よし、作戦開始だ。わたしは念には念を入れ、辺りをねめまわすように睨みつけるとすぐに廊下の角の陰に隠れた。今日こそ、今日こそ悲願の想いを遂げる時が来たのだ・・・!わたしはノートとペンを携え、己のターゲットから片時も目を離さずいようと自分に誓う。そう、わたしが追っているのは乾貞治だ。彼はいつでも神出鬼没のデータマン。得体の知れない青学の参謀として恐れられている(に違いない)。実はわたしは彼に恋心を抱いている。乾貞治はわたしのクラスメイトだ。よくクラスでも喋る方だと思うし、仲が良い方・・・だと思う。けれど彼と話しているといつでもデータを取られている気がするし(好きな人にデータを取られるだなんて本望だけど)何しろひょんなところで出くわす事が多い。例えばロッカーの影とか、女子トイレしかないはずの廊下の角とか。今、彼は図書室に向かって西へ歩いている。彼を追いかけて、彼の実態を知りたい。そんなわたしは今日、意中の相手のデータを取ろうと思いまっす!!

変なポーズ取って何してんのー?」

わたしが仁王立ちでペンを掲げて気合を入れてるとさっそく菊丸に捕まった。菊丸とは2年の時委員会が同じだった仲だ。もう、せっかくのわたしの意気込みを削がないでよねっ。

「何って、乾のデータ取りだよ」
「乾のデータ取るの?なにそれ面白そうだにゃ〜!俺もまーぜてっ」
「菊丸がいたらすぐにバレちゃうに決まってるじゃん!ダーメ!」
「ちぇっ、のケチー!じゃあ乾のデータとれたら俺にも見せてよ〜」
「うーん、それなら考えとく」

約束だよ〜と言って去っていく菊丸なんて気にも留めず、わたしは廊下をダッシュして乾が今の時間にいるはずの図書室へと向かった。入り口から顔をのぞかせると・・・よし、いたいた。どうやら料理のセクションにいるみたい。わたしはそこから対角線上に離れた生物・自然のセクションへと身を潜める。ふむふむ、どうやら彼は栄養学の本や野菜の家庭栽培の本を手にしている。彼ご執心の乾汁に自らの有機栽培まで取り入れようって魂胆かしら?わたしがノートに書き込み鼻をくっつけそうなほどページに顔を突っ込んでいるとまたもや声をかけられた。


「へ、あ・・・手塚くん」
「一体何をそんな真剣な顔をしてノートに書き込んでいるんだ・・・机ならあっちにあるぞ」
「え、えへへ・・・いやあ、ちょっと調べ物をしていて・・・」

手塚くんとは1年生の時に同じクラスだった。そんな手塚くんの手にはルアー大百選という本が。手塚くんって釣り好きなんだっけ・・・?それも一応メモっておこう。わたしが手塚くんの話を聞かずにメモを書き込んでいるせいか手塚くんは眉間に皺を寄せ、不可解な顔をして図書室を後にしていった。そんな事をしている間に乾ももういない!これは追わないと!わたしは勢いよく図書室から出て行くとそのまま人にぶつかってしまった。

「わわ、スンマセン・・・!」
「あたーっ・・・いえいえ、こちらこそ・・・って桃城くん」
「あーーーー!!!えーっと・・・乾先輩と同じクラスの・・・先輩・・・っスよね?」

桃城くんは何度か乾先輩に用がある時わたしに声をかけて彼を呼び出していた。だから面識がお互いある。それにしても中二でこの体格なんだもんなあ。テニス部ってすごい。きっと乾も色白でなんだかひ弱そうな印象あるけど、ジャージの下に隠された筋肉はそれはもうすごいんだろうなあ・・・。ブッ。そんな事考えてたら鼻血が・・・。

「ちょ、先輩大丈夫っスか?!」
「ご、ごめん・・・あんまりだいじょばない・・・」

わたしの鼻からボタボタと流れる鮮血の原因が桃城くんと衝突したせいだと彼は勘違いして狼狽した。ちょっとトイレットペーパー取ってくるっス!!と桃城くんが言う中一人の心優しい通行人がハンカチを渡してくれた。

「あ、ありがど・・・あ」
「おー!海堂!!お前いいタイミングで来たなあ!助かったぜ!」
「おい・・・お前まさかお前が怪我させたんじゃねーだろうなあ・・・」
「そっそれは・・・俺の不注意で・・・」
「チッ、ガサツヤローだからそういうことになるんだよ・・・」
「んだと〜?!」

