14   涙の数だけ

081230


元来風邪の治りにくい体質のあたしが、あの高熱を1日で乗り切らせたのはもう、気力としかいいようがない。真田が帰ったあと、ジャストタイミングでお母さんが帰ってきて、食欲がなかったけれど野菜いっぱいのお粥を作ってもらっておなかいっぱい食べた。すぐに薬を飲んで、バラエティ番組が始まる7時すぎ頃にはもう寝床についていたのだ。そうして次の日もとい、今日あたしは無事学校に来れたわけだけど、朝練の時点で、なんだか真田とすっごく気まずかったんだよね・・・。多分、昨日あたしが泣いていたことがバレてたんじゃないかと思う。あたし、あの時とっさにだけどちゃんと目もとを隠すようにお母さんのファンデーションを薄く塗ってたんだけどなぁ、あ、目が赤かったのかも。とかそういう場合じゃなくて、真田があたしに気を遣ってるのがもう、みえみえ、というかなんというか。朝普通に挨拶したのはいいものの、容態と気分について訊かれただけで、他には何も。普段だったら、なにかその日にあった話題について軽く話し込む。今日だったら、・・・そう例えばせっちゃんのこととか。真田は下手にその会話を避けてる。あたしに気を遣って。たださえあたしの方は真田に対しての気持ちがパンクしちゃいそうなのに、真田があんな調子だからもう気まずさ極まりない。平静を装うと試みてるも、真田があんな調子だからあたしの努力も無駄みたいだ。


「どうした、。浮かん顔しとるの」
「んー」


あたしは部誌に顔を埋めて、できるだけ誰にも話しかけられないようにしていたつもりだったけれど仁王には意味なかった。今日の日付の前のページに、真田の流麗な字で書き込まれている先日の部の様子をあたしは眺めながら物思いに耽っていたからだ。


「昨日の分は真田が書いとったぜよ」
「知ってるー」
「なんじゃ、見惚れとったんか」
「ち、ちがう、ばか!」


ひょい、と上から部誌を取り上げられるとあたしは反射的にそれを取り戻そうとして体を起して仁王の方を振り返ったら、そこにはなんと隣に真田がいた。ばっちり目が合った後には不自然にも逸らされる。うう、辛いよう・・・。好きな人に避けられるってすっごく辛い。別に、もうせっちゃんのことは平気なのに・・・平気じゃないけど。少なくとも、話題に出したって平気。少し泣きそうな顔をしていたのか、仁王はすぐにあたしに部誌を返してくれてぽんぽん、と頭を軽く叩いてくれた。


「来週の頭には面会、オーケーだと」
「うん、知ってる」
「花買ってってやるんじゃろ?」
「もっちろん」


あたしが真田に避けられて泣きそうだって理解してる仁王は軽快な返事をするあたしに驚きもしなかったけれど、真田だけは横目でちらちらとこちらを窺っている。あたしがまた泣きそうなんじゃないかって、思ってるのかな。それともそんな風に捉えるのって、自意識過剰かな。


「お、コートに忘れもんしとった。とってくる」
「はいはい」


うちの学校はテスト5日前から必ず部活が休みになる。それでも強豪の部は、もちろんテニス部も3日前まで練習することが許されていて、真田はいっつもぎりぎりまで部活に来ていた。赤也は早いうちに真田に強制送還されたんだけど、柳生とジャッコーとブン太は練習に来ていたけど今日は早めに引き揚げて、明日また来るみたいで今日は真田と仁王と柳いう珍しい組み合わせで部活をやっていた。柳が今まだコートにいる今、部室にはあたしと真田しかいないみたい・・・ってもしかして、2人きりってこと?!・・・と、とりあえずこの空気から、どうにか一転せねば、とあたしはいい内容を思いつかぬまま口を開いてしまった。


「勉強どうよ」
「別に・・・普段通りだ」
「そっか」


か、会話が続かない。いやーな空気が流れる中あたしは部誌を書き込んでいるので身動きもできない。真田はタオルで火照った体を拭いているらしく軽く布が擦れる音だけが辺りを覆いつくした。


「大丈夫だ」
「え?テストが?」
「・・・テストではない。その・・・幸村だ」
「あ・・・うん」
「だから・・・そんな顔をするな」


あたしは両手を頬にやって自分の顔の異常を確認してみたけれどどうも、なにもない。けれど真田の瞳の中には哀しげな自分の顔が映っていた。真田は帽子の鍔を引き下げて、すれ違い様に小さくあたしの肩をとん、と叩きそそくさと部室を出て行ってしまうとつんと鼻が痛くなった。・・・泣きたく、ないのになぁ。今日泣いたら、明日から泣かない。今日まで。明日は絶対泣かない。せっちゃんのためにも、真田のためにも、部のためにも、あたしのためにも、絶対、絶対泣くもんか。










