ゆらめくジレンマ
全国大会の決勝まで来た。幾度となく訪れた晴れ舞台だ。今年の立海は全国大会を目指すよりも遥か上の世界大会を目指して練習してきた。あたしはマネージャーとしてこれ以上誇らしく思うことはなかった。でも何より残念だったのは己の不調だ。今日も大人しくビデオ係を務めるばかりでスコア表の管理や集計は蓮二の仕事だ。少しでも手伝えないか蓮二に聞くも、頭を振られてしまった。
「仮にもお前は療養中の身、休め」
「でも……」
「少しは手伝いたいの、とそう言うと分かっていた。ほら、タオルを選手に渡してこい」
手渡されたそのタオルは弦一郎のものであった。彼女として応援したいわけじゃないんだよー!と言いたいところだけどそこはぐっとこらえてタオルを受け取り、そのまま弦一郎にタオルを渡した。今の試合、6-0だ。
「ありがとう、」
「いいえ、選手の世話をするのがあたしの仕事だもん」
「あまり無理はするな」
ちょっと何よ~!みんなして病人扱いして。あたしは憤慨していた。せっちゃんに病人扱いされてもそこまで気にならなかったけど蓮二や弦一郎にここまで言われると一緒に戦ってきたという自負の気持ちが折れる。
「ここのところは遅刻もないし充分皆の世話が出来ると思いますけどね」
「だが……」
「心配もそこまでにしてクールダウンに集中して頂きたいですこと!」
よっしゃ、嫌味を言ってやったーとほくそ笑んでいると弦一郎は先程まで見せていた鬼気迫る表情ではなく唖然としたそれでいて優しげな瞳であたしの嫌味に反応した。
「まずは自己管理を怠らないことだ」
「分かってますって」
「分かっていたのならばここまで酷くなってはいまい」
弦一郎が粘ってきた。あたしをそこまで休ませたいのかという気持ちは分かったが、ここまで言われるとムカッとくる。
「とりあえず試合お疲れ様!いいからクールダウンに入って」
つっけんどんにわたしが言うと、弦一郎は呆然として困ったような顔をしていた。その日、立海は全国制覇を成し遂げたーー。
「なんかちょっと気まずい……」
「どうしたんだい」
試合後の焼肉会で己の罪を告白した。試合中に仲が気まずくなるほどの会話を繰り広げるだなんてマネージャーらしくない。
「病人扱いされること?たまにもどかしいなと思うことはあったよ」
「でしょ、でしょ~?!」
「でもだからといって食って掛かることはなかったな」
そこは反省ポイントだ、と呟くとせっちゃんはケラケラ笑い出した。何がおかしいのか。
「のそういうクソがつくほど真面目なところ生きづらいと思うな」
「生きづらい?せっちゃんに言われるほどじゃありません!」
「取り付く島もないか」
あたしはぷりぷり怒るとせっちゃんはまたクスクスして笑いが止まらないようだった。目の前の肉が焼けていたので2、3枚せっちゃんの皿に放ると「ありがとう」と素直な返事が来た。焼肉会ではあたしが焼肉を焼く係を進んでやっている。話の当事者の弦一郎とはプチ・喧嘩もどきをして正直気まずいから離れて座っているのであった。隅の方でロース肉をたらふく平らげる弦一郎の食いっぷりは見ものだ。せっちゃんは笑うのを止め、静かなトーンで誠心誠意に答えた。
「でも本当に、そういうところがの病状を悪くさせてると思うんだよ」
「……ほんと?」
「本当。根詰めないでもう少しゆるやかに生きてもいいかなって」
「せっちゃんに言われたくない~!!」
そうだ、せっちゃんに言われたくない。どこまでも自分に厳しくて這い上がるための努力を惜しまないせっちゃんに。きっとせっちゃんにとってあたしが他人だから言えるのであろう。
「俺はゆるやかに生きているつもりなんだけどな」
「もー、せっちゃん!!」
「からかっているわけじゃないよ、アハハ」
何がおかしいのか、せっちゃんは再び笑い始めあたしは呆れるしかなかった。すると蓮二がこちらのテーブルに来て、様子を伺い始めた。
「弦一郎と何故喧嘩をした」
「蓮二には言いたくない」
「病人扱いをするなとのことだよ」
せっちゃんが屈託のない笑みを浮かべていると蓮二は答えづらそうにたじろいだ。それもそうだ、病人だった当のせっちゃんから言われるのだから。
「、お前の気持ちは分からないわけでもないが……今は自分の体を中心に考えてくれ」
「はいはい、分かりましたよっと!」
「そう拗ねるな」
拗ねるなと言われましても。と口ごもる。自分の中でこれ以上出来るという気持ちが観念してくれない。自分でも休み休みやろうと思っても心が言う事を聞いてくれないのだ。
ブン太が肉を一人で大皿一枚平らげてしまってやいのやいのする一角。皆からやかましい喝采が飛び交うテーブルにあたしは一人バツが悪く両腕で頬杖をつくのであった。けれど心底思ったのは、父方の祖父の方に行かなくて良かったということ。先程ママから連絡が来て祖父が息を引き取ったとのことだった。祖父の最期に会わなかったのは後悔するかもしれない。人として情がないと思われるかもしれない。でも全国大会制覇に立ち会わなかったらもっと後悔していた。それに思えば冠婚葬祭、祖父の村で行われるものは生易しいものではない。女は働けという慣習で大わらわで働かなければない。本家の次女だからといって親戚から見張られている目線も気になる。ここと違う戦場にあたしは背筋が凍る思いをした。そう考えると自然と後で弦一郎と仲直りしようかな、と思えた今日中頃であった。
(220922)