心機





トシとミッちゃんはどう見てもお似合いのお二人だった。そーちゃんはそれをいつまでも受け入られずに姉を慕う気持ちを剥き出しにしてトシと火花を散らせていたけれど、私からしたらそれもこの愉快な日々の日常のひとつとなりつつあった。あの時のトシとミッちゃんは私を恍惚にさせるほど、ラブロマンスのワンシーンを切り取ったような茜色に染まった陽が映える、そんな二人だった。




「ミッちゃん今度豆腐屋の前に出来た甘味屋さん行こうよ!美味しいって評判みたい」


「そうねぇ、明日の夕涼みにいいわね。十四郎さんも一緒にどう?」


「そーだな・・・悪くはねェ」




やった!と大きく縁側から跳ね上がると勢いに任せて私は真っ先に家の向かいでいっちゃんと遊んでいるそーちゃんの下へと向かおうと一目散に庭を駆け抜けた。それが密かな私の中でのトシとミッちゃんといる時の約束事だ。ミッちゃんはこういう恋愛に関しては奥手なもので、なかなか物を言い出せない。トシは滅多に感情を出したりするようなヘマはしないけれど、私にミッちゃんを想う気持ちを理解するには充分だった。座っている距離こそ離れてはいるけれど、私はその時いつか彼らが寄り添う姿を想像しては微笑んでいた。そんなある日のことだった。




「明日のお祭り、何時ごろからかな?」


「さぁ・・・多分日が沈む前なんじゃないかしら。」


「そりゃそうだけどさ、うーん・・・私、いっちゃんに聞いてくる!」


「おい」





私がそうやって駆け出そうとすると、それを制する声が聞こえた。振り向くと普段よりも眉間の皺を深く刻んで私を見つめるトシ。




「6時からだとよ、お前はしゃぎすぎ」




気まずそうに私は視線を下ろすと、仕方がなくその場に再び腰をつけた。きっとトシは私の余計なお世話に気付いたのだ。トシから感じる視線に罪悪感を感じる。ミッちゃんは何も知らずにそうねぇと相槌を打っては夕空に飛ぶ蜻蛉を目で追っている。全く、かわいいひとだ。しかしトシはそれに構うこともなく私に視線をくれている。内心、ミッちゃんだけを見ていてくれと懇願している私の心中も知らずに。




「お前もいろ。」





それは聞き違いだったのかもしれない。ミッちゃんもその言葉に気がつく素振りも見せなかったし、そのうえトシは何事もなかったように茜色に染まった空を眺めている。しかし空耳かと思えるほど幻想的なものでもない、確かにトシの低い掠れた声だった。しばらくトシを見つめているとなんだよ、と不機嫌そうな声を出し脅されたような感覚に陥ったので私はその場に大人しくミッちゃんと他愛もない話題に花咲かせる事にした。トシはその間、相槌も打たず静かに私たちの傍で空を仰ぐだけだった。


























病院に訪れるのは久しかった。どこまでも続く白い廊下はなぜか背筋を凍らせる。薬品特有の匂いが鼻について、余計に死人の影を落としている気がした。お目当ての病室の扉には自分の親友の名前が書かれていた。望むらくは、その立て札がすぐに外されますよう。年季が入っているのか、ドアノブに手をかけると軋む音がした。キィ、と音がするとともに自分の足音が静かな病室に響く。




「失礼します。」


ちゃん」




病人はベッドにはおらず、窓を通して江戸の忙しない空を眺めていた。手には彼女の好物の激辛煎餅が。しかし私にはそれに対して咎めるつもりもない。急いでそれを隠すように引っ込めた彼女はにっこりと何食わぬ顔して私を迎えた。




「別に私怒らないからね、ミッちゃん」


「あら、見られちゃってた?」




フフ、と茶目っ気たっぷりに笑うミッちゃんは私の目にも艶やかしく映る。ベッドの隣にある小さなチェストの上にある花瓶に見舞いに持ってきた花を生けるとミッちゃんはその隙に再び激辛煎餅を口にした。日に日に弱っていくミッちゃんの身体は一層美しさを増しこの世のものではないかと思うほど儚く見えた。お願い、ミッちゃん私を置いていかないで。




「お花ありがとう。さっきは坂田さんと山崎さんがいらっしゃったのよ。ちゃんももう少し早ければ会えたのに。」


「退くんと万事屋のが?それは珍しい組み合わせだね」


「それがなんだか退くんが私のことつけてたみたいなの。変よね?」




そう不思議そうに首を傾げるミッちゃんの顔には不快そうな表情は浮かんでない。この人はひとを疑わない。




「そういえば美味しい蕎麦屋があるんだ。ミッちゃんが退院したら今度行こう?」


「いいわね、早く行きたいわ」




退くんがミッちゃんを監視していたことに対しては触れたくなかった。下手にミッちゃんを心配させたくない。いつもいつもミッちゃんが気にかけていればいいのはやんちゃな弟と無愛想な待ち人だけでいいの。




「思い出すねあの時のこと」


「?」


「武州を出る前の日のこと」


「そうかしら」


「うん。大事なことを話さなきゃいけなかったのにどうしてか切り出せなくって意味もない話ばかりしてた」


「・・・・・・」


「今みたいに」




ベッドに戻ったミッちゃんを真っ直ぐ見据えるとそうね、と苦し紛れにミッちゃんは返事した。哀しそうに、彼女は笑っている。思わず自分は拳を作り握り締めてしまう。しかし時間を見るとそう、長居できないことに気がついた。しかしそのことに自分はどこかで安堵している。私が席を立つと、ミッちゃんは悲しそうな目をして私を見上げている。




「もう行くの?」


「うん、仕事があるから。話はまた今度するね」




その言葉を最後に病室を出ようとドアノブに手をかけようとした時、声が私を呼びかけた。




ちゃん、」



「なに?」



「無理しないでね」




それはこっちの台詞だよ。そう言い返したかったけれど今の自分では笑顔で言えるような状況じゃなかった。今のミッちゃんと話しているだけでこちらがおかしくなりそうだ。振り向かずにありがとうと一言お礼を告げると廊下の向こう側から若いくせして白髪頭の木刀をひっさげた男が歩んでくる。万事屋のだとそれを確認した私はその場をすぐに立ち去った。今は誰とも話したくない。ミッちゃんのあの清らかな空気を、鈴の鳴るような声を、いつまでも記憶に新しくしていたかった。






さぁ、仕事だ。








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080811