ランプの薄明かりで手元を照らす。蛍光灯の人工的な明かりは白っぽくて、好きになれない。ぼんやりとレトロチックな明かりで読書をするのが私の趣味なのだ。ベッドに横たわりながらページをめくるかさかさという音と、私の息遣い。物語の行く先に没頭していれば、扉の開く音も耳に入らない。今の私と同じ香りをさせて、ギシリとベッドを軋ませたところでようやく私は比呂士が私を興味深く見つめているのに気付いた。


「何をそんなに熱心に読んでらっしゃるんです?」


私は黙ったまま飾り文字の表題を見せた。すると比呂士はいつもの癖で、眼鏡のクリングスを女の私でも敵わない美しい指で持ち上げる。反則だ、といつも呟いてしまうくらい、その姿はかっこいい。


「アラビアン・ナイトですね。別名、千夜一夜物語ですが、正しくは千一夜物語と呼びます」

「私は千夜一夜物語の方が好きかなぁ」

「そうですね、語感は私もそちらの方が好きです」


私はしおりを挟んで本をサイドテーブルの片隅に置く。千夜一夜物語は、以前も読んだ事がある作品だった。けれど、なぜかどうしても今日読みたくなって、図書室に寄って借りてきたんだった。


「私はコルサコフのシェエラザードの第四楽章も好きですが」

「コルサコフ・・・?」

「以前フィギュアスケートで安藤選手が使用なさっていた曲です。貴方もご覧になったでしょう?」


比呂士はそう言いながら、私を自分の膝に横抱きに乗せる。うん、と頷けば自分の記憶が確かだった事に安堵したのか彼は柔らかく笑んだ。私も、あの曲好きだった。比呂士は、私が演技と音楽に感動していたこと、覚えてくれてたんだ。それだけで気持ちがほっこりしてくる。サイドテーブルに生けてある一輪ざしのアプリコット色の薔薇だって、私が学校の帰り道にある花屋で綺麗と通るたびに褒めそやした薔薇を一輪何のない日にプレゼントしてくれたのだ。そういう、キザなことが、とっても似合う人もそうそういないんじゃないかと思う。


「こういう昔の物語って結構過激だよね。お妃が、こんな醜態を晒してるなんて」

「そうですね。私たちが子供の頃に聞かされたおとぎ話も、実はとても恐ろしい話だったり、残酷で見るに堪えないものであったりとするものです。ファンタジーは人を楽しませてくれるものでありますが、それと同時にとても脆く、そして儚い」

「シャハリヤールも、弟のシャハザマーンも奥さんが奴隷たちと痴態の限りを尽くしてるとか、信じられない。信じられないけど、シャハラザード姉妹が傷心の二人に語る物語が好きなの」

さんは、このように私が傷心であれば千夜をかけて、物語を語ってくれますか?」


比呂士は素っ気なく尋ねたつもりのようだった。でも、レンズの奥の切れ長の瞳は、真剣だ。


「物語を語るだけでいいんなら。でも、私だったら話が尽きちゃいそう。比呂士の方が私よりはるかに物知りじゃない」

「あなたの場合なら何も語らずとも私は結構なのですが。そりゃぁ、一言二言さえ言葉を交えないのは寂しいですけど」


比呂士はそう言って私の頬に小さく口づけを落とした。比呂士の大きくて綺麗な手と、窓から入る夜風が、私の好きな部位を撫ぜる。電球特有の色みを帯びた明かりが、昼に見るテニスで汗を流す比呂士とは、全く違う色っぽさを出していて、見惚れてしまう。


「比呂士は私のために、千夜かけて、私を癒してくれるの?」


今度は私が質問し返す番だった。私は比呂士がすでに普段公共でしか見せない比呂士と違う目をしているのを知っていた。比呂士の手は好き勝手に私の体を這いまわり始めていて、くすぐったいけど、どうしても聞きたくなって、ベッドへと沈んで何も考えられない快楽へと溺れてしまう前に紳士である比呂士に尋ねてみたのだ。比呂士は内に秘めたる熱を抑え微笑みながら、事の前に涼しげな瞳覆う眼鏡をサイドテーブルへと置く。


「あなたが、望むなら千の夜も万の夜もお共いたしましょう」

「・・・私が望まないと、比呂士はいてくれないの?」

「困った人ですね。私もそれを望むに決まっているでしょう。さぁ、質問の時間は終わりです」


歯の浮くようなセリフも、比呂士だから私はむず痒くならないでいられる。きらりと光る瞳の奥は、もう有無を言わさないようだった。紳士の面は夜になれば、眠ってしまうらしい。優しいけど、皆に優しい比呂士じゃない。明かりを消したかったけれど、比呂士がそれを許してくれない。力強く、私を抱く比呂士はとても好き。そして、礼儀正しくて紳士な比呂士も、荒々しくて、私の体を貪る比呂士も、好き。


私は比呂士といたら、千の夜も万の夜も、比呂士と痴態の限りをつくせそう、と思ってしまうと笑い声を上げてしまった。比呂士は「何を考えてるんです」と自分以外のことを考えてるのではないかと、疑心暗鬼だったけど、律動するこの瞬間に、それは言わない。この瞬間だけでも、切なく、私のことを想ってしまえばいい。だって、私は千の夜も万の夜もあなたをこんなにも切なく想っているのだから。








千夜一夜物語