説諭





「近藤さん、近藤さん、これ見やした?」




あの総悟が額に汗を浮かべ、忙しない様子でばさばさと新聞を抱えてるのを見て俺は何があったんだ、と声を張り上げた。歯ブラシを銜える口から泡が勢いよく噴出して、総悟はそれを新聞にかからないよう避けて広げて見せた。それは新聞の顔を飾る一面。でかでかと掲げられた文字に目を見張る。ぽろ、と歯ブラシが口から零れるのを感じた。泡がぼとぼとと先ほどより余計に口の端から垂れてしまった。




「近藤さん、落ちやしたぜ」




総悟の声は冷静さを取り繕うとしているみたいだが、それも悲しいほどに無駄だった。その辺に置いてあったティッシュをニ、三枚乱雑に取り、床に垂れた泡を拭う。俺の声はいやに落ち着いていた。自分の中でも、哀しいほどに。




「総悟。をここに呼んでくれるか。」




分かりやした、と総悟は二つ返事した。青々とした空に浮かぶ鰯雲が、やけに眩しい早朝のこと。




















局長から呼び出し、とのことだそうだ。わざわざ隊長が私に知らせに来て、局長室へと続く渡り廊下を歩む。屋根が影となって、清々しい紫外線を遮って縁側をすっぽり覆っていた。隊長はその一言を告げてからすっかり何も言わない。予想はついていた。昨日の今日だ。大方昨晩暴れたことを新聞に大々的に載せられて今朝目にしたところだろう。我を取り戻した時から咎めは覚悟できている。今度は謹慎何日だろうか        




「近藤さん、を連れて来やした」


「ああ。ご苦労だったな総悟。お前は・・・・・・お前もそこにいろ。」




久方ぶりに訪れた局長室は妙に清閑な空気が漂っていた。掛け軸も置かれている坪も、染みがついた襖も、何も変わらずいるのに。なぜだか自分が知らない場所にいた気がした。異国の地に足を着けたような、そんな恐怖も背筋に微かに覚えた。脈拍が上がるのを、感じられずにはいられない。隊長は、敷かれた座布団に座ることもなく気だるげに襖によりかかる体制をとった。その横顔は、相も変わらず天使のように整っていて。




「これを見たか。」




局長がそう言うと、新聞を大きく広げて畳に置いた。それも一面にでかでかと。添えられている大きな写真は、あの甘味屋が無残にも半壊したあられもない姿に隣に無表情の私の顔写真。それもまるで履歴書に貼る粗末な証明写真のような。










真選組の女隊士(、、、) 、ご乱心?!


真選組一番隊隊長補佐官が昨日夕方五時、甘味屋「しぐれや」で攘夷志士と激しい斬り合いとなった。証言者によると、隊長補佐官は攘夷志士に傷を負わせたものの逃がした上に、攘夷志士は隊長補佐官を女性だと示唆するような言葉を残したという。警察に問い合わせたところ、松平片栗虎警察長官はこう公言している・・・・・・










その後連なる文字の羅列はただただ、真実を述べたものであった。松平片栗虎が私を女性だと認めたこと、私が武州の出で真選組結成時から局長らと共にしてきたこと、孤児だったという生い立ち、そして唯一の女性が男だらけでの生活へのバッシングや市民の辛辣な言葉など。こうなることは目に見えていた。私が視線を落として読み終えたことを確認した局長は、これまでにないほど、深い声をゆうくりと吐いた。




「・・・・・・、昨晩攘夷志士と斬り合ったのか?」


「・・・・・・はい。」


「攘夷志士の名前は分かるか?」


「河上万斉です。」




私がその名前を紡ぐと、さすがの局長でも驚いたのか隊長に目線を泳がせた。隊長は何とも言えぬような顔をしてその視線に答えた。局長は私を急かすように視線を戻すと、先ほどと変わらずの深い声色で質問を続ける。どっしりと構えているその体が、今の私には立ちはだかっているようだった。




「目的は分かるか?」


「・・・・・・・・・」




私は口を僅かに開いたまま、視線を逸らした。言うべきなのは分かっている。唾を飲み込む。しかし、なぜだか生きた心地がしなかった。喉に通るそれが、異物以外の何でもない気がした。




「・・・・・・攘夷志士に勧誘されました。河上万斉に寄ればあの高杉晋助が私を気に入ったと。」




やはり局長は河上万斉の名を上げた時よりも驚いたのか目を大きく見開いてみせたが、すぐにあの優しい眼差しを向けた。温かい、釈迦のような、あの眼差しは今の私の目を焼くようだ。沈黙が流れる。隊長でさえも身動きしないので、静寂が部屋を襲った。それと共に太陽が雲に隠れたのか、暗闇さえもが部屋を支配する。陽が再び顔を出した瞬間、局長は大きな溜息をついた。永久に感じた、その瞬間。




