迷悟





河上万斉の誘いに逢着した後、は何食わぬ顔で帰路についた。当然だが彼女の身に起こった出来事を、屯所内の誰も知らない。そう、誰も。早急に事の経緯を局長に話すべきだと解っていた。しかしこんな気持ちのままでは局長と会う気にもなれない。顔を合わせたくない。背筋を這う寒気に震えた。河上万斉はどうやら自分を迷宮へと誘ったようだ。いつもははっきりと見えていた兆も今は靄がかかって何も見えない。真選組を形成してからずっと、持ちこたえていた自分の全てが崩れ去るのをは拒む。拒めば拒むほどぬかるみに足が囚われる。悶々と考えるのは自分の性に合わないのは分かっているはずなのに。いつの間にか遠ざかった局長、副長、隊長との距離。昔はいっちゃん、トシ、そーちゃんだなんて呼んで、四季折々の木々と風の下で笑い合っていたのに。今はこうして頭を抱えている。あの時が栄枯盛衰の夢であったように。自分が今まで信念としたものが何だったのかと問いただす。









幕府が転覆する?そんなん構いやしない。でもそんなことを思えるのはどうして?折ってはならない大木の枝となったからだ。大木?それは誰        









、明日は俺と攘夷浪士の巣本つつきに出るぜィ」


「た、隊長・・・」




頭を抱えて縁側に座るに声かけたのは沖田だった。汚れてないようなその顔で毒を吐く彼でも、今のには眩しかった。自分が、闇に滲んでいる気がする。まなじりが熱くなった。




「人手が足りねェんだと。」



「局長が?」



「あぁ。あの人も渋ってたが、しょうがねェ。久々の外廻りだ、休むのもいいが体を慣らしとくのも今の内だぜィ。」



「・・・・・・女、だから?」


「え?」




落とした視線がやけに霞んでいる。かすかすの声が搾った音は、数年前の記憶を物語っていた。そんな掠れた音を聞き漏らしたかのように、沖田は声を上げる。



「女だから、局長は私を外廻りさせるのを渋るのか?私が女だから、安心して私に背を預けてはくれないのか?」


、それは」




沖田が弁解する余地も与えず、は咄嗟に走り出していた。自分は、何を言った。この口が、何を紡いだ。女だから?私を信頼できない?分からない。あの時と、同じ?どう足掻いても、どう請おうと、私はおんな。




剣、剣が欲しい。とてつもない力を、堰切る邪念を全て預けたい。血、血が欲しい。斬り合いに男も女も関係もない、血が欲しい。自室へ駆け込むと急いで手入れしてあった刀身に縋りついた。鞘から出ているそれは握る手から血を滴らせる。まっすぐで使う己の魂自身の刀を離そうとはしなかった。力が、力が欲しい。己の信ずる者に全てを許される力が。君をも貫く、激動の力が。



























翌朝、が目覚めた時自分は布団の中に身を納めていた。自分から布団を引っ張り出した記憶などない。ふと、枕から頭をもたげると鞘にきっちり収められていた刀が目に入る。そういえば手の平をゆっくりかざすと包帯も巻かれている。それも綺麗に。




「仕事!」




はがばっと布団から勢いよく身を起こしたが、そのまますぐに机上にある時計を奪うように手に取る。明かりを手探りで探すとスイッチが人差し指に当たる。ぱっとついた眩しい光に一瞬よろけそうになったが目を細めながら時間を確認すると、まだ丑の刻参り、花や木々も眠る時刻だった。そういえば記憶が途切れたのは隊長が自分を追って自分が部屋に逃げ込んだ後。あの時はまだ日暮れであった。ふぅ、と焦りと共に浪費した時間を取り戻すように溜息をつく。それにしても誰がここまでしたのだろうか。



















は寝たか?」


「えぇ、それはもう健やかに。それにしても涙溜めて走ってくもんだから追って部屋に行ったら部屋で倒れてるんでさァ、それも血ィどくどく流して。刀で腹を刺したかと思いやした。」


「そうか・・・・・・。」




近藤は深く頷くと、へぇ、と沖田は息をつく。先ほどの光景がまだ目を焼いたままだ。あのが、まさか。そう思って至って冷静でいようと思えた自分は間違っていなかった。近藤さんを速やかに呼びつけ、他の隊士に分からぬようを手当てした。胸に手を当てると斬り合いになれてるはずの心臓の動悸が未だに治まらない。




は・・・変っちまったなぁ」


「そうですねィ」


「なぁ総悟、俺ァ間違ってたかと思うか?を危険な仕事から遠ざけていたのを。」


「俺だってそれは賛成でしたぜ。でもアイツァ・・・・・・」




その言葉を沖田は飲み込んだ。それは近藤も沖田も分かっていたことだからだ。豪快な仕草が似合う近藤に似つかわないほどの苦い顔する。いつもひょうきんな沖田もこの時ばかりは眉を顰めた。近藤は眼差しを赤い海に水没してゆくような日に向け、小さな声でぽつり、と呟く。




は未だに分かっちゃいねェ。アイツが、俺たちの」



















「たったひとりの、女だってことを」










戻ル 表題 進ム

080522