この子、乾が可愛がってる海堂くんだ。男の子でハンカチ持ってるだなんて清潔男子、今時珍しい。あ、でも乾もハンカチ持ってそうだ。手塚くんも持ってるかな。ハンカチの有無もデータに取ろう。・・・ハッ。そんな二人の過激化していく喧嘩の中でわたしは乾がもう廊下の端を曲がってしまった事に気がついた。乾を、追いかけなければ!!わたしは鼻を海堂くんに借りたハンカチで抑えながらターゲットを目指して廊下を駆け抜けた。

廊下の端に消えたと思った乾はなんと教室に戻ったようだ。そうか、もうそろそろ部活が始まる時刻か。多分乾は荷物を取りに教室に戻ったんだろう。んーどうしよう。コートの外で乾を眺めるのはいつもの日課と同じになってしまう。・・・・・・それならば勇気を出して先回りし、青学男子テニス部のロッカーに隠れるのはどうだ!!そうだ、きっと神出鬼没な乾のことだ。乾だってロッカーに潜んで密かにデータをとっているに違いない。というか誰かからそんなことを耳にしたことがある。そうと決まれば実行あるのみ!急いで男子テニス部室へGO!!

まだ部活開始時間になる前の部室には誰もいなかった。でも鍵は開いている。わたしの情報網で掴んだ鍵係は大石くんということだ。彼は少しおっちょこちょいという面があるから、きっと鍵を開けたままここを少しの間空けてしまっているんだろう。フフ、チャーンス!わたしは遠慮なく使われた形跡がないロッカーに手をかけ、中に入った。うん、小柄なわたしにここは丁度良いくらいだ。

しばらくロッカーに身を潜ませていると、ドアの開け閉めの音が聞こえてくる。誰か入ってきたんだ。ドキドキと心臓の鼓動が外にまで聞こえそう。何度かの出入りの音を確認したけど、皆着替えたらすぐに出て行ってしまったようだ。バタン。また聞こえるドアの開閉音。すると入ってきた者の声が聞こえてきた。ドキッ。この掠れるような低音ボイスは。

「なるほど、この記録では該当データと照合するには古すぎるようだな・・・。パターン化されていると思ったら思いもよらない手に出てきたな・・・。これを取り入れ更新しなければ。しかし果たしてこれは俺に対して何を訴えているかがだが・・・。俺の期待通りであることが望ましいな」

何やらブツブツと独り言を乾は言っているようだ。何が期待通りにいってほしいんだろう?パターンとか言ってたしテニスの戦術の話かな?データが古すぎるとか言ってたし。わたしはロッカーの身動きする音が外に漏れないようにそうっとノートに今の言葉を書き込む。すると乾は部室を出て行ってしまったようで、辺りは静けさに包まれた。・・・・・わたしこのまま練習時間が終わるまでここにいなきゃいけないのかな。後先考えずにロッカーに飛び込んでしまったわたしだけど、この先こんな息苦しい中数時間ここに篭っていけないとなると・・・大分ツラい。なんてバカな事をしてしまったんだ・・・と打ちひしがれながら早く時が過ぎないかなとロッカーの中で気を遠くしていた。大体何の計画性もなく乾を追うということ自体が間違っていたのだ。


わたしは半分涙目になっていると、またドアが開く音を耳にする。今度は一体誰だろう。

「それにしても通り雨なんてついてないっスね・・・」
「でも雨が降る前にタカさんが気づいてくれて良かったよ。あまり濡れないで済んだからね」
「そーっスね。この後練習どうするんスか?」
「手塚が生徒会でいないから大石が今考えてるところだよ」

一年のスーパールーキーの越前リョーマ・・・かな?それにこの美声は不二くん。どうやら外は突然の雨に見舞われているらしい。部室にどやどやと二人に続いて部員たちが入ってきた。

「も〜雨だなんてついてないにゃ〜」
「しょうがないよ英二。春だから天気が変わりやすいのさ」
「ちぇー久々に練習試合かと思ったらこれかよ〜」
「今日は俺と桃の試合だったからね」
「そうっスよ〜タカさんに俺の新技お披露目ってとこだったんスよ〜」
「うっせえな・・・雨なんだからうだうだ言ったってしょうがねーだろ・・・」
「んだとこのマムシ?!」
「まあまあ桃、海堂そんな雨ぐらいで喧嘩することないだろ」

賑やかな声が聞こえてくる中で乾の声がしない。果たして乾はいないのかな?わたしは思わずロッカーの扉にある通気口に耳を寄せるとそのまま自分の全体重をロッカーの扉にかけてしまった!ヤバい!と思った時はすでに後の祭りでわたしはロッカーの扉を押し開けて飛び出てしまった。そしてその先には誰かがいたようでわたしは思い切り人の上にのしかかってしまう。