* * *










病室の窓のカーテンから漏れる明かりは、ひどく、死人の匂いがした。なんて、怖くて口に出せるわけがない。


「やぁ、久しぶりだね。ちょっと狭いけど、そこら辺でくつろいでよ」


テストが明けて次の週、レギュラーとあたしで金井総合病院を訪れた。病室のベッドに佇んでいるせっちゃんは、いつもの、せっちゃんだった。


「せっちゃん、これお花」
「ガーベラだね、この淡い緑・・・が選んだんだろう?」
「うん、だってみんなが花のことわかると、思う?」
「あー先輩、それはひどいッス」
「フフ、相変わらずも手厳しいなぁ。かすみ草もかわいいね、ありがとう。」


あたしはベッドの傍にある枯れかけの花を抜いて、持ってきたガーベラの花束を花瓶に生ける。その間にレギュラー陣はせっちゃんに、部活の近況や他愛のない話を思い思い話していて、その場は和んでいた。せっちゃんを見た瞬間、心の中でほっと安堵の溜息をついた。呼吸器はすでに外されていたようでせっちゃんの顔色はいつものように優れていたからだ。花を生け終えた後、みんなの様子をぼうっと、傍らで眺めてしばらくすると、みんながせっちゃんに別れを告げる言葉が聞こえてきた。


「みんな帰るの?」
「ああ。はあまり精市と話してないだろう。2人でゆっくりするといい」
「そっか・・・じゃぁ、みんなまた明日」


柳がそう促すと、みんなそれぞれ明日への別れを告げて病室を出て行った。あたしは軽く手を振り受けこたえると、最後に真田と目が合った。・・・あれからあんまり、会話を交えてないんだよね。


「真田・・・ありがと」
「・・・礼を言われる覚えはないが」
「いいの、ありがとう。それじゃぁまた明日」
「ああ、また明日。」


真田はそれだけ言うと、病室を去っていく。あたしはなんだか、ようやく肩の荷が下りたっていうか、なんというか、わだかまりに開放されて素直になれた気がする。心が穏やかだ。


「なにがあったんだい?」
「べーつに。内緒」
「ひどいなぁ、。僕には全部教えてくれるんじゃなかったけ?ほら、今回のテストの点数とか」
「あー・・・」
「よくなかったんだろ」
「なんで知ってるの」
「柳から聞いた。英語、珍しく9割いかなかったんだって?しかも数学も赤点ギリギリで」
「あーあーあー!はい、そうです、散々でしたよ!くっそあの陰険データマンめ・・・!」


せっちゃんはいつもの調子で、笑うとあたしも自然と口が綻ぶ。テストなんて、せっちゃんを心配しすぎて忘れてたんだもん。それにしても、柳のやつさっきあたしが全く話を聞いてなかったこと知ってるな。


「赤也はまた英語、ダメだったみたいだね。見てあげてたの?」
「今回は、全然。あたし自分のことでせいいっぱいだったし、範囲難しかったし」
「ふーん、どこら辺から出たんだい?」
「えーと、ちょっと待って」


あたしは鞄から教科書を取り出し、範囲をちょこちょこ説明していこうとしたのに、もうすでにどこがテストから出たのか忘れてしまった。なんか、せっちゃんの顔を見たらそんなもの、頭から抜け落ちちゃったみたい。


「えーそんな説明じゃ全然わかんないよ」
「あはは、忘れちゃった」
「今度柳か柳生に聞くからいいよ、
「あたしじゃダメってことですか」
「現にそうだろ?」
「うー・・・じゃぁ最初から頼んないでよね」


あたしは口をとがらすと、せっちゃんは冗談、冗談、といつものお決まりのセリフであたしをなだめる。いつでもせっちゃんの意地の悪さは健在なことに、あたしは少し嬉しかった。


「退院は冬休み明けになる」
「うん」
「それまで・・・俺がいない間、真田とに部活を任せるよ」
「うん」
「また入院しなくちゃいけないんだ。それに退院してもまだテニスはできない。・・・そう、伝えられたよ」
「うん」


せっちゃんは微笑んでいた。泣こうとしない。儚いその微笑みが、いかに痛々しいのは目に見てとれた。


「あたしは、あたしのできることをする」


せっちゃんは頷く。


「だから、せっちゃんは、せっちゃんのできることをして。」
「分かった。」


あたしはせっちゃんを真っ直ぐ見据えた。あたしは、幸村精市と立海男子テニス部を微力ながらも支えていかなくちゃならない。それが、あたしの今すべきことだから        


「また来るね」
「うん」
「毎日来てもいい?」
「いいよ」
「部活の後だから、遅くなっちゃうけど」
「当たり前だろ?」
「うん」


あたしは傍に置いておいた学校指定のコートとマフラーを身につけ、病室を後にしようとするとせっちゃんに呼びとめられた。


「次は真田と2人で来たら?」


あたしはその言葉でみるみるうちに自分の頬を耳が赤くなっていることに気づき、病院だということを忘れて声を張り上げていた。


「意地でも来ません!」


ぴしゃり、と叫んだのと同時に病室の扉を閉めると傍に通りかかった看護婦さんに「院内ではお静かにお願いします」と注意されてしまった。全くもう、あれでせっちゃんは病人なんだから!







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