窓際の席、そして休み時間。ひこうき雲が伸びる空を何となく眺めていた。本当にただ何となく。ぼーっとするには窓際の席はうってつけなのだ。

そんな暖かい日差しが注ぎ、思考回路の動きが停滞している頃、ふんぞり返り偉そうな男が目の前にいつの間にかいた。そう、この男はいつだって偉そうなのだ。

「おい」
「……ふあ?」
「間抜けな声出してんじゃねーよ。これ、やる」

目の前に置かれた一輪のバラ。きちんとラッピングもされている。はて、今日は一体何かの記念日だったろうか。思い出せない。この稀にみる端正な顔立ちをした男は私の彼氏だ。付き合うきっかけはもう半年前の話、一方的に告白され、イエスと言わざるを得ない空気だったのだ。

「おい、お前人の話聞いてんのか」
「あ、うん…?ありがと…?」
「フン、じゃあ俺は行くぞ」

あまりにも唐突な出来事だったので私はぽかんとしたまま、満足気な笑みを浮かべて去っていく景吾の背中をぼーっと見つめていた。手元に置かれたのは可憐なバラ。それも真っ赤な。キザでついていけない所は前から認識してはいたが、こうも突拍子もなくバラを一輪ぽんと机に置いていくとは意味が分からないないにも程がある。

そして果たして私と景吾とはどんな縁でこうなったのか。きっかけは美術の授業の時間だった。隣の席の人とペアを組み互いの顔をスケッチするという事だったのだけれど、そのペアというのが跡部景吾だった。眉目秀麗、の言葉がぴったりの彼の顔は本当に描き甲斐があり、彼も私の人物画にえらい満足したらしく、先生に提出するはずだったものを勝手にもらうと言われもう一枚描かされる羽目になったのだったっけ。不釣合いな学校の机に置かれたバラを、私はクスリと小さく笑い大切に鞄にしまった。

次の日。颯爽と教室の入口に現れる景吾。背景に花、背負ってますけど。景吾はそれぐらい一人でいても華やかだ。教室の隅で絵を描いたり、のんびり過ごしている私とはやはり違う。でも、こんな私たちだって付き合えるんだ。そういえば、喧嘩もほとんどしないな。


「どうしたの景吾」
「お前にやる」

そして景吾は昨日とは違う色のバラを渡してきた。今度はアプリコットだ。昨日のは真紅の、それも景吾にぴったりなほどキザなバラ。

「あ、うん、ありがとう。でも景吾何で…」
「じゃあな」

私の質問が聞こえなかったのかそれを遮り、景吾はそのまま現れたと同様優雅に花を背負って帰っていった。歩きながらもあんなに軽やかに花びらを幻覚で舞わせているのもすごい。自分の彼氏ながらに感心する。

それから景吾は週末まで毎日バラを私の元へ運びに来た。景吾は花屋さんにでもなったのだろうか。私はバラを花瓶に生けながら思った。それもバラ達はしっかりと加工されていて、全てプリザーブドだったので水はいらなかった。しかし景吾は何故か、どうしてバラを毎日くれるのか理由を尋ねてもはぐらかしたり、遮ったり、タイミング悪く樺地が来てしまったりと教えてくれなかった。それに部活が忙しい様子で放課後も話す時間がなかったし。5本目のバラを花瓶に生けると、5色揃ってとても色鮮やかだ。アプリコット、イエロー、黄緑、オレンジ、ピンク。同系統の色でまとまっているのでとても綺麗だ。黄緑が差し色のよう。初めにもらった真紅のバラだけ、一輪挿しにしておいた。景吾がバラを渡しに私を訪れる理由は皆目検討がつかなかったけれど、3日目から今日はどんなバラをくれるのだろうかと思うと心が弾んだ。景吾が、バラをくれる。それだけで私の心はとても幸せという色に彩られた。

ベッドの上から美しい花々を見ているだけで頬が緩んでしまった。やっぱり綺麗なものはいくら眺めていても飽きないなあ…。景吾も、確かに見ていて飽きない。大人びて綺麗な顔立ちをしているけれど。あの青い目、きらきらとした少年のような輝きに、鋭い光を走らせる。髪は鳶色で、毛並みはつややか。手触りの良い、髪…。最近、景吾にあんまり触れてないなあ。景吾と、お喋りもあんまり出来ていないし。でも明日は…。そんな風に、あれこれ考えているといつの間にか眠りについてしまっていた。





