21   ただし全ては偶然である

090327


7月26日。関東大会決勝を控える明日の前に、あたしは再びせっちゃんの病院へと訪れた。あれから部は、赤也がちょっとした問題を起こしたあと、士気が高まっていて赤也なんていつもの倍以上の練習メニューをこなしている。それもこれも明日当たるはずの青学の1年に赤也が負けたそうなのだ。赤也のことだから躍起になってでもあの1年を倒したいのだろう。あれから何度もせっちゃんの見舞いにくるうちに、せっちゃんも少しづつ手術に前向きになってきた。それでもどこか、やはり戸惑うところがあるのか、手術に躊躇いがあるのは見て取れた。明日、せっちゃんは手術を受ける。


「明日はいよいよ決勝か」
「うん、みんなすごく気合入ってるよ。赤也があの1年と戦って以来」
「ふふ、あれは赤也にとってはいい薬だったのかもしれないね。」


せっちゃんはあたしが先ほど持ってきた向日葵を見て、微笑む。花言葉とかそういう細かいことはよく分からないけど、向日葵は、陽が届かない病室での太陽になればいいな、と思ったから。そう言ったらせっちゃんは、「向日葵はに似ているね。は太陽みたいだ」と恥ずかしいことを惜しげもなく言った。


「明日は手術だね、」
「・・・ああ。」


せっちゃんは目を伏せて答える。そんなせっちゃんは、蝉の声が鳴りやまない、暑苦しい夏の日差しが降り注ぐ外界とは切り離されたようだった。再びその双眸はゆっくりと開かれる。


には、本当のことを言ってしまおうかな」
「本当のこと?」
「うん。まだ、怖いんだ」


せっちゃんはたわやかに笑んだ。しかし、以前のように、恐怖が目に浮かんでるようでもない。あたしはそれに小さく、頷いた。


「そうだね、手術はこわいね・・・でも」
「でも?」


最近のせっちゃんはあたしの言葉を、葡萄のひとつぶを口にするように咀嚼する。以前のように、言葉巧みにあたしをからかうことは少なくなった。きっと、せっちゃんにはそれだけの余裕が、今はないから。


「あたしは手術を受けるんじゃないから、こんなこと言えるのかもだけど、大丈夫だよ。テニスだって、きっとできる。手術だってなんでもない。数パーセントに、勝つだけのせっちゃんの強さを、あたしは知ってるから。」
「俺はが言うほど強くないよ?」
「せっちゃんは、あの立海大テニス部の部長で、去年は全国制覇も果たして、そして今全国の中学生のテニス部員は頂点に立つせっちゃんの背中を追いかけてる・・・」


そう、あの時のあなたを思い出して。それはもう1年も前の話。きらきらとコートで輝くその目は、未来へと、向けられていた。


「怖がらないで。負けないで。せっちゃんは、負けない。負けちゃダメなんでしょ?」
「・・・そう、だね」


おいで、と手招きされた。ベッドの傍にあるパイプ椅子に座るというこの至近距離でどう近くに寄ればいいのか、わからなかったので、少しでも近くに肩を寄せる。ふわり、とせっちゃんの両腕が肩に回った。


「ありがとう、。もう、迷わない。」
「うん!」


せっちゃんがあたしを抱きしめるのは初めてのことだ。よかった、とほっと溜息と共に一言つぶやく。その瞬間がちゃりと背後で扉の開く音がした。・・・扉の開く音?


「失礼す・・・・・・と、取り込み中だったか!す、すす、すまない出直してくる・・・・・!!」


聞きなれた声に振り返るとちょうどそそくさと真田が病室を出ていったところだった。あたしは振り返ってせっちゃんの方を蒼白とした表情で振り向くと、せっちゃんはなんとも暢気に「追いかけていかないの?」とあのいつもの悪戯っぽい笑みを携えて言う。あたしはとりあえず、言葉も発せず考えも処理することもできず、せっちゃんの言われるがままに全力疾走で病室を飛び出た。廊下の傍らで看護師さんに注意されるのも無視し、走り続ければまだ真田は早歩きで廊下を歩いている。


「真田!!待って!!」
?!」


あたしはぜえぜえと息を切らして真田の服の裾を掴めば彼もうろたえた。あ、あんな所を見られるなんて・・・・・・いや、別にせっちゃんとの間になにもやましいことがあるわけじゃないけど、っていうか、とにかく、誤 解 は さ れ た く な い!!!


「お前、幸村と、その、話している途中ではなかったのか?」
「そ、そうだけど・・・」
「俺は、お前と幸村がそのような関係だとは知らずに、その、あれだ、」
「違うの!」


慌てふためく真田にあたしは必死でそれを否定した。違うんだってば。だって、あたしは、


「あたしは真田が好きだから!違うの!」


真田が好きだから。そう、あたしは真田が好き・・・だから・・・・・・ あ、あたし、今、なんと?


