20   キミがいれば

090327


地区大会、県大会と順調に勝ち上がっている、我が立海大付属中。練習の合間に、全国からの偵察が来るのは毎度のお決まり事。


「毎回毎回よく来るよねー、これが北から南までいるんだもの」
「仕方ない、我々が強いという証拠だ。それに偵察だけで我が立海大に勝てると思うか?」
「ほんっと、自信家にも程があるよ・・・」


柳は相変わらず余裕の笑みを含むとそのまままた偵察のカウントに行ってしまった。あたしはといえば相変わらずマネージャー業にいそしんでいて、今は去年の関東大会での柳がとった記録を引っ張りだして整理をしている。これがまた、試合数が多いから大変なんだな。みんなが練習している間に部室でひとり、鼻歌でも歌いながら昨年の出場校の記録と今年度の出場校のリストを照らし合わせていると、がちゃり、と扉の開く音が背後から聞こえた。



「あれ、どうしたの真田?」
「月刊プロテニスの井上さんがいらしているんだが、お前にも話を聞きたいそうだ。」
「井上さんか、うんわかった。ちょっと待ってて」


あたしは資料の端を揃えるようとんとん、音を鳴らすと真田がなんだかいつもと少し違うような気がして彼の目を覗くように見上げた。


「どうしたの?」
「あ、いや、よ、よく頑張っているものだと感心していたのだ」
「そ、そう?」


真田がなぜか顔を赤らめてどもってそう言うものだからなんだかこちらも照れてしまう。好きな人に褒めてもらうのってなんだかやっぱり嬉しいな。いつもは怒られてばかりだけど。


「それより早くしろ、井上さんたちが待っている」
「う、うん」


あたしは真田に急かされて柳の資料をファイルにまとめて棚にしまう。先に行っててもいいのに、と思いながらも律儀にあたしのことを待っていてくれるという事実に顔がにやけてしまう。口に手をあてて、ゆるんだ筋肉を引き締めると、真田に「行こ」とあたしは促した。












「そっか……それじゃぁ、今のところ心配はないね」
「そうだね、みんなの気も余計に引き締まってるしこのままの状態を夏に持ち越していけるといいんだけど」




「来週の頭に一時退院が決まったよ」
「ほんと!」
「うん、本当」
「そっかぁよかった〜、じゃぁ学校が始まると同時に行けるのね」
「まぁ、でも、まだテニスはできないんだけどね」


せっちゃんはひととき、目を伏せたけれど悲しみを紛らわすようにすぐににっこりとほほ笑む。わたしはそれに合わせて笑った。せっちゃんは退院しても、運動はできない。激しい運動はお医者さんから禁じられているから。薬の量も自分でも覚えるのが大変なぐらいあると笑いながら言っていた。そう、笑いながら。


「それにしてもがノートをとってくれるから助かるよ。お礼なにがいい?」
「別に、お礼が欲しくてやってるんじゃないしいいよ」
「でも、俺の気が済まない」
「え〜もう、本当にいいのに」


困ったなぁ、せっちゃんは言い出したら聞かない。でも、なにかお礼ね、何がいいだろう?せっちゃんにお礼とか、そういうのしてもらえるのってなんか、こそばゆい感じがする。だってあたしがしたいから、せっちゃんにノート取ってあげただけなんだもん。


「じゃぁ、今度遊びに行こ」
「それでいいのかい?」
「うん。あ、でも体が治ってからじゃないとダメか」
「いや、退院したらでいいよ。俺も全く動かないんじゃぁ体が鈍るしさ」
「でも・・・」
「いいんだ、退院したらどこか遊びに行こう」



せっちゃんは嬉しそうにニコニコと笑っている。「どこに遊びに行く?さすがに遠出はできないけど」と嬉しそうに頬を緩めて話しているせっちゃんを見ていたらなんだか自分も朗らかな気持ちになった。こうしているとせっちゃんが病気なんてこと、微塵にも感じられないのに。










