誤想





陽が傾き、微かに醤油の香ばしい香りが漂う。久方ぶりに副長と他愛もない会話をした。気心知れた相手と時折昔話も取り混ぜた会話は、近頃頻繁に世間話を避けているにとってはちょっとした至福の時であった。


時計を見やるともう、夕餉の時間だ。腹の方もそれを察してか幾分空いてきている。仕事に一段落着け、座敷の方へ、は向かった。やはり男所帯、隊士たちは一早く食にありつこうというのか殆んどの席はすでに賑わっている。どことなく空いた席に、は流れるように座る。心なしか周りの隊士たちの様子がおかしい気もしたが、別に気にとめるものでもない。今日の献立は白米、豆腐に油揚げと若布の味噌汁に豚肉の生姜焼きにお浸し、浅漬け。女中さんはこれだけの献立のバラエティに加えて量も普通の家に適ったもんじゃないのにたいした物だと感心してしまう。ご飯は大盛り、肉だって一人三、四枚と女のにしたらとんでもない料理だ。は女らしいことを生まれてこの方数えるほどしかしたことないのでいつも女中さんの働きには感心していた。暇さえあれば台所に忍び込み女中さんが自分たちのために汗水流して料理を作っている光景を覗くほど、母性というものに飢えている。いただきます、と心の奥底で深く感謝しながら箸を手に取る。残すことはいつだって、ない。腹が膨れた分はいつも道場で消費しているのだ、これくらいの栄養は必要である。普段と別段、変わりなく黙々と談笑している隊士たちに囲まれ一人食す。総悟か局長、副長がいれば話くらいはするのだが。


よく大根の浅漬けを噛み砕いてそんなことを考えていると、腹部あたりに生暖かいものが染みる感じがした。浅漬けに伸ばす箸を止めて、ちらりとそこを確認する。案の定そこには隣の隊士の味噌汁が丸々零れていて、黒いベストとワイシャツに薄く茶色い染みが広がっていた。




「うわッ、さんほんっと、す、すみません!!今お絞り持って来るんで・・・!」


「あぁ、気にするな。脱げば済むことだ、後で洗う。」


「で、でも服染みになっちゃうッスよ・・・?」


「すぐに洗う。構わない。」




おどおどとした隊士はすみません、すみませんと何度も頭を下げる。驚きの故、逆に冷静に対応が出来たがびちゃびちゃとした感触は拭えない。今服を洗いに席を立ったらご飯が冷めてしまうし、このまま嫌な感触の服を着ているのも不愉快である。びくびくと隣で怯えている隊士を他所にはベストを脱ぐと、やはりシャツにも大きな染みが出来ていた。シャツまで脱ぐのはアレか、と思ったが下にサラシと包帯を巻いているわけだしそれよりも濡れた服にムシャクシャと怒りににたもどかしさを感じていたのでそのままシャツのボタンを外してワイシャツを脱ぎ、邪魔にならないよう自分の足元に服を置いた。別に自分は男だと思われているし、胸だって隠されているわけだし包帯を巻いてるからどうってことはない、と自分に言い聞かせてそのまま食事を再開しようとしたところ嫌に目線が気になった。不機嫌ななか、は目線を上げると周りの隊士たちが物珍しそうに自分を見ているではないか。


「なんだ・・・?」


「い、いやッ何でもないっス!」


周りの隊士たちもこくこくと返事をした隊士に続き怯えながら頷くとは何だかなぁ、と訝しげに眉を顰めたがそのまま再び食につくことにした。自分が脱ぐのがそんなに珍しいのか、男(だと思っている)の裸を見て何かおかしいのか、とは疑問に思いながらも生姜焼きへと箸を伸ばした。ざわざわと雑談に溶ける一部の隊士たちの噂は、には届いていない。そのままは盆を片付けると、洗濯場へといそいそと服を抱えて食堂を去っていった。




