ガニメデの少女・前編


あたし、12歳、中一。性格はちょっとおっちょこちょいで能天気ってとこかな。
英語のスピーチを受験の面接にて軽々と披露し、晴れて立海大附属中学校の一年生!念願の、といったら大袈裟すぎるけど(特にこれといった理由なしの入学だし)仲良しのせっちゃんと再び同じ学校に通うこととなった。けれどけれど、体育館でのレクリエーションを終えた後のクラス発表にて思いも知れぬ衝撃が走った。


「えー?!せっちゃんとあたしクラス別なの?!」
「こればかりは仕方ないよ、。でもその代わり真田が同じクラスみたいだね」
「真田って、あの真田くん?テニスの?」
「そうだよ。彼となら仲良くなれると思うけど」
「そうなの?じゃあお友達になれるといいなぁ」
「真田もテニス部に入るから、そうだといいね」


そっか、ここはテニスの強豪校だもんね。真田くんの話はせっちゃんから一度か二度聞いたことがある。あたしとせっちゃんはこれまでテニスの話はあんまりしたことがなかった。それに元いた南湘南小学校の面々が多いというわけではない。でもまあ、友達ならなんとかなるよね。大体どこいっても友達は出来るしー、だなんてあたしはお気楽街道まっしぐらな気持ちで新しいクラスへと入室した。流石マンモス校、一クラスに40人以上生徒がいるみたい。校舎は古いけど小学校の時よりもずっと教室が広いし天井も高い気がする。
真田くんはどこか厳しい雰囲気の人らしい。そんな人、小学校でいるのかな?確かにアメリカでも背が高くて大人びた人はいたけど怖いだなんて思ったこと一度もなかったな。日本人は小さいのが当たり前だったし。新しく担任の先生となった人の話につまらないなぁという単純な感想しか抱けず、窓の外をぼんやりと見つめる。木々が春風に吹かれ、枝や葉を新入生の心と同じようにざわめかせている。ああ、そして雲が流れていく。青空が淡くてあんなにも儚い。あたしは日本の空の色が水彩みたいで大好きだ。アメリカの夕焼けは油絵の具を塗りつぶしたみたいにまっかっかなんだもの。


「ーーということで、自己紹介を今からします。皆さん出席番号順に名前と一言お願いします」


あたし、帰ってきてから何回自己紹介するってんだろう。めんどうくさいなー。だって、そう思うくらいには自己紹介ばっかりしてきた。小六で帰国して全校生徒の前で自己紹介、クラスでも自己紹介、道場に通うのでも自己紹介、書道教室でも自己紹介、水泳教室でも自己紹介、ピアノ教室でも自己紹介……。数え切れないくらい。なので今更の自己紹介なんて他の子みたいにキンチョーすることなんてなかった。みんなはほっぺをりんごのように真っ赤にして少し上がってるみたい。でもその中でも全然動じない、堂々とした男の子が二人いた。


「真田弦一郎です。神奈川第一小学校から来ました。テニス部に入部し、全国大会優勝が目標です。よろしくお願いします」


あたしの隣の席の子、この人があの真田くんか!背筋がぴっと伸びて、なんだか確かに意志が強そう。声はあたしくらいハキハキしてるし、体の動きも剣道の先生みたいにキビキビしている。せっちゃん、この子とダブルス組んでたんだーとあたしはなんだか少し感慨深くなってしまっていた。もう一人物怖じせずに自己紹介をした人はおかっぱ頭がトレードマークの柳くんって人だった。真田くんとは対照的に、せっちゃんと少し似て物腰柔らかで落ち着いた様子の人でどうやら彼もテニス部に入る気らしい。


