24   おわりははじまり

090420



青学との手塚戦を終えた真田は、いつもよりももっと、子供っぽく無邪気なように見えた。普段は大人も顔負けの貫録をみせるというのに、こんなにも興奮を顕わにするのも珍しい。酷使しすぎた足のアイシングを怠った真田を少し叱りつければ、素直にあたしが足に冷却スプレーをあてるのに応じた。やっぱり男なんだもんね、あたしは叱りつけながら喜びのあまり微笑むという新しい技を披露した。


けれどそのまま事態は思うようにはいかなかった。ダブルスで大石・菊丸のゴールデンペアに見せつけられたシンクロに続き、誰をも騙してしまうペテン師仁王が不二に破られたのだ。圧倒的な試合内容だった。不二は得意とするカウンターを見事仁王に懇親の力でぶつけたのだ。そして仁王がやられるさまはまるで       口にはしたくないけれどあれは・・・       まるで彼が星花火という名の空から降るまるで流星群のようなボールを打つ以前に視界に入れることすらできない姿は間抜けだった。こんなはずはない、とあたしは下唇を噛みしめれば、せっちゃんがそれに厳しい眼差しを向けていた。ぞくりと、何か背筋に這い上がるものを感じた。せっちゃんのこれまでにない、勝利への執着心は異常ともいえるほどだった。せっちゃんはそれこそ、リハビリのノルマを完璧にやってのけてみせたし、奇跡的な回復を見せた。けれど退院するまでの間、どうしてかせっちゃんはいつもの余裕がなさそうに思えた。それはきっとあたしと真田とのビミョーになってしまった関係のせいも、少しあるのかもしれない。


「行ってくる」


せっちゃんはコートへと舞い降りた。肝心の相手選手の越前リョーマは、どうやら記憶喪失、との情報があったが、この短時間ではたして記憶が戻るのだろうか。先ほど応急処置を足に施したあと、なんだか真田は氷帝の派手好きの部長、跡部と越前リョーマのところにいってたし。すると何の用か、四天宝寺中のルーキー遠山金太郎が乗り出してせっちゃんに試合を申し込もうという。あの子、なんだか無鉄砲で、よくあんなことせっちゃんに言えるなぁ、と関心してしまったが、それを了承したせっちゃんの実力がありありと見せつけられたのはその時だった。殊更なように、せっちゃんんはあのコートに飛び交う野性児を震え上がらせていた。久々にコートへと降り立ったせっちゃんの冷酷さと、それに潜んだテニスを見たのは久々のことだ。いつもの優しさと悪戯っぽい笑みを浮かべてるせっちゃんとは別人なことも、あたしはとうの前から知っていたというのに。


「越前だ!」


観客席がざわめいた。越前がどうやら記憶を取り戻したようで、コートへと闊歩してくる。相変わらずの小生意気な笑みを顔に浮かべて挑発するような視線でせっちゃんのことを見ている。いくら、あの越前が真田に勝ったとしたとして、せっちゃんに敵うはずがないのだ。あたしはそれまで、そう信じて疑わなかった、そうその時までは。それにあたしの横で観戦してる赤也の口が悪いこと、悪いこと。「ぶっ潰してくださいよ!」とか「目にものを見せてやれ!」だなんて軽く血走った目で叫んでいる。


「赤也、そう興奮するな」
「わ、わかりましたよ・・・」


柳のひとことで少しは自覚したのかその瞳から充血が薄らいだ。まったく、立海のエースでありながらの一番の問題児なんだから。そんなやり取りをしている間にも試合は進んでいく。今まさに越前が自分の触覚が狂いはじめてることに気づいた頃だ。じわじわとせっちゃんは攻めていく。その様が毒を効かす毒蛇のようでなんだか苦手だ。いつものせっちゃんは大好きで、テニスを純粋に楽しむせっちゃんも大好きだけど、今日のせっちゃんはなんだか違った。別の、人間にさえも見えた。


「せっちゃん・・・」


あたしがここにいることを覚えているのだろうか。いや、すべての雑念は観客席に置いてきたのだからそれはないだろう。けれど、なんだか越前はこれまで苦しそうだったのに急に嬉しそうにコートを飛び回り始めたのだ。なにかきらきらとしたものが、彼の周りを覆っていた。幻覚ではあるけれど、彼はまさしくその時コートに立った誰よりも、      輝いていた。


