12   天は選んだ、

081216



それは冬の、霜がコンクリートを覆うような寒い日のことだった。今日立海男子テニス部は遠征で、もちろんマネージャーあたしもついていった。遠征先での試合での結果はそりゃぁ、立海大付属中テニス部のことだから全勝無敗。遠いところだったら学校のバスで行ったりするんだけど、今回はそうでもなかったから電車で。あたしは通勤電車以外の見慣れない風景が眺めることが新鮮で、ぼーっと外を眺めていた。


?どうしたの元気ないね」
「ん・・・あ、せっちゃん。ううん、違うのちょっとぼーっとしてただけ」
「ふぅん。どーせ向かいにいる真田に見惚れてたんだろう」
「ち、違うもん!あーなにその目は、本当に違うんだってば!」


あたしが否定してもせっちゃんはニヤニヤと笑うのであたしは口をへの字に曲げて睨みつけると思いっきり頬をつねられた。ちょっとちょっと女の子だっていうのにそーいう扱いはどうなの!しかしそれよりもせっちゃんの発言に急いで真田に視線を向けると、どうやら話し声は聞こえていないようだ。


「いーたーい、せっちゃん離して!」
「うそ、痛い?あんまり力込めてないんだけどなぁ・・・」
「・・・痛くないけど離して」
「はは、のほっぺってよく伸びるねぇ」


それからしばらくせっちゃんはほっぺを離してくれなくて、最初は痛くなかったんだけど次第にぎゅうぎゅう引っ張りだして、「どこまで伸びるかやってみよう」だなんて言い出して、赤い痕がついちゃった上にそんなこともあろうか、真田に思いっきり見られてた!


「もー!あたしお嫁にいけない!」
「大丈夫だよ、もしもの時は俺が貰ってあげる」


「でももしもの時ね」と釘を刺したせっちゃんは、なにやら不適な笑みを浮かべながらちらちら真田を横目で窺っている。もーだから真田のことを暗に示唆しなくていいってば!それにあたしたち両想いとかそんなんじゃ全くないし・・・それにせっちゃんが旦那さんって、なんか、おそろしい気が・・・


「俺が旦那さんで恐ろしいとはなんだよ、
「ぎゃ!・・・聞こえてた?」
「失礼しちゃうなぁ、俺が旦那さんになったあかつきには奥さんにすーごく優しくしてあげるのに、心外だなぁ。あ、次降りるよ。」


いや、そんなことをそんな企むような目つきで言われても信用ないからね、せっちゃん。せっちゃんのジョークを軽く受け流しつつ、あたしは景色ではなく真向かいに座り腕組む真田を見つめた。帽子を深く被っていて、表情がよく見えないけど・・・あれ、寝ちゃってる?


「真田、寝てる?」
「まさか、あれは考え事してるだけだよ。あの場合、考え事っていうか無心の方があってるな。真田、次の駅だぞ」
「・・・ん?そうみたいだな。」
「電車内でまで瞑想することはないだろう」
「無駄に時間を過ごすくらいなら有効に使った方がよかろう」


なんだ。じゃぁさっき思いっきり見られてたけど真田は無心だったわけだ。話を聞かれていなくてよかった。さっきの会話、真田に聞かれてたら穴があっても隠れきれないもんね!あたしは部員たちの大きな背中たちに続いて電車を降りる。降りた先にせっちゃんはすぐに意地悪く笑ってこう言った。


「でもあの顔、真田絶対聞いてたよ。あーあー、もうお嫁にいけなくなっちゃったねぇ」


せっちゃんの趣味ってあたしをいじめることだよね。絶対。あたしはとびきりの睨みをきかせながらせっちゃんに抗議したけど全て笑ってかわされた。くう、百戦錬磨にあたしは勝つことができない!大体せっちゃんはあたしに意地悪すぎる。あたしやレギュラー以外の人に対しては後光が差すような笑みを向けるくせにあたしには意地悪く笑うか、優しくも笑うけど、もうなんかせっちゃんの手中で踊らされてる感覚・・・そんなの嫌!


