君がいなくなって


それは突然、嵐のように木枯らしが舞うようにやってきたのだ。二年生に上がってひとつきも経たない、五月のある日。


「……どうしよ~」


机に肘をついて頬がつぶれる。本当にどうしよう、だ。顔がみるみるうちに熱っていくのが分かる。こんなのって、こんな気持ちって。


「なにが『どうしよう』なの?」
「ぎゃっ!」


上から聞こえてきた思わぬ声のせいで漫画のように飛び上がったあたしに、立海大附属のテニス部次期部長候補の幸村精市ことせっちゃんは呆れたような顔をした。ため息をつきながらいい加減慣れろよ、とでも言いたげな顔をして。あたしはとりあえずバクバクいう心臓を抑えようと深呼吸をし、一息つくとせっちゃんは席替えして間もない彼の席へと着く。それは紛れもなく、あたしの真横。


「いきなり声かけるからびっくりしたじゃん……!」
はもう少し周囲に注意を払うべきだよ。あったかいからってぼけっとしすぎなんじゃない」


こんなにキレイな顔をしてせっちゃんは毒をさらっと吐く。それも正論なのだからあたしはうう、と唸るしかない。それにしてもこの状況だって今のあたしには『どうしよう』だ。だってせっちゃんは、一度興味を持ったら気がすむまで話題を変えない執念深い男なのだ。


「それにしても、何について悩んでいたんだい?」
「別になんだっていいでしょ、思春期なの!」
「ふーん……。最近、がぼけっとしてる原因、俺が知らないとでも思う?」


せっちゃんのその言葉にドキっとさせられた。いや、ドキっとじゃなくてヒヤっとかも。さっきとは打って変わって、冷や汗流れてきたし……。けれど本人はあたしの様子は気にもしないにこやかな笑顔であたしという獲物を追い立てる。これでまたはぐらかしたら後でねちねちとしつこく言われるか、あたしが口を割るまでちくちくと嫌味ったらしい口撃を続けるだろう。そうなったせっちゃんから逃れる方法なんてこの世に存在するのだろうか?


「……好きな人ができたって、さっき気づいた、かも」


するとせっちゃんは、目を伏せてやれやれといった風に肩を落とした。


「そうだろうと思ったよ。だって最近のってば、言動がおかしかったりやけに上の空だからね。それにしても気がついたのがさっき?やっぱりはそういうのに鈍いんだな」
「え、ウソ?!あたしそんなに最近ぼけっとしたりしてた?!」
「うん。自覚がないとは思ったよりも相当重症みたいだ」


とお兄さん気取りでせっちゃんは溜息をつく。あたしは自分の行動を思い返すのに必死だった。あたし、部活でも妙な行動取ってたのかな?!


「それで、相手は誰なんだい?」
「え?」
「恋をするには相手が必要だろ。まさか恋に恋してるだなんて言わないでよね」


そんなの、あたしだって分かってるよ。でもその言葉をまんま口にすると、何倍もになったお返しがくるので慌てて口を噤む。恋をした相手。そう思うとみるみると頬がぽっぽと上気していくのが分かった。あたし、りんご病になっちゃうかもしれないってほどに。


「……さなだ」
「……え?真田?まさかと思ったけど……あの真田かい?」
「みたい……、うん」


あたしがこれでもかというほどに赤くなって俯いてると、せっちゃんはうーんと何か考え込むように腕を組んでいる。なんか、あたしはあのせっちゃんの意表をつけた……みたい?


「まさか真田とは……。俺の予想を完全に裏切ったよ。部内に範囲を絞ったとしても、柳辺りだと思ってたからな」
「柳?柳は仲良いお兄ちゃんみたいなもんだよ」
「まぁ……そうだね。それにしても真田かー。物好きもいるもんだね」
「ちょ、それってあたしに対しても真田に対しても失礼なんじゃ……」
「どうしてそう思ったんだ?」


そんなあたしのツッコミはさらりと受け流し矢継早に次の質問を投げかけた。あたしにこの質問を拒否する権限なんてきっとない。


「なんか……あんまり席替えしない先生のクラスで、ずっと隣の席だったからクラス変わって真田がいないんだなぁ、って思ってなんか……」
「寂しくなった?」
「うー……まぁ、うん。そんなとこかも……」
「で、気がついたら真田のことばかり考えてるって?」
「な、そこまで言ってない!」
「でもそうなんだろう?」
「……うん」


せっちゃんはニヤニヤしながらあたしをじわじわと追い詰める。うん、と言いざるを得ない。まぁ……実際その通りなんだから、うんとしか言いようがないけど。


「そうと決まったら実行あるのみだ!さぁ、今から真田のクラスへ行こう」
「ちょ、ちょ、ちょ、せっちゃん!それはダメだってば!」
「なんで?こうでもしないとあのカタブツは口説き落とせないよ?」
「カタブツって……仮にもあたしの好きな人なんですけど」
「あいつは恋愛そのものに興味がないっていうか……余裕がないっていうかさ。バカに真面目だからね」
「分かってるよ!でもいいの、今は想ってるだけで」
「よくない!そうじゃないと面白くないじゃないか」
「(面白くない……?)でもまだ告白なんてしないよ!」
「分かってるよ。君もそういうのにはかなり奥手な方だろ?アメリカにいたっていうのに」
「別にアメリカにいる時にそういうことなんてなかったし、小学生だったし関係なくない?」
「もっと外国の影響を受けてスキンシップに慣れて帰ってきたと思ったらこれだよ。おまけに変なところあいつみたいに真面目だし」
「悪かったわねぇ~、バカに真面目で」


あたしが頬の筋肉を引き攣らせて答えると、じゃあ行こうか、とせっちゃんは席を立った。救いを求めるかのように教室の時計に振り返る。昼休みの終わりを告げるベルは、まだ鳴らない。


「え?え?ちょ、どこに?」
「どこって、柳のクラスだよ。どうせいつかバレることだし報告ついでにね。ついでに柳ののデータを書き換えることになるだろうから、丁度いい機会だろう」
「そんな風に気遣わなくていいから!!ねえ、ちょ、せっちゃんやめて、待ってええええ!!!」


ずかずかとまるで競歩のペースで歩くせっちゃんをあたしは腕を引っ張って阻止しようと必死だったけれど、最終的にあたしはせっちゃんに引きずられるようにして柳のクラスまで連れて行かれた。ちょっとちょっとあたし、どうなっちゃうの!?


そうしてあたしはニコニコと何を考えてるんだか分からない、謎の笑みを絶やさないせっちゃんの隣で柳に洗いざらい話すことになるのでした。柳はいつもは細い線のような目をカッと見開くし、データを取るためにノートに書き込む手はひっきりなしに動きっぱなしだし、挙句の果てには仁王たちにも報告しに行こうかだなんて恐ろしいことをせっちゃんが提案しだした。結婚したわけじゃないんだけど。それだけはなんとか阻止した。どうしよう。あたし、先行きがもの凄く不安です。


(200430 修正済み)
(081029)