        よく戻ってきてくれたな、。」


「え・・・・・・。」




局長は悲しそうに、切なげに、目元をぴくりと動かした。くしゃりと、眉に皺が寄る。その眉さえもがその情けなさを物語っていた。意外なその言葉に、私はぽかんと口を開けたまま。




「すまねェ・・・。お前が俺に不満を抱いてたのは知ってた・・・俺がお前に外廻りをさせなくなった頃だろ、お前は前よりも俺やトシや総悟にまで笑わなくなって・・・・・・女だってんのに洒落っ気も何も見せられねェ、バカばっかのこの屯所でお前が何を考えてたのは想像に難くはねェよ。だが俺ァお前が外で暴れのは耐えられなかった、せめてお前だけは、お前の幸せを掴んでほしかったんだ・・・ほんと、俺ってヤツァ・・・・・」


「俺ってヤツァバカだよ。あぁ、勿論俺ァ馬鹿だ。曲がりなりにもバカばっかの上に立ってんだ、馬鹿に決まってる。でもよ、そんなバカでもお前の・・・その向日葵んような笑顔見ねェとやっぱ辛いんだよ。なのに俺ァお前から笑顔を奪うようなことばっかしてきた。お前が俺を恨む理由なんて数え切れねーほどあんのに、お前は・・・・・・」




絶え絶えになりながらも、一生懸命言葉を紡いでいく局長。目頭が熱くなった。わだかまりが吐き出るように自分に反吐が出た。昔から決めてたじゃない、大将はこの近藤勲だって。私の一生の、この身が露と消えても、私の       




「違う       それは違う・・・・・・!違うっの・・・・・ぉ」




嗚咽が込み上げた。喉が痛い。掠れる声を振り絞りながら、溢れる涙にもどかしさを感じながら。なんだって私はこんなまっさらな人を疑ったんだろう。なんだって私はこんな固い信念に背こうとしたのだろう。言葉にしたら全てが嘘に聞こえるかもしれないと思った。でも、言わずにはいられなかった。




「わ、私、疑っちゃった・・・・・ずっと、私はずっとずっと真選組の下で・・・局長の下で・・・っく・・・・いっしょう、を捧げるっ、て決めた・・・のに・・・本当は河上、ばんさっ、いとも・・・・・前に会ってて・・・・・・わた、私は斬れなくて・・・・・・」


「わたし・・・・・・にはっ、局長しかいないのに・・・・・・っ、うらんだこと、なんかない・・・・・・・ただ、ただ・・・・・・もう、私をっ、信頼、してくれて・・・ないかと局長は・・・・・・!」




泣き崩れる私に、大きくて暖かいものが髪ごしに感じた。無骨な局長の大きい手が、優しく私の頭を叩く。震える肩は、むせび泣いた。




「お前もバカだなぁ、。俺がいつお前を信用してないって言ったよ。お前は昔から、今でもこれからも・・・・・・俺ン中での大事なだ。だがそう思わせたのは俺の責任だ、すまない。本当に、すまない。」




「お前が変わっちまったのは、確かに俺のせいだ。けどよ、俺だってトシだって総悟だって、淋しかったんだ。武州にいた頃のようによ、お前が俺たちを呼ばなくなっちまって。」




は俯いてしとしとと泣いている面を上げた。震える唇は、蚊の鳴くような声で確かめるようにひそりと。




        いっちゃ・・・・・・ん?」




近藤は、初めてと出会った時のようににいっと豪快に、心底嬉しそうに笑って見せた。




       そーちゃん・・・・・・・?」


「なんでィ、。」




沖田はしれっと言いのけたけれど、その顔は破顔している。口角だけ吊り上げて、それがいかにもそーちゃんらしいとは口元に笑みを零した。何年かぶりに緩めた、頬の筋肉。それが引き金か、涙腺が一気に崩壊したのか涙が滝にように流れはわあわあ声を上げて幼子のように泣いた。その声に気付いてなんだなんだとやってきた隊士らの鉄砲玉を喰らった鳩のような顔もそっちのけで。そんなを宥めるように近藤はを抱きすくめた。は涙も枯れることも知らずに、お菓子を駄々こねる子供のように、それはそれは大層泣いた。泣き続けた。













そのあったかくて大好きな広い広い胸の中で。










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080617