「もういい、お嫁にいけなくてもいいもん」
「悪かったって、冗談だよ。


でもちゃんと謝ってくれるし、その後頭を撫でてくれるし。・・・だから嫌いになれないんだ。あたしはせっちゃんの笑顔を期待して、後ろを振り向くと、あたしよりずっと背丈のある、見慣れたネクタイの首元は見当たらなかった。見えたのは、広がる視界の中にある風景。それはホームがざわつく様、人が倒れている。


「せっちゃん!!」


あたしは急いで駆けつけた。あのキレイな青い髪を地面に垂らして呻いている倒れた人は紛れもなく、せっちゃんだった。あたしはパニックになって、でもせっちゃんに駆け寄って、せっちゃんの名前を何度も何度も呼んだ。










* * *










部員が駆けつける声々、脳裏をかすめる救急車の無機質なサイレンの音、気が付けばそこは最早駅のホームではなく、病院だった。あたしもよく知ってるせっちゃんの親御さんたちも、来ている。ばたばたと白い廊下に響く忙しない足音が、やけに遠巻きに聞こえる。


「・・・せっちゃんは?」
「緊急オペを受けている。覚えてないのか?」


柳がそう答えると、こくん、とあたしは頷く。そうか、オペ室。あたしはただただ、先ほどの惨劇が、せっちゃんが倒れたあの時をゆっくりと脳内で反芻していただけだった。事態についていけない頭が、ぼうっとする。


「手足や呼吸器官の感覚が麻痺しているようだ。命の別状はないが・・・」


あたしは再び頷いた。ふと、気が付くと肩が、手が、全身が震えている。よく、わからないけど、せっちゃんは倒れて、でもやっぱり危険な状態で、今オペ室にいるのだ。なにが起きたのか分からない。さっきまで、あんなに元気だったのに。さっきは、あんな冗談を言い合っていたのに。さっき、わたしに笑いかけようと、いつもみたいに、頭を撫でようと手を伸ばしたのに        


・・・」


頬に、生暖かいものが伝った。涙だった。せっちゃんはこれからどうなるの?そう、口にしたかったけど声が掠れて出ない。柳が、あたしに手を伸ばすと、あたしも自然と柳に引き寄せられた。そのまま柳の胸にしがみついて、顔を押し付けた。見たくない、白い壁なんか、見たくない、赤く光るオペ室の表示灯なんか。


、幸村は・・・大丈夫だ、そう信じろ」


あたしは頷いた。信じたいよ、信じたいけど。怖いよ、怖い。どうしてせっちゃんなの?どうして?せっちゃんがどうにかなっちゃったらどうしよう、せっちゃんがこのままテニスができなくなっちゃったらどうしよう。そんな不安ばかりが襲って、怖くて、怖くて、命だけあればいい、だなんて思えなくて。呼吸もままならなさそうに喘いでいたせっちゃんを思い出すと恐ろしさだけが募って       


、今俺たちがしっかりしなくてどうするというのだ!今、一番辛いのは幸村だろう」


真田だ。あたしは柳の胸から離れて振り返る。正直涙でぐしゃぐしゃになった顔を見られたくなかったから、持っているタオルで顔を拭いた。でも、恐怖のせいか涙が止まらない。涙を拭いたことで、少しはクリアになった視界で真田を見上げるとそれはいつものしかめた顔ではなく、不安そうな、それでも平静を保とうとする、真田らしからぬ顔だった。


「幸村は、きっと大丈夫だ。・・・そう信じるしかない。だから・・・泣くな」


頷くことしかできなかった。真田の声が、少し、震えていた。でもこんな中、あたしを慰めようとしている。影を落としている部員たちも、この言葉で励まそうとしている。それでも涙は止まらなかったけど、あたしは信じようとした。せっちゃんは、きっと大丈夫。大丈夫であって。大丈夫じゃないわけがない、そう自分を信じ込ませた。誰に祈るわけでもないけど、手を組んで、祈る。それ以降は誰も、あのいつも騒がしい赤也やブン太でさえも、口を開こうとはしなかった。


そうしてようやく、オペ室の赤い表示灯が消えた        







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