* * *
〜〜〜〜〜せっちゃんとあきちゃん、病院からの外出??話の順序が変わってるから、確認して書き直し〜〜〜〜









は確乎不抜の文字の下の空欄になっているスケジュールボードを見ては、物言いたげに俺を横目で見ている。なにやらそわそわしているようだ。その仕草も、か、可愛いものだが、訊きたいことがあるなら口にすればいいものの・・・。


「なんだ、?」
「えっ?」
「先ほどから何かを言いたげな顔をしているが・・・」
「え、あ、うーん・・・とね、来週の三連休の、土曜日ってオフかなーって思って」
「ああ、おそらくな。何か予定があるのか?」
「う、うーん、まぁ・・・ね」


込み入ったことを尋ねてしまったか、と思ったが普通の会話の成り行きだと俺は高鳴る鼓動を抑えながら自分に言い聞かせる。どうもと会話する時だと言葉を慎重に選びすぎる。しかし、一体予定とはなんだろうか。・・・きっと休みが少ない部活なのだから、たまにの休暇だと家族とでもどこかに出かけるのだろう。


「コート付近の水道管の整備に業者がくるらしいので、土曜は確実にないだろう。」
「ほんと、柳?じゃぁ土曜は遊びにいけるね!」
「ご家族で外出か?」
「いや、家族じゃないんだけど、せっちゃんとちょっと、ね」
「幸村と?!」


俺は驚きのあまり声をあげてしまったがその話を聞いていた誰もが驚いていたようだ。当たり前だ。幸村は今静養せねばならん身だというのに!


「せっちゃんがね、どうしてもっていうから・・・あ、でも、遠出はしないし、あとせっちゃん体が鈍っちゃうのが嫌だから、少し外を歩くだけでもしたいんだって。」
「それで外出したいというわけなんですね?」
「うん、でもあたしもせっちゃんに無理はさせたくないし・・・」
「だがしかし・・・」
「少し心配だが、が付いているなら平気だろう。そうだろう、弦一郎?」
「蓮二、だがな・・・」
「ふくぶちょー、心配しすぎッスよ!幸村部長だってたまには息抜きしたいでしょ」
「そうだぜ、真田。幸村も入院生活でまいっちまってんだろぃ」


しかし、やはり幸村が外出するというのは大きなリスクが伴うのではないか・・・それに、なぜだか納得がいかない。だからこそ安心して幸村を預けられるというのも頷けるんだが、なぜだか俺はどこか納得したくない自分がいることに気づいていた。


「ならば俺が一緒に・・・」
「お前さんがおったら、余計に幸村に気を遣わせるだけじゃろ。」
「む」
さんなら幸村君に下手に気を遣わせることはないでしょうし、長年の仲ということでご両親の信頼も得ているでしょうから大丈夫でしょう。何をそんなに臆することがあるのですか、真田君?」


柳生の思わぬ鋭い指摘に、俺は一瞬たじろいだが、確かにここまでを否定すれば怪しい上にも傷つくであろう。この状況では俺はしぶしぶ頷かざるを得なかった。


「よかろう、だがしかし、無理は絶対するな」
「うん、わかってる。真田、ありがとう」
「幸村だけじゃない、・・・お前もだ」
「うん!」


それまで事の成り行きを心配そうにしていたは心底喜ばしそうに俺に向けてにっこりと微笑み、部室を早々と去って行ったが俺はその後の所作に心を惑わされつつも自分の言葉への歯がゆさを感じるとともに部員に一気に責められた。


「真田もヤキモチ妬くならもっと分かりやすく妬けよなー」
「なっ!お、俺はそのようなこと・・・!」
「真田さすがに見苦しいぞ、なんたって相手は幸村なんじゃ」
「そうだ、弦一郎。お前の気持ちを察してて精市がに手を出すわけがないだろう。まぁ、からかいでやることはあるかもしれないがな」
「からかいでに手を出す方が不届き千万極まりないわ!!・・・・・・む」
「やはり図星か」
「ふくぶちょー、男は少しぐらい余裕がないとダメッスよー・・・あだっ!」
「ええい、貴様ら人の情事に首を突っ込んどる暇があるならとっとと練習に身を打ちこまんかーっっ!!」


