ただいまぁ、といつもと変わりのない気の抜けた声で玄関へと上がる。でも今日のわたしは一味違うのだ。なにがいつもと違うっていうと、なんと、今日はわたしの誕生日なのだ。家族には日曜でみんなが揃った昨日祝ってもらったし、今朝は友達からあれこれプレゼントを貰ったりお祝いの言葉をかけてもらったりしてちょっと浮き足立っている。けれどいつもの玄関へとあがった途端、そこは現実では到底ありえないような光景を目にししてしまった。っていうかこれがすでに現実とは、到底信じたくもなかった。



「あ、〜、おかえりなさ〜い。これ跡部さんからだそうだけど、あんたもモテるのねぇ」



アハハ、と軽快な声でおちゃくるように笑う母の神経でさえ疑う。わたしは部屋の床一面中に敷き詰まっているバラたちをわさわさとかき分けて、ようやく居間へと辿り着いた。なんだこれは。一面中、バラ、バラ、バラ。どこもかしこもバラ。うっ…。バラの香りでむせそう…。しかしのんきな母はこれどうしようかと悠長に相談を持ちかけてきて、もう本当に呆れ果ててしまいむしろそんなのどうでもよかった。とりあえずわたしは母の質問を無視しつつも、バラを踏まないよう慎重に玄関まで戻る。おそるおそる階段の方をちらりと見ると階段の一段一段もっさりとバラで埋め尽くされていた。……頭が確実にこんがらがってしまっている。

景吾はわたしの彼氏だ。家に帰ったら楽しみにしてろよ、なんてキザなセリフがこういう意味だっただなんて。いや、ほらあいつは規格外だってことをわたしが忘れていたことが悪いのかもしれないけど……。普段付き合ってるだけでも常識外れな行動が多い跡部家のぼっちゃんだけど、まさかここまでとは。むせ返るほどのバラの香りに目眩を覚えたが、それに反しわたしの足はしっかり、跡部邸へ歩き出していた。







* * *








ミカエルに部屋に通してもらってわたしは今景吾の部屋へと向かっている。景吾の家には何回が来てるからどでかい広さの廊下でも景吾への部屋の道はちゃんと覚えてるつもりだ。とりあえず見つけた金色のゴテゴテとした装飾のドアノブを掴み、ギィ、と思わしげな音を立てて開くと案の定景吾が黒いなめし革の上等なソファーにどっかりと座り込んでいた。



「来ると思ってたぜ」

「……あのバラなに?」

「何って、お前今日誕生日だろ?」

「…うん。ありがとう。」

「前にお前、誕生日に百万本のバラをプレゼントに憧れるだなんて言ってたじゃねぇか」

「え?……あー、なんだそのことね」



わたしは別に怒っているわけではない。景吾はわたしがもっと喜ぶのが当然だ、と言わんばかりの表情をしている。わたしにとって一番の疑問は、なんでバラを百万本もプレゼントしてくれたかのことだった。いやそりゃ、喜ばせようとしたのは分かるけど。他にセレクションあったんじゃない?



「うん、確かに言ったよ。でもさ、あれって忍足が貸してくれた小説の話だよ。わたし本気でなんか言ってないよ?」

「じゃぁお前は百万本のバラ、いらなかったのか?」

「いや、別にいらなかったわけじゃあないんだけど……」



わたしはそこで今、この筋金入りのぼっちゃんに世間さまさまの常識を説き伏せようか迷った。でも景吾はよかれと思ってやったことなんだし、わたしをとても喜ばせたかったんだろう。それは嬉しい。嬉しいけど……。そういうことじゃあないんだよ。そう思うとあたしは座り心地抜群のソファーへと、制服のスカートのプリーツが崩れないよう静かに座る。それもちゃんと、景吾の隣に。



「……嬉しかったよ、景吾ありがとう」

「ああ、当たり前だろ?」



景吾も得意そうにしているし、何より嬉しそうな顔をしていた。端整な顔立ちで勝ち誇ったような笑みをみせるのにわたしは無意識に小さく溜息をついたが、景吾の優秀な眼力はそれを逃がしはしなかった。



「何溜息ついてんだよ、アーン?」

「景吾、バラはうれしいよ。嬉しいけど、それよりもさ、」



言葉をのみこもうとしたけど、景吾はわたしにそれを許さない。わたしが話題を振ったら最後を話すまでこの男は黙り続けるから。



「こうしてる時間の方が、もっと嬉しいんだけどな」



顔に熱が込み上げてくる。ぽつりと呟いたはずの言葉なのに自分の口から出た甘い言葉で頭がぐるぐるしてる。めっちゃ恥ずかしい!目を逸らそうかと思ったけど景吾はそれを妨げるようにその綺麗な指で顎をクイッ、と持ち上げキスを落とした。景吾がわざとたてるリップノイズがやけにいやらしく感じて、わたしが顔をますます赤くさせたのは言うまでもない。



「かわいいこというじゃねぇの、 。アーン?」

「……かわいくないよっ」

「そうだ言い忘れてたが」



わたしの意地はった言葉は無視され、もう一度、長いキス。すっと通った鼻筋から顔を離して、景吾はとても優しい眼差しをわたしに向けて言った。



「ハッピーバースデー、



その日初めて、景吾に向けたとびきりの笑顔はこれまでのどの誕生日よりも輝いていたと思う。だってあの景吾が、めいいっぱい愛しそうに、わたしを広くてあったかい胸の中で抱きしめてくれたから。