「越前南次郎      か」
「え?」
「あそこにいる。観客席に・・・・・」


しかし柳はそう言った直後にすぐにまた試合とノートを互い違いににらめっこする作業に戻った。赤也やブン太、仁王や柳生までもが試合の流れに唖然としている。せっちゃんが一切の球を取ることができないのだ      こんなはずがない!せっちゃんは、日本一のテニスプレーヤーで、数多の選手が彼に負かされ、膝まづくところをあたしは目にしてきたはずだというのに       


「ゲームセット!ウォンバイ越前リョーマ、6-4!」


観客が、さざめいた。どっと一気に青学側からの声が溢れた。へなへなと力が抜ける、という描写が正しかった。あたしは事態がよくわからず、けれど負けたことだけは確か、だと認識した。せっちゃん、どこか苦しそうだった      でも、今、笑ってる。負けたのに、笑ってる       なんだかよくわからなかったけれど、彼にとって、とてもいい試合だったのなら、いい。負けたのは悔しいけれど、でも、せっちゃんがあんな風に笑うのは久しぶりだから。コートへ皆挨拶へと駆け出していく足取りは、軽く見えた。潔く、皆は負けを認めたのだと思う。今回ばかりは、真田は準優勝の盾をもらうことに抵抗はなく、そしてあの堂々たる存在感がある優勝旗は、青学の手へと渡されたのだ。


「負けたよ、完敗だ」
「お疲れ、せっちゃん。本当に、お疲れさま」
「ありがとう、。ごめんね」
「なんで?」
「勝てなかったろう・・・今までのお礼、優勝することでしようと思ったんだけど       
「せっちゃんは負けを認めた。それって、この試合、なにか大きな意味があったんでしょ?」
「うん、まぁね」
「じゃあいいじゃん。それにお礼なら来年の全国大会できっちり頂くことにするから」


あたしはせっちゃんのように、悪戯っぽく笑ってみせると、こら、と頭を小突かれた。せっちゃんは拭われるタオルにフローラルな香りと、ツンと汗の匂いがした。











* * *










毎年恒例の焼肉に、今年はあたしも参加した。これは立海の引退式と同じだ。けれどしばらくはどんちゃん騒ぎで、いつも贔屓にしてもらってる焼肉屋さんには大いに迷惑だろうに、と思いつつその中で一緒に笑い声をあげている自分がいる。今年に入ってからこんなにはしゃいだことって、ないかもしんない。まるでお酒でも飲んでるかのように周りの男子はバカ騒ぎをやらかしていた。肉は常に取りあいで、あたしは次々に肉を焼く係に徹した。


「あいつら、がいるって気にしちゃいないな」
「今更気にされても困るけど」
「まぁ、それもそうだけど」


せっちゃんは部員たちがひょいひょい差し出す箸の間を掻い潜って自分の肉を確保する上に、あたしの皿にもちょくちょくお肉を乗せてくれた。やっぱり、せっちゃんって優しい。あたしは柳が肉を焼くのを代わってくれた隙を見て、ウーロン茶を飲み、部員があまり手をつけてない塩キャベツをむしゃむしゃと口にほうばる。ここの塩キャベツ、美味しいんだよね。下手したら肉よりも。あたしは内心そんなことを思いながら向いで好き放題に暴れ散らす部員を叱る副部長を見てご飯を口に運んだ。肉より魚派なあたしは、せっちゃんがとっておいてくれたわずかな肉と、キャベツとご飯で大満足していた。けれどなによりも、ブン太が生肉までのかきこもうとするのを見て、お腹いっぱいになってしまったからのもあるかもしれない。


「そろそろじゃない?」
「そうだね。みんな少しの間黙って話を聞いてくれないかな?」


せっちゃんは立ち上がってそう言えば部員はうんともすんとも言わなくなった。恐るべし、立海大付属中テニス部神の子幸村精市。あたしはそんなことを思いながらも横に立つせっちゃんを見上げながらなんだかすこうし、感傷に浸ってしまう。そう、このどんちゃん騒ぎができるのも今回で最後なのだ。あたしたちは、これで引退。


「次の部長は、言わずともわかるだろうけど、切原赤也、お前に任せるよ。次こそは、必ず、この立海大付属中を全国の 頂点まで上りつめてほしい。俺たちが去年やったように」


