立海大附属中男子テニス部元マネージャーのには最大の欠点が一つある。しかし、それが誰にでも見えるものではないというのが非常に厄介な点でもあった。だが俺の目にはそれが手にとるように分かってしまうのだ。
そう、今日だけは100パーセントの確率でーー。
いつものように機嫌の良い弾んだステップは踏まずに少し肩を落とし、学校指定のマフラーに見せかけたバーバリーチェックのマフラーに手をかけ首を埋める彼女。教室のベランダから見下ろしてもの耳たぶが赤いことが分かる。今日は彼女にとって喜ばしい日のはずなのだが。それに反して気が急いたように速歩きで、視線は足元に向けられたまま。何があったのか、相当気落ちしているようだ。その理由が流石に己のデータブックにあるわけもなかった。何故なら、それは彼女自身に原因があったわけではないのだから。
俺は昼休みに海風館に訪れ、精市と楽しく昼食を取っている彼女に例年通り用意しておいた贈り物を手渡した。
「誕生日おめでとう、」
「蓮二が二番目だね。ありがと~!」
「弦一郎はいないのか」
「なんか忙しいから後で来るらしいよ」
大方予想はつく。彼の納得が行く仕上がりになるまで未だに和室に籠もっているのであろう。それはさておき、俺は本屋の紙袋に入ったそれを渡すと今朝の様子など夢だったのかと思うほど打って変わったように喜び、俺からの贈り物を受け取った。小さな子どもがプレゼントを貰った時のように中身を見るのを待ちきれない彼女に快く頷き許可を出すと、『価値が分かる宝石図鑑』の表紙を取り出し「これ、欲しかったんだよね~」と軽くページを捲り、閉じると普段の人懐っこい顔に満面の笑みを湛えてありがとう!と短くお礼の言葉を述べた。及第点といったところか。
「流石だねー。あたしが欲しい本選べるの蓮二くらいだよ」
「俺だってに良い本を選ぶじゃないか」
「あれはせっちゃんの趣味じゃん」
「データはしかと取れているからな」
そう、データは取れているのだ。しかし、問題なのは
「さん、やはりここにおられましたか」
「やぎゅ、やほー」
「お誕生日おめでとうございます。どうぞ受け取ってください」
上質な包み紙でラッピングされた薄い小箱。可愛いピンク色のリボンがついていた。またしても、ここで開けていい?と率直に尋ねるにやれやれといった様子で「いいですよ」と柳生が笑み零しながら承諾した。
「ハンカチ……?」
「以前、さんが以前大きな声で『木綿のハンカチーフ』を歌っていたのを見かけまして。私が選んだのはシルクのハンカチーフですがお気に召されましたか?」
「あ。……なるほど。ありがとね、大事に使う~」
は口角を上げ穏やかな様子で頷いた。ハンカチとは柳生らしい選択だ。薄紫色のレースのそれは、なかなかの趣味には合っているように感じられるが……。精市は繊細で素敵なデザインだ、と無難に褒めていた。しかし彼女がそれを気に入ったのかは俺には分からない。何故ならさえ分かっていないのだから。
それもそうだ、本日は彼女へプレゼントを贈る者にとっては鬼門の日。しかしそれは俺達や彼女の友人が試されているだとか、そういう意味ではない。
は生来の並外れた人間観察能力を持つ。俺や貞治はそれを数値化させグラフなどの膨大なデータに置き換えるが、には他の人よりも見えているものが多く一度興味を持てば飽きるまで追求する性質がある。数学への強烈な苦手意識さえなければ、我々のようなデータ収集法も難なく習得出来たのかもしれない。
それはさておき、彼女は生まれながらの観察者ということだ。拠って、交流のある人間の名前はすぐに覚え顔は勿論細かい所作や動作までも視ている。彼女が出来た男子部員など概してそれをに見抜かれたりしている。玉川も例に漏れずであった。このように、総生徒数2677名のマンモス校と呼ばれるこの立海において彼女のその能力は大いに役立ってくれている。
そしてその能力が最大限に発揮されるのは相手の好みの物やそうでないところを見分ける折だ。は相手の嗜好を直感的に脳内で分析することが出来る。俺達の場合、観察をした結果をデータに書き起こし膨大な情報量を頭に入れていく……といった一連の流れが必要だが、彼女はそれを自身の中に蓄積していっている。髪を1センチ単位で切った部員に「髪型変えたの?良いね」と一目散に褒めに行くことから、練習の合間に部員各々が欲する水分量を絶妙な加減で彼女に把握されており、部員はそれに気づくこともなくドリンクを手渡されるなどまで様々だ。更に何よりも末恐ろしく感じるのは、「大体こんくらいでしょ」と本人が称する"テキトー"さ加減で取り組む彼女を見ているとその自覚があまりないように感じることだ。目分量で料理をするタイプだと思われる。