「俺のことを・・・好き?」
「ち、ちが、ちょ、待って」
「違うのか?」
「違わないけど、ほんと、勘弁してよ・・・自分・・・」


掴んでいた裾を話してあたしは床を見るように俯いた。こんなこと言うはずじゃなかったのに・・・!ましてや、明日関東大会決勝が控えてるっていうのに、あたしってばなんてバカなの!ごめん、真田あなたはあたしをここで今きれいにフッて・・・ あたしは涙を流してしまいそうな自分の失態に項垂れるだけだった。そんなことを思っているゼロコンマ数秒間の直後、真田にがっちりと肩を掴まれた。あたしは仕方なく、顔を上げる。


「ごめんね、真田あたしこんなこと今言うはずじゃなかったのに・・・」
「俺も、お前が好きだ」
「え?」
「だからお前が好きだと言っているんだ、・・・・・・何度も言わせるな!」


真田はそう言って顔を逸らすと帽子のつばに手をかけて下げた。照れている時のしぐさだ。・・・・・・今、真田はあたしを好きだって言った?本当に?


「・・・本当に?」
「嘘をついてどうする」
「だって今までそんな素振り見せなかったし・・・」
「そ、それはお前もだろう!」
「いつから?!」
「い、いつからと言われてもだな・・・昨年の夏あたりからか・・・」
「そ、そっか・・・」


絶対あたし、今顔赤い。たださえ顔を赤くしやすい体質なのに、今頬が燃えている。心臓がバクバクいってる。まさか、真田があたしを好きだなんて!それも去年の夏からとか!はっと我に返ればここは病院の廊下の角。幸い人はいない。


「そ、それじゃあたしは病室に戻るね・・・」
「あ、ああ・・・」
「明日、8時現地集合だよね?」
「ああ、また明日」
「また、ね」


冷静になってそう返事をすれば、真田も掴んでいた手を放す。あたしは一体なんてことを言ってしまったんだろう、という気持ちと、真田があたしを好きだなんて、というショックに打ちひしがられていた。とぼとぼとせっちゃんのいる病室へ戻る。お前が好きだ、という言葉を反芻しながら。


「・・・せっちゃん」
「真田に告って好きだとでも言われた?」
「な、なんで知って・・・!」
「丸聞こえだったけど?」


せっちゃんはそう言って笑うと、あたしは再びパイプ椅子にどかっと腰を下ろす。


「全く、じれったくてみてらんなかったよ。どうせなら真田と一緒に帰ればよかったのに」
「だって、荷物が・・・」
「それもそうだけど。まぁ一緒に帰ったところで書店で柳が待ち伏せていたから2人きりで帰れなかっただろうけどね」
「な、なんで・・・!・・・・・せっちゃん?」


あたしは声色を変えて問い詰める。まさか、せっちゃんと柳が・・・あり得る。大いにあり得る。


「俺は何も知らないよ?ただ、柳に真田がこれから見舞いに来るって、が来る前に電話で聞いただけで。もっとも、柳がひとりで真田に見舞いによこしたみたいだけど?まさかあのタイミングで部屋に入られるとはなぁ」


やられた。仕組まれたのだ。まんまと騙された。この告白は柳とせっちゃんの策略だったのだ。まいったなぁ、とせっちゃんは飄々とした口調で言っているけど、あのタイミングだって絶対図っていた。いや、図っていなくとも、こういう男なのだ、せっちゃんは。天然で、こういうことを成し遂げるから、怖いのだこの男は。


「はぁ・・・もう、いいよ」
「まぁ、晴れて両思いになれたんだからいいじゃない」
「そ、そうだけどっ・・・せっちゃんが元気になれたんなら、それでいい」


あたしは照れくさく、そう呟くように言うと、せっちゃんは先ほどの悪っぽい笑みではなく、穏やかに笑ってあたしの頭を優しく撫でた。


「ありがとう、


そう言われると、せっちゃんを責めることもなにもできなくなる。せっちゃんはずるい。きっとさっきの事も、あたしへのプレゼントだったのだ。


「明日真田と会うのが憂鬱だ・・・」
「嬉しい、の間違いだろう?は照れ屋だからなぁ」
「うー・・・うるさい・・・」


以前のせっちゃんだった。悪戯に笑う、せっちゃん。大好きなせっちゃん。コートに再び立つことも、そう遠くはないだろう。その時のためにも、明日あたしは全力で部をサポートしよう。立海大付属は、負けてはならないのだから。


「せっちゃん」
「なんだい?」
「ありがとう。」


せっちゃんは再び微笑んだ。向日葵は、あたしたちを太陽のように見守る。さんさんと降り注ぐ陽は、病室まで届いた。心臓はいまだにどくどくと脈を打っている。今晩はきっと、眠れない。







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