、南湘南小学校から来ました。去年アメリカのシカゴから帰ってきたばかりなので、分からないことがあったら教えて下さい!」


帰国子女だ、と囁き声がそこかしこから聞こえてきた。いやいや、他にもいるでしょうよ。でも帰ってきたばかりの人間が多いってわけじゃないのかも。ここは国際色豊かな学校って聞いてたしハーフの子も多くいるからそこまで驚かれはしないと思ってたんだけどすっごく多いってわけでもないみたい。真田くんもそれで驚いたのかな?じっとあたしの顔を見ていた。あの力強い瞳でここまで見られるとむず痒い。それかもしかして帰国子女だってことを大々的に言っちゃったからなのかな?まあどうでもいっか。


「えっと……真田くん?おとなりしばらくよろしくね」
「ああ。こちらこそよろしく」


あたしはあたしなりにとびきりの笑顔で手を差し出したのだけど、真田くんはむっつりと愛想なんてお母さんのお腹の中に忘れてきてしまったかのようにあたしの手を強く握った。ちょっと痛くもある。もしかしてちょっと不器用な人なのかもしれない。この学校でご飯は食堂やお弁当で食べるのは自由らしいけど、今日だけはみんなお弁当持参で懇親会のために教室でご飯を食べた。


はどうして立海に来たんだ?」
「えー、うーん。せっちゃんが来るって言ったから」
「なんだと?!そのようないい加減な志望動機で来たのか?!」
「えっ、それってダメな志望理由なの?」
「……お前はもう少し将来のことを真面目に考えた方がいいようだな」


めーっちゃお節介!でもせっちゃんの名前を出したら目の色が変わった。あだ名だけど、真田くんもせっちゃんって呼んでいるのだろうか?


「それで……そのせっちゃんというのは、幸村精市のことか?」
「そうだよ、君がせっちゃんの幼馴染でテニス仲間の真田くんだよね?自己紹介の時に分かったよ」
「そうか。俺もお前のことは一方的に知っていた。幸村がたまにお前の名を出すのでな。それにアイツをその名で呼ぶ奴はお前しかいないだろう」


なになに、せっちゃんって真田くんにまでそんな風に思われてんの?まあ確かに、小学校の時も一方的に憧れられたり嫉妬されたりなんだか敬遠されてる雰囲気はあったけど。テニスクラブでもそんな感じだったの?あたしは真っ白なお米のキャンバスに添えられた紅い梅干しを口に含んで持ってきた水筒の麦茶で喉へと流し込んだ。


は入る部はもう決めているのか?」
「ううん、決めてないよ。剣道部と美術部は見学に行くつもりだけど」
「何、剣道に興味があるのか?」


むっつりしてる割には喋るなぁ。それに話題にも食いついてきた上にちょっとうれしそう。


「うん、帰国して一年だけ道場に通ってたよ。家の近くの川沿いの……って分かんないか」
「いや、分かるぞ。お前の最寄り駅は俺のと近いと聞いている。全国準優勝もしているところに通っていたのか」


せっちゃん、あたしのこと真田くんに話しすぎでは?真田くんの話はほとんどしてくれなかったのに。まあそれもいっか。なんか仲良くなれそうだし。


「うん、でもあたしは試合にちゃんと出てないよ。初心者だったから、個人戦だけ二回出て一級取っただけだよ」
「そうか。しかし鍛錬を欠かさず行うことは大事だ。そのまま続けると良い」


上から目線とかそういう問題じゃない、最早これは学校の先生。でもあたしも人のこと言えないとこあるみたいだしなー。せっちゃんもそうだし、なんだろこれって類友?真田くんはうんうんと頷きながら、さっさと食べ終えてしまった弁当箱をきちんと手ぬぐいの中に収め、きゅっと結び目を作っていた。あたしは別に悪い気もしなかったので、そうだねー、とテキトーに返事をしておいた。
それにしても同じ班の女子はあたしが真田くんとべらべら喋ってるのを見て目を丸くしている。なんでだろ?そのまま真田くんはトイレに向かったのか、席を立ってどこかへ行ってしまった。マイペースな人だなぁ!真田くんが去ってから、すぐに後ろから話しかけてくれたのは村田桃子って子だった。


