それはそれは甘いひと時だった。今そんな風に思えるのは時が経ったからであって、国光と別れたての一ヶ月なんて食べ物も喉を通らず、毎日泣いては夜中に友達と電話の繰り返しでケータイ代が5万超えて怒られたのはいい思い出だ。今日は降水確率50%。朝は雨は降っておらず、気持ちのよい快晴の下うきうきとわたしは登校した。学校は楽しい、友達もいて、お喋りも楽しいし、何よりアクティブな授業が大好き。体育とか、英語の授業だって先生がとっても面白い先生で、ジャグリングとかやらせられるんだから。え、それってどんな授業だって?だから英語の授業だよ。


星柄の折りたたみ傘を鞄に忍ばせて、雨の日だって足が弾む。かわいい傘持ってると女の子は雨の日もハッピーでいられるよね。ローファーに跳ねる泥だって気にならなくなる。天気予報通り、下校時にはもう雨が降っている。パラパラ、とだけでこれは強まりそうな勢い。じめじめした空気が髪の毛のくせっ毛に拍車がかかる。くるん、って毛先がはねるのどうにかならないかなあ。あたしは髪を撫で付けながら、昇降口で傘を開こうとした。となりで、見慣れた細い背中を見つけた。あたしはそれを見ると穏やかに微笑んで彼の名を呼んだ。


「くっにみつ」
「ああ、か」


国光は別れる前と変わらない様子でいた。別れた後少しは泣いた?あたしはそんなことを聞いたら野暮かなーだなんて思いながら国光に声かけた。彼は何食わぬ顔、つまりいつものポーカフェイスで冷静沈着にあたしに対応する。


「珍しい、今日テニス部練習もないの?」
「ああ、今日はな。こそバイトはないのか?」
「さっき今日はすごく暇だから来なくていいって電話来たとこ。だから暇だから駅ビル寄ろうかと思って。国光は?」
「俺は・・・俺も駅ビルの本屋に寄る予定だが」
「じゃあ久しぶりだから途中まで一緒に買い物しようよ」
「・・・ああ」


あたしが国光を誘ったのはほんの気まぐれで、国光には断る理由もないようだった。国光は黒い傘を開いて、あたしは星柄の傘を持って、雨の中駅へと向かう。あたしと国光の身長差では傘と傘同士がぶつかることはないのだけれど、わたしの傘の先で国光の肩を濡らしてしまうことがあるから少し距離を置いて歩く。ああ、こんな風に気を遣ってたなあだなんて感傷に浸るってこんな感じ?国光はあたしの頭に傘が当たらないように気をつけてくれる。そう、雨の日の下校時、昔のあたし達こんな感じだった。


「最近の調子はどうなんだ?」
「テストでもなかなかいい点取れてるし、すっごくバイトも楽しい。今日バイト入れなくて残念だったなー。国光こそテニスはどうなの?肩は?」
「肩ならもう心配ないともう何度も言っただろう。お前は相変わらずだな」
「心配性だと言ってくださいな、国光くん」


そこで会話は途絶えて、黙々と歩くあたし達。あたし達の会話は前からたくさん続く方ではなかった。一方的にあたしが喋って、それに国光が頷いて。それで成り立ってたんだなあ、あの頃は。すごく懐かしい感じ。なんだろう、この浸れる感じ。


「国光はあたしと別れてから落ち込んだ?」


野暮なことを聞いてしまったあたし。国光は少し眉を顰める。あ、国光がそうやって眉を顰めるということは何か考えるとこがあるということ。


「ああ・・・」


あたしはそれに素直に頷いた国光に驚いた。別れの原因はお互いが悪くて、それでいてお互いが悪くなかった。中学の頃から長く続いた付き合いで、もうあたし達はダメなんだなってお互い気づいて。それで結局綺麗さっぱりお別れした、はずだった。あたしなんて別れてから2ヵ月はずるずる引きずって国光の顔を見る度泣きそうになってた。国光はあたしを学校で見る度眉ひとつ動かさず、でも目線はすぐ逸らしてた。だからなんなんだよ、ってね。お互い辛かったんだね。そうか、そうか。わたしはなんだか国光に対して新しい気持ちが芽生えてきた。それは今伝えなければとがけのしっぽのように捨て去ってしまいそうで、今国光がいる場で伝えなければと思った。駅ビルまで、一緒にお買い物できないかもだけど。今はこの気持ち、伝えたい。


「わたしなんて夜通し泣きっぱなしだったんだよ」
「そうか・・・」


それで目が腫れていたのか、とあの時のことを国光は思い出しているはず。もう長年付き合ってたんだもの、何考えてるかくらいわかる。


「でも今はすごく楽しいの。あ、決して国光がいないからじゃないよ?国光といた頃なんて毎日とってもきらきらしてて、色んなもの国光からもらった」
「心の底からありがとう、って今思ってる。だからね、国光、」


パラパラと曇天から雨がまだ降る中でわたしは光が差し込んでいるのに気がつく。あそこだけ、ぽっかりと穴があいてそれでいて快晴。ああ、わたしは今そんな気分。あの時の輝いてた日々があそこにある。そんな気がした。天使のはしご、っていうんだっけ?こういうの。あたしは国光の顔が見えるよう傘を後ろに少し傾ける。国光の瞳は真っ直ぐあたしを見据えていた。


「淋しくなったり、辛くなったらあたしを思い出して。あたしも国光のこと絶対忘れない」


あたしこれでも、まだ少し国光に未練あるんだよ?その言葉には蓋して、伝えないでおいて。でも本当に思ったの。あたしにとって国光は喜びだった。英語ではJOY、そうあなたはとっても甘いあたしの喜びだった。本当に、あの頃は結婚したいってぐらい国光と真剣に付き合ってたんだから。


、お前といた日々は・・・本当に楽しかった」


うん。あたしは小さく頷いて傘を定位置に戻す。そして駅につくと、駅ビルから買い物に一緒にいくことはなかった。自然とあたしと国光の岐路は別れた。周りから絶対うまくいきっこないって言われて数年、うまくいかなかったね。あたし達がお互いのために変わるのはもう別れ際には難しかった、うまくいきようがなかったね。でもそれもあたしにはすごく甘酸っぱくてそして辛さも味わえて。そしてここにあたしがいる。ありがとう、国光。絶対忘れない、あなたはあたしの青春。あなたとの思い出は、今は天使のはしご。





天使のはしご