別離





夏の終わりに近かった。すでに季節を知らせる蜻蛉は風に揺らぐように飛び交い、時折雨雲が哀愁漂う夕陽を遮った。過ごしやすい日々となった、そんなある風景に私達は別れを告げなければならない。今踏みしめている武州の大地も江戸へ行けば懐かしむようになるのだろう。浴衣姿のミッちゃんも、そろそろ浴衣もお終いね、と切なげに言う。さきほどからこんな状態が続いていた。私はミッちゃんに聞くべきことがあるのに、景色を眺めては日常に馴染むだけのことを口にしている。焦燥感と恐怖心が自身の中でせめぎあっていた。




「ミッちゃん」


「なに、ちゃん?そんな眉間に皺寄せて、どうしたの?」




フフ、と無邪気に笑うミッちゃんにどうしてみ聞かなければならなかった。それがミッちゃんにとって酷だったとしても。




「ミッちゃんは・・・・・・一緒に江戸へ行くの?」


「・・・・・・」




息を呑む。その時のミッちゃんが微笑むさまはあまりにも残酷に美しい絵図だった。その雪のような白い頬に一筋の水の流れができる。その時の私は不謹慎にも永遠にこの時が止まればいいと、願ってしまった。




「行かないの」


「・・・うん」


「行かないわ」


「・・・うん」


「わたしは・・・ここで皆の帰りを待ちます」




堰切る様に涙は溢れていった。私より小さく細い肩を抱いてやった。震えているミッちゃんは、小さく呻く。本来この肩を抱くのは私であってならないのだ。トシ。その時ばかりは恨めしく思う、盟友よ。こんなにも儚い姿をしている彼女を、どうして彼女を。抱きかかえた彼女に見えないように年季を感じられる湿った木製の天井を仰ぐ。人知れず、涙は頬を伝った。私はあの時見ていた。トシが辛い背をミッちゃんにあえて向けたのを。それに失望や妬みやどろどろと黒いものをあの年で抱える総悟がこっそりと見ていたことを。しかしこの震える小さな彼女はなんだ。か細い鈴の鳴るような声で、未だにトシの名前を呼んでいるではないか。十四郎さん、十四郎さん、と。それがこの真っ直ぐの恋心の終わりではないと、私は今でも信じて疑わない。


















強がりだ。いつでも、副長は独りでなんだってこなそうとする。この薄暗い闇の中にひっそりと副長と退くんに気付かれないよう、息を潜める。私、もしかしたら監察に向いているかもしれない。そんなことを思いながら、僅かにしか聞こえない退くんとの副長の会話に耳を傾ける。自分の呼吸音でさえ、邪魔だ。




「こんな時に仕事なんざ・・・・・・それもよりによってミツバさんの婚約者をしょっぴこうなんて・・・酷ですあまりにも。」




退くんは切実に思いを込めていた、その言葉に。それをただ聞き流しているような副長に私はきゅうと心が締め付けられる思いをした。会いに行ってやってあげてよ、トシ!




「フン、俺が薄情だというつもりか?そうでもねーだろう・・・・・・」




銜えていた煙草を手に持ち帰ると今まで見たことのないような、副長、否、鬼の皮を被った土方十四郎を私は目にした。





「てめーの嫁さんが死にかけてるってのに、こんな所で商売にいそしんでる旦那もいるってんだからよォ」




いくら非情な任務を遂げようとこのような顔の副長は見たことがなかった。私は息を止めるのも一瞬忘れていたが、すぐに意識を取り戻し、退くんに極秘扱いを告げた副長の姿を追うために腰を上げた。副長が暗闇にその隊服が飲み込まれていった後、私はわざと退くんに目立つようにとその場に立ち上がった。





「あ、さん?!いつからここに?!」




「初めからだよ、副長が昨日屯所を出てずーっと、私傍にいた。」




さんヤバイですよ、副長を止めないと!!」




「・・・・・・うん、分かってる。私は副長を追う、退くんは至急局長そしてすぐに全ての隊に連絡を回せ。」


「は、はい!!」





転海屋が敵だと知っていた私はミッちゃんの幸せを最優先に考えていた。結婚ということがミッちゃんの心に少しでも安らぎを与えてくれるというならば、私は真選組を疎かにしてでもミッちゃんのことを考えていたかった。でも、副長は違う。ミッちゃんのことが今でも大事な副長には苦渋の選択なのは私にも痛いほど分かった。しかし分かっていてもそれを私は解せない。でも副長が決めたことなら、トシがそうしてトシの護るべきものを護ろうと言うならば。私はトシと共に大将に誓ったこの刃を血にも染めよう。







トシの荷を、少しでも私は軽くしにそしてお互いの共通の護るものを護りに向かうのだ。その暗闇に露と消えた黒い隊服の行く先に。







戻ル 表題 進ム

080830