「・・・誰スかこの人」
「うう〜・・・いたい・・・」
先輩?!何でココに?!」

わたしは体を起こし、すぐにそこから飛び退いた。下敷きにしてしまった人を確認する。わたしはあんぐりと口を開けてもみくちゃになった乾にすぐさま駆け寄った。

「い、乾大丈夫?!」
「う・・・あ、ああ・・・なんだやっぱりだったのか・・・」
「ごめんね・・・・・・って、やっぱり???」

乾は体制を立て直し、乱れたジャージを直した。皆不思議そうな目でわたしを見つめていたけどわたしはそれにお構いもせずに乾を凝視していた。やっぱりってどういうこと???

「いやね、君が今日俺を追ってきている事を知っていたんだ。しかしまさかロッカーに潜んでいるだなんて事までは想像してなかったな・・・」
「えーっ、わたしが乾のデータを取ってるのバレてたの?!」
「データまで取っていたのか。それは知らなかったけど、君は騒ぎの中心となる事が多いからね。桃城と海堂が喧嘩していた時に君を見かけたんだよ」
「そんなーっ。せっかく乾のデータを取ろうとしてたのに・・・」

なんだなんだと外野がざわめく中、乾はわたしを部室の外へ連れ出してくれる。乾はご丁寧にもわたしに傘を差してくれた。乾は背が高いから、傘を差してもわたしの頭には傘が当たらない。そして気がつく、これが相合い傘だということに。わたしは頬を赤く染めて俯いていると、乾は人気のない昇降口へとわたしを誘った。

「ここなら邪魔が入らないだろう。は俺のデータを取ろうとしてたんだね?」
「そう。だって乾って皆のデータ取ってるでしょ?だからたまには逆に乾のデータを取ろうかと思って・・・でも失敗しちゃった」
「・・・ならば俺の仮説が正しいのかどうか試させてほしい。この仮説は俺の傲慢さと期待もあって、独りよがりな考えが反映されてたから認めたくないものであったんだ」
「仮説?認めたくない?」
「ああ。最近ずっとそれが気になっていてね。なかなかデータに収集がつかなかったんだよ」
「乾でもデータに収集がつかないことなんてあるの?」
「勿論あるよ。特にこういった事象ではね」

なんだかまた小難しい話をしているけれど、乾は何を言いたいんだろう?それとこれとわたしが乾を付け回していたこととどう関係があるんだろう?わたしは首を捻りながら彼の問いに耳を傾けた。

「俺は君が俺を追いかけているというのは今日知っていたんだ。だけど、データを取っているという事自体は知らなかった。それを知る事で俺の中である確信を得る事が出来たんだ」
「うん、どんな?」
「俺の仮説はが俺に友達以上の好意を抱いてくれているという仮説さ。それが確信に変わった今、俺は君に言わなきゃいけないことがある」

友達以上の好意を抱いているという仮説・・・?友達以上の好意、ってことはそれはわたしが乾を好きで、それで乾がわたしにそれについて言わなきゃいけないことがあるって・・・?わたしは頭の中がしっちゃかめっちゃかになりながらも乾の言葉にただただ頷く。

「本当は俺もの事が、友達以上に好きなんだ。だから君の気持ちを確信出来た今、俺は君に付き合って欲しいと申し出る」
「・・・・・・?っていうことは乾はわたしが乾のことを好きだって事が分かって、それが分かったから乾はわたしと付き合ってほしいって・・・こと?」
「そうだ」

わたしは自分の言葉を脳内で反芻してようやく事態がどうなっているかを把握する。気づいた途端顔を真っ赤に染め上げて乾を見上げる。その瞳はテニスをしている時のような、真摯で人を貫くような真っ直ぐな瞳だ。わたしの鼓動はより早くなる。心臓が早鐘を打つとはこういうことだろう。

「俺を追いかけなくたって、いくらでもデータを取らせてあげるよ。ね、?いや、・・・・・・

乾は不敵に笑いながらわたしの手を取ると、わたしはあまりの急展開に頷くことしかできなかった。物陰から状況を覗いていた青学テニス部レギュラー陣がわあっと湧き出てきて祝宴のような騒ぎとなった。かくしてわたしのストーカー行為は乾との両思いという大団円を迎えることとなった。そして戸惑うわたしの頭を優しく撫でてくれる乾に更に照れさせられるのはまたその後のお話。