなきゃいけない気がする。これはあたしの中での問題、なんだけどね。


ちなみに今あたしたちは屋上にいる。文化祭の期間中、屋上は閉鎖されてるはずなんだけど、ところがどっこいせっちゃんが職員室から鍵を拝借してきてあたし達は今秘密裏に屋上でお昼を広げているのだ。3年A組の今日の日程は午前が男子の当番で、半分が執事役、裏方は女子も数人交えて後の半分が担当している。あたしは裏方を希望したんだけど、くじであっさりメイド役に決まってしまった。いや、そりゃメイドもちょっとは興味あったけどさ・・・。まぁ、その被害者は真田と柳生も同じ。まぁ、でも演劇が丁度午後の部の初めの時間帯にあるから、実質あたしと真田と柳生がクラスの方を手伝えるのも少ない時間だけなんだけどね。


?どうしたんだい、箸が止まってるよ」
「また考え事でもしているんだろう」
「・・・キスシーンのこと?」
「え、いや、別に・・・」
「・・・・・・が本当に嫌なら・・・別にフリでも構わないよ」
「え?!」
「だって本当に深刻そうに考えてるからさ。まぁ俺も少し無謀だったかなーって。シャイなと奥手な真田にそんなこと、要求してもね」


せっちゃんは柔和に微笑んで、あたしの頭を大きな手で撫でた。今更かよ・・・とちょっと思いもしたけど、せっちゃんなりの心遣いだったのであたしは何も言わなかった。それに、ちょっと泣きそうだった。あたしは、もう別にいいんだ。でも、真田はそういうこと、まだしたくないみたいだし。あたしだけ舞い上がって、なんだかやんなっちゃうよ。


「さぁそのブロッコリーの茎の炒め物食べないと着替えにいけないよ!」
「げ・・・あたし茎嫌いなんだよね・・・柳、いる?」
のためにここは断っておこうか。」
「せっちゃん、意地悪な蓮二お父様のせいで食べるのにあと30分はかかりまーす」
「仕方ない、半分だけ食べてやろう」
「わーい!柳くんだいすき!」


あたしが器用に柳の箸でひょいひょいとおかずを柳のお弁当箱に移動させていると扉の方で気配を感じたので振り返ってみれば、真田が棒立ちで突っ立っていた。げ、今の聞かれちゃったみたい?真田の場合、こういうの本気で受け取るからなァ・・・ど、どーしよ・・・。それにしても、真田執事姿のまんま来てる!あたしは不覚にも自分のしでかしてしまった失敗になんとなく浮気してしまった妻のような背徳感を抱きつつ、真田の燕尾服姿に見惚れてしまっていた。


「・・・もうすぐ集合時刻ではないのか」
「ああ、真田。俺たちももうすぐ行くところだよ」
「む、!好き嫌いせんでちゃんと食わんか!」
「えー・・・だって嫌いなんだもん」
「好き嫌いするなどたるんどる!蓮二もを甘やかすからいかんのだ」


真田は鋭く柳を睨んだけどさすがの柳はそれに物怖じせず、淡々と次のような事を述べた。


「では弦一郎、お前が食べればいいだろう。結局お前はそれが気に入らないのだからな」
「む、それでは結局のためには・・・」
「もうごちゃごちゃうるさいよ。さぁ、それだけたいらげちゃって、行くよ」
「え?あ、え?」


あたしがお弁当箱をのぞくと柳と真田がうだうだ会話している間にせっちゃんがあたしの弁当箱からほとんどブロッコリーの炒め物を食べてしまっていた。真田は帽子もないのにそれを目深に被るような素振りを見せて、「たるんどる」とか「だが蓮二には・・・」とかなんとかブツブツ呟いている。真田の挙動不審な様を眺めつつほとんど一口となってしまったおかずをあたしはすぐにたいらげ、口臭のためのガムを噛む。せっちゃんはなんだか少しイライラしてる様子で、真田になんかあたってたけど、どうしてかなぁ?もしかしたら、あたしが遅かったからいけないのかも・・・後で謝っておこう。本日の空の機嫌からすると客足は上々だと予測できる。でもやっぱりどれだけ多くのお客さんが来るかわからないけれど、うー、今から緊張してきた。それになーんか、真田とこんな状態のまま劇をするっていうのもなんだかすっきりしないし。あーもう早く劇終わんないかな、もうなんだか色々自分ぐちゃぐちゃで物事を要領よくこなせない自分が本当に、本当に、嫌になる。










* * *









あたしたちは全員着替えを終え、そしてリハーサルに臨んだ。特に大きなミスとかはなかったけど、せっちゃんはあたしの動きが悪いって注意した。確かに、緊張してるし、この心の中の最大限に膨れてしまったわだかまりを抱きながら最高の劇ができるだなんて思ってない。涙腺がゆるいあたしは、ちょっとでも興奮したり感動したり、緊張状態になるとすぐに涙が溢れだす。でも、今は胸がはちきれんばかりの苦しさで、目の奥が熱くなる。なんでこんなにも泣きそうなのかは、分らない。でもやっぱり、真田と舞台前に必ず向き合わなきゃいけないんだと思う。真田に、せっちゃんから言われたことを伝えなきゃいけない。やらなきゃいけないことはわかってるのに、こんなに悲しく切なくあたしの胸が縛られるのはなぜだろう。