さん、すごいね!よく真田くんと話せるね……。小学校でも怖くて近づけないってケッコー有名だったんだよ?」
「村田さん!あたしのことはって呼んで~。そうなの?確かになんか武士っぽいけど……、あんまり笑わないだけじゃないの?」
「うん、笑いもしないけど。ほらさっきの押し付けがましい感じがみんな苦手でさ。……じゃあ、私のことはももって呼んでね。仲良くして!」


わーい、もう友達一人出来た!嬉しいなぁ。それにしても確かに、そんな感じで苦手意識持たれてるのかぁ。大変だな、真田くんも。でもせっちゃんの幼馴染だから悪い人じゃないって確信があるから、あたしは話せるのかもしんない。せっちゃん、友達少なめだし。なーんてお気楽に思っていた。すっかり放課後になり、あたしは駅までせっちゃんと下校しその道中真田くんとかち合った。そっか、方面一緒なんだもんね。


「あ、真田。とは隣の席だったようだね」
「ああ、お前がよく話していた人物だ。お前を呼ぶ名で分かったぞ」
「えー、ちょっと。せっちゃんそんなにあたしの話してたの?」
「だってが面白いからじゃないか」
「勝手に人の噂話しないでよね……。ま、いいけど。聞くの忘れてたけど、今日って部活行かなくていいの?」
「先生の話を聞いていなかったのか?仮入部期間は明日からだぞ」


真田くんからキリッとした目つきで睨まれてしまった。聞いてませんでした。ごめんなさい。


「だってなんかもうせっちゃんとか真田くんみたいに絶対テニス部に入部するって決めてる人たちなら練習に参加させてもらえるのかなーって思ってさ」
「今日は初日だからね、そうさせてもらえはするだろうけど先輩たちにだって準備があるだろうから明日にしたんだ」
「そういうことだ。は少々ぼんやりしすぎなのではないか?少しは気を張らんか!」
「はーい」
「返事は、はい、だ!」
「真田、声が大きすぎるよ」


せっちゃんの一言で、真田くんは「すまん……」と大人しくなり肩をすくめた。なるほど、せっちゃんには弱いのね?なんかガミガミちょっとうるさいかもと思ったけど、これからなんか言われたらせっちゃんに助け求めよーっと。でも電車の方面はあたしと真田くんが同じ方だからそれ以上はせっちゃんに助け舟を出してもらうことは叶わなかった。ガタンゴトンと揺れる電車に差し込む西陽。真田くんのつややかな黒髪が夕陽を浴びて、蛍光灯の下で見たそれよりも優しい色合いに見えた。


、お前は幸村の幼馴染なのだからしかと構えることが出来ると思うぞ」
「……?シカト?」
「確固たる態度でいられるということだ」
「かっこ?」
「……しゃっきりするという意味だ」
「なるほどね!教えてくれてありがとう。えーっと、しゃっきりしてないのかなぁ」
「そのぼんやりとした語尾が釈然としておらん」


難しい言葉を使うなぁ。でもあたしが分からないことは教えてってちゃんと自己紹介で言ってたのは聞いてくれてたみたい。真面目な人なんだ。あたしが見た中でもすごーくちゃんとした人。せっちゃんはああ見えていい加減だし、あたしもあたしでテキトーだし。


「うーん、あたしはあたしだよ。真田くんは真田くん。あたし達はせっちゃんの幼馴染でもう友達!でいいよね?」
「それは……。いや、同じクラスに隣の席同士だ。これから友人としてよろしく頼む」


なんだか気難しそうな人だと思ったけど、友人ですって!夕焼けのせいかもだけど、なんでか真田くんの頬が赤く染まっている気がした。嬉しいのかな?あたしも友達がまた一人出来て嬉しいな!そんな風に思えるのは束の間、これから数年かけてのお説教が始まることとは露知らず、あたしは立海大附属中学での真田くんの新お友達第一号となったのであった。



(210410)