門に手をかけたら、ギィィと信じられないくらいに大きな音がした。 慌てて玄関を振り返るも誰かが起きた気配はない。 よかった。 注意深く門を閉めて、路地を抜け出し国道に出る。 車が1台も通っていないという事態を生まれて初めて目の当たりにし、少し寒気がした。 「目が覚めたら、自分以外の人間全てが忽然と消えていた」。 そんな小説を以前に読んだことがある。 5分ぐらい進んで、道路沿いのファミレスの中に人がいるのを見てほっとした。 見つめすぎて気付かれてしまい、柄も頭も悪そうなスウェットの男と目が合った。 慌てて駆け出してその場を後にし、また世界で1人になった。 彼が最後に見た人間だったらどうしよう。 あそこはやはり気まずさを押し殺し、手を取り合って助け合うべきだったのか。 自分でもよく分からない後悔の渦に飲まれそうになったところで、 パーカーのポケットに突っ込んだケータイがぶるりと震えた。 アラームが告げる時刻は午前4時。 手の平を広げて、じっと見てみる。 何の変哲もない。 特別白いわけでもなく、指が細いわけでもなく、ごくごく平均的な手の平だと思う。 その平均的な手の平は最近、初めて人をひっぱたいた。 しかも男を。 痴情のもつれとかそんな華々しい理由でもなく。 しかも…あの、真田を。 関東大会の決勝で、立海は青学に負けた。 どんな理由があったにせよ、敗者には真田の鉄拳制裁が待っている。 その真田も負けた。 自分で自分を殴ることくらい何でもない真田は、レギュラー全員に自分を殴るように命令した。 (殴られる立場があんなに偉そうなのはどうかと思うけど) まずはジャッカル。 拳に人の良さがにじみ出ていて、真田は不満そうだった。 次は仁王。 真田だけでなく、その場にいた全員の隙をついた見事な一撃だった。 それから丸井、柳生くんと、次々と真田をボコボコにしていって、ようやく終わったと思ったら、 「次、!」 …何で私が。 「…やだ」 「何故だ」 「だって私マネージャーだし試合出てないし」 「そんなことは関係ない。いいから殴れ」 「やだって」 「ええじゃろ、。ここに居合わせたんが運の尽きじゃて」 「副部長をブン殴る機会なんてきっとこれっきりっスよ!」 「、俺からも頼む。弦一郎に気持ちの整理をつけてやってくれ」 代わる代わるそう言われて、どうにもこうにも逃げ場がない。 頼みの綱の柳生くんをちらりと見てみたら、申し訳なさそうな顔で首を振られた。 仕方がない。 腹を括った。 バチンッ 「…ッ!!」 「あ」 「おお」 「げっ」 「うわ…」 「…」 「…平手は反則だろぃ」 どうやらここはグーで殴るべきだったようだ。 平手打ちに慣れていなかったらしい真田は、呻き声を飲み込んでその痛みに耐えていた。 私も手の平がじんじんと痛かったのだが、 何となく言い出せずにふるふると振って痛みをごまかすにとどめた。 つーか真田顔硬い。 …その日から1週間くらい「女王様」と呼ばれるようになってしまい面倒だった。 とっくに痛みの引いた手でケータイの電話帳を検索する。 真田弦一郎、名前までお堅い。 ケータイではなく自宅の方に電話をかける。 プルルルル、プルルルル、プルルルル。カチャッ。 『…はい』 7回目で、足首まで響くような低い声の主が出た。 真田かと思う。 でもこれは自宅の電話だ。 お兄さんかもしれないし、お父さんかもしれないし、お祖父さんかもしれない。 用心して「もしもし」とだけ告げた。 途端に『か!?』と割れんばかりの大声が返ってきたので、次男本人だったようだ。 「おはよう」 『おはようじゃない、今何時だと思ってるんだ、非常識だぞ!』 「毎朝4時起きの中学生の方が非常識だと思うけどね」 『減らず口を叩くな。大体どうして携帯電話の方にかけんのだ』 「だってこんな時間にかけたって真田出ないでしょ。自宅なら確実かと思って。実際出たし」 『ぬ…』 「いいじゃん別に」 真田はぐう…、と、悔しそうに言葉を詰まらせた。 私は彼が私との会話が得意でないのを知っている。 