「お、おいさん見たかよ!」


「俺、さんがあんなに饒舌なの初めて見たぜ・・・・・・」


「そんなことより、服の下に包帯!なんか臭わねェ?」


「でも女だったらあんなに潔く脱がねェよ、普通。」


「しかし男にしちゃぁひょろいよな、それに白いし。」


「でもあーいう男だって結構いるぜ、最近のアイドルとかあんなんじゃね?」


「つーかあの包帯の下すんげー気になるんだが・・・・・・」


「だよな、アレは絶対怪しいって」


「おい、テメェら何の騒ぎでィ。」


「「「おおお、沖田隊長・・・・・!」」」


「楽しそうじゃねーか、俺も混ぜろ。」




沖田はどっかりと先ほどが座っていた席に座り、盆を置くと隊士たちはハハハ、と笑いながらなんとかうまく話題を逸らす。その後沖田と話す隊士以外、彼の隙を見てはについて議論していた。まず疑い深いところは細い、白い、包帯が胸から背中にかけて巻かれていること。しかし一部の隊士たちはあんなに潔く脱ぐ女は見たことが無い、もっと恥じらいがあるはずだと反論する。彼らがの女説を討論する最中、噂の本人は自分が早くに食堂を去ったのをいいことに早風呂をひとり、何も知らずに楽しんでいたとか。























まだ冬の名残惜しさがあるのか、空は薄暗い。陽は上っていなく肌寒さが布団を出ると余計に身に染みる。あと一刻目覚める時間が遅かったら朝の会議に遅刻だ。そんなことでもしたら局中法度で副長に腹を掻っ切られるだろう。重たい瞼を支えるように目を擦り、緩い着物から着替えるために隊服を箪笥から出す。準備が面倒な隊服は厄介だ。着物に手をかけ、ぼうっとした頭を呼び覚ますべくのろのろとした手つきで帯を外す。しかし途端に目が覚めるようなドタドタと大きな音が背後から耳に入ってくるではないか。なんだなんだ、と急いで着物を羽織り直し、障子を勢いよくガラリと開けて見た。誰もいない、と思いきやモゾモゾと物音のする足元に目を逸らすと、アハハ、と何故か空回りな笑い声を上げていた昨日の隊士が床に這いつくばっている。




「お、おはようございます、さん・・・」


「何だ転びでもしたのか。」


「あ、ま、まぁそんなとこッス。すみません、お休みのところ騒がしく・・・!」


「いや、すでに起きていた。気をつけろよ。」




すみません、と昨日のように頭下げる隊士は余程焦っているのかその後ももの凄いスピードで駆けていった。何か事件でもあったのか、とは不審に思って着物を直して隊士を追う。まどろんでいた思考回路も一連の騒ぎですっかり目が冴えている。しかし何の騒ぎもなく、和やかな朝の霞に囲まれている屯所。思い違いか、と納得して部屋に帰ろうと踵を返すとひそひそと自分の名前が囁かれているのに気付く。僅かな襖の隙間に目を懲らし、部屋を見通すと5、6人ほどの隊士が集まってなにやら会議を開いている様子が窺える。はそのまま耳をすまし、彼らの話を盗み聞くことを試みた。


「俺、さんの着替え姿見たんだけどさぁ」


「うぉっ、マジかよ!で、で、包帯の下はなんだったんだよ?!」


「いやーそれがさ、さん首の付け根から腰辺りまで大きな切り傷があってさ。」


「なんだよ、じゃぁあの包帯は胸を隠すとかそんなんじゃなくて傷を隠すためだけのモンだったのかよ?」


「だろ。それに背中の傷は武士の恥だって言うヤツもいるだろ。あの剣豪のさんだし昔修行中ン時かなんかに負った傷なんじゃねーの。」




なんだよーと口を揃える隊士たちにはくすりとほくそ笑む。確かに視界の片隅には覗かれている、という意識はあったのだ。しかし隊士が見ていた位置からはの胸や女特有のラインが見えることがなかった。傷は武州にいた頃、沖田とふざけて近藤の真剣を持ち出してつけてしまった刀傷。あの時は局長に一日中説教と厳しい稽古を強いられたなぁ。そんな物思いに耽りながら副長の心配も無駄な骨折り、はそのまま鼻歌をすさみながら着替えに自室へと軽い足取りで戻っていった。










戻ル 表題 進ム

080515