29   泥む想いたち

090715



幸村が書いた歯の浮くような言葉ばかり連なれた脚本のせいでいささかまいってしまったのか、最近妙に・・・ではなくとの・・・そのだな、キ、キスシーンというものが頭にこびりついて離れん。俺は、そういうことに関してはどういうタイミングですればいいかもわからんし、それに俺たちにはまだそういう行いは早いと思う。と蓮二に打ち明けたところ、「女子の間ではファーストキスを経験している年齢は平均的に中学生から高校生にかけてが一番多く44パーセントにも上るぞ」と一蹴されてしまった。しかし、俺にはがそういう行いを望んでいるようには思えなかった。先日、問題の場面について少し話し合った時『フリ』をすればいいではないかと提案したところ、はどうやら安堵しきった表情を見せたからだ。もこの事に関してはまだ俺たちには早いと思っているのだろう。しかし俺はそれを知った瞬間なんとも言えぬ落胆を味わった。蓮二が以前言っていた「好意を持っている相手に対して触れたい、と思うことは自然なことだ」ということなのだろうか。


には触れたいと、俺は思う。あの柔らかな体をこの手で抱き締めている時は気分が非常に高揚する上に、気持ちが落ち着く。普段レギュラーの面々と仲が良いが、俺だけにあのように甘えてくることを知ると、不安が安らぎに変わる。独占欲が強い、とは思う。しかしそれであいつを縛ってはいけないとも自覚しているし、何よりが望まないことを強行しようとも思わない。せっかく育んだこの関係を壊したくないと思っている。しかし、それのせいで俺は今立ち往生させられている自分に気付いた。演劇の練習中もいやに意識してしまう。未だ下の名前で呼び合えない俺らの仲では、名前を呼ばれただけで熱がこみ上げてきてしまう。こんな一つのことに惑わされるとは、恋とは魅惑的であるがゆえに人をこんなにも迷わせるのかと改めて思った。


「キスシーンのこと、俺は譲らないから」
「しかしだな、幸村・・・」
「まぁ姫を起こすときのキスシーンは別に『フリ』でもかまわないけど。あの位置だと観客からよく見えないしね。でも最後の大団円は王子と姫の感動的なキスで閉める。これは欠かせないことなんだ、真田。」


説得力ある幸村の発言に俺は何も言えなくなってしまった。確かに、こういう恋愛ものにそういうシーンはつきものらしい。赤也やブン太がよく話している最近のテレビドラマの話題を耳に挟んだところ、最終回でヒーローとヒロインは口づけを経て、やっと恋人同士となれ終わりを迎えたようだ。しかし当人同士が嫌だと言っているのにもかかわらず、幸村は強情だ。一応はも幸村に意見したらしいが取り合ってもらえなかったようだ。俺としては行為自体は・・・その、嫌ではないのだが、公衆の面前で、しかも演技などでそのようなことをするのは如何としがたいところがある。それにはどうだ。俺とそういうことをすることに対して躊躇いを感じているではないか。これは何としても幸村にあのシーンを撤回するよう頼むしか他にはない。しかし俺が何度言おうとも幸村は聞く耳持たずではあるし、蓮二も精市が言うのでは仕方がないと言って最早事を見守る以外にしようがないとでも言う。他の部員で幸村に反論しようという者はおらん。歯牙にも欠けないようだ。それはそうかもしれん・・・これは、俺ととの問題なのだからな・・・・・・。


「真田、衣装合わせを演劇部の部室で行うらしいぜよ。伝言じゃき」
「ああ、わかった。」


俺は授業の休み時間の間に悶々と考え込んでいると隣のクラスの仁王がひょいと顔を出して部内の連絡を告げた。そのまま踵を返してクラスの方へ帰ると思ったが、仁王は俺の考えていた事を見破っていたのか、何やらニヤニヤと解せない笑みを浮かべて前の空席に腰かけた。