俺は人の事情にずかずかと入り込んでる部員に耐え切れなくなり、赤也に拳骨を喰らわせ、叱り飛ばすと蓮二以外の部員が皆急ぎの用事を思い出したかのように部室から散っていった。全くあいつらは俺をなんだと思っているのだ!絶対あいつらはの事で俺が困るのに面白がっている。


「まぁそうカッカするな、弦一郎。確かに赤也の言うとおりもう少し余裕を持たないとに気づかれるものも気づかれないぞ」
「む・・・そ、そうか」
「そうだ。今回精市と遊びに行くことだって、別にが言い出したことではない。それにあの2人は俺達より付き合いが長いのだしな」
「そ、そうだな・・・」
「だが余裕ばかり見せていても、事は何も進展しない。そこら辺の均衡が難しいものだ」
「均衡・・・か」


あっという間に俺は蓮二に言いくるめられてしまうと、その『余裕』という言葉に深く考え込んでしまった。確かにあの2人は俺達が入り込めない程の仲なのは重々承知の上だ。時折それが俺を苛立たせるというのも。だがしかし、こればかりはしょうがないと思えど、やはりもどかしい。俺は『余裕』という二文字に捉われながら、部室を後にするのだった。










* * *










真田にようやく了承を得て、許可を得られた土曜の外出。さすがにあそこまであたしが信頼されていない、っていうか、まぁ信頼はしてなくはないと思うんだけど、やっぱりあそこまで心配されるとこちらの責任もぐぐっと重くなる。多分、せっちゃんが元気だったら真田もあんなに頑迷にならないんだろうな。・・・それはそれで悲しいかもしれないけど。まぁそれにしても、約束の土曜の今日だっていうのに、あたしたちはまだ、行先を決めてないだなんて!等々いろいろ考えていたら、インターホンの鳴る音が聞こえた。せっちゃんとは家自体がとっても近いので迎えに来てくれると言っていたからだ。


「せっちゃん?今降りるね」
「うん、急いで転んだりするんじゃないよ?」
「いくらなんでもしないよ!」


あたしは朝早々から嫌味な冗談を言うせっちゃんに頭を抱えながらもお母さんに行ってきますの挨拶を言って、厚手のチェックのポンチョを羽織って外に出た。一応ファッションはシンプルなロングセーター、黒いフリルつきのスカートの下にカラータイツとブーツの格好だけど、今日はなんと温暖な神奈川県は、15度もあるのだ。


「おはよう、せっちゃん!」
「おはよう、。その格好、かわいいけどそんなに薄手だと風邪引かない?」
「大丈夫、今日はあったかいから。さすがに朝は冷えるけど、あたし暑がりだし、中に着込んでるしね」
「そっか。でも寒かったら言うんだよ?」
「うん」


さすがに玄関のロビーでいつまでもおしゃべりしてらんないので(管理人さんの視線が恥ずかしいし)あたしたちはとりあえず外に出た。行き先は決まっていないのに、とりあえず駅に向かっている道のり。いったい、せっちゃんはどこへ向かってるんだろう。


「せっちゃん今日どこ行くの?」
「ん、が行きたいところ」
「えーっ!もうせっちゃん行き先決めてると思ってた!」
「まさか、にお礼するのに俺が決めるんだい?が行きたいところに行くよ」
「そ、そんなこと急に言われても・・・思いつかないよ」
「ほら、部活ばっかりでいけなかったところとかあるだろう?」
「う、うーん、だって・・・」


あたしは行きたいところを思い浮かべるけど、あたしが行きたいところって今のせっちゃんに行かせるところじゃないし・・・あ、ひとついいとこあるかも。


「俺のことは気にしないでいいよ」
「じゃ、じゃぁバラ園行きたい、かな?」
「バラ園?」
「冬だし、見ごろじゃないけど・・・行く暇もないし・・・せっちゃんも楽しめるでしょ?」
「そうだけど、がそれでいいんならいいよ」
「あたしがバラ好きだってこと、せっちゃんが一番知ってるでしょ?」
「そりゃあね」


