危殆





開いた襖を通り抜ける風邪がひんやりと体の体温を下げる。すっぽりと江戸を覆う太陽も今やすっかり鮮やかな朱色に染まっていた。わらわらと口喧しい連中も討伐会議ゆえ殺伐とした空気にひっそりと潜んでいる。は群れの中に一人紛れているが確実に今までのどんな時よりも浮いている気がした。それもまるで川の堀に転がる石ころに埋もれる一欠けらのガラスのように。の瞳には、江戸の太陽の光が差しているのだろうか。



今度乗り込む攘夷党は決して大きいものではない。それにこの連中、幕府転覆よりも薬の密売などに一役買っているという外道。しかし成り上がり者ばかりの攘夷党といえど、党首が幕府の中枢を担う幕吏と繋がりがあるらしい。ということはこの件、幕府が一枚噛んでいるということだ。厄介なこった、近藤さんが低く告げる。思い返せば昨晩、近藤さんは再び今度の討伐の件を持ちかけてきた。近藤さんはどうしてもを連れてくことに渋った。しかし俺がそれを止めた。今のにそんなことを言いでもしたら本当に何をやりかすか分かりやしない。今のヤツは腫れモンだ、触ったら膿が破裂しかねない。総悟は細いその手を白く包帯で染めたをまなじりで窺う。別段と表情の変化は、ない。いや、今までもがこんな陰湿な表情をしていたのだから変化も何も、総悟は会議を終え立ち上がる隊士達に続きこきこきと間接が鳴る脚を起こした。


あの時武州で悪巧みを仕込んではからからと笑うはどこへいっちまったんだ。向日葵に負けない明るい面を太陽に向けて微笑んでいたあのはどこへいっちまったんだ。


小規模な攘夷党とはいえ、慎重さがこの討伐の成否を左右する。今回は一番から三番隊そして局長動員だ。副長と他多数の隊士らは出払っていていない。雨がいつのまにか降り出していた。さぁと降り注ぐ尖った小雨が、屯所に纏わり着く不穏な空気をより一層不気味に見立てている。




、お前は俺と一緒だ。近藤さんが下の階にいる三下どもの粛清に指揮を執る。俺たちァその前に上に乗り込むぜィ。」


「はい。」


「それと先ほど見せた写真を忘れちゃいけねェ、、総悟。アイツをひっとらえる。重要参考人らしい、おかみ直々ひっつかまえろと俺ァ言われてるんだ。」


「本当なら一人残らずたたっ斬りてェところだが・・・おかみ直々のお言葉ならしようがねェ。」




総悟とが生返事をすると近藤さんは心配そうにを見つめた。正直俺だってこんな状態のを斬り合いに出すのはおっかない。の剣に迷いがあるわけではない。は迷いよりももっともっと深い樹海の迷路でひとり苦しんでいるように見えた。しかし俺にとっちゃ、がこれ以上壊れちまうのがもっとおっかねェことだと、心奥底で密かに恐れていた。いつもの調子で気の抜けた会話を淡々と続けていく俺をよそには移動中、窓の外の流れゆく風景に目を逸らしはしなかった。

















「よし、お前ら。一気に乗り込むぞ。」


ウッス、と隊士らの低い声が些細に響く。日はとっぷり沈んでいて、黒とも似つかぬ穏やかでない色があたりを包んでいる。にび色の空が重苦しく光りを俺たちに差し伸べている。見返り柳が、湿った風になびいた。


近藤さんが俺たちに合図を送ると同時にと俺は抜刀するとスパァンと勢い良く戸を開き、忍びのように足音も立てずに俊敏に二階へと駆け上がった。行け!、との掛け声と同時にうおおおおと隊士たちの唸り声が建物を駆けた。隊士らの唸るような獣のような叫び声を痺れていない五感のひとつが拾う。




「御用改めである!真選組一番隊沖田、だ。攘夷浪士ともども薬密売などの不法取引をここに粛清する」




壊れるほどに勢いをつけて開けた襖と共に意表を突かれた攘夷浪士どもの顔が薄暗い部屋に浮かんだ。辺りを囲っている蝋燭の光に見える蒼白な顔をしているものが飛び出したが、すぐに捕まり呆気もなく斬られた。賢いものどもは腰を抜かすこともなく冷静に刀に手をかけた。俺は目の前の向かってくる敵をしっかり見据える。大きく踏み出して振りかぶる敵に斬る合間を空けるように腰を低くし、刀を振った。肉の斬れる感触が刀を通して通ずる。血飛沫が噴いたと同時に目の前にいた四人はドサドサと惜しげもなく倒れた。転がる死体どもの顔には一瞬のことだったか恐怖の色も見てとれない。




「やめてくれよぉ・・・俺を殺したらどうなるか分かってるんだろ、幕府の役人さんよォ!!!」




二人ほど、隠れているのを見つけたらしい。先ほど敵が刃を見せた後横目で確認していた。しかし、悲痛な男の叫び声が聞こえた。もしや、と焦燥感がせめぎあう。俺は声が聞こえた隣の廊下にすぐさま飛び出た。べったりと隊服に血が張り付いた箇所が生暖かい。







そこには獣がいた。雲を透く月明かりに照らし出された獲物を狩る美しい獣が。が振り降ろそうとする太刀に必死にかぶりを振る豪奢な服を血という染料で黒染めされた男。は息つぎももせず口角を奇妙に吊り上げて瞳孔を開かせた目をしている。ひとつに束ねている滑らかな黒髪を垂らし、刃を月明かりに照らすように差し出すおそろしい獣。男が恐怖に怯えながらも後ずさりしようとしたその瞬間、の刀を持つ手が男の首に斬りかかろうと振りかざした。




!!!」



、やめろ!!」




俺が叫んだ瞬間横切った風に追い抜かれた。下の階から駆けつけてきたであろう近藤さんがの背後に回って柄を小突いて刀を振り落とした。カラン。刀はいと簡単にもの手から零れ落ちる。同時にはハッと身震いするように息を吹き返した。ハァハァとの喘ぐ声が静寂を切り裂く。ぎりと、近藤さんに強く握られた腕の力も緩められはガクンと膝の力が抜けたのか、血だまりの床にひざまづいた。近藤さんは、その動作を哀しい目で眺めていた。瞼を下ろした。




「やめてくれ、・・・・・・俺ァ・・・俺ァお前だけにゃ無駄な殺生はさせたくねェんだ・・・」




は前髪を面に垂らして項垂れた。近藤さんはそれを見守るようを見下ろしている。ガタガタといまだ震えている男は逃げても無駄と察してか、顔を引き攣らせて畳みに這い蹲る。それは惨劇の静かな幕引きだったのかもしれない。























俺は廊下の向こう側から、月の光に照らされて闇夜から切り取られた惨劇を声を押し殺し、刀ぶら下げて歪んだこの空間に耐えるだけ。










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080525
(080611修正)