「デザート持ってきてやったぜぃ」
「わーい!ブン太、ナイスタイミング!」
丸井には事前に手作りのケーキを頼んだらしい、先回りして頼んでおいたのだろう。食べ物に関しては好みが分かりやすいことが幸いしたのか、生クリームがふんだんに使われたショートケーキを丸井は用意しており、はそれが大好物なのだと分かるほど嬉しそうに頬張っていた。そればかりでなくジャッカルには紅茶を一杯のみ奢ってもらうという、部員それぞれが持つ能力や家庭環境などの背景への配慮にも余念を欠かさずにいる。自分が何か物を贈られる立場になった途端それらすら気にかけてしまうのだ。こういった様に空気を感じ取るのは上手いが、必ずしも空気を読むのが上手いというわけではないので、俺がこの事実に気づくことは随分と遅れてしまった。それに彼女は人々の間にある曖昧な空気を察知はするが、マイペースで自由を愛する性格が祟ってそれを無視するきらいがある。更にプレゼントを受け取るにあたって、ここでまたもう一つの問題に直面することとなるのだ。嘘をつくことは好きではないが、人を悲しませることが大嫌いという性分。この相反する彼女の性質を更に分析した結果、独特の価値観を持ちつつ博愛精神と労りを忘れないでいるという難しい気質の人物ということが分かった。
その上、さらなる難点を彼女は抱えている。
ある時精市が「と買い物をする時はどんなに広い店だろうが外で待っててって言われるんだけど、大抵の場合ほんの10分程度で回って帰ってくるんだよ」と面白がったように話してくれたことをよく覚えている。
それだけ彼女には強固なこだわりがあり、それを見抜くことが出来るのはほぼ彼女だけといったところが彼女の誕生日である本日、顕著に見られるのだ。真新しい事例としては先程の俺と柳生、丸井にジャッカル達であろう。
欲しい物を聞いてそのままそれをあげてみても、反応が薄いことも多い。普通であれば、俺の贈り物に対して喜んでいると受け取っていいところではあるのかもしれないが、俺からはあえて"及第点"と言わせてもらいたい。それは彼女が自己完結的な世界観の持ち主だからだ。従って、彼女自身のお眼鏡に適う贈り物を選ぶことが出来るのは俺でもなかなか難しい、という結論に至る。
サプライズや世間で流行っているフラッシュ・モブといった物が苦手だと明示する彼女は贈り物を受け取る立場になった際、いかに皆に迷惑をかけずに喜んでいられるだろうかと考えずにはいられない性分のようだ。これらのことからは一見器用なようでいて、だのに大分損している性格なのは明白だった。
端的に言ってしまえば、『彼女自身贈り物を受け取った際、嬉しいかはさておき人を悲しませたくないのであえて喜んでおく』ような癖がある。それにも関わらず、決して嬉しくないわけではないという矛盾も生じているところにも注目せねばならない。何故ならしばらく経った後に、稀に「あの本良かったよ」などのコメントや実用的な物を貰った際「使っているよ」との報告がそれらを実際に使用している際あるからだ。私物として彼女が利用しているということは、それらが彼女の私物に値すると
非常に正直者である上に、言語面では英語のローコンテキストな会話への慣れから嫌味や含意がある言葉を無闇矢鱈に使うこともない。だからそれらが無事彼女の私物に昇格しえたことは事実である確率は非常に高いのだ。サンプルが足りないことに加えピリついた空気に和やかさをもたらす生粋のエンターテイナーな彼女の複雑な人格像故、この理論にたどり着くまでに三年の時間を要してしまった。
「真田君の贈り物が何なのか、楽しみでしょうね」
「……うん、そうだね~」
……明らかな棒読みの台詞であった。期待していないわけではないのだろうが……。否、期待しないように自分を抑えているようだ。日頃、照れながらも彼女は全身全霊で真っ直ぐに弦一郎へ好意を表現しているが、きっと弦一郎からの贈り物を受け取った際に瞬発的に喜びを表現出来ないことに申し訳が立たぬと考えているのかもしれない。
「精市は何をあげたんだ?」
「ツボ押しと今日のランチだよ」