その日のせっちゃんは機嫌上々らしくて、バラ園までの道でいろんな話をしてくれた。今最近フランス文学詩集にハマっているだとか、あと学校の授業に少しついていけてないことだとか、あとこの前テレビで見た世界の旅番組でのオーストリアは綺麗だったとか、それからいろいろ。いつもはあたしばっかり話をしているのに今日のせっちゃんはおしゃべりだ。でも肝心のテニスのことはぽつり、ぽつりと口にするだけであたしもそれ以上話題を広げようとしないせいか、今日のせっちゃんは立海テニス部の部長の幸村精市じゃなくて、ただの幸村精市だった。


「アンティークタッチが八分咲きだね、ほら
「わぁ、色がきれいだね。こういう淡い、ピンクベージュ好きだなぁ」
「俺も庭で育ててみたいよ、楽しいだろうなぁ。あまり咲いてないかと思ったけど、最近の気候は暖かいから意外と花数はあるね。やっぱり旬の時期には見劣るけど」
「でも、キレイだよ」
「うん」


なんだか恋人同士っぽくて、少し気恥ずかしくなった。でも、せっちゃんとこんな穏やかな時間を共有したのは初めての事だった。今まで遊んだことはあったとしても、小学校の時の学校のグラウンドだったり、今のレギュラーたちとご飯食べに行ったり、花火大会だったり。とにかくゆったりとした時はなかった。青春の時期って、めまぐるしいものだというけれどあたしはこんな風に普段とは違った時を過ごせる時間があってもいいんじゃないかと思う。


「ひどく穏やかだ」
「そうだね」
「現実を離れてるみたいだね」
「・・・うん」


園内にあるカフェでバラの紅茶を飲んでいると、ふと、せっちゃんはつぶやく。その目はガラス越しに見えるバラ園ではなくどこか遠くを、見つめているようだった。かちゃかちゃ、と陶器の音がパッヘルベルのカノンが流れる静かな店内に響く。


「こうしていると、悩んでいるのが嘘みたいだ」
「うん」
「・・・・・・ずっと、このままでいれたらいいのにな」
「え?」
「・・・いや、なんでもないよ。それにしてもは相変わらず甘党だね、角砂糖、4つも紅茶に入れるのかい?」


あたしは何もなかったように繕うせっちゃんに合わせて談笑をつづけたけれど、その時のせっちゃんの顔がひどく哀しかったのが脳裏に焼き付いて離れない。淡い光が、ガラスを通して、せっちゃんの艶やかな髪を照らす。木漏れ日が、揺れるたびにせっちゃんの睫毛も揺れた。透明感あふれるこの景色に、なにかどことなく寂しいものを感じるのはなぜだろう。力強く自分を表現するせっちゃんの、笑顔が以前よりも、もっと儚く見えるのはなぜだろう。


「みんな俺達が2人で出かけてること知ってるんだろう?」
「あ、うん、成り行きで、言っちゃった。」
「まぁ、秘密とは言ってないからね。でもこりゃぁ、帰ったら柳あたりがうるさそうだなぁ。」
「まぁまぁ、みんなにお土産買ってこうよ。そしたらブン太と赤也あたりは黙るでしょ」


あたしたちは無難にバラが練りこまれたクッキー(せっちゃんが真田に似合わないって相当笑ってた)をレギュラー全員に買っていった。後日、珍しいことにブン太と赤也以外の部員が騒ぐことはなく、あたしはすこし違和感を感じながらもいつものようにマネージャー業を務めたのだった。


その後のせっちゃんの容態も初めはよかったものの、月日が流れるに次第、やはりどこか無理があるのか悪化していって、部活に顔を出すのもままならなくなっていた。そうして、結局、2月の下旬、再入院が余儀なく通告されるのである。

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