どんなに怒鳴っても、風を受けてはためくカーテンのように受け流すからだと思う。 「…ねえ、痛かった?」 『何がだ』 「私のビンタ」 『痛くなかったと言えば嘘になる』 「ごめんね」 『謝らんでもいい。俺が未熟だったせいだ』 「…ねえ真田」 「何だ」 あんたは一体どうしてそこまでストイックでいられるの。 立海は負けた。 常勝神話は崩れた。 でもそれは真田だけのせいじゃない。 柳だけのせいでも、赤也だけのせいでもない。幸村がいなかったせいでも絶対ない。 いろんな原因が重なって、風向きが悪くなった。 だから負けた。 それだけだ。 あれからただでさえキツいと評判の練習は、拷問に近くなった。 レギュラーだけじゃない、平部員もだ。 昨日までに私は何通もの退部届けを処理した。 別に辞めることを責めたりはしない。 こう言っては何だけど、所詮は中学生の部活動だ。 辛いばかりなら続けていても意味はない。 「副部長の遣り方にはついていけません」 それが辞めていった彼らの挙げた、主立った理由だった。 「やり過ぎ」「軍隊かっつの」「奴隷みたい」 様々な形の言葉で真田は批判された。 更には関東大会での敗北。 それまでの功績を一切無視して、真田を堂々と痛烈にあげつらうやつが出てきた。 学校にも保護者にも部員にも、彼を敵視する者はどこにでも潜んでいた。 それでも真田は己のあり方を変えなかった。 強くなるために、他人を、そして何よりも自分を律した。 そしてそれは大体において正しかった。 レギュラーから脱落者が出ないのは、全員が真田を信じているからだ。 「私もあんたを信じてるよ」 『…どうした急に』 「あんたは1人で戦ってるつもりかもしんないけど、私がいるってことを忘れないでほしい」 あまりにも唐突な言葉だったから、電話の向こうの真田が怪訝な顔をしているのが想像出来た。 朝方のテンションは恐ろしい。 自分でも何を言っているかよく分からない。 『ああ、分かっている。ありがとう、』 真田だってよく分かってないと思う。 『おまえはこんな時間にいつも起きているのか』 「ううん、いつもは7時くらいに起きる」 『もう寝ろ。まだ時間はある。今日の練習は9時からだぞ、遅れるなよ』 「分かった。急いで帰る」 『帰る?おまえは今どこにいるんだ?』 「あんたんちの前」 がちゃんっ 乱暴に電話が切れたかと思うと、乱暴に目の前の家の門が開いた。 ぎょっとして後ずさると、ずい、と和服姿の真田が出てきたので笑ってしまった。 だって和服って。 「どうして入ってこない!」 「だってこんな時間に非常識じゃん」 「こんな時間に電話を掛けてきておいて非常識も何もあるか!たわけが!」 「あんたの声の方が非常識な上に近所迷惑だと思うけど」 「ぬ」 真田は時間に見合わない自分の声量に気付いて、慌てて声を低く抑えた。 「送る」 「え、いいよ別に」 「こんな時間に女子を1人で歩かせるわけにはいかん」 「…真田って時々、柳生くんよりも紳士だよね」 「そうか?」 「そして鈍感」 「よく指摘されるが自分では分からん」 「あ」 「何だ」 「夜が明けたよ」 家々の隙間から面白いくらいに丸くて泣きたいくらいに真っ赤な太陽が覗いていた。 真田は眩しそうにそれを見つめた。 私は尊いものに立ち会ったかのような感動に心を震わし、鼻をすすった。 その光はきっと、真田の行く道を照らし続けるだろう。 彼が戦い続ける限り。 そして私は、彼を支える1本の楔であり続けよう。 たとえ、世界中を敵に回したとしても。 YOU & I VS.THE WORLD 初めての真田です。この2人が好き同士かどうかは今んとこ微妙…?真田にとって1番近い女子であるとは思う。 真田をよく知らない人から見ればおっかない暴君でも、レギュラー陣は全員真田のこと信じてるし分かってるといいなあ。 企画のために書いたものですが、ゴールデンラティオの一花さんに卒業祝いに捧げたいと思います。おめでとう。 09/02/25→10/03/04加筆修正 |