目が覚めたのはカーテンの隙間から漏れた光のせいだった。わたしはぼうっとしながらソファーから立ち上がり、しばらくそのまま立ち尽くしていた。まだ目覚めやらぬ頭の中で、昨晩真っ黒い犬といたことを思い出した。大きな毛並みのふかふかした犬。でもリビングにその姿は見当たらない。家の鍵はかけてあるけれど、どうにかして出て行ってしまったんだろうか。寝起きのおぼつかない足取りでわたしはシャワー室へと向かう。昨日、自分はシャワーを浴びるのを忘れていたからな。色気のない大きなあくびをひとつして犬が寝室に紛れ込んではいないかな、と寝室の扉をひらく。

すると、寝室に寝そべっているのは痩せた、けれど年はわたしよりもいくらか上の大の男が寝そべっていた。少しだけ、顔が見える。瞑られた瞳は見えないけれど、黒い長髪が昨日の犬に似ている気がした。わたしはそれが、ああ昨日の黒い犬だったんだなと瞬時に判断した。なぜだか分からない。なぜだか自分で自分をそう納得させたのだ。ぐっすりと泥のように眠っているので、わたしはそうっと静かにドアを閉めた。自分でも驚くくらい冷静に何事もなく、そのままシャワー室へと向かった。熱いお湯を浴びると、肩がぞわっと震え上がる。昨日から、夢心地な気分がどうも抜けない。ボディーソープの香りを吸い込んでも、頭は依然としてしゃっきりとしない。レモンの香り、朝には良いと思ったんだけどな。わたしはタオルで頭を乱雑に吹くと、バスローブを着込んだ。髪を乾かして、肌を保湿して。やっている事は普段と変わらないのに、寝室には非日常的ないきものがいた。

リビングに戻ると、ソファーに先程わたしのベッドで眠っていた男が眠たげな顔をしてソファーに座っていた。テレビをつけて、ちゃっかりコーヒーも淹れている。

「やあ、おはよう」
「おはようございます」
「……驚かないんだな」
「何となく、犬じゃないなって感じてたのよ」

くつくつと笑う彼にどきりと心が揺れる。その仕草が、キザでもなくとてもハンサムだったからだ。よく見れば、痩せ細ってしまってはいるけれど目鼻立ちは綺麗だし、俗な言葉すぎるけど、すごくかっこいい。

「普通、不審な男が自分のベッドで寝ていたら驚いて通報したりしないか?」
「そうかもね」

不審な男、と自分で言うこの人はわたしにコーヒーを勧めてきた。ブラックは嫌い、というようにすかさず戸棚からミルクとシュガーを取り出し入れた。

「君はマグルなんだろう?」
「……マグル?」
「ああ、君は魔法を使えないんだろう?」

この人、何言ってるのかしら。魔法だなんて、なんてロマンチストなのかしら。魔法だなんて……。魔法?

「つかえるわよ」
「へえ?」

面白いものを見るようにわたしをじろじろと見る。何だか、思っていたよりも子どもっぽい人なのかも。

「わたしには歌っていう魔法があるもの」
「君……いや、先に名を名乗ろう。俺は……そうだな、シリウス。君の名は?」
よ」
、確かに昨晩の歌は見事だった」
「歌を生業としてるの」
「ああ、そうなのか」

グレイの、涼やかだけれど、好奇心に満ちた瞳。あの犬と同じ。昨晩の歌、ってことはこの人は本当にあの大きな黒い犬なのだ。わたしが見つめ返すと、穏やかに笑みを浮かべるシリウス。こんなに女性のハートを射止めるような笑顔を自然に浮かべられるハンサムなんて、この人こそが魔法使いなんじゃないかな。

「シリウスは、犬に変身できるでしょ」
「ああ。信じてくれているんだな」
「だって、そうでしょ」
はお人好しすぎる。素性も知らない男と、こんな」
「自分のことじゃない。それに素性も知らない女と一夜を明かすあなたもどうかと思うわ。それとも、あなたの素性を教えてくれるの?」

シリウスは困ったような顔をして、コーヒーを口に含んだ。もう少し若くて健康的なら女の子が放っておかなかっただろうな。今でも十分、素敵なおじさんだけれど。

「別にいいわよ、教えてくれなくて。気にしないもの」
「えらい不用心だな」
「わたしだって同じようなものよ。孤児院育ちなの」

シリウスは「そうか」と答えると、今度は少し嬉しそうに窓の外を見やる。今日はカラッと晴れていて、洗濯日和だ。そうだ、彼と世間話をしてる場合じゃなくて、洗濯をしなければ。

「シリウス。その服、随分長い間着替えてないの?」
「ん?ああ……汚してしまってすまないな」
「別にいいの。着替えはあるから、それ洗ってもいい?」
「これを?この服を洗っても汚れは落ちないと思うが……」
「じゃあ着替えをあげるわ。もういらないもの」
「まさか、そこまで迷惑はかけられない」

わたしはおかしくなって吹き出してしまうと、シリウスは不思議そうに首を傾げる。

「勝手に人のベッドで寝て、コーヒーを淹れておいてそんなこと言うの?おかしな人ね。いいの、前に一緒に住んでた人が置いていったものだから。気にしないで」

わたしはぱたぱたとスリッパの足音を立てて、着替えを取りに行った。シリウスは先程と同じように少し困ったように眉を下げたけれど、口角は嬉しそうに上へと上がっていた。わたしの寂しい一人暮らしは、こうして奇妙な同居人を迎えたのであった。




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