病床に臥せた俺を見て、は目をぱちくりと見開き、言った。


「お見舞い、来たの」


そんなこと、見れば分かる。俺は卑屈になっていたあの頃、そんな事を彼女の姿を見て思った。見舞いの花はまるで俺に手向けられているようで、喉の奥から笑いがこみあげる。










* * *










端的に言えば、俺は彼女の事が好きだった。見た目が大人っぽくて、それでいておとなしいわけでもなく、明るく可憐で人望のある子だ。俺の心が荒んでいる時期に、はなぜかいつも俺の傍にいる。以前、俺のテニスでのコンディションが良くなく、スランプに陥った時に席替えしたらが隣に来た。あの時のことを、俺はよく覚えている。


「幸村くん、今度テニス観に行っていい?」


俺は快諾できる程その時は気分が良くなくて、苦笑いしていいよ、とだけ告げた。彼女は俺の苦笑いに気づいたのか気づかないのか、その日の放課後は友人と俺の練習試合を観に来ていた。キャーキャーと他の生徒達のように騒ぐわけでもない。じっと、俺を見つめていた。彼女の視線は、恋慕の視線でもないのに熱がこもっていた。俺は、その日は特に暑かったわけでもないのにじっとり、汗をかいた。


次の日の彼女は、笑顔を浮かべて、


「幸村くん、やっぱり噂通り上手なんだね」


と言った。俺が別に調子がよかったわけでもないのに、お世辞だろう、と思った。「テニスって一回点入れるごとに15点もはいるんだね」彼女はにっこりと笑みを浮かべる。その時、薄っぺらい上辺だけの会話ではなく、その時彼女は単純に無知なのだと思った。きっと、俺がテニスでコート内に返球したら上手いとでも思うのだろう、と。俺はなぜか、その時ふと、肩の力が抜けた。なぜか。その日の練習の具合は、上々だった。


は事あるごとに無知だった。それは知ろうとしない無知ではなく、好奇心ある無知だ。彼女が真っさらで白いのはそのせいだと俺は思う。花の話や、ヴェルレーヌの詩の話をすれば、俺の話をじっとして聞き入る。相槌を打ちながら、しっかりと学び取る。純粋な瞳にたまに自分が押しつぶされそうになる時もあった。


俺は彼女の無知さ、にどんどん惹かれていった。そして俺は知る、無知さは純粋さと直向きさであることを。










* * *










はまた笑う。俺の弱り果てた姿を見ても、かわいそうな目を向けない。花を花瓶に生けるその姿を見て俺は再び自分は病人だと思い知らされる。彼女はそんな俺の思いは知らない。

「お花、これでよかったかな。わたし、花とか幸村くんほどよく分からなくて」

は少し照れくさそうに鈴蘭の花に目を向ける。白は、本当は見舞いにいい色ではない。は、無知だ。それは直向きさを伴う、無知。俺はそれがこの小さな花をつける白い花と同じように思えた。一概に言えば、非常識、と言われてしまうのかもしれない。でも、はそうじゃない。きっと、縁起の悪い花などもちゃんと調べてきたのだろう。


「知ってる、。白い花は見舞いには縁起が悪いんだよ」


俺は悪びれもなく言うと、は目を丸くして、すぐに申し訳なさそうな顔をした。「こんなに綺麗なのに・・・」小さく彼女はつぶやく。そう、そんなにも美しいのに。彼女は悲しそうな顔をし、俺に近づいた。


「病気、早く治るといいね。治るようにお願いしておくね」


またあの眩しい笑顔を俺に向ける。俺はその直向さが羨ましい。俺にはないものを、は持っている。その純粋さに、俺は一度身が焦げそうになった時もある。


「鈴蘭を、ありがとう」


俺は、彼女の瞳を見ることができずに言った。


「でも、縁起が悪いって、」


「かわいいよ。君の気持ちは、伝わったから」


俺に無い物、君は持っているから。その純粋さを、今悲観的になっている自分は求めている。心の奥底から笑えない自分を、君は理解してくれるかい。そんなことは無知な君にあってはならないことだけれど。知らないからこそ、美しい。神が、アダムとイヴに知恵の実を食べることを禁じたのも、こんな気持ちだったからのか。その白い肌も、艶やかな黒髪も、長い睫毛も。ほんの一握りでいいから、その美しさを俺に分けてもらいたい。


「いつまで入院してるの?」


「治るまでだよ」


「それはそうだけど・・・」


「大丈夫、心配しないで」


今の荒んだ心に君の言葉は刃のようでいて、そして俺の光だ。は、何も知らないままでいい。そうして、俺のこの想いも。好きだ。身を焦がすほど。そのまま、何も知らない君でいてくれ。俺のその相反する欲望を、君に伝えてしまえばは果たして純粋無垢のままでいられるだろうか。


「好きだから、幸村くんが」


今度は俺があっけにとられる番だった。彼女はもじもじと恥ずかしそうに言うわけでもなく、真っ直ぐと俺を見据える。その直向さは、また無知でもあり、君の強さでもある。俺は君が好きだ。それは、君が強いから?


「そうか・・・」


「心配なの。わたしの勝手だけど」


ふと、笑みをこぼす。君は光だ。温かく俺の凍てついた心を溶かす。君と俺がひとつになった時、世界は変わるのだろう。いや、世界が変わるんじゃない。また違う世界へ、外の世界が見えるのかもしれない。



「君が好きだよ」




その強さを、俺に分けてくれてありがとう。咲う花のようには、顔を綻ばせた。












110317 後書き : 幸村くんは彼女が自分の知り得る知識でしか彼女を捉えてないので彼女を無知と称してますが、彼女は幸村くんを切り開く新たな光なんじゃないかなあ、と思います。