「何考えてるぜよ?のことか?」
「なっ、なぜそうだと言える」
「おまんの考えてることは顔に出るぜよ。はっ、ほら赤うなった」
「・・・くっ」


嘘は言えない性分なので仁王のからかうような言葉にも逆らえずに苦痛な思いを強いられただけであった。話の話題となっているが不在、ということだけが救いだった。


「そんなに思いつめんでもよか。真田、おまんはちぃと物事を思いつめる癖がある。」
「・・・・・・ではどうしろというのだ。軽々しくあいつのことを受け止める気は俺にはさらさらない!」
「そーいうことを言うとるんじゃなか。のう、柳生?」


俺が仁王といることに気付いた柳生が仁王に用があったのか話しかけにきたところ仁王は柳生に同意を求めた。柳生は何の話をしているか、俺が言っていることが聞こえたのか、仁王と俺の顔を見比べ、頷き述べる。


「そうですねぇ、真田君。あなたは少々物事を固く考える傾向がおありのようです。せめてさんのことだけでも柔軟に考えてみてはいかがですか?」
「しかし柔軟に考えろと言っても・・・」
「どうすればいいかわからない、か?」


仁王が俺が今まさに考えていたことを告げたので居心地悪さを感じる。柳生はそれに思わず、そうですねぇ、とため息をつきながら言った。


「幸村君が同意なさらないことにはどうにもなりませんが、せめてキスシーンを受け入れてみてはいかがでしょうか。」
「だがが・・・」
「本当におまんにはがキスシーンを嫌がってるように見えんのか?」
「しかしだな・・・公衆の面前でそのようないかがわしいことは・・・」
「だから幸村が首を縦に振るまではそれから逃れられんというとるダニ。じゃからせめてそれを受け入れることで少しは楽になるんじゃなかと?」


確かにお互い合意の上で行うのであれば、まだ事態はいい。嫌々無理やりやらされるよりかは遥かにマシだ。だがしかし俺は、いいとしてもが了承するとは限らない。それにこの前この事についてに話した時も乗り気ではなさそうだった。やはり、この事を再度幸村に申し出る他にはない。いくら幸村といえど、幼馴染のから直接嫌だと言われれば強行することはないだろう。話しづらい事ではあるが、またにはこの案を告げておかねばならないな。この有無を告げると仁王と柳生は呆れたような顔をしお互いに首を振るだけで物も言わずに各々の場所へと戻って行ってしまった。一体俺は何かおかしいことでも言ったのだろうか。










* * *












放課後俺と蓮二は共に演劇部の部室へと向かった。そこにはすでに演劇部の部長と幸村が待機していて、何やら話しあっている様子であった。しかし俺たちが入ると演劇部の部長はすぐに部室を出、事実上俺たちのすぐ後から入ってきたジャッカルと赤也と俺たち三人だけになってしまい、他の部の部室でこの面子でいるのはなんとも奇妙なことだ。俺たちが口を開く間もない事だが遅れて仁王と柳生に、そして最後に丸井が入ってきたが丸井がさっそく俺たち以外の誰もいないことに気づき疑問の声を上げる。


「なーんで俺たちだけなんだ?さっきなんかすんげー焦った演劇部の部長とすれ違ったけどよ」
「ああ、彼らは部活で俺たちとは別に演劇をやるから忙しいっていうのに俺に任せてくれたんだよ。まぁ今年はあっちのお客さんを俺たちが奪ってしまうことになるんだけど。」


幸村は屈託のない笑みを浮かべてはいるが、はそんな幼馴染の調子に苦笑を浮かべて調子を合せていた。蓮二は青い顔をして「ご愁傷様だな・・・」と呟いている。俺はそれがいったい何の意味を持つかはわからなかった。衣装はとりあえず一通り揃っているらしい。カーテンの仕切りだけで出来た衣装室にて順番に着替えようという案を幸村が出したが、赤也と丸井が面倒くさいと言い出しその場で着替えだした。


「お前らがいるっていうのに・・・」
「あーいいよ見慣れてるし・・・」
「見慣れてるだと?」
「だって部室にノックして入っても赤也なんてパンツ一丁なんて・・・アッ」
「赤也あああああ!!!」


がとんでもない事を言うと思ったら赤也が下着一枚で部室をうろついてるだと・・・!!たるんどる!まさか、俺がいない間にそんな行為を行ってるのではなかろうな!


