僕は、きっとキングス・クロス駅にいたんだと思う。そこはとてもまっさらな場所で、僕の知っているマグルで賑わっていたキングス・クロス駅とはちょっと違うみたいだ。でもここは7年間、学年度初め、ホグワーツへ通うために向かったキングス・クロス駅だとなんとなく感じた。

プラットフォームには人気がない。僕はぽつんと一人でそこに立っていた、と思っていた。けれどほんの少し遠くに、目を細めると馴染みのある背中が見えてくる。僕はそこに立っている相手が誰かは、すぐに分かった。焦らず、ゆっくりと僕より背丈のある人物へ近づいていく。不思議と、憎悪も嫌悪も、今の僕にはすでになかったのだ。



「よお、レギュラス」

「……兄さん」



兄さんは僕が最後に会った姿で、ポッター家などの連中と付き合っていた頃の若々しい兄さんだった。けれどあの時、ホグワーツでたまに見ていた眩さと幸福を湛えたような兄さんではなかった。姿かたちはあの頃の兄さんなのに、少し影のある、落ち着いて少し皮肉めいた雰囲気さえも醸し出していた。まあ、家では確かに、ブラック家のすべてを憎み荒んだ態度だったけれど。それともまた、何か違う。僕の記憶とは少し違った兄さんだった。



「お前、俺より先にここに来たんだってな」

「うん……まぁね」



兄さんは少し力無く笑うと、肩を落として僕に顔だけ振り返るような形で話しかけてきた。体はこちらに向けていない。



「兄さんも、なんか大変だったみたいだね」

「あー……まあな。このザマだ。お前より遅かったけど、俺も死んだ、かな」



僕はその言葉に少し俯いてしまった。兄さんが、ポッター家の惨劇からどこにいたか、どうしていたか、僕はずっと、見ていたから。



「ま、ブラック家の存続っていうお前の望みは叶えらんなかったかもしんねえけどな」

「…………」

「俺は全く、後悔してねーよ。俺は自分の誇りと命を賭けて死んだ。だから、別にそれはいいんだ」



僕は兄さんが何を言いたいのか、よく分からなかった。それは僕も知っていることだ。兄さんは兄さんの信念を突き通したのだ。それがどんな形であっても、グリフィンドールの騎士道精神とやらをかざして最後まで生きたのだ。でも兄さんはその言葉に反して、そこまで誇らしげでもなかった。



「俺は、お前がずっと愚かな弟だと、そう思ってたよ」

「うん、知ってる」



……思ってた?兄さんは溜め息を軽くつき、言葉を紡ぎ出した。



「俺はさ、あの家も、クリーチャーも、家族も、何もかも大嫌いだし憎んでた。いや、憎んでる。それは今も変わらない。でも……」



僕は静かに兄さんの話に耳を傾けることにした。こんなに兄さんと話をするのは本当にいつぶりだろう。こんなに雄弁な兄さんと面と向かって話をするのは、いつが最後だっただろう。



「俺はお前を理解できないし、したくもない。けど、俺はお前が最期に何をしたか知らなかったから、死ぬまでずっとお前は俺の中で愚かで、何も見えてない奴だった……」

「クリーチャーのことは俺は好きにはなれない。それは到底無理な話だ。でもお前は……お前は最期にお前の正義を貫いたんだな、ってそれだけは……分かった」



僕は兄さんのその言葉に目を大きく見開いた。目の前にいる兄さんはよく知る兄さんであって、でも僕の知らない兄さんでもあった。死んでからもずっと見ていたはずなのに、そう、兄さんの生き様を知っているはずなのに。死んでからの兄さんの言葉を聞くのは初めてのことだったのだ。



「笑っちゃうよな、レジスタンス組織にいた俺があの家に缶詰になってベラトリクスの呪いに打たれて、死喰い人だったお前が最期にしたことがヴォルデモートの魂の一部を破壊する助けになっただなんて」