……ピピピピ。電子音が鳴り響く。ハッと気がついて壁掛け時計を見やる。9時半。やばい、景吾とは10時の約束なのに。スマートフォンのディスプレイを確認すれば景吾から「起きてるのか?」というメッセージ。…私が寝坊したのを見越している。「今起きた」と打つと「10時半に迎えに行く」と返事が来た。私はほうっと息をつくと勢い良くベッドから起き上がる。景吾に学校外で会うのは、2週間ぶりくらいかもしれない。早く会いたいなと、思う反面支度が済んでいない。今日はよそ行きの服を着るんだ、と思いつつ選んでしまうのはモード系に合わせられそうな黒のパンツ。どうしてもカッコイイ系統に服をまとめてしまう。あまりかっこよすぎて決めてしまうと自分が嫌なので、淡い色ラベンダー色のゆるいニットを合わせて、シックな花のピアスをつけた。うん、これならデートでもいける。あと足元は無難に黒のショートブーツでいいだろう。服を決めてしまえば後はもう準備するだけ。私は急いで10時半までの約束へ支度し始めた。

「よお」
「景吾、時間遅くしてくれてありがとう…」
「まあお前の事だからな。乗れ」

相変わらずぶっきらぼうな物言いと相反する瞳の優しさに思わず口元が緩む。そういえば今日、どこに行くか聞いてなかった。デートの計画はだいたい景吾が練る。景吾のやりたいようにやらせても、私は嬉しいからだ。車の中でどこに行くか期待を胸に抱きながら景吾と久々にゆっくりと会話を楽しんだ。バラの事を尋ねようかと思ったけれど、景吾なりの考えがあるのではないかと思い「あのさ」と言葉を言い出しかけたがすぐに口を噤んだ。それに教室以外のところで景吾を目の当たりにするのは久々で、何だか胸がドキドキとうるさい。顔も、直視できない程私は初心になっていた。

景吾に連れて行かれたのは跡部邸だった。私は緊張して顔を強ばらせると、景吾はそれさえもお見通しなのか、「親はいねえよ」と言って先に車のドアを開け、降りる。こんな格好で景吾の親御さんには会えない。完璧に外でのデートの格好な上にパンツルックだ。ミカエルさんにコートを預けて、景吾の後ろをついていく。何だか景吾、今日はいつもより少し無口だ。どうしたんだろうか。私は景吾の広い背中を見つめながら歩いていると景吾が立ち止まり、扉を開こうとした。私に、エスコートする形で。

「さあ、どうぞ」
「えっ何?」
「中入れよ」

景吾は白い木製の彫刻が細やかな扉を開く。光が溢れる部屋に敷き詰められた黄金のバラたち。それは何と言っても圧巻。私は見事に目を奪われた。幻想の世界に紛れ込んでしまったかのようだ。陶器のティーセットが用意してあるテーブルと、傍にあるソファまでは赤い絨毯が敷かれている。こんなの、少女漫画でもなかなか見られない光景だ。私は素晴らしすぎる景観にぽかんと口を開いてしまい、景吾は「早く入れよ」と私を急かした。

「景吾……どうしたのこれ?毎日バラくれてたのと関係あるの?」
「……お前今日が何の日か忘れたのかよ」
「今日……今日って…あっ」
"Happy Birthday to you"

耳元で急にささやかれたものだから、私は肩を震わせた。そういう事だったのか。景吾を見ると、私の反応にとても満足気。でもこんなサプライズがあるなら毎日バラをくれなくても良かったんじゃないか。

「景吾……ありがとう。でも何で毎日バラくれてたの?」
「それは忍足が…いや、なんでもない」

忍足がどうしたかは景吾が少し機嫌を損ねたように黙ってしまったので分からなかったけれど、こうやって誕生日まで私の事を考えてくれたのはすごく嬉しかった。毎日幸せを運んでくれた景吾が何よりも私は嬉しかった。

「景吾、バラ嬉しいんだけどね…」
「ん?何だ?何か不満か?」
「ううん。バラも嬉しいし、すごく綺麗だし。けどね……」

私は急に自分が言いたい事に恥ずかしくなってしまった。だから背伸びして、景吾を引き寄せて耳元で小さく呟いた。

「景吾がいるってことが一番嬉しいんだよ」

景吾は間髪入れずに私を抱き寄せて、唇を優しく彼のもので包んだ。幸福感に満ち、光り輝くバラ達に囲まれた世界。景吾が現実に用意しなかったとしても、それは私だけに見える楽園。私にこんな素晴らしい贈り物をしてくれる素敵な景吾がいるから、幸せ。そう、百万本のバラよりもずっと貴方が傍にいる方がいい。