「違うよ、あれはマッサージローラーっていうんだよ。浮腫み取りにいいの。そんな年寄りくさい言い方しなくたっていいじゃん」
「そうらしいよ、俺はよく知らないけど」
テーブルに肘をついて手を組み快活に笑う精市に、は難癖つけていた。どうやら精市はが欲しい物を尋ねそのままあげたらしい。それもそうか、精市にならある程度気兼ねなく欲しい物を伝えられるのであろう。だが人を悲しませないため、そして人が自由に選んだ物を受け取らないために自分の誕生日にまでも根回しをするを違う角度から見れば、その行為はどこまでも彼女の領域内から出ることのない独善的な優しさと呼べるのかもしれない。すると仁王が気配もなくどこからともなく現れ、騒ぎを聞きつけたのか気怠げに「おー」と手を掲げ祝いの席へと参加してきた。
「よーく見てみんしゃい」
「え、なに、なに?」
仁王は真っ赤な風船をぷーっと素早く縦長に膨らまし、目にも留まらぬスピードでそれを捻じりだした。キュッキュッとみるみるうちに風船が変形していくのを、とその他の連中も見入っている。見事な手さばきに精市でさえ感嘆の息を漏らすほどだった。
「ほうら、出来た」
「えー!なにこれすごい、バルーンアートじゃん!」
「プリッ。ちなみにこれは犬じゃ」
えーすごいすごーい!と手を叩き、仁王から風船を受け取るとははしゃいだ様子でバルーンアートの角度を変えては興味深く眺めている。これはデータにはない、初めての事例だった。嬉しそうなフリをしているわけではないというのが、瞳を煌めかせる彼女を見れば一目瞭然の事実であった。
「懐かしい~!アメリカで小さい時バルーンアートの傘を貰ったりしたんだ~」
「傘?!そんな物も作れんのか?」
「そう、それでね。家に持って帰って大事にクローゼットにしまっといたけどしぼんじゃって悲しかったんだよね。なんかあの時のこと思い出したよ~」
そりゃ風船なんだから萎むだろう、と無粋にも突っ込んだ精市に「小学二年生の子にそんなこと言うんじゃありません」と当時の彼女自身にかけるような子どもをあやすような優しい声色で言い返し、指先で潰さないよう大事に犬型の風船を扱い顔を上げ、飛び切りの笑顔をは仁王に向けていた。仁王は他のメンバーを出し抜いたにも関わらず、平然な態度を装いつつ「よかったのう」となだらかに目を細めていた。バルーンアートという消え物で処分にも困らない贈り物を選んだのは果たして偶然か奇跡かそれとも計算か。見立て通りの食えぬ奴。しかしながら、これでまた一つ興味深いデータが二人分取れたといったところか。それはそれとて、ひどく心の芯が揺さぶれた気分になるのは何故だろうか。
そういえば、そろそろ弦一郎が来る時間だろう。彼氏からへの誕生祝いの前座としては大いに盛り上がったところだ、と渋々自分を納得させた。……渋々、という感覚を得たと感じたのはところで、はて、と思い留まる。まさか俺はこの状況を釈然としないと感じているのではあるまいな?彼女が抱く弦一郎への思慕に似たそれを俺に向ける幻想を抱くことなどあってはならない。そんな非現実的な思考はこの柳蓮二、持ち合わせてはいないはずだ。確率的にそのような事態になるのは、5パーセント以下ほどの低確率であるのに間違いはないのだから。
しかし、仁王が彼女をここまで喜ばせたという確固たる事実が意外にも少しばかり腹立たしたかった。仁王がそんな邪な思いを彼女に寄せているわけではないと100パーセント確信しているはずなのにも関わらず。俺は言葉通り彼女を二番目に喜ばせたつもりだった……いや、こんな心寄せなどとうに捨てたほうがいいと分かっている。考えても時間の無駄にしかならない。俺の想いは彼女を見守るためにあるものと既に納得してはずだ。俺は何事もなかったように、淀んだ息を吐き出し共にノートを閉じた。あとは今日の主人公を一番に喜ばせるかもしれない彼女の想い人を待つだけだ。
思った通り、まるで試合に臨むかのような気迫で弦一郎は肩をそびやかしいつも以上に険しく眉間の皺を寄せ海風館へと勢いよく飛び込んできた。生徒がその様子に慄くなんてことは今更のことではあるが、彼の緊張した面持ちのせいで恋人に贈り物を渡すような甘い雰囲気などどこにもない。まあ、バラバラに貰うより効率が良いとのことで昼休みにプレゼントを頂戴と言い出したのは他ならぬ自身であったのだからな、弦一郎が冷静でいられないのは致し方ない。しかしながら、ただならぬ弦一郎の様子に彼女ですら無邪気で澄んだ目をしばたたかせていた。
