無二





懐に手を差し込むと確かにそこにある、紅い玉と牡丹の飾りがついた簪。何時でも身から離さず、大事に握り締めていた、この。大事にしなければと思う理由こそなかった。しかし唯一この簪が私、という存在を証明するものだったのだ。




「この簪は捨てられた時に私が唯一家から持ち出した物。」


「捨てられただと?」


「はい。私は流れに流れて武州へと辿り着いたんです。この簪は私の母が、」




私の母が、泣く泣く私を送り出す時に持たせた物。微かな記憶に母の顔こそははっきりしないが涙でしわがれた声としゃくりあげる音が聞こえる。次の七五三にその簪を着けてあげたかったんだけどねぇ、遠い記憶に彼女は呟いていた。どんな格好、どんな家、どんな街、こそ何も覚えていない。しかし母が泣いていたことだけは覚えていた。余程自分は母が好きだったのであろうか、とぼんやり考える。その簪を固く握り締めどこか遠い場所に置き去りにされたのは覚えている。置き去りにした人は母ではなかった。それでは一体誰だったんだろうと、今追及したところで分かったもんじゃない。しかし次の七五三、というからにはきっと六歳かごろに私はすでに寂れたあぜ道の真ん中にぽつんと立たされたのであろう。けれどそれがどれだけ心寂しかった事だろうかと、今の自分には想像しか出来ない。



けれどこの簪を握り締めると段々自分という自分に好奇と恐怖を覚える。結局自分は何も自分の事を知らなかったのだと。、と名前だけはかろうじて覚えていたけれどそれ以外は何もない。着物も小さすぎてどこかの川にでも捨ててしまっていたし、持つべきものはこの簪だけであった。邪魔だった髪は切り、何も家の残り香さえもない。けれど、ミツバに背を撫でられている時に思い出す。そして知りたいと思った。江戸、私の家がある江戸。この簪は何故か私の手から離れようとはしなかった、否離せなかった。幾ら木刀が綻びようと幾ら自分の身だしなみが汚かろうとこの簪だけは擦り切れた着物の懐に大事にしまい、時折左の手に掲げていた。私の育った家が知りたい、何故捨てられたのか知りたい、私の育てた親を知りたい。好奇の渦に私は飲み込まれる。はっと何かを悟ったかのように私はミツバの手さえも振り払いまた理性をも失った足で一直線に近藤道場へと向かう。沖田家へ逃げて来た時よりもずっと速かった。




「いっちゃん!!!!」


?!」




その時私は目の下を赤く腫らしていたんだろうけど、そんなことお構いなく叫んでた。いっちゃんは目を真ん丸く開いて私の叫び声に唖然と耳を通していただけ。




「江戸に、江戸に私も行かせて!!お願い、行かせて!!」



「そのことだけどな、・・・・・・」



「この簪ッ、私が家から持ってきたの!!母さんが私に持たせて、」



「でな、そのことなんだけどな、・・・・・・」



「江戸に、私の家があるの!家に戻りたいとは思わないけど、私家のこと知りたいの!江戸に行きたい、行きたいです!ねぇ、お願いいっちゃん・・・!!」




、落ち着け!」




は近藤の先ほどの自分の大きさで怒鳴ると我に返ったのかふぅと息を吐いて落ち着いた。とりあえず座りなさい、と近藤は促すとはその場に正座した。深呼吸しろ、と近藤は指示するとは深く息を吸う。今まで周りには何も聞こえなかったはずだが小鳥の啼き声と冷たい風が頬を撫でるのを感じた。落ち着く、の文字通りは目を見開く。すると近藤は表情を和らげていつもの温かい笑顔に戻った。しばらく間を置くと、は握る手に汗をかき、一層ぎゅっと拳を握り締める。









「はい!」



「さっきトシと総悟と話したんだが、お前を江戸に連れて行くことにした。」



「・・・・・・へ?」



「江戸に、お前を連れて行く。」



「・・・・・・はい?」




「お前を江戸に連れて行くってば。」



「・・・・・・」



「だぁーからーらぁああーお前を江「本当?!いっちゃん私を江戸に連れてってくれるの?!」




ワンもツーもスリーもテンポ遅れて反応するに遂に近藤は身を乗り出そうとしたが、相も変わらず自分のペースで反応したにがくんと項垂れる。しかしはきらきらと目を輝かせてめいいっぱい頬を緩ませては満面の笑みで微笑んだ。




、お前は反対してでも着いてくるだろうと俺ァ思ったわけよ。だったら反対しないで連れてった方が楽だろ?お前に無駄に反抗されちゃ俺たちの体がもたない。それにお前はそんじょそこらの女とは違うしな。」



「・・・・・・いっちゃん、・・・・・・ありがとう!!大好き!!!!」




は近藤の話さえも聞かずに近藤の胸に飛びついた。うおっと鳩尾に来た衝撃にうっと近藤は呻いたがは一人満足そうに近藤を抱きしめる。すると障子の隙間から覗いていた総悟がにたにたと嫌に楽しそうに笑っているのが見えた。隣には土方もいる。




「近藤さんがに抱きつかれてるぜィ。さすがの近藤さんも照れてやがらァ」



「おいおい、近藤さんはこの前門下生のあれ、誰だっけ・・・・・・影が臼井くん?でいいか、に告白されてたばかりなのに酷な事すんな」




そんな総悟と土方の冷やかしを恥ずかしがっているのは近藤だけでありはそれをものともせず勢いに任せて土方と総悟の方へ振り向く。2人は嫌な予感がして後ずさんだがその時にはもう遅かった。




「トシもそーちゃんも、大好きィィ!!」




がばぁと思いっきり加減ナシで抱きつくにはは、と空笑いをする総悟に迷惑そうに顔を歪めている土方。しかし2人も満更でもなさそうだった。が大いに喜んでいるのに便乗して近藤は大声で笑い、そして総悟もまた笑った。土方は声こそ上げていなかったが彼も嬉しいのか目を細める。にっこりと微笑んでいるの傍にその日は一日中笑顔と笑い声が絶えることはない。傍らでは4人をこっそり覗いていた臼井くんがいたりとかいなかったりとか。そんなことをよそに、達は笑い、笑い続けたのであった。










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080501