初事





突然だった。一匹狼よろしく、武州で噂の喧嘩っぱやい土方十四郎は汗の匂いを存分に含んだ道場の縁側で壁にもたれかかっている。彼がここに居座るようになったのは、近藤さんが傷だらけの彼を引きずってきてから である。稽古には決して参加せず、いつも一瞥を一度くれるかくれないかと言っていいほど無関心に見えるような、そうでもないような。総悟はよく蔑んだような目で辛辣な言葉を並べて追い返そうと努力していたが、土方の眉ひとつ動かず。時折が着ている近藤さんから譲り受けたお古の着物の裾を引っ張っては口をへの字に曲げていた。




、俺アイツマジ嫌いなんだけどマジやなんだけど」


「確かに愛想はないけど、悪い人じゃないんじゃないの?」


「そうだとしても、俺は嫌だ。」





総悟は土方に関しては嫌い、の一点張りでこの駄々っ子にはも近藤さんも手を焼いた。とて一度も話したことのない人なのだ。しかしどうしてか、根っからの性悪ではないことは見てとれた。むしろ好感というか、なんというか、親近感に近いようなものを、は彼の風格で感じ取れたのだ。










土方は一人、ひそりと稽古を積み重ねていた。丸太で素振りをするという無謀な稽古をそのまま彼はそっくりやっている。竹刀や木刀と違う、丸太の重みとざらつく表面に手の皮はすぐに破れ、血豆が手のひらにぽつぽつと出来る。はそんな彼の様子を日に日に傍から観察していた。彼の死角をついている場所にひっそりと身を潜め、土方十四郎という男を観察していた。木々が揺れるときに差し込む光が、自分の手の平に出来た赤い跡を照らし出す。丸太が風を切る音が止んだ頃、不意に低い声が呼びかけた。




「おい」


「・・・・・・・・・」


「おい、そこにいんのは分かってんだよ」




地面から這いのぼってくる声を辿ると、そこにはいつから住み着いた、あの男が自分を呼びかけていた。少し息を乱しながらこちらを睨みつけてくる。はそこをどけ、と手を振り払ってサインを送ると、寝そべっていた体制を正して三メートル近くもある木の枝から飛び降りた。うまく着地するとじぃん、と足に鈍い痛みが走る。しかしそんなの様子をも気にとめず、土方は相変わらず無愛想な顔でを鋭い双眸で見つめている。はバツが悪そうに眉間に皺を寄せながら、大きく溜息をひとつついた。




「いつから知ってた?あそこにいるの。」


「テメェはなんで俺をつけてんだ。」


「え?別に。興味本位?それに私が質問してるんだけどなぁ。」




答えてよね、と返すと土方は余計にその視線を鋭く突きつけた。確かに興味本位と言われたら誰でも不快になるだろう。はこれからどうしたらいいものか、と黙りこくる土方を前にしていたところ、間をとって土方は不本意そうに話しだした。




「・・・・・・ついさっきだ。」


「なーんだ、てっきり3日前からバレてたのかと思った。」


「アンタ、3日も前からいたのか」




わたしって天才!と一人自分を褒め称えるに土方は異様なものを見つめる目付きで視線をくれた。なに、とがそれに答えると、




「やっぱアンタ女だったんだな」


「はァ?何それ、男だと思ってたのわたしを」


「薄々女だとは感じてたが見てくれが男みてーだからよ、誤解すんだろ」


「しっつれいだねー君も」




しかし不機嫌になるどころかケタケタと笑い声を上げるに土方は少し、視線を落とした。薄暗い宵の入りはじめに話しているというのに、不思議と心は愉快だった。




「わたし、君のこと知ってたよ。有名だったから」


「お互い様だろ」




えー?とが間抜けに返事をすると土方の口角が少しだけ上を向いた。笑った。はそのことだけで心が晴れやかになった。彼が笑ったところを、はまだ見たことがなかったからだ。








「あ?」


「わたしってゆーの。君は、土方十四郎、でしょ。」




知ってる。一言付け加えると、土方は満更でもないように、そうか、と返答した。には彼の様子が先ほどとどことなく違うのを感じた。厳つい警戒心剥き出しの野良犬のようなオーラはなく、大人しく丸め込まれている子犬のようなだな、と不思議と微笑ましく感じる。




「よろしくね、トシ」


「テメェによろしく言われる覚えはねーんだけどな。それにトシってなんだ、トシって」


「あだ名。とーしろーって長いでしょ?」




いい響きしてるじゃんとは軽く言うと、勝手にしろとのこと。土方が自分をどう思ったのかは知らないが、悪い印象は与えていないようだった。彼の背中が、が見慣れていないまだ少年らしい骨ばった形をしていた。いっちゃんとも総悟とも違う。が呟くと再び不機嫌そうに土方は振り向く。気にかけてもらえる対象に昇格したんだな、とは認識すると、嬉しそうに小さく笑い声をあげた。それを奇妙そうに土方は見ていたがだんまりと見つめるだけだ。いささか遠い肩を追いながら歩く二人の姿は、近藤さんの目にもしかと映っていた。みんな、まだ若かったのだ。








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080710