口がカラカラに乾いてゆく。控室といっても、まぁ体育館の舞台裏にある放送室なんだけど、そこに置いてあるペットボトルにはなぜだか手を伸ばす気にはならない。人前に出ること、こんなに緊張するっけ。平静は保っているつもりなのに、なぜだが全身が震えているのがわかる。あたしの出番は中盤からなので、あと10分はここで待たなければならない。5分前には舞台袖に移動する。平常心、平常心、と自分に言い聞かせてもなんだか胸がざわつく。音楽が流れ始めた。幕は上がった。音楽がなぜかやけに遠くから聞こえる。うう、なんだかお腹ちょっと痛くなってきた・・・。あたしと真田は先ほどから会話を交えてない。真田も緊張してるのか、空気はピンと鋭くそして張っていた。でも、言わなきゃいけないことがある。舞台が始まる前に、言わなきゃいけないことがある。あたしはぎゅっと握りつぶされたような心臓を痛みを感じながら、重々しく口を開いた。


「真田・・・?あのね、ちょっと話したいことあるんだけど」
「む、なんだ」
「その・・・せっちゃんがね・・・えっと・・・キ、キスシーン、フリでもいいよって、言ってくれたから・・・」
「・・・そうか」
「うん・・・」


あたしは煮え切らない真田の反応と自分の気持ちにいい加減苛立っていた。あたしはこの15分後、姫になりきらなければならないのに!はっきりきっぱり言ってしまう性格もここまで迷いきっていれば意味を成さない。舞台上でのあたしの役は、堂々とハキハキしてて、とせっちゃんが脚本にあたしたちそれぞれの個性を出して描いてくれたはずだ。なぜだかまた瞼が熱くなってくる。最初のシーンはただの森の少女だからドレス姿じゃないにしろ、涙を流しちゃうとせっかくのメイクが取れてしまう。もう・・・言ってしまえばなんとでもなるよね。っていうか、もうどうにでもなれ!


「真田、」
「どうした?」
「真田は・・・真田は、キスシーンだけじゃなくて・・・キス、もいやなの・・・?」


生唾を飲み込んだ。真田はあたしの向かいの机に腰かけていて、着替えた衣装は真田の引き締まったしなやかな体をさらに強調させていた。少し俯き加減にあたしを見つめ返した。そして、腰を上げてあたしの方へ歩み寄る。真田の瞳は、いつになく真剣だ。


「お前は・・・嫌、ではないのか?」


真田が質問に質問で返してきた上に至極当然のことを尋ねられてあたしはなんだかその時なぜかいきりだってしまっていた。



「あ、あたしは初めっから嫌じゃないよ!むしろ・・・あたしは・・・」


すると視界と共に何かが塞がれた。ふわりと空気が動いたのと同時に、あたしは顎に指を添えられて、生温かいものが唇に触れるのを感じた。ぎゅっと押しつけられて、突然だったために息ができない。カサカサとした皮があたしの唇を揉む。気付いた時には真田の鼻筋があたしの目の前にあって、唇を離した後に大きく息をはいてしまった。


「やっ・・・真田?!」
「す、すまない!そ、そのだな・・・お前が嫌ではないと・・・言うから」
「え、あ、う」


あたしは言葉にならない声を上げて立ち上る上気にすっかり酔って、顔を熱られていた。さ、真田ってば・・・今、あたしに、キスした・・・?


「真っ赤・・・だぞ」
「・・・・・・真田だって」


声が鼻にかかる。涙声だ。


「な、嫌だったか?!」
「ううん、バカ、うれしいの・・・」


あたしはそのまま涙を流しながら真田の胸の中に飛び込んだ。真田も、優しくあたしを受け止めてくれた。ドキドキと鼓動がおさまらない。緊張とは違う、心地よいドキドキ。こんな時でも過る舞台のことを考えて時計を横目で見れば、あと5分で舞台袖に行かねばならない。でもこの胸から離れたくない。あと5分だけ、夢見たっていいでしょ?


「真田は・・・嫌じゃなかったの?」
「嫌なわけがあるまい。ずっと、こうしたかったのだ・・・」
「あたしも・・・なんでしてくれなかったの?」
が・・・が、嫌なのかと思っていた」


きゅん、と胸がときめいたのがわかった。真田があたしの名前を言いなおしてくれた!もう天にも昇ってもいいよ、あたし!涙が溢れるのをこらえつつ、あたしは彼の胸に顔を埋めた。


「ヤじゃないよ・・・もっとして・・・好きな時に、して・・・」
・・・」


真田はあたしの頭に手を添えると、恥じらうあたしを支えて再び口づけを落とす。先ほどより、優しいキス。あたしの唇を味わうように、堪能するように、上唇を動かす。小説とか、映画とかでしか知らなかった、誰も知らない甘い声が出た。


「ん・・・んう」
「苦しかったか?」
「ううん・・・・・・苦しくないよ・・・、弦一郎」


あたしは自分で言って顔が再び赤く染まるのを感じた。さな・・・弦一郎も、褐色ぎみの肌をぽっぽっと熱らせて。時計を見やると、すでに舞台袖に移動するまでわずか1分。ここを出る、準備をしなくちゃ!あたしはとっさに鏡を見て泣いた後の支障がないかとチェックし、弦一郎の胸を離れた。名残惜しい。もっと、くっついてたい。だけど行かなくちゃ。でも、さっきなんかより全然、心が軽くなった。縛りつけられてたものが解かれて、よくわからないけど、一言で言えば今のあたしはなんだかとってもいい感じ!


「じゃ、行ってくるね!」


あたしは自分の中でもとびきりの笑顔を弦一郎に向ければ、弦一郎も微笑み返してくれる。扉を開けば、舞台の音楽があたしを誘う。あたしは森に住む、恋人を夢見る年若い少女。その正体は悪い魔女に呪いをかけられた、お姫さま。でも、永遠に眠れる悲劇の姫だっていいの。だってあたしだけの素敵な王子さまが、キスで永遠の愛に目覚めさせてくれるから!






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