「、誕生日おめでとう」
「う、うん。ありがとう」
少し照れた様子では視線を泳がし、左手を頬に当てた。流石にここまで気合いが入った恋人の姿は想定出来てはいなかったらしい。相思相愛になってから初めての誕生祝いだが、例年通り他の部員と共にプレゼントを貰うとちゃっかり言い出したあたり彼の態度がそこまで変わることはないと侮っていたのかもしれない。
「それで、俺はお前に書をしたためた。受け取ってほしい」
「え、手紙?」
「いや、新しい四字熟語だ」
「えー……?」
俺はしかと弦一郎に忠告したぞ、とから向けられる不信の目を避けるように顔を背けた。精市は面白がってどれどれと見る。弦一郎は口を真一文字に結び、それでいて得意気に堂々と胸を張っていた。恥ずかしい気持ちを隠したいのと同時に、公明正大に交際している女性への贈り物を渡せるという喜びや誇りの間で葛藤しているといったところか。
「えと……。らいらい、せーせ……?」
「なに、これしきの意味が分からんのか?!」
「んーと……、待って?いや、ご、ごめんね。あたし現文と漢字は得意だけど、ほら、四字熟語苦手だし……?……えっと、も、もうちょっと勉強するから」
彼女の手に握られた意味を確認できる電子端末機器のことなどすっかり忘れ、弦一郎の反応に対して一生懸命弁明するの姿。だから俺は違う案を何となしに勧めただろうにと、批判の意を込めた視線を弦一郎にやんわりと送る。祝われる立場の彼女は申し訳無さそうに慌てており、弦一郎の祝いの品に対して困ったように笑うの姿を余所に弦一郎は一転して愕然と肩を落としていた。すると今度はカフェテリアに赤也が転がり込んできて、その気まずい雰囲気を物ともせず割り込んできた。
「センパーイおめでとうございまーす!って何スかコレ。副部長の新しいヤツ?」
「う、うん。このハネとっても勢いがある感じがするし、世っていう漢字も等間隔のバランスすごく良いよね。えっと、……あたしは好きだよ?あの……意味はわかんないんだけど」
予期せずにフォローされてしまう弦一郎には情けないという言葉以外にぴったりな表現が見つからなかった。俺は弦一郎がはりきって新しい四字熟語を贈るということまでは知っていたが、それにしてもだ。そしてそれに彼女が戸惑うのは90パーセントという極めて高い確率でもあった。
苦笑いを隠せないでいる精市は淡々とのために贈られた四字熟語の説明をした。
「、意味はそのままだよ。来世の来世、とまで言えばいいかな」
「来世の来世……?」
えっ~と素っ頓狂に声をひっくり返しながら、は再び困惑しどういうことか理解しようと必死に指で頬を叩いていた。冷え切ったこの場で、赤也は「これ彼女にあげる誕プレなんスか……?」と幻滅しつつ震え声でコンビニスイーツの入った袋をガサガサ言わせていた。
「今世は……?!」
小さくそう呟いた彼女は焦点の合わぬ目でカフェテリアの天井を見つめるが、その先にはにしか分からない宇宙が広がっているようだった。摩訶不思議な言葉を聞いた直後、精市はの言わんとしていることを瞬時に理解したのか手で額を抑え首を小さく振った。弦一郎はそれに対し、彼女の発言に明らかな疑問符を浮かべていた。
「今世もそうだが、これは来世に生まれ変わろうとも……」
「ところで赤也は何を買ってきたんだい?」
誰も口の挟むことの出来ぬ異様な空気で、精市は呆れ果てた故か赤也が持ってきたものに興味を示すよう弦一郎の発言を遮ってしまった。不自然な話題転換であることは明確だったが、凍てついた皆の表情は和らぎ、は無表情で弦一郎の瞳を真っ直ぐ見据えていた。しかし次第に薄く形の良い唇は大きな弧を描き、「あとでね」と優しく弦一郎に耳打ちしていた。大きく落胆した弦一郎も、その一言で緊張の解けた柔らかな眼差しを彼女に向け満更でもなさそうに大きく頷いた。しかし齟齬が生じるとかそういうレベルではないほど、色々な物事の歯車が噛み合っていない。
は眦を緩め、窓から入る鈍い光にうっすらと透けた半紙が乾いているのかを確認するためか弦一郎の想いが染み込んだ墨の箇所を人差し指でちょんと触れた。その時のがどのような感情を得たのか詳らかに書き記すことは叶わない。それは彼女の共箱の底にしまい込まれ、その上に重しとなるほど和紙が幾重にも折られ固く封じ込められてしまったからだった。
……共箱は作家が作品の内容を記した"箱書き"のある書画や骨董品の入った箱
(20210321)