誘致





暖簾をくぐると、外気より少し生温い人間特有の温度が店を占めていた。篭もっている。何気なく足を踏み入れた店だが以外に混んでいた。そう広くもない店内、合席を宛がわされるのは必然。まぁそれも致し方ないと素朴な木製の椅子の背もたれを引いて腰掛ける。壁にかけてある質素な品書きに一瞥をくれて、店員が運んできたお冷に口をつけた。




「善哉一つ、頼む。」




かしこまりました、と注文を承る店員は淡々とその場から厨へと向かう。何となく合席にいる男の顔を気付かれないよう、目線だけで窺う。サングラスをかけた若い男。耳にはヘッドフォンがかけられていて、シャカシャカと僅かに漏れている音が人々の話し声に溶けていた。背には楽器でも背負っているのか弦が肩の上から覗いている。三味線だ。そういえば、この顔。どこかで見たことがある。はてさて何処で記憶した顔か・・・。




、驚いて声も出ないでござるか。」


「河上万斉・・・・・・!」




河上万斉、今最も幕府の脅威と云われている高杉晋助の手の内。鍔に手をかけると河上万斉はそれを見越してか口早に言った。




「今日は斬り合いに来たのではない。おぬしに話があってな。」




そう言われつつも、は鍔にかけた手を離さない。自然と手が汗ばむ。一方河上万斉は豪快にもお冷を一気に飲み干した。グラスの中の氷の溶け具合と注文した品が彼の元へと来ていないとあればきっと自分のほんの少し前にこの店に来たはず。客は着々と来ていて、座席も奥から順に勧められているのでそれは間違いない。嵌められたのか。はひそりと、河上万斉を睨みながら推測する。店員が河上万斉の手元にあるグラスが空になっている事に気を利かせ、水を汲みに来る。異様な緊張の間が生まれる。店員がその場を去ると、唇が静かに言葉を成した。




「貴様に用などない。真選組の名において、貴様を斬るのみ。」


「女がそんな物騒な物振り回すものではないでござる。」




はっと息の呑む。動揺が隠せない。しかしそんな中でも河上万斉の目をサングラス越しに睨む。しかし河上万斉は薄く笑みを口に含んでいた。




「まぁそんなに毛を逆立てることもないでござろう。文字通り話があるだけでござる。」




神経を研ぎ澄ましながらも、鍔から手を離す。しかしそれはほんの一時。見えない構えは解かない。いかなる時でも刀を抜く時だと思え。




「おぬしは幕府のために拙者を斬るのではない。近藤勲のためでござろう。」


「・・・・・・・・・悪いか。」


「悪いとは思ってござらん。ただ、おぬしはおぬしの大将が在れば幕府のことなどどうでもいいクチだろうと思ってな。」




一時の間に、善哉が運ばれた。善哉でございます、という言葉に一瞬の安らぎを感じた。しかし、そこで気を抜いている場合ではない。ことり、と置かれた皿にしばし興味を寄せて、スプーンを手に取る。小豆に沈む餅を掬って口に含んだ。河上万斉の方は焦っていないのかが善哉に舌鼓を打っている間も音楽に集中している。




「晋助がおぬしを気に入ったらしいでござる。」


「それは、どうも。」


「おぬしは面白い音をしているでござるな。上品なクラシックに抑えてはいるが捉えどころのない曲調はまるで大道芸人のアコーディオンの演奏。しかし真に聞こえるのは・・・・・・子供の歌う童歌。」


「何が言いたい。」




小豆を掬う手を止めると、河上万斉の方に注文の品が来た。オーソドックスな蜜豆。河上万斉はそれを先ほどのお冷のようにかきこんだ。トン、と皿を置く音が聞こえる。




「おぬし、晋助の下に来ないか。」


「戯け、私は真選組だ。」


「無論、直ぐに返事は期待していないでござる。だがしかし、。」




河上万斉は言葉を切る。そしてサングラス越しでも分かるほど、その目を光らせた。




「おぬしは近藤に信頼されていないと鬱憤を募らせているでござる。近藤に認められなければ自分の存在もまた、無意味と。」


「・・・・・・」


「近藤に認められぬ世界は無意味だと思わんでござるか?己の器を野放しにする奴らに見せしめたいと思わんでござるか?」


「ほざけ、何故そのようなことを。」


「強がっているが内心は揺らいでいるでござる。今鍔に手をかけようとも今のおぬしに拙者は斬れん。」




河上万斉はゆっくりと腰を上げると、踵を返して背を向けた。勘定に向かう。意表を突かれた。河上万斉、恐るべし人物。今自分が敵を斬らなかったことは罪になるであろうことも忘れ、沈む餅を見つめる。今の自分は小豆の汁を存分に吸ってしまった餅のようだ。汁を吸ったとしても、小豆にはなれない。小豆味、の餅である。女であることがそれほどいけないのか。それだけの理由でわたしは小豆になれないのか。餅独特の感触は何者にも染まれない。わたしは真選組になりきれない一個人ののままだというのがとてつもなく虚しく感じた。










戻ル 表題 進ム

080512