せっちゃんは少し苦い顔をしたが、赤也はこのときばかりは素直に頷いた。真田もこれには少しばかり眉根を寄せている。


「俺たちは高等部にあがるけど、高等部にいたって変わりはしない。俺たちの目標はただひとつ、だけど今回の試合でなにも感じなかったとしたらそれは大いなる退歩だ。それだけはあってはならない!赤也、お前がこれからどういう風にテニスと向き合うのか、俺たちは楽しみにしている。まぁ会えなくなるわけじゃない。引退するといっても、すぐ隣の校舎にいるんだ。少しでも気を抜こうというようなことがあったら、わかってるね?」


これはせっちゃんの冗談なのだが、赤也が立ち上がって「ッス!」と敬礼ポーズで返事するものだからその酔っぱらいみたいな行為にブン太は吹き出し、あたしはくすっと笑った。するとわぁっと2年生が赤也に続いて盛り上がる。それを見渡した三年達は皆次世代への思いを託して、笑みをたたえていた。これでテニス部の全国大会の打ち上げはお開きとなった。そういえば、真田とはあの冷却スプレーの件以来ほとんど話してはいないけど、真田は少なくともあたしを避けようとは思わなくなったようだ。目が合って、真田はあたしにもその誇りをたたえた笑みを浮かべていたから。


解散する時に、真田から二言、三言あった。引退したといっても、マネージャーはいないし、レギュラーは全員まだ部活に参加するつもりなので別段と変わったことはない。朝練に出て、放課後も練習。その練習が高等部で、とのことが増えるだけだ。あたしは普通にマネージャー業。また募集をかけてみるつもりだが、この時期に新しい子が来るとは思えない。形式的にはあたしたちの中学のひとときのボールにかけた青春は終わるけど、後輩育成、マネージャー募集、そして学業面も。まだまだやることはいっぱいある。柳による勘定が終わると、あたしはせっちゃんと帰ろうとした。けれどせっちゃんは今なにやら柳生と話していてあたしがそれを所在無げに待っていた時に、なにか思わしげな顔で柳が走ってきたのだ。部員たちもまだまだあたりでしゃべったりして道にまばらに残っている。柳が駆けてくるとは、珍しいもんだ。


「どーしたの、柳?なにかあたし忘れもんでもした?」
「いや・・・」


柳はあたりに目くばせをした。周りには部員何名かと、あと真田しかいない。真田は柳と帰るはずだからだ。まだあんまり話せてないんだっけ。席もあんまり近くなかったし。ちくりと胸が痛むのを感じると、柳がふと何か気づいたように声を出した。


、髪に木の葉がついてる」
「え、うそ、どこ?」
「じっとしていろ。」


柳は屈んであたしの頭に手をやると引き寄せるような仕草で髪に触れた。頭からモゾ、となにか動いたのを感じると、そこには青々とした木の葉が。


「ありがと、柳」
「当たり前のことをしたまでだ」


あたしは微笑むと、せっちゃんがにやにやしながらこちらへ歩いてきた。大体こういう顔をしてやってくるせっちゃんにいいことを言われた試しがない。あたしは疑心暗鬼にせっちゃんに「どうしたの?」と尋ねると、せっちゃんは誰かの方向へと顎をしゃくってみせた。あたしが振り向き、示す先まで視線で辿れば、そこには絶句をしたような真田がその場で突っ立っいる。一体何事か。


「あっはっはっは!真田もあそこまでバカというか、単純というか」
「え?なに?なに笑ってんの?」
「ま、いいさ、後で面白いことになるから。あ、でもは心配しなくてもいいよ。柳がぬかりなくやってくれるだろうから」
「はあ?一体なんの話?」
「まぁ、それは明日のお楽しみ。明日は花火大会だろう?」


アッと声をあげると同時に真田と柳がなにやらものすごく重要機密機構にでも参加してでもいるかのような話し合いをしながら街角に消えるのを見届けた。今年の花火大会は、例年よりも1日早いらしい。そういえば、去年の花火大会、真田と2人きりだったんだっけ。・・・・・・それって絶対今年はなんか大変なことが待っている気がする。それに面白いことって何。絶対せっちゃんはあたしと真田のことでなにかからかうつもりだ。それに柳も!あたしはその帰り、せっちゃんにいくら問いただそうともうまーく話を逸らされたり、しつこいからといっていろいろとあらぬことで脅されたり、結局それは分からず仕舞いだった。


その晩、お母さんに頼んで去年の浴衣とは違う、赤紫色の少し大人っぽい切絵のような花柄の浴衣をおろしながら、あたしは明日待ち構えるどんなんだかわからない面白いことに憂えて、深く深く溜息をつくのであった。






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