「わわわ、副部長ちげーんス!」
「何が違うというのだ!大体俺が目を離している隙にそんなことをしておろうとは!!」
「ちょ、せんぱい!!」
「ご、ごめん赤也・・・」
「お前は明日からグラウンド50周に今日から一ヶ月掃除当番だ!」
「えー!!!」
「真田、毎日グラウンド50周もさせていたら練習時間がなくなるよ。そこまで怒らなくていいだろ?普段もっと怒られるような事してるんだから。ね?」


俺はこめかみに青筋を浮かべて赤也をにらみつけたが赤也はすっかり怯み上がっていて、震えながら幸村の言葉に頷いている。どさくさにまぎれて幸村が引っ掛かる言い方をしたが、俺はその時は怒りのあまりそれには気付かず幸村になだめられるままに仕方なく怒りを静めた。赤也は恨めしそうな目でに一瞥をくれたが、俺は再び赤也を苛むように見つめるとそれ以降赤也は口を噤んだ。結局が仕切りの向こう側で着替えることになり、俺たちはが着替えている間に着替えようとということで万事解決した。俺の衣装は紅い膝丈ほどまであるマント、そしてぴったりとしたタートルネックとぴったりとしたズボンに革の長靴と王子とはいえ簡素な服装である。それもそうだ、この王子は眠れる姫のために竜を退治しに行くというではないか。


「ふむ、悪くはないな」


柳が俺の姿を見定めるようにし、頷く。柳は黒くて長い衣を纏い中に浴衣のようなものを着ている。浴衣と違うところは。掛けえりがないというところか。王冠をかぶっていなければ王とは分らぬだろう。柳生は王妃役といえど、さすがにドレスを着るのは、と拒否したため幸村が譲歩したらしく、柳と対で淡い紫の衣を羽織っている。妖精のブン太、赤也、仁王は順に赤・緑・青色の普段奴らが寝巻きにしているすえっと、というものに酷似した服に三角帽子を被り、やはり短いマントを羽織ったものであった。幸村は腕の裾まである漆黒の衣に身を纏い、そしてまた黒々とした三角帽子を被っている。ジャッカルはまるで忍びのような格好をしていた。


「フフ、皆似合うじゃないか。」
「俺なんだよこの服あきらか忍者じゃねェか」
「カラスっぽいだろ?悪い魔女の側近の従者はカラスだったからね」
「・・・・・・」


それきりジャッカルは服装について何も言わなくなった。ジャッカル以外は各々の衣装に満足しているようだったが、俺の姿を見るとなぜだが皆顔を変に歪めて「似合っている」と口をそろえた。


?まだ着替え終わらないのかい?」
「えッあーうん、着替えたけど、さァ・・・」
「開けるよ?」
「えッちょ、待っ・・・!」


が制するも虚しく、幸村はシャッと勢いよくカーテンを開いた。


「あ・・・・・・!」
「かわいいじゃないか」
「このウエストのぴったり感が嫌なの!」


は涙声で幸村に反論するも、皆誰もそれに聞き入っていないようだ。の衣装は肩が空いた鮮やかな蒼いサテンの生地で出来た素晴らしいドレスだった。それはにぴったりと合っていて、が恥ずかしそうに自分を隠すように抱いたが、俺は感嘆の息を漏らした。


「ほんとに似合ってるね。すごくキレイだよ」
「はずかしーんだけど・・・」
「別には太ってるわけじゃないんだからウエストは気にしなくていいよ。むしろ胸が大きいからスタイルよく見えるし」
「精市、その発言はセクハラでは・・・」
「だって本当のことだろ?」
「ああ・・・、恥ずかしがる事はない。似合っているぞ」