僕は黙って話を聞いていた、はず、なのに。急にこみ上げてきた感情が、嗚咽をもたらす。涙のしずくが頬を濡らし、兄さんそんな僕の姿に厭世的な笑みを見せた。



「兄さんは……ずるいよ」



僕は生前伝えきれなかった思いをそのまま吐き出す。



「兄さんはすべてを持ってた。僕よりずうっと。兄さんに敵わない、ずっとそう思ってたんだ……でも家のことを全部僕に押し付けて、僕はそれが使命だと思ってたけど……兄さんは、本当にずるい」

「何だよ、今更。僕だって兄さんのことなんて分かりたくもないよ。でも、僕は……」



僕は涙を流しながら、今まで言葉にできなかった思いをそのまま続けた。



「死んでから、僕を認めるなんてずるい。生きてる時に兄さんは僕を知ろうともしなかったくせに!」



兄さんは少し眉をひそめ、僕より端正な顔を歪めた。



「今では……悪いと思ってることもある……お前は……充分頑張ったよ。家のことじゃない。純血のことじゃない。ヴォルデモートの計画の一部を頓挫させたお前は……愚かなんかじゃない」



やっと兄さんが体ごと僕に向き合った。僕は止まらない涙と嗚咽を漏らすだけだった。もっとお互いちゃんと話すべきだった。グリフィンドールとスリザリン、兄と弟、純血主義、ブラック家。僕たちの間に隔たっていた壁はあまりにも大きすぎたのだ。



「ここは、キングス・クロス駅なのか」



兄さんはプラットフォームの辺りを見渡して、静かにすすり泣く僕に優しく声をかける。



「そう、みたいだ……」



今までほとんど触れたことのない、兄さんの大きな手が僕の肩に置かれる。温かい、大きな手。



「じゃあ、俺たちの旅はこれからってことだな」



兄さんはかつて、グリフィンドールの連中と過ごしていた時にように快活な笑みを見せた。ああ、これこそが僕の知っている記憶の中の兄さんだ。でも、この兄さんはあの頃の無鉄砲で僕のことを知ろうともしない無慈悲な兄さんではなかった。



「あ……汽車が来た」



汽笛を鳴らし、汽車が景気よく駅へとたどり着いた。兄さんは僕を背に、軽やかに一歩を踏み出す。



「さ、行くぞ」

「え……?」



乗車口の階段に足をかけながら、兄さんは僕に振り向いて笑顔を見せた。



「今度は……ちゃんと一緒にな」



僕は未だに止まらない涙を流したままだった。けれど兄さんは、そんな情けない僕に手を差し伸べてくれた。一度もそんなことはしてくれたことはなかった。今まで、一度も。



「この汽車、どこへ行くんだろう…?」

「さぁ、わかんねーけど。まあ、どこでもいいだろ?」



僕は行儀悪く、鼻をすすりながら兄さんの手を取った。うん、確かにどこでもいいかもしれない。ずっと兄さんに嫉妬していた。ずっと兄さんに怒りや恨みを覚えていた。今でもそれが完全に消えることはないけれど、死んでしまった今、それに執着するのもバカバカしいことだな、と思った。



「さて、旅立ちの時だ。荷物はいらないだろ?」

「うん……そんなもの、別にないし」



僕はただただ、兄さんと旅立てることが嬉しかった。けれどそこまで素直に言葉にすることは難しい。でもね、兄さん。僕はきっと、あなたにとって忌々しいスリザリンのブラック家の末裔かもしれないけれど。こうして少し分かり合えたこと、本当に良かったと思っているんだよ。

僕は兄さんと汽車に乗り込み、小さなコンパートメントに収まった。どこへ行くんでもいい。もうきっと、互いの呪縛からは解き放たれたはずだから。死んでから和解できる兄弟っていうのも、客観的に見たら悲しいかもしれないけれど。僕はこれでいいと思った。心なしか向かいに座る兄さんも、頬杖ついて景色を見ながら憑き物の落ちたような顔をしている。

汽車の汽笛がまた鳴った。汽車はキングス・クロス駅に別れを告げるように、蒸気を昇らせ僕たちをきっと安らぎの地へ、運ぶんだろう。そこがどこだろうと、僕はもう後悔はしない。なぜなら、今はもう、兄さんが僕の傍にいてくれるから。