一同が蓮二の言葉に深く頷いたので、も少しは気を良くしたのか、本当?と小首を傾げて幸村に手渡された小さな王冠を頭に乗せる。その姿は真に美しく、どこぞやの姫ではないかと思うほどであり俺はその時の美しさにかける言葉が見つからず彼女に見入っているだけであった。


「真田、が綺麗すぎて言葉も出ないのかい?」
「む・・・・」
「皇帝は照れてるナリ」
「ですが本当に、さんの姿はお美しいですから」
「ほんとーのお姫様っぽいスよ・・・!」
「髪の毛ふわふわだからそーいうの似合うよな、お前」
は蒼が似合うな?」
「ちょ、皆褒めたってなんも出ないって」


ははにかみながら対応したが、顔を真っ赤にしながら心底嬉しそうにしている。皆が着替え終わったのでこのまま全体を通して練習、ということで体育館へと10分後に集合することとなった。その前に幸村はエキストラの部員を呼びかけに、ジャッカルと丸井と赤也は演劇部から借りた小道具を運ぶ役目を担った。すると柳生と仁王はどこともなく姿を消してしまい、俺とはなんと、二人きりになってしまった!今まで気まずかったせいかどのように声をかけていいかわからず、俺はまごついているとから声かけてくれた。


「セリフ、覚えられた?」
「ああ・・・王子はそんなに話す場面が少ないだろう。」
「そうだね・・・森のシーンでしかあたしもあんまり話さないし。後は眠ってるだけだし!」


は明るく言いながら朗らかに笑った。俺もそれにつられて自然に笑顔となる。俺はこの時だ、と思い先ほどまで言えなかった言葉を喉からかきだした。


「よく・・・似合っているな」
「あ・・・うん、ありがとう」
「綺麗だぞ」


するとはみるみるうちに首から上を真っ赤に染め上げ、顔を掌で多い視線を逸らして恥ずかしそうに「見ないで!」と声をあげた。俺はそんなかわいらしいしぐさをするを誰もいない演劇部の部室で蒼い衣を纏った彼女の腰を抱き寄せる。は俺の胸の中で身を捩り、俺は彼女の柔らかい髪を慈しむよう撫でる。俺はその時の香りで胸がいっぱいだったが、話さなければならないことを思い出し、の肩を掴んで顔を上げさせた。はそのまま俺を熱っぽく見つめそれが余計に俺の欲情を掻き立てた。しかしどうやってその事を切りだしていいかわからず、お互い数秒間見つめあったが、再びから口を開いた。


「真田・・・あのね、キスシーンのことなんだけどね・・・」
「ああ、俺も今その事を考えていた。」
「あたし・・・」
「お前が嫌ならば俺と共に幸村の下へ申し出よう。お前の頼みとならば幸村は耳を貸してくれると思うが・・・」
「え・・・」


俺の言葉では安堵するかと思いきやむしろ傷ついたように眉を顰めた。するとはするりと俺の腕を抜けて後ずさって距離をとった。


「あたしは・・・真田は・・・嫌なんだ」
「そ、それは・・・」
「うん・・・わかった。じゃぁせっちゃんに後で言いに行く。」
「・・・?」
「はい、この話おわりーっ!ほら、早く体育館行かないとせっちゃんに怒られちゃうよ!」


がそういうものだから俺は何も言えず、先ほどまでの甘い雰囲気はどこぞやに、妙な空気が流れてしまい移動中もは口数が少なかった。俺はまずい事でも言ってしまったんだろうかと思ったが、何も思い当たる節はない。がキスシーンのことで切り出そうとしたのは幸村に『フリ』の許可をもらうことではなかったのか?唸るほど考えてみても答えは見つからない。その後練習中ではも平静を装ってはいたが、森での王子と姫が出会うシーンとなると、いつもよりも動きがぎこちなくなり幸村に注意された。やはり俺が悪いことでも言ってしまったのか。しかし原因がわからない今、俺にはどうしようもない。この時以上に、自分が素直ににもっと触れたい、と素直に言えようという日が来るのだろうかと